白き竜が天翔る時――それは大地が崩壊を遂げる時













 遠い空に城が浮かんでいる。
 【浮遊城】と呼ばれるように、機械王国アスライーゼの王城は、巨大なプロペラを幾つも回転させ、真っ白な雲をクッション代わりに大空を翔る。

『アスライーゼが空を翔る限り、この世は安泰であろう』

 三百年ほど続くそんな伝承は本日も健在。王城内だけは今日も平和そのものだ。




「……つまらん」

 王城内、広々とした玉座の間に女の声が響く。赤い絨毯(じゅうたん)を足蹴にし、豪華な玉座に腰掛けて肘をつきながら退屈そうに口をとがらせているのは、アスライーゼの王・フェリーシア=フェルディナント=ララアスライゼ七世、その人である。
 豪奢(ごうしゃ)な輝きを持つ縦巻きロールの金の髪。高価なエメラルドさながらの瞳。御年二十八というには、いささかの偽りを感じる。見た目はもう少し若い。若作りだと言われればそれまでだが。

 フェリーシアがちらと見上げた先には無口な執事がたたずむ。白いひげに蝶ネクタイ、黒いスーツと高貴な出で立ちの執事は、王の視線に気付いているはずなのに見向きもしない。応えれば、やれ歌えだの踊れだの、宴を始めろだの酒を持って来いだの、無理難題を押し付けてくるからだ。
 退屈嫌いの王に付き合わされるのはまっぴらだと言わんばかりに、老年の執事は無視を貫き通す。
 フェリーシアも負けじと強い視線を送っていたが、やがてそれにも飽きたのか、わざとらしく大きな溜め息を吐いて再び口を尖らせた。
 そんな彼女の耳に、ふと歌声が届く。
 不思議で透明感のある声。心に響く切ない恋歌が、王城中に響き渡っている。
 歌っているのは、飛べなくなった――美しい鳥。

「……レインが歌っているな」

「そのようですね」

 無視を通していた執事が、王の言葉に答えを返した。

「そろそろ【あれ】が帰って来る頃か」

 フェリシーアが不敵に笑った。長い間待ち望んだものが帰って来る。これほど楽しく、退屈しのぎになる事はない。
 その意味を知っているのか、今度は無口な執事がわざとらしく大きな溜め息を吐いた。




◇    ◇    ◇ 




 アスライーゼの西方、その距離およそ百キロ。
 日没に向けて傾きかけた太陽を、複数の影が覆っている。漆黒の翼……遠目には鴉(からす)に見えた。
 否、それは竜。前足を持たない飛竜【ワイバーン】の群れ。ギャアギャアと耳障りな鳴き声を発し、ワイバーン達は我が物顔で大空を駆け巡る。
 その群れの合間を縫って、光が飛び交っていた。目を凝らせば、漆黒の竜たちを蹴散らす、巨大な飛竜の姿が浮かび上がる。

「……ウザい」

 舌打をしながら、竜の背に乗った男が、左手に構えた対獣竜用魔猟銃【ブリューナク】のトリガーを今一度引いた。
 小さな銃口から光が、まるで輝く槍のように飛び出し、一体のワイバーンに直撃。その胴体を貫通した。貫かれたワイバーンは、声を上げる事も許されずに消し飛んだ。
 群れが更に声を上げる。仲間意識は一応あるらしい。ワイバーン達は一気に目の色を変え、巨大な飛竜を取り囲んだ。
 飛竜の背に乗った男は、ややずれていたゴーグルを正す。それは自らの武器が放つ光線に対しての装備。まともに見てしまえば失明は免れないほど、ブリューナクの光の槍は強烈だ。

「だから、ウザいんだよ」

 ゴーグルの奥の双眼が不快げに細められる。男は辺りを見回し、群れの数を見遣って、いちいち一体ずつ相手にするのは面倒くさいとばかりに舌打ちした。次いで左腰に佩いた剣に右手を伸ばすと、引き抜いた剣先で宙に奇妙な形をなぞり始めた。
 まず大きな円を二重に、更にその中に文字とも取れる形。夕日を受けた剣先が、オレンジ色の像を宙に残す。最後に男が胸元のペンダントを握り締めると、驚くなかれ、残像でしかなかった宙の円が見事な陣と化し、目も眩むような光を発して間近に迫っていたワイバーンの群れを一掃した。
 光に呑まれて塵と化したワイバーンの破片が、パラパラと宙を漂う。男を乗せた竜が、その巨大な翼を羽ばたかせると、今度は風の渦に呑まれて、飛竜の破片が遠い空へと飛ばされていった。

