第6章 【覚醒】


 7





 白い魔方陣に導かれた先は、バーミリオンには見慣れた場所だった。真っ白な部屋の奥には二体の騎士像に護られた王座。そう、ここはキングダムの謁見の間である。
 王座の更に奥に見える扉からある人物が姿を現すと、バーミリオンはいつもの習性で膝を付こうとしたが、今はエコーを抱えているため儘ならなかった。
「そのままで構いませんよ」
 先程隠し扉まで導いた声の主は、やはりクイーンであった。
 白いドレスに身を包んだ威厳ある女王の姿に、初めて会ったフェズは緊張で固まってしまった。一国の王に会うなど初めてだし、自分なんかが会っていいものだとは思っていない。ましてやこんなに汚れた格好で……恥かしさで顔が熱くなる。
 そして瞳の前の人物があのマリーヌの母親なのだ。マリーヌの柔らかさと違い、クイーンからは冷たい印象を受けた。
 呆然とするフェズをよそに、クイーンは白い騎士に歩み寄って行った。
「ご苦労様でしたね、バーミリオン」
「勿体無いお言葉です」
 エコーを抱えたまま、バーミリオンは静かに頭を下げた。
「まず怪我人を治療するのが先ですね。救護室に運んでおあげなさい」
 女王の穏やかな命令に控えていた兵が数人集まり、既に気を失っていたエコーとフューシャを運んでいった。それを静かに見送ると、クイーンは白い騎士が身にまとった法衣の赤い染みを瞳に留めた。
「貴方も怪我をしたのですか?」
「いいえ」
 きっぱりと言い切ったバーミリオンに対し、クイーンは微笑んだ。
「そうでしたね、貴方が怪我を負うなど有り得ぬ話。貴方達も疲れたでしょう。もうお下がりなさい」
「はい」
 バーミリオンは深く一礼をして扉に向かった。呆然としていたフェズも慌てて頭を下げ彼の後を追った。
 バーミリオンの顔には珍しく表情が浮かんでいたが、フェズはそれに気付いていなかった。



「あの……」
「なんだ」
 ずっと先まで続いている長い廊下を歩きながら、フェズは前を行く背中に声をかけた。颯爽と歩く白い背中は、何とも声をかけ辛い雰囲気を醸し出している。いつも以上に。
「結局私達って何のために塔へ行ったんでしょうか?」
 自分達はモンスター退治のために塔へ向かったはずだ。確かに途中で何度か闘ったが、あれは巣食っていたというより、むしろ用意されていたように思える。しかも最後には聖騎士まで現れ、エコーが瀕死の重症を負った。
 一体何のために向かわされたのだろうか。何のために……。
「さあな」
 そう答えたものの、バーミリオンには理由がわかっている。フェズに話すべきことではないから、あえて言わないだけだ。
 偽のエルフェンバインが言っていた通り、エコーの力を見るため――ただその為だけだろう。それだけの為にわざわざここまで念入りなお膳立てをしたのだ。それだけの為に、自分は利用されたのだ。
 モンスター退治程度に同行させるなら、自分でなくとも役割を果たす騎士ならいくらでもいる。騎士でなくとも兵士で充分だ。
 自分でなければならなかった理由。エルフェンバインに最も近しい存在である自分を同行させることで、エコー達の警戒心を和らげる必要があったのだろう。それがクイーンの案なのか、エルフェンバインの案なのかは知らないが――。
 あんな小細工などなくとも、エルフェンバインの命令であれば、どんなものでも従うというのに。それとも自分は裏切るとでも思われたのだろうか、そんなに信用ならないのだろうか。利用されたことが辛いのではない。真実を告げられなかったことが悔やまれるのだろう。
「あの、バーミリオンさん?」
 遠慮がちに呼ばれた自分の名に、バーミリオンは我に返った。
「エコー達を見舞ってやるといい。救護室はその先にある」
 廊下の途中、立ち止まって曲がり角の先を指差し、バーミリオンが言った。
 鋼鉄の表情を持つバーミリオンがひどく疲れているようだったので、自分達が彼に負担をかけてしまったのだろうと、フェズは少し心配になった。
「あのバーミリオンさんは……」
 一緒に行かないんですか? と聞きたかったが、最後まで言えず、言葉はそこで途切れた。白い騎士は既に背を向け歩き出していた。エコーよりも少し広い背中を、フェズは暫く見つめていた。


