× 第1章 【炎の魔術師】 7 ×





 華やかなドレス、豪華なアクセサリー。
 漂う濃厚な香水の香に、しとやかな笑い声。
 美しい円舞曲の音色。
 パーティが始まると、スペリオルの王宮内は国中から集まった来客達で一気に騒がしくなった。老若男女問わず、人々は我こそ一番! とばかりにめかし込み、一体誰のためのパーティなんだと突っ込みたくなるような光景が広がっていた。
 パーティ会場となったのは城内一無駄に広いダンスホールで、一際大きな花形の【魔光燈】が天井を飾っており、その光を受けて貴婦人達が身につける貴金属がキラキラ、キラキラと目に痛いほど輝いている。
 こういった貴族達のパーティに参加させられるのは、上位騎士と魔術師のみらしい。上位騎士は立ち居振る舞いも洗練されており、さりげない場の警護役にもなるし、華やかなイメージから婦人方にも良くウケる。
 そして魔術師は、他国への威嚇というよりか自慢の意を込めて参加させられる。「うちはこれだけ揃えているんだぞ」と国力の象徴である魔術師を並べて見せるのだ。なんとも姑息である。が、今回は国内のみの催しなので無意味に違いない。
 そんな中、スペリオル一(リヒトいわくビジュ一)と名高い美形コンビは、まあ当然というべきかどの姫君をも差し置いて輝き、会場中の視線を一挙に集めていた。入場した途端に婦人方に包囲され、彼らを目的にやって来た婦人方が大勢いる事実を物語っていた。見事な客寄せ効果である。
 女性達に囲まれ、リヒトは大層喜んで持ち前のフェミニストぶりを発揮していた。ホールの端で女性を口説き、そのうち数人連れ立って何処かへ消えていった。行き先は不明である。
 その正反対、端から不機嫌極まりないヒュドールは一層苛立ちを募らせ、相手にするのも面倒だからと誰も近寄らないであろうチョビヒゲ……もとい国王陛下の傍に控えている。ちなみに彼の警護をしようとか、話し相手になってやろうとか、そういう理由ではない。
 それが効を奏しているのか、お近づきになりたいのであろう婦人方は、四方八方から視線を向けてくるだけで話しかけてくる様子がない。さすがに目の前の国王を差し置いて、臣下である魔術師に近づく事は出来ないと見えた。

 そんなこんなで、すでに数時間が経つ。
 楽団の奏でる音楽に合わせて、着飾った姫君や貴族が楽しげに踊っている。あんなの疲れるだけだろうとつまらなそうに眺めるヒュドールの傍らでは、陛下専用の豪華椅子に座ったチョビヒゲが楽しげに声を上げて喜んでいた。そういう所はちょっとだけ可愛いなと思ったりもする。
 豪華料理に華麗なダンス。貴婦人達との楽しい一時。はっきり言ってそのどれとも縁遠いヒュドールは、とにかく一分でも一秒でも早く帰りたいと思うばかりである。時間が経つにつれて神経は尖り、苛立ちは募るばかり。そろそろ飢えてくる頃合だ。
 その苛立ちの原因の一つに、今宵の主役の姿が見えない事もある。あの山娘が来なければ、この下らない催しは終わらないというのに。一体何をやっているんだ! と怒りはもはや最高潮に達していた。
「ヒュドールよ、イグネアはどうしたのだ? いないようだが……」
 どうやら国王もイグネアの不在に気付いたらしく、心配そうにしていた。そろそろ皆にお披露目をしたいらしい。
 だが、そんな事を聞かれたところでヒュドールは彼女の保護者ではないし、ましてや世話係でもない。とりあえず日中は見張っていたが、夕刻頃からはこちらも準備で忙しかったのだし、今どうしているかまで知るわけない。
「知りません」
 きっぱりさっぱり一言返すと、案の定国王は何か訴えるような眼差しを向けてきた。その意味をすぐさま理解してしまう自分が、ものすっごく嫌だと思ったヒュドールである。
「きっと恥ずかしがっているのだろう。連れて来なさい」
 何でこの俺が……! そう思うものの、あの小娘が来なければ終わらないと考えると仕方がない。盛大な溜め息を吐きつつ、ヒュドールが顔を上げた時だった。
 ようやく炎の魔術師が現れたのだ。しかも今宵の主役として相応しく、騎士のエスコートつきだった。