 男は小さく溜め息を吐き、沈みかけた夕日に背を向ける。
 オレンジ色の光が、男の無造作に束ねた白い髪を照らしていた。

 安堵の息を吐いたのも束の間、ほんの一瞬スキを見せたその背に向け、凄まじい勢いで飛び掛るものがいた。先程のワイバーンよりも一回り大型の飛竜だった。殺気を感じ取り、男が振り向いた時には、鋭利な爪が目前に迫っていた。
 が、しかし。
 男の腰に携えられた袋の中から小さな竜が顔をのぞかせ、その口から強烈なファイアブレスを吐き、自身よりも数倍はあろう竜を焼き焦がした。
 今そこでゆらめく夕日のように赤い炎は、渦を巻いて身体に絡みつき、哀れ飛竜は悲痛な声を上げ、ワイバーン達同様、塵(ちり)となって消え失せた。

「あ〜あ、やっぱり俺がいないとダメだなあ、ロックウェル様は」

 モゾモゾと身もがいていた小竜は、やっとの思いで袋から飛び出し、男の左肩に乗って愚痴をこぼす……大袈裟に翼を広げ、長い尾をパタパタと動かしつつ。
 炎を吐き出した時には真っ赤に染まっていた小さな身体が、今はすっかり落ち着いて通常の色・金に戻っている。標準的な人間の顔の大きさ程度の身体。小さいが、しっかりと爪の生えた前足。クリクリとして愛らしい碧眼の、子供の竜だ。
 男は肩に乗る小さな竜に構いもせず、細くも重量感あるブリューナクを担ごうとする。小竜は慌てて男の左肩から飛び立ち、今度は右の肩に停まった。

「全くもう!」

 小さな竜はふて腐れて縮こまった。
 それを横目で見てから、男はゴーグルを外す。現れたのは、高価なエメラルドさながらの瞳。

「……感謝してる、とでも言えば満足か? ファル」

「別に期待してませんから、いいです」

 そう言って小さな竜はそっぽを向いた。
 そんな素振りも全く気にせず、男は眼下に広がる光景を遥か上空、竜の背から眺めた。

「あちらもカタがついたようだ」

 地上を荒らしていた狼の群れは、アスライーゼの兵団によって片付けられた後だった。




◇    ◇    ◇




 日没から早二時間。先程までワイバーンやら野狼やら、魔物騒動で慌ただしかった商業の町・リネイは、いつもの陽気な情景を取り戻していた。夜もふけたというのに、町中が活気づいている。まだまだ眠る様子は見られない。
 町の一角、二階建ての屋敷。この町唯一の酒場には、所狭しと何処ぞの兵士達がたむろしていた。アスライーゼの兵団は、数週間前からこの町に拠点を置き、モンスター掃討に勤しんでいる。リネイ上空を飛行中に偶然魔物の襲撃場面に遭遇し、王の計らいより兵団が派遣されたのだった。
 魔物掃討も佳境に入り、ようやくひと段落着きそうだった時、新たにワイバーンの群れが出現し、状況が悪化したのが三日前か。竜、特に飛竜は普通の人間では手に負えない。誰もが勝利を諦めかけた――その時、救世主が現れた。

「どうぞ」

 ワインが半分ほど入ったボトルを傾けながら、アスライーゼ兵団の一兵卒が、酒場の片隅で静かに佇んでいる男に声をかけた。
 擦り切れた薄茶のコートに白いシャツ。額にはごついゴーグル。傍には大人の男ほど長さのある猟銃と、使い込まれて古びた鞘に収められた剣が立てかけられている。歳は二十代。前半といった辺りか。身なりはかなりアウトローだが、その怪しさを覆すほど、異色の美を持った男だ。
 男が無言で己のグラスを差し出すと、兵士は嬉しそうにワインを注いだ。

「竜王殿のお力添えのお陰で、ワイバーンどもを一掃出来ました。竜は我々では相手に出来ませんから」

 兵士は嬉しそうに感謝の言葉を口にするが、男の表情は変わらなかった。

「……たまたま通りかかっただけだ」

 ワインの注がれたグラスを口に運びながら、男は無愛想に言葉を返した。
 それでも兵士は笑顔を止めなかった。憧れる人物に会えたというだけで、自然と表情がほころんでしまうのだろう。兵士は酌を出来た事に非常に満足し、一礼をして立ち去っていった。

 男の周り、半径五メートル範囲に静寂が戻る。
 その円を超えれば、笑い声や話し声、様々な声色がうるさいほどに溢れかえる。誰もが遠巻きに男の姿を見遣るが、彼の周囲を取り巻く何とも近寄り難い空気が、一定の距離を作り出している。どの視線も憧れや羨望の色が強い。
 珍しい白い髪とエメラルドさながらの瞳、人間離れした異色の美貌は、たとえ無愛想でも無表情でも人目を引く。酒場に入り浸る娼婦達が、熱っぽい視線と艶っぽい声を男に対して何度か投げかけたが、彼は眉ひとつ動かさなかった。