 長い廊下を歩き続け、バーミリオンは自室を目指していた。途中、城内のあらゆる人間の視線を集めた。口元を押さえて青ざめる女官や慌てた様子で声をかける兵士。彼自身の血なのか、それとも他の誰かのものなのか、彼らには知る由もないが、あの白い、ホワイトレドの大地を思わせる真っ白な法衣が、血に染まることなど有り得ないと、どの瞳もそう言っていた。
 かけられた声も向けられた視線も軽く受け流し、バーミリオンは姿を消した。




 バーミリオンと別れ、ひとり救護室に向かっていたフェズは、その場に辿り着く手前で見慣れた後姿を見つけた。
 背の中程でひとつに結われた長い黒髪。その人を包む独特の柔らかい空気。パタパタと近づく足音に、彼は振り向いた。
「あっ、フェズちゃん!」
「ルアンさん!」
 向けられた笑顔に吊られてフェズも笑顔になった。
「お帰り〜! 大変だったみたいだね。エコーとフューシャは怪我したんだって? フェズちゃんは大丈夫? 何処も怪我してない?」
 心配そうに自分を見つめる緑色の優しい眼差し。それを見ているうちに少女の身体に張り詰めていたものが、大粒の涙となって一気に溢れ出していた。
「ど、どうしたの? どこか痛いのかい?」
「い、いえ。ルアンさんの姿を見たら安心しちゃったのかな……」
 照れ笑いを浮かべながら、一生懸命涙を拭っているフェズに、ルアンは一層優しい笑顔を向けた。
「そうか、そうか。だったら僕の胸で思う存分お泣き」
「わっ! ちょ、ちょっとルアンさん!」
 いきなり抱き締められ、フェズは耳まで真っ赤にして慌てふためいた。
 でもこういう空気がやっぱりルアン独特で、とても安心出来るのだ。照れ臭いと思いながらも、暫くそのままルアンの胸に顔を埋めていたフェズだった。






 どれくらい眠っていたのだろうか。どこから覚えていないのか、思い出せない。瞳を覚ましたら、見慣れた顔がいくつも飛び込んで来た。自分の顔を覗いてるみたいだった。
 覗かれてる? 何で? 自分は何で寝てるんだろうか?
 白くぼやけていた視界が徐々にはっきりとしてきて、何処に誰の顔があるのか判別できた。フェズにフューシャ、ルアンにマリーヌ。向うに見えるのがフラックスだ。皆の顔の向うには、無愛想な騎士の法衣と同じように真っ白な天井が広がっていた。
 ――思い出した。あの白い法衣を自分の血で汚したことを。
「エコー! 気が付いた!」
 灰色の瞳が開かれたことに、いち早く声を上げたのはフューシャだった。彼女の言葉に反応して、みんなは次々に安堵の溜め息を漏らした。
「ここ、どこ……?」
 自分は氷の塔にいたはずだ。
 まだ朦朧とした頭では理解できず、エコーはそう呟いていた。
「ここは城の救護室よ。あなた、酷い怪我をして運ばれてきたの。覚えてない?」
 答えたのはマリーヌだった。そう言われれば、マリーヌにルアンにフラックス、塔へは行かなかったメンバーの顔があるのが不思議だ。
 酷い怪我――そうだった。確か聖騎士の魔法で、自分は串刺しにされたのだった。だが腕も足も、すっかり痛みは引いていた。指先を動かして自由が利くことを確認すると、エコーはゆっくりと上半身を起こした。
「まだ無理はいけないわ」
「いや大丈夫……」
 制止するマリーヌの言葉を聞かず、エコーは身体を起した。
 ゆっくりと辺りを見渡してみる。やっぱり見慣れた仲間達の顔と、その後ろでは見慣れない人達が慌しく動き回っていた。怪我をした兵士や、一般人の姿も見える。
「まだ寝ていた方がいいよ、エコー」
 懐かしさすら感じるルアンの声に、エコーは軽く首を横に振った。
「もう平気だよ。腕も足も痛くないし……。ところでバーミリオンは?」
 ここにはいない人物の名を言ってみたものの、いるはずはないと心の中で自答した。彼は仲間ではない。手助けの為に同行してくれただけだ。だから自分を気遣ってここにいるはずはない。
 ただ。ただエコーは、真っ赤に染まった白い法衣が忘れられないだけだった。