 ダンスホールに現れたイグネアに、会場中の視線が一気に集結した。しかもそのどれも洩れなく、最初はスペリオルが誇る美形騎士・リヒトの姿にうっとりし、次いで彼に抱えられる女は何者! 的な感じで見るのだ。そして落胆、羨望、嫉妬、憤慨、激怒……様々な表情を浮かべるのだ。それはそうだろう。素敵な騎士様にお姫様状態で抱えられているのは、普段着・おさげ・眼鏡の地味な娘なのだから、我こそはと着飾って来た婦人達が不満を抱くのも無理はない。あれが私だったら……と内心で舌打した女性は数知れず、だ。
 リヒトは満遍なくさわやかな笑顔を振りまきながら、ホールの中央まで歩み出た。彼に道を譲るようにして次々と周囲が引いてゆく。なんとも圧巻だが、抱えられているイグネアも当然一緒なわけで。
「おお! 待ちくたびれたぞイグネアよ!」
 国王陛下は椅子から転がり落ちそうなほど身を乗り出し、イグネアの登場に歓喜していた。とりあえず彼女が正装していない事は微塵も気にしていないらしい。
「皆の者! あの娘こそ伝説の【炎の魔術師】。我が国最高の力の象徴である!」
 そんな大袈裟な紹介はやめてくれー! とイグネアは心中で悲鳴を上げ、さっと青ざめた。しかしチョビヒゲは嬉しそうにはしゃいでいるし、周囲が激しくどよめくしで、もう取り返しがつかない状況になってしまっていた。
「ははは。陛下、嬉しそうだなあ。ヒュドールの時もさ、あんな感じだったんだよね。あいつ士官学校を歴代一の優秀な成績で卒業してたし、『我が国最高の力の象徴、天才だ!』とか言っちゃってさ」
 などとリヒトは回想して懐かしそうに話していたが。
 そんな事、今はどうだっていい。チョビヒゲの言葉に、周囲の者たちの瞳の色が変わったのだ。それは奇異な存在を見た時のそれで。そうなると、次に来るのは間違いなく――
「イグネアよ、ひとつその力を披露してみせよ」
 チョビヒゲの言葉に、周囲の好奇心が高まったのは間違いなかった。
 炎の魔術は千年の間封印され、言い伝えられるだけで誰もその瞳で見た事がない。それを操る唯一の魔術師がここにいるのだから、一目だけでもと思うのは至極自然な感情である。

 こうなると思っていた。だからこんな催しになど出たくなかったのだ。勿体ぶっているわけではない。イグネアには、魔術を使用したくない正当な理由があるのだ。それに長き時に渡って封印してきたものを、こんな下らない所で披露するつもりなど毛頭ない。
 “破壊”を司る炎は、遊び半分で扱えば痛い目を見ると……そんな事も理解できないほど、今の人間は愚かなのだろうか。
 床に下ろされて自らの足で立ったイグネアは、曇りない真紅の瞳で真っ直ぐに国王を見据え、そして言った。
「たとえ陛下の命令でも、それだけは出来ません」
 きっぱりと言い放たれた言葉に周囲がざわめいた。いくら普段ふざけているように見えても、相手は一国の王だ。それを魔術師とはいえ庶民とさほど変わらぬ娘が反抗したのだから当然だろう。
「陛下の言葉に逆らうとは、なんと高慢な娘か!」
「そんなに勿体ぶって……本当は偽者なのでは?」
「偽者のくせにこのような場所に現れるなんて、なんとはしたないのかしら」
 心無い中傷の言葉が飛び交う。しかしイグネアはそのどれにも傷付きはしなかった。そんなもの、これまでに何度も受け止めてきた。だから今さらそんな言葉には何も感じないし、動じない。これくらいで泣くとでも思っているならば大間違いだ。
 真紅の瞳がちらと視線をずらすと、国王の隣に立つ青年の青碧の瞳とぶつかった。
 ヒュドールは周囲の言葉に同意も反論もせず、ただ事の成り行きを見守っているだけだった。しかしその内心では、伝説の炎の魔術ならばこの瞳で見てみたいと思っていたが、表情に現れることはない。

