第12章 【妖精王の末裔】







 エコーはぐるりと取り囲んだ骸骨達を力任せになぎ倒し、必死になってその場を抜け出そうとしていた。同じくして別の輪では、甲板の床に魔法陣が現れ、無数の金色の龍が立ち昇っていた。
 例えば二人が敵の輪から抜け出せたとしても、間に合うことはなかっただろう。
 フェズは死を覚悟した。こんな時に身を護る術を持たない、咄嗟に応戦できない自分を呪った。いつまでも変われず、護ってもらわなければ生きてゆけない――結局いつまで経ってもお荷物でしかない。
 それならば、いっそ――そう思いながらも、やはり死への恐怖から、彼女は左腕を上げて自らを庇っていた。強く強く瞳をつぶり、心のどこかでは奇跡を願っていた。
 そんなフェズを嘲笑うかのように、ガチガチと歯を鳴らしながら、骸骨は振り上げた腕を勢いよく振り下ろした。

 でもやっぱりまだ死にたくない。もっと生きていたい。もっと色々な事を知りたい、見たい。
 こんな私でも、何か一つ人より優れているものがあるならば……役立ちたい。
 そして、もっとエコーと一緒に……。

 心の中で強く想った瞬間、フェズの左腕に装備された腕輪の蒼い石が一斉に輝き出した。
 不思議な光を感じ取ってフェズが瞑っていた瞳を開いた時には、目前に薄青の壁が出来上がり、骸骨の攻撃を見事に防いでいた。その壁は、かつて氷の塔で出現したものに酷似していた。
 だが似ていたのは見た目だけで、効力は違っていた。
 次いで青の壁から現れたのは、水で出来た大鎌を手にした、髪の長い女性の姿。それははっきりとした人の形ではなく、身体中をサラサラと流れる清き水が何となく女性を象った――水の精霊だ。
 精霊は、壁から抜け出して爪先まで姿を現すと、手にした水の鎌を大きく振って瞳の前の骸骨を一気に打ち砕いた。ぶつかり合った瞬間、あたりには水の飛沫(しぶき)が飛び散る。真っ二つにされただけでなく、骸骨たちは水色の炎に包まれ、苦しげな声を上げて跡形もなく消えていった。
 さらに、精霊の攻撃はそれだけでは終わらなかった。
 精霊が優雅に上空を舞うと、キラキラと光り輝く水の粒が降り注いだ。治癒の力を持った優しく穏やかな雨は、エコーやバーミリオンの傷を癒しつつ、骸骨達の身体を溶かしていく。
 あちらこちらで悲鳴が響き渡った。それでも完全に消えない骸骨は、水の鎌を振るって切り裂いていく。
 甲板いっぱいにひしめいていた骸骨の群れは、気付けば残らず消え失せていた。

 その場に立ち尽くし、三人は呆然として水の精霊の姿を見つめていた。
 中でも最も驚いていたのはフェズだ。バルカンから貰った精霊銀の腕輪からは、確かに温かで優しい、不思議な力を感じていた。その温かさに護られるような安堵感があり、肌身離さず身につけていたのだ。妖精の王族が使用していたものだと言っていたが、まさかこんなにも強力なものであったとは。
 フェズは大きく瞳を見開き、いまだ淡い光を放つ腕輪の石を見つめた。

 浮遊していた美しい水の精霊は、ふいにエコーの前に降り立つと、そっと手を伸ばしてエコーの頬に触れた。触れた指先からは、ひんやりとした涼しい感触が頬に広がってゆく。
 そして灰色の瞳をのぞき込んで微笑むと、精霊はエコーの額に口づけた。
「うわっ!」
 額に水が触れているような、冷たい感覚にエコーは思わず声を上げた。
 ついでに顔が熱くなった。精霊とはいえ、相手は女性。エコーは照れて大いに慌てふためき、身を強張らせてしまった。
 その様子に瞳の前の精霊は可憐に笑ってみせた。もちろん声はなかったが、精霊にまで笑われて猛烈に恥かしくなったエコーは、真っ赤になって俯いてしまった。
 俯いて瞳に留まったのが、真紅の石。石は一層燃えるように光を放っており、掌に激しい熱が伝わってくるのを感じた。
 その熱を鎮めるかのように真紅の石にそっと触れると、精霊は満足そうに微笑み、そして空高くに舞って天に祈り始めた。月が静かにその姿を照らし、白金の月光を浴びて、精霊の清き身体が銀色に輝いていた。

