「これを……俺にか?」
 厨房にいたところを捕まえてハートの小箱を手渡すと、ヒュドールはものすごく動揺していた。普段はキツイ睨みを飛ばしてくる青碧の瞳は完全に泳いでおり、若干どころか大いに挙動不審である。俺にと言うが、この状況で他に誰が該当するというのだろうか。
「いらないか?」
 ほんのり口を尖らせて問うと、ヒュドールは一転して慌てた素振りを見せる。
「い、いや断じてそういうわけではない。有難く貰っておく」
 などと言いつつ、ヒュドールはゲフゲフとわざとらしい咳払いをした。心なしか頬が赤い気もする。
「……何が欲しい」
「は?」
「バレンタインにプレゼントを貰ったら何か返すのが決まりだ。欲しい物があるなら言ってみろ。何でも用意してやる」
 などと、ヒュドールにしては珍しく大層太っ腹な発言をした。ちなみに彼は王宮の魔術師でそこそこ高給取りなので、高価な物でも躊躇なく用意できる資金はある。しかも、見た目は派手だが生活は地味であるため、普段から支出が少ないので結構貯め込んでいたりする。ある意味将来安定型だ。
 それはさて置き、いきなり何が欲しいと言われても全く思い浮かばない。イグネアは渋い顔で唸っていたが、そもそもヒュドールを大切だと思った最大の理由を思い出し、ようやく顔を上げた。
「美味しい物が食べたいな」
 結局、“食事”につられたというのは言うまでもないが。
「そうか、だったら腕によりをかけて特別豪華フルコースを振舞ってやる」
 と幾分機嫌よく、気前よく言って、ヒュドールはすぐさま作業に取り掛かった。

 そんなこんなで約一時間後。

「おお、これはすごい!」
 テーブルに並べられた豪華料理の数々に、イグネアは真紅の瞳を輝かせた。普段から割合豪勢ではあるものの、今回は軽く五割増しくらいに感じられる。肉類が苦手なイグネアを気遣ってくれたのか、野菜や果物中心の食材である。
 しかも、過去一度としてテーブルに並んだ事のないデザート付きだ。その仕上がりといえばミリアムもびっくりなほど凝っており、見た目にも綺麗で非常に美味しそうな印象を受ける。魔術師なんかやめて料理人になればいいのに……と本気で思ってしまった。
「嫁にもらいたいくらいだな!」
 満面の笑顔で料理を堪能しつつ、何の気なしにイグネアが言えば。
 ヒュドールは一瞬言葉を失った後にゲフンと咳払いをひとつ、再び視線を泳がせた。
「……アンタになら、貰われてやっても構わない」
 ヒュドールにしてはえらく正直な発言だったわけだが。
 ぼそりと呟かれた言葉が、果たして食事に夢中のイグネアに届いたかどうかは不明だ。


 END



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