 いつまで待っても場のざわめきは収まらなかった。心無い言葉は増えるばかり。
 イグネアの隣に立ったリヒトは、ヒュドール同様事の成り行きを見守っていた。助けてやろうと思えばいくらでも出来るが、彼自身、炎の魔術に興味があったのは間違いない。
「……破壊の力がそんなに見たいのか。愚か者共め……」
 ぼそり、と呟かれた口調が普段と違っていて、リヒトは不思議そうにイグネアを見下ろした。しかし心底疲れた表情が見えるだけで、彼女はこちらを気にも留めていない。
 イグネアは深い溜め息を吐き、つかつかと傍のテーブルに歩み寄ると燭台をひとつ鷲掴みした。すると、今度は場が水を打ったように静まり返った。何をする気だと、興味心を浮かべつつ、誰もが彼女の動向に釘付けになっていた。

 煌々と燃える小さな蝋燭の炎が、ゆらりゆらりと踊っている。
 硝子越しに炎を宿した真紅の瞳は、次第に不思議な光を灯し始める。
 細い指を振るって小さな炎を切り裂くように印を切ると、真っ赤に燃えた少女の瞳がギラリと妖艶な輝きを放った。

来たれ、火の鳥よ(ライ・アウィス・イグネア)!」

 言葉と同時。
 小さな炎は呪文を孕んで膨れ上がり、唸りを上げて巨大な鳥に変化した。華麗で過激な巨鳥は燃える両翼を羽ばたかせて灼熱を振りまき、甲高い鳴き声を上げながら空に向かって急上昇した。
 全てを破壊せよ。全てを焼き尽くせ。
 紅蓮の鳥は突き破る勢いで激しく天井にぶつかった。激突の衝撃で周囲に眩い火の粉が飛散する。
 まるで吹き消された蝋燭の炎のように。その一瞬の出来事と同じように。巨大な炎の鳥はあっという間に形を崩して消え去った。天井には煤だけがこびり付き、底の見えぬ穴のように黒く染まっていた。

 じんわりと浮かんだ汗が流れて落ちるほど、ダンスホールの温度は上昇していた。誰もが唖然として立ち尽くし、たった今何が起こったのか理解できていないようだった。
 そんな周囲には見向きもせず、イグネアは手にしていた燭台を律儀に元の位置に戻し、スタスタと歩いてダンスホールを去って行った。言葉をかける者は一人としておらず、ただ後姿を見送るだけだった。





 イグネアは一人とぼとぼと通路を歩いていた。未だに右も左もわからぬ城内、適当に歩いてやって来たのは、どうやら展望棟だったらしい。爽やかな夜風が長いおさげ髪を揺らし、強張った頬を優しく撫でる。見上げればいっぱいの星と白い月が夜空を彩り、なんともロマンティックな雰囲気を漂わせていた。
 足元がすくわれるような感覚がして、イグネアはその場に座り込んだ。膝を抱えて丸くなり、微かに痙攣する左腕を強く押さえる。瞳にはもやがかかり、立ち上がる事さえ侭ならない状態だった。
 魔術を扱うとすぐ身体に異変が起きる。今回は蝋燭の炎を使ったからこの程度で済んだものの、媒体なしで炎を操れば意識混濁にもなりかねない。そうやって封印されるほど、炎の魔術の破壊力は危険なのだ。
 この程度で屈するものかと、呻きそうになるのを必死に堪える。すぐに治まるからと言い聞かせる心とは裏腹に、身体が燃えるように熱くなるばかり。