 時が止まっていた。波の音も、風の音も、何も聞こえない。
 あまりの神々しさに、三人は祈り続ける乙女の姿に釘付けになっていた。夜空に浮かぶ満月が、妖しいほどに美しくて――夢の様な出来事も、現実となってしまいそうな気さえした。
 やがて祈りを止めた精霊が海の中に飛び込んでいった。すると、船の周りの海面がまるで先程の乙女の身体のように銀色の光を放つ。
「な、なんだっ!?」
 突然、波立ち始め、足元がふらついた。適当な場所にしがみ付いて事の成り行きをうかがっていたが、次の瞬間大きく瞳を見開いた。
 船の両側から囲むように高くなった波が上空で結合し、船を護るように蒼い球体に変化していた。
「ど、ど、どうなってんだよ、コレ!!」
 頭上で渦巻く水を見て、エコーは青ざめた。
 精霊を呼び出した当の本人・フェズは、さっぱり理解できずにただ首を横に振るだけだ。彼女自身の意思でこうなったわけではないのだから、無理もない。異変に気付いたシーバもその場にやってきたのだが、こちらは驚きのあまり、腰を抜かして地べたに座り込んでしまった。
 そんな状況の中、ふとバーミリオンが船体の異常に気付く。
「沈んでるな」
「はあ!?」
 この非常事態に何を悠長に言っているのかとエコーは顔をしかめていたが、シーバは、バーミリオンの言う通り、水の球体に包まれたまま船体が徐々に沈んでいる事に気付いた。
「沈んでるんですよ……船が、海の中に!」
「な、な、何だってー!?」
 言われてみれば、海面がすぐそこまで昇ってきている。
 どうなってしまうのか。このまま海に呑み込まれてしまうのか。
「どうするの? このままじゃ沈んじゃうわ!」
 突然の事にフェズもパニックに陥っていた。精霊の姿を探したが、何処にも見当たらない。
 それもそのはず。船体を包む球体が、彼女自身なのだから。
「もうダメです! 沈みますー!」
 瞳にいっぱい涙を浮かべたシーバの叫び声が、虚しくも響き渡った。
 エコーもフェズも絶望の表情を浮かべていた。






 このまま死んでしまうのだろうか。
 薄れゆく意識の中で、海中を漂う骸骨をいくつも見た気がした。
 もしかしたら、さっき襲ってきたのはこの【デスマリン】で不幸な死を遂げた人々なのかも知れない。何の罪もない者が、己に訪れた死を嘆いて、自分達を死に追い遣った、その原因を持つ者を呪っていたのかも知れない。
 きっとこの地は、妖精王の末裔が現れるまで様々な力によって護られていたに違いない。それがいつしか、理由のない死をもたらす海へと変わっていったのだろう。
 そこまでして護りたいものは何だろうか。そこまでして手に入れなければならない力とは……。



 ――信じて……。
 誰?
 ――わたくし達は、無意味にこの地を護っているわけではないのです。
 あなたは、誰?
 ――さあ、瞳を開けて。貴方の証をわたくしに見せて。
 あなたは、もしかして……
 ――わたくしの愛した、あの方と同じ瞳を……。







 瞳を開いた時、空に向かって精一杯手を伸ばしていた。声の主に触れようとしていたのかもしれない。
 今まで何度か【彼女】の声を聞いたが、こんなにも鮮明に聞こえたのは初めてだった。とても近くに、その人を感じた。
 寝転がったままで空を見つめた。青い空ではなく、広がっているのは蒼い海。
 上空に海面が見えた。船はずいぶん深く沈んでしまったようだけれど、不思議なもので、苦しくないし呼吸もしている。それは船体を護る球体のお陰だろうと、そう思った。
 エコーは上半身を起こしてみた。すぐそばに、心配そうに様子をうかがうフェズとシーバの姿があった。
「エコー、大丈夫?」
「ああ、何ともない。お前らは?」
「僕達も無事です」
 ゆっくり辺りを見回すと、二人の安堵の表情の向うに、こちらに歩いて来るバーミリオンの姿を見つけた。
「真っ直ぐ底に向かっているようだな」
「底?」
 エコーは立ち上がり、バーミリオンの元へ歩み寄った。
「お前、何ともないか?」
「ん、俺? 特に……お前はどこか変なのか?」
 言いながら、エコーはバーミリオンの顔色が優れない事に気付く。
「もしかして、瞳?」
 前髪で隠された左側の瞳を指差しながらエコーが問いかけると、バーミリオンは軽く頷いた。確か、強い魔力を発する場所に行くと左瞳が疼くのだと言っていた。しかも今回は相当キツイらしい。
 それは、妖精王の【力】の在り処が近くにあるということを意味しているのか、それとも強大な魔力を持った“何か”が潜んでいることを知らせているのか――。
 静かに時は流れ、沈み続けていた船がようやく止まった。船外をのぞいて見ると、瞳の前に巨大な神殿が建っていた。何かの遺跡か、長い時を経た末に朽ちて崩れた神殿が、微かだが銀色の光を放っているように見えたのは気のせいか。