 その頃。
 バーミリオンはとある一室に呼び出されていた。広い室内にはいくつもの本棚が並べられ、所狭しと様々な装丁の本が陳列されている。
 本棚に囲まれた机に向かって、エルフェンバインは山積みになった書類に瞳を通していた。
「ご苦労だったな、バーミリオン」
 次々に書類を手に取り、さっと瞳を通しながら聖騎士は視線を向けずに自らの副官に言葉をかけた。
 真っ直ぐに立ったバーミリオンは「いえ」と答えただけで、それ以上何も言わなかった。言いたい事がなかったわけではないが、それを口にすればどうなるか、充分理解した上でのことだ。別に解任されるのが怖いわけではない。それではダメだ。エルフェンバインへの恩には報えないから。
 暫く沈黙が続いた。書類を取る手がピタリと止まり、ようやく青の瞳がバーミリオンに向けられた。
「……結果的にお前を騙すような形になってしまったな。すまない」
「何故エルフェンバイン様が謝る必要があるのですか? 私は貴方の命令ならば、例えどんなものであろうと従うと、常々申し上げているはずです」
 顔色ひとつ変えずに、バーミリオンはさらりと言ってのけた。
 エルフェンバインは軽く溜め息を吐いた。それは、例えば自分の身代わりとなって死ぬことくらい、造作もないことだと言っているように聞こえる。言葉の裏に潜む危険さを、彼は理解しているのだろうか。いや、バーミリオンは賢い。充分理解した上での発言なのだろう。だから余計にタチが悪い。
「それ以外に、私に言うことはないのか?」
「ありませんが」
 何を言っても無駄だと、エルフェンバインは諦めた。例えば反論を返してきても、相手がバーミリオンならば嬉しい限りなのに。
 瞳の前の青年がこの城に仕え始めてもう四年になる。まだ十五の少年の時だ。その頃から妙に大人びていて、周りの人間と接することを極力避けていた。信じていなかった。
 自分とマリーヌに対しては、少しだけ心を開いているように思えるが、それでもまだ駄目だった。四年の間、彼が激しい感情を露わにしたことなどない。自分の事を話した試しがない。過去のことも、現在のことも、そして未来のことも。何かを隠しているというよりは、むしろ触れさせないようにと護っているようだ。
 ――お前の心に触れようと思うのは、そんなにも難しい事なのか? バーミリオン。
 エルフェンバインの気持ちを知ってか知らずか、バーミリオンは軽く一礼をして部屋を去った。

 バーミリオンの背中を無言で見送った後、続いてエルフェンバイン自身も部屋を後にした。その足で向かった場所は謁見の間。威圧的な扉を気にかける様子も無く中に入ると、王座に人影を見つけ、間を半分に縮めた所で聖騎士は跪いた。
「どうですか、彼らは」
 誰に語りかける時よりも穏やかな声色で、クイーンは白い騎士に問うた。
「そうですね、彼らに同行していた剣士と風使いは、即戦力を望めるほどの実力でしょう。使って損はないと思われます」
「あの少年は?」
「鍛えればモノになるとは思いますが、かなり時間を要するかと。魔力も期待する程ではありませんし」
「しかし、あの剣は恐らく本物でしょう。【あの方】がそう言っているのですよ」
「では……」
「彼らの事は貴方に任せましょう、エルフェンバイン。どう扱おうと貴方の自由です。お願いしますね」
「御意」
 その返答に満足そうに頷くと、クイーンは静かに立ち上がり、奥の扉へと姿を消した。






 エコーが完全に復活したのは、【真実の塔】から戻って三3日後の事だった。半強制的に閉じ込められていた救護室からようやく出ることが出来て、エコーは思い切り背伸びをした。腕や足にあった傷はすっかり無くなり、心なしか調子良い感じがする。
 軽く肩を動かしながら、エコーは歩き出した。
 さっきルアンが呼びに来た。なんでも聖騎士から話があるという。何だろうと思いながら、塔の最上階で聖騎士の偽物と闘ったのを思い出した。バーミリオンより冷徹な感じだった。甘さなど一切持ち合わせていないような笑みで容赦なく身体を貫いてくれた。偽物だとは思っているが、リアルな感じがなかなか消えない。
 ――そういえば、あれからバーミリオンに会ってないな。
 救護室に見舞いに来るなんて有り得ないと思っていたが、本当に現れなかった。
 別に会いたくて仕方無いわけではない。そうだったら少し気色悪い。
「っていうか腹減ったな〜」
 歩きながら色々考えているうちに、何だかどうでもよくなっていた。