 【竜王殿】と呼ばれた男の名はロックウェルという。
 ロックウェル=フェルディナント=ドラグレイ。ドラグレイは【竜王】の意。
 彼は竜を駆る者。そして竜を狩る者。竜を操り、竜を滅す。最後の竜の王。小さな竜を従え、巨大な飛竜で大空を翔る天空の王者だ。

 人間と魔物の他にこの世に生を受けた種族――【獣人】。人の姿を持ちながら、人よりも強靭な肉体・精神、更に特殊な能力を持つ種族だ。その偉大なる力を人間達は崇(あが)め、魔物達は祟(たた)る。
 ロックウェルは竜族【ドラゴーネ】と呼ばれる種の、王族出身。数多の竜を従え、大空を支配し、獣人を束ねる存在である。
 だがドラゴーネは滅ぼされて久しい。その根源となる人物を、彼はもう三年も前から探している。

 リネイにやって来たのはロックウェルの言う通り、本当に偶然通りかかったからだ。いつものようにある男を捜して飛行中、夕日を覆う黒い影に苦戦中の兵団を発見し、加勢したわけだ。
 ロックウェルには苦戦するアスライーゼ兵団を見て見ぬふりする理由はなかった。ワイバーンの出現で四苦八苦していた兵団を救ったことで、更に兵士達の憧れを受けるようになってしまったようだが。

 ロックウェルは、胸元で微かな輝きを放つペンダントにそっと手を触れた。
 あの娘の瞳のような、スカイブルーの石。この石は【魔陣石】といい、特殊な陣を組むことにより、元来魔術を扱えない種族でも発動できるようにする代物。だが、魔陣石はある獣人族特有の産物で、お目にかかることは滅多にない。
 ロックウェルの出身であるドラゴーネも、魔術を扱えない種族であるが、彼はある娘からこの石を授かった。

 魔力と声に恵まれた獣人族――その名を【オルフィス】という。
 背には大空を翔る美しい翼を生やし、見る者を魅了する。その透明な声で紡がれる歌は、聴く者を魅了する。そしてオルフィスの民は、唯一魔陣石を創り出す事が出来る種である。
 だが特殊な力を持つからこそ絶滅の危機に瀕し、最後は悪しき心の持ち主に滅ぼされた。
 ドラゴーネとオルフィスの民を滅ぼした元凶は、同じ人物。
 あの男のスカした笑い顔を思い出す度に、己の理性を失いそうになる。

 エメラルドの瞳が、ほんの一瞬色を変えたように見えた。

 周囲の喧騒が耳をくすぐり、ロックウェルは我に返った。手元のグラスに注がれたワインには、陰気くさい顔が映っている。
 ロックウェルは、己の沈んだ表情を小馬鹿にするように微笑し、グラスに半分ほど残っていたワインを飲み干した。


 空になったグラスをテーブルに置こうとした、その時。
 何処からともなく聞こえてきた叫びにも似た声が、彼の脳を刺激した。

「ダークネスだ!!」

 その馴染み深い名に、ロックウェルの顔色が変わる。周囲のざわめきも既に耳に入らない。心拍数が上がり、思い浮かぶのは、あのスカした笑い顔。
 ロックウェルは傍に立てかけてあったブリューナクを手に取り、立ち上がった。同時に彼の腿(もも)を枕にしてスヤスヤと眠っていた小竜が、コロリと床に転がり、悲鳴を上げた。

「な、なにするんですかー! せっかく眠ってたのにー!」

 ふてくされた口調で文句を吐き出すが、小さな竜の声は、走り出したロックウェルには届かなかった。自身の身の丈ほどもある銃を担ぎ、束ねた白い髪をなびかせながら、ロックウェルは驚愕の表情で彼を見送る人間達の合間を縫って、疾風のごとき素早さで屋敷の外へ向かっていた。
 小竜は首を傾げて主(あるじ)の背中を見送っていたが、周囲の人間達の会話を聞いて大慌てで後を追う。

 ――マズイってばー! ダークネスだなんて……ロックウェル様、早まらなければいいけどっ。

 パタパタと必死に翼を羽ばたかせながら、小さな竜は主を追って飛んでいった。








 屋敷の外は野次馬と化した人間達でごった返していた。酒場を飛び出したロックウェルは、その合間から空を見上げた。夜空には雲ひとつなく、無数の星達が我こそ一番と輝きを放っている。
 今宵は満月。優しい光を振りまく壮麗な姿を、黒い複数の影が横切った。どの瞳にもはっきりと映ったのは、ワイバーンなどはるかに超える両翼を持つもの。