 身震いが止まらなかった。背筋がゾクゾクする。恐怖と感動と、自分でもはっきりとした区別が出来ない感情が、エコーの身体を駆け巡っていた。
 間違いない。この場所に【力】を感じる。【彼女】が強く呼んでいる。
 エコーが船の乗降口に近寄ると、船を包んでいた球体は更に大きく広がり、神殿自体も包み込んだ。そのお陰で、船から降りても自然に呼吸を続けることが出来た。
 エコーは身体中で、バーミリオンは左瞳に力を感じ取った。
 この先には、強い力を持つ存在が居る。そう感じた二人は、シーバとフェズに船に残るよう促したが、フェズは自分も行きたいと強く主張した。
 残されるのが嫌だった。自分だって妖精王の末裔ならば、この先にあるものを見る権利はある。
 どうしてエコーは許されて、自分は許されないのか。どうしてエコーに力は与えられて、自分には与えられないのか。この先にその謎を解くものがあるのならば、どうしても見たい。心の中に巣食った黒い影を、それで消せるのならば……。

 船に一人残ることになったシーバはかなり不安そうにしていたが、嫌な気配がするのは神殿だけで、周囲に危険な気配はないと言ってやると、少しだけ安心したようだった。
 三人は気を引き締めうなずき合った。
 神殿の前で一度立ち止まり、見上げてみる。大きな神殿だ。欠けた柱が今にも崩れてしまいそうな身体を必死に支え、とても長い長い間、望んだ者がやって来る日だけを待っていたのだろうか。
 足を踏み入れると、海中にも関わらず神殿内からは生温い風が吹いてきて、頬を撫で、髪を撫でて過ぎていった。
 内部は薄暗く、不気味な空気が漂っていた。湿った不快な臭いが鼻をつく。瞳を凝らしてみても近くには何も見えないが、天井は高く、空間は広い。当然人の姿はなく、また魔物らしき気配も感じられない。
 その中で、不死鳥の心臓が放つ真紅の光だけが異様に浮きだって見えた。この場にやって来られたことを喜んでいるのか、手に握ったフォルブランニルは生きているように熱かった。


 ドクン……

 灰色の双眼が、静かに歩を進めながら、ゆっくりと広間を見回す。
 一歩進むと、ひとつ、またひとつと広間のランプに炎が宿る。

 ドクン、ドクン……

 前方に三つ、緩やかなアーチ状に置かれた石の箱を見つけた。
 丁度人間の棺桶のような、そんな形。

 ドクン、ドクン、ドクン……

 鼓動が止まらなかった。このまま心臓が破裂してしまうのではないかと、そう思えるほどに大きく激しい。
 全身を這う緊張が荒い吐息となって宙に逃げ、指先が、膝が、恐怖に震える。

 エコーはフォルブランニルを強く握り締めた。
 ――どうか、俺達を護ってくれ。
 握った手にさらに力を込めてフォルブランニルを逆手に持ち、柄を額に当て祈ると、主(あるじ)の意識を受け、不死鳥の心臓は目映いほどに光り始めた。
 不死鳥よ。この身を、そして大切な仲間達を護る力を貸してくれ。
 真実を見つけ出さぬうちは、決して死ねない。こんな所では終われないのだ。



 そして……
 瞳の前には、いつの間にか三つの影が揺らめいていた。





← Back / Next →

Copyright(C)2003− Coo Minaduki All Rights Reserved.