 あんまり遅いから……と途中まで迎えに来たルアンと合流し、向かった先は最初に皆で訪れた客間だった。そこで待っていたのは、フラックス・フェズ・フューシャとエルフェンバイン。マリーヌとバーミリオンの姿はない。
「どうも、すみません。お待たせしちゃって……」
「いや構わないよ」
 何故かルアンが謝ると、エルフェンバインは軽く微笑み返した。その笑顔は初めて会った時のように穏やかで、塔で会った偽物とは大違いだった。
 聖騎士の笑顔を呆然と見ていたエコーだったが、気付けばルアンに無理やり頭を下げさせられていた。
「さて、揃った所で話に入ろう」
 すぐに済むから立ったままで構わないか、という聖騎士に、皆軽く頷き同意した。
「君達は、この城で働く気はあるか?」
 全員が耳を疑った。からかわれているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。エルフェンバインの青い瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。戸惑ったのは言うまでも無い。一体どういうつもりか、とさえ思った。
 キングダムに兵として仕えるには、相当の努力と苦労を要するのだと、以前フラックスが話していたのを思い出す。それにこの中の誰一人、未だかつて兵士として働いたことはない。では一体何故? 悩んだところで聖騎士の考えがわかるはずも無かった。
 だが、それはそれで好都合なのかも知れない。この国はダークモスと敵対関係にある。闇雲に動き回って敵を探すよりも、ここに留まっていた方があの黒い騎士に出会える確率は高い。
 それに、ここにはエルフェンバインやバーミリオン、その他にも強い騎士や兵士がごまんと居る。自分を鍛えるにはもってこいの場所だ。しかも雇ってくれるというのだから、これほど都合の良いことはない。エコーの顔には無意識に笑顔が浮かんでいた。
「いいだろう」
 答えを返したのは意外にもフラックスだった。好都合だと考えたのはエコーだけではなく、ルアンもフラックスも同じように考えていた。だが、こちらは少年のように純粋な気持ちではない。
「だが、まさかこの二2人も兵として働かせるわけではないだろう?」
 言いながら、フラックスは二人の少女を指差した。
「こちらとしてもお嬢さん方を兵として扱うわけにはいかない。しかし只で置いてやることも出来ないのでね。そうだな……二人には救護室で働いてもらうことにしよう。今はマリーヌもいるし、それでどうだろうか?」
 青い瞳が自分達に向けられていると気付いて、フェズは慌てて頷いた。
 フューシャに至っては渋々だった。手当てとか治療とか退屈な作業よりも、闘いの方が性に合っているからだ。それにエコーと離れたくないという、可愛い乙女心が無かったわけではない。
 しかしここは今までとは訳が違う。兵として仕えるからには規則や秩序が存在し、時には命を賭けた闘いが起こりうる可能性もある。そういった状況の中で、女の子であるフューシャがやっていけるかどうか、それは彼女自身にもわかっていることだ。
 それぞれの同意が得られたことで、エルフェンバインは一度だけ頷いた。
「君達は傭兵扱いとなる。雇い主は私だ。全ての指示は私から与える。私が不在の場合は副官のバーミリオンが代わりを務める」
 聖騎士の代わりを任される――それはこの城全体の兵を自由に動かせるという事だ。
 同じ歳頃でありながら、バーミリオンは既にエコーよりも遥か上の地位にいる。人の上に立つというのは、どんな気分だろうか。数多の兵達を動かすには、どんな苦労を要するのだろうか。考えたところでわかるわけがない。それをやってのけるバーミリオンという青年は、本当はあの凍りついた表情の裏側に、どんな顔を持っているのだろうか。
 エコーの中に、何とも言い表しがたい感情が芽生えていた。羨ましいような、妬ましいような。それでいて追い風に背中を押されて急かされるような、複雑な感情だった。
 少年が思いに耽っている間、聖騎士の話は続いた。それから、とエルフェンバインは付け加えるように言った。
「ここまで共に行動してきたとはいえ、マリーヌはこの国の王女だ。あまり度を過ぎた態度を取らぬようにして貰いたい。彼女自身は気にするなと言っているようだが、皆の手前、そういうわけにもいかない。……既に聞いたかも知れないが、彼女は私の婚約者でもある。その辺りも踏まえて、宜しく頼む」
 そこまで言い終えると、えっ! と一斉に驚きの声が上がった。そしてその声に聖騎士は当然驚き、青い瞳が一行の顔を見回した。誰もがまさに「聞いてないよ」という表情で彼を見つめていたが、同時に、妙に納得したように何度も頷いていた。
 流石は一国の姫。婚約者となる相手もそれなりの人間である。
 フェズがこの城にやって来た時に抱いた疑問が一気に解決した。エルフェンバインが彼女に対し、一国の姫君と騎士以上に親しげに接する理由が。
 エコーとルアンは感心したように何度も頷き、フェズとフューシャは憧れの眼差しで聖騎士の姿に酔っていた。ただフラックスだけは、具合が悪そうに視線を逸らしていた。





← Back / Next →

Copyright(C)2003− Coo Minaduki All Rights Reserved.