「なんだ、あれはっ!」

「どんどん近づいてくるぞ!?」

 その存在を知らぬ者達が、ワイバーンとは違ったものを見つけてザワザワと騒ぎ出す。
 ロックウェルは瞳を細めた。

「あれはダークネス。お尋ね者の黒翼竜だ」

 高い位置から声が聞こえ、野次馬達が一斉に視線を集めた先には、エメラルドの瞳と白い髪の長身男。異色の美貌は夜でも際立ち、見惚れた者は老若男女数知れず。
 そんな視線は気にも留めず、ロックウェルはチラと見遣って高さを確認し、驚くべき跳躍力を披露して酒場の屋根まで飛び乗った。
 二階建て屋敷の屋根になど、常人では飛び乗る事さえ儘(まま)ならぬはず。人間達が歓声を上げたのは言うまでもない。

 闇夜に映える白い髪が、月の光を浴びて銀に輝く。
 柔らかな夜風が銀を靡かせ、頬を撫でて過ぎて行く。
 屋根に立った長身男は、壮麗な満月の姿を背負い、じっと空を見上げたままピクリとも動かない。まるで絵画のような光景である。
 だが、左手の指は、確かに銃のトリガーにかけられていた。



 やがて彼に近づく、黒く不気味な影。

「おや? 誰かと思えば……竜王殿ではありませんか」

 わざとらしいほどに丁寧な口調。黒竜の翼を背に生やし、上空で見下ろしているのは、これまたわざとらしい程に気取った服装の男。耳にかかる程度に伸ばされたダークパープルの髪は毛先が不揃いではあるが、何かで固めてしっかりセットされている。
 そして完璧に着こなされた黒いスーツに黒いネクタイ、おまけに黒革の手袋。やや病的な顔色、痩せた頬の割には目鼻立ちが整っており、縁の無い眼鏡が男をより知的に見せる。この男が【ダークネス】という通り名を持つのは、この風貌のせいであろう。

 カイザー=シュラウゼン――通称【ダークネス】。
 この男こそ、ロックウェルが追い続けて来た者。ドラゴーネでありながら、一族を滅ぼし、オルフィスの村をも滅ぼした男。残酷で狡猾な性格から、世界中で警戒される存在。そしてドラゴーネのお尋ね者だ。

 カイザーはふわりと酒場の屋根に降り立ち、腕組をして薄ら笑いを向けてきた。

「お久しゅうございます、竜王殿。お元気そうで何よりです」

 腰を折り、紳士然と優雅に挨拶をするカイザーに向け、光の槍が放たれる。夜という事もあり、あまりの眩しさに耐え切れず、屋根を見上げていた野次馬達は一斉に瞳を瞑った。
 腰を折ったまま、まともに攻撃を食らったカイザーは……。

「いやいや、いきなりなご挨拶ですね」

 右手の方角から声が聞こえ、エメラルドの瞳が鋭く睨む。その先では、憎たらしいほど余裕の笑みを浮かべた黒い男が、巨木の枝に座っていた。カイザーを取り巻いていたワイバーン達が身代わりとなって塵となったが、彼は同情する様子も見せなかった。
 枝に腰掛けて足を組んだまま、カイザーの髪と同じダークパープルの瞳が、ロックウェルの左手に掲げられたものをチラと見遣る。

「魔猟銃ですか……たしかアスライーゼの特許でしたね。竜王殿は、まだあの浮遊城に居座っておられるのですか」

 対獣竜用魔猟銃【ブリューナク】は、ロックウェルのために作られたもの。アスライーゼ機巧師団の最高傑作で、どんな魔物や竜でも一撃で貫く脅威の威力。だが、扱いが難しい。
 弾丸を使用する代わりに【魔陣石】を組み込んでいるため、いわゆる魔術を扱うような感覚。ゆえに多大な精神力を要するのだ。
 またかなりの重量感で、軽々と片手で持ち上げられるのは、人間の倍の筋力を持つ獣人くらいだろう。
 カイザーも言う通り、一族無き今、ロックウェルはアスライーゼに身を寄せている。それは何故か。

「ああ、そういえば。あそこには鬱陶(うっとう)しい生き残りが一人いましたね」

 カイザーの言葉に、ロックウェルの眉がピクリと動く。

「貴方と彼女は運が良かったのですよ。あの日、あの時、あの場所に居なかったのは、貴方達二人だけですから」













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