「……大丈夫か?」
 唐突に聞こえた声は、波紋ひとつない水面のような静けさを湛えていた。
 あまりにも意外な人物の登場に、イグネアは俯いたままぱちりと瞬いた。近づかれていたことにさえ気付かなかった。わざわざ追いかけて来たのだろうか。それとも陛下の命に背いた事に対する文句でも言いに来たのだろうか。
 どちらにしてもすぐに顔を上げることは出来なかった。崩れた表情を見られまいとして返事もせずに黙り込んでいると、どうやら相手は困惑したらしく、その雰囲気が伝わって来た。
「アンタが本物だと、あれで証明できた事だし、その……まあ気にするな」
 おや? とイグネアはもう一度瞬いた。もしやこれは慰められているのだろうか。というか、ひょっとしなくても泣いていると思われているのだろうか。そのせいか、いつもは脅しめいている口調が今はやんわりしている。
 それでも顔を上げないでいると、声の主――ヒュドールは、何も言わずにイグネアの隣に座り込んだ。微妙に開けられた距離が、何だかますます気遣いっぽい。
「あれが炎の魔術か。なるほど、封印されたのが良くわかる」
 あの場にいた魔術師ならば気付いたはずだ。硝子越しでも感じ取れた、真紅の瞳が放つ強大な魔の力を。眼鏡のおかげで魔力は抑制されていたが、もしも裸眼であったら……紅蓮の鳥は、そのひと羽ばたきであの場の全てを焼き払っていたに違いない。それが破壊の魔術、炎の力なのだ。

 しばし沈黙が続いた。
 人気のない展望棟は静寂だけを漂わせ、夜風が優しく過ぎてゆく。
 そのおかげか、はたまた隣の魔術師のおかげか、いつの間にか身体の熱は治まっていた。頃合を見計らってようやくイグネアが顔を上げると、それに気付いて青碧の瞳がちらと見遣り、すぐさま渋い表情を向けられた。
「なんだ、泣いてないのか」
 あれだけ大勢に散々言われて傷付いただろうなと思ったのに。気を使って損した、などと先程とは打って変わって相変わらずの毒舌炸裂、ヒュドールは次々と不満を洩らしていた。見世物めいた立場を不愉快に思う心は、多少理解してやれるというのに。
「ええ、まあ。あれくらいでは泣きませんよ。そんなにか弱くないですから」
 ヒュドールはわずかに瞳を見開いた。普段の素行があまりにも不審であるため、もっと気弱で臆病なのかと思っていたが。
「……意外と気が強いんだな」
「“意外と”は余計です。そういうあなたは意外と良心的なんですね」
 すれ落ちた眼鏡を正しつつイグネアが呟いた途端、青碧の瞳がギロリと睨んできた。
「“意外と”は余計だ! 一体俺を何だと思ってるんだ」
「年中怒っているのかと」
「そんなわけないだろう。今は飢えているから苛々するんだ」
 だから抜け出して来たのだな、とイグネアは感心したような声を上げた。しかも周囲の暗さを抜いても顔色が悪いあたり、限界が近いようだ。長時間に及ぶパーティは、ヒュドールにとってはまさに地獄絵図のようなものなのだろう。
 しかし、自分はともかく客寄せ人材であるヒュドールが勝手に抜け出してきては、色々と問題もあるのではないだろうか。
「戻らなくていいんですか?」
「やるべき事は終えたし、あとは勝手にやるだろ」
「それもそうですね」
 ふふ、とイグネアは小さく笑い、立ち上がっていっぱいに広がる星空を見上げた。
 小さな宝石のようにキラキラと光る星たちも、真っ白な月もとても美しい。世界の何が変わっても、空だけは“あの頃”と少しも変わらない。
「綺麗ですねー。星空なんて久しぶりに見ましたよ。いつもはこの時間は寝てますから」
 夜はまだまだ始まったばかりの時候だというのに。年寄りさながらの問題発言に、ヒュドールが盛大な溜め息を吐いたのは言うまでもなく。
「……アンタは、もうちょっと年頃の娘としての自覚を持った方がいいと思うぞ」
「え、なんか言いました?」
「……何でもない」
 額に手を当ててがっくりと項垂れたヒュドールを振り返り、イグネアは楽しそうに笑っていた。

 そんなこんなで。披露(疲労)パーティを何とか乗り越え、伝説の炎の魔術師・イグネアの夜は穏やかに過ぎて行く。
 ――あとは部屋に帰って寝るだけだ。
 そう思っている彼女の、娘としての自覚はどうあっても低いらしい……。


第1章【炎の魔術師】・完




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