年月の替わり目というのは、世間全体が忙しいものだ。アスライーゼ城も例に洩れず、年の暮れは慌ただしい。
 しっかりと職に就き、役立っているファルシオンとサラはともかく、ただの居候であるロックウェルは、「暇なら手伝え」とフェリーシアより呼び出しを受け、一向に片付かない執務室の書類整理を命じられた。地味だし面倒臭いからとロックウェルは当然拒否したが、話を聞いたレインが手伝う気満々で、どうにも引けない状況に陥った。という事で、結局二人揃って彼女の執務室へと向かったのだ。
 扉を開け放つと、まず視界に飛び込んで来たのは紙の山。それもうんざりするような量だ。早速逃げ出したい気持ちを抑え、仕方なく部屋の主を探すが彼女の姿はない。
 その代わり、窓辺のテーブルで優雅にお茶している人物がいた。来客に気付くと、ダークパープルの瞳がこちらを向いた。
「おや、誰かと思えば竜王殿ではありませんか。何かご用ですか?」
 まるで部屋の主気取りな発言だ。親しげな笑顔を向けられた途端、エメラルドの瞳が険しく睨み付けた。
「それは俺の台詞だッ! なんで貴様がここに居る! というか何をしている!」
「お茶してます」
 呑気な返答に、ロックウェルはいきり立った。
「そんなのは見ればわかる!」
 いちいち声を荒げられ、カイザーが嘆息する。血気盛んで何よりだ。
「ここに居る理由ですか?」
 言いながらちらと視線を動かす。その先にはレインがおり、視線が合うと彼女は怯えてロックウェルの陰に隠れた。
 カイザーがほんのり淋しげな表情を浮かべた。かと思ったら、瞬きする間にレインに接近し、隙ありとばかりに壁際まで追い詰めていた。
「そんなに怖がらないで下さい。過去の事はどうか水に流して、宜しければ私と一緒にお茶などいかがですか?」
 レインの手を取り、カイザーはいつもの悪癖をここぞとばかりに出して誘いかける。が……激しい殺気を感じ取り素早くその場を離れた。ロックウェルが長い足で虚空を蹴り上げ、追い払っていた。
「寄るな、そして気安く触れるな」
「挨拶するくらい、いいじゃないですか」
「今思い切り口説いていただろう!! とにかく触るな!」
「……相変わらずお子様レベルの独占欲ですね」
 いちいちムカツクなこいつ! という恨みを込めてエメラルドが睨むが、カイザーはのほほんとしていた。しかし、何でこいつがここに居るんだろうか。
「いいか。俺は今、貴様を殺したくて仕方がないんだ。くそっ、こんな事ならブリューナクでも持って来れば良かった!」
「そんな物に頼らなければ私を殺れないんですか? 情けないですね」
「ンだと?」
「私なら足だけでも貴方を殺れますよ。試してみましょうか?」
「デカイ口叩くのも大概にしておけ。さもないと……」
「さもないと、何だというのだ。この馬鹿が」
 背後から本で殴られ、ロックウェルは思い切り振り返った。そこにはフェリーシアが立っていたのだが、様子がいつもと違う。普段は豪華な縦ロールは、忙しさのあまり手入れする時間がないのか所々崩れかかっている。その上顔色も悪く、目の下には睡眠不足の証がくっきりと刻まれていた。そんな風貌で睨むものだから、さすがにちょっと怖い。
「レインが怯えているだろうが。可哀想に」
 フェリーシアはレインを引き寄せてよしよしと頭を撫でていた。喧嘩腰の二人にすっかり怯えていたレインは、どうやらフェリーシアの登場で安堵した様子である。
「何でコイツがここに居るんだよ!」
 ロックウェルはカイザーを指差し、フェリーシアに詰め寄った。
「ああ、私が呼んだ。この惨状を見てみろ。もう竜の手も借りたいほど忙しくて敵わんのだ」
 デスクに積み重なった書類の山を見て、フェリーシアは頭を抱えた。普段強気な彼女だが本当に忙しいらしく、はあーっと盛大な溜め息を吐いてがっくりと項垂れてしまった。賢く従順な人材がどうしても必要で、ふと思いついたのがカイザーというわけだ。
「どうぞ何なりとご命令を。暗殺、暗躍、恐喝、強盗、拷問……その他諸々、貴女の為ならば何でもこなしてみせますよ」
 いつの間にかカイザーはフェリーシアの傍らに立っており、彼女の手を取って恭しく口付けていた。が、当の本人はされ慣れているのか至って冷静である。
「ああ、それらはまたの機会に頼む事にしよう。とりあえず、今の敵はこの書類の山だ」
 さりげなく恐ろしい事を口にしつつ、フェリーシアは書類の山に視線を向けた。というか、そんな事を一体いつ何の為に頼むというのか疑問だ。
「これをだな、明日の朝までに片付けろ」
 ちなみに現在。残り数分で日付が変わる時刻である。
「ふざけるな。こんな、俺の身長ほど積み重なった紙の山、どうするっていうんだよ!」
 あんまりな命令に、ロックウェルが思わず声を荒げた。
「提出する場所ごとに分けて、私の証明印を押せばいい。お前の無駄に有り余っている体力を駆使すれば、終わるだろう」
「はは、ご尤もですね」
 フェリーシアの言葉にカイザーが深く頷きながら同意し、笑い声を上げた。途端、その横でロックウェルがあからさまにムッとする。
「……おい、そこの黒いの」
「黒? ああ私ですか」
「お前こそ、こいつの為に何でも出来るなら、それくらいやれるだろう」
「残念ながら、私には別の仕事が与えられております」
「ああ、カイザーには国家財政案その他諸々の重要書類作成を命じてある」
 一瞬、ロックウェルは考えた。
「おいちょっと待て。なんだ、この仕事の重要度の差は!」
「お前に小難しい話をしても無駄だろう? カイザーなら、簡単な説明だけですぐさま理解する」
「そうそう。“ここ”の造りが違うんですよ」
 己の頭を指差しながらカイザーが得意げに笑うと、ロックウェルは再びムッとしていた。確かにカイザーといえば、ドラゴーネ一とも二とも言われた秀才だ。だからと言って、そんな重要な仕事をこんな他所者に任せていいのだろうか、という疑問は否めない。
「とにかくお断りだ」
 ロックウェルがふいっと顔を背けると、途端にエメラルドの瞳が冷ややかさを増す。
「ロックウェル、貴様は誰のお陰でやりたい放題な生活を送れていると思っているのだ? この私に逆らうなら容赦はしないぞ。……カイザー」
「承知致しました」
 と言いながらカイザーが一歩進み出る。
「“姉上”に逆らおうなんていけませんね、ロックウェル。今貴方が生きていられるのはフェリーシアのお陰です。その恩にも報いず年を越そうだなどと、そんな我侭が許されるとでもお思いですか? そんな勘違いをする人には、私がお仕置きして差し上げましょう」
 この上ない笑顔を浮かべつつも、完全に瞳が据わっている。そしてカイザーは挑戦的に指を鳴らした。ロックウェルは思わず怯む。この二人が揃うと妙にやり辛いのは気のせいだろうか。

 そんな中、皆の脇ではすでにレインがデスクに向かい、捺印を開始していた。
「フェリーシア様、印はここですか?」
「ああ、そこにな、こう真っ直ぐ押せばいいのだ。そうそう、上手いぞ! 流石はレイン、のみ込みが早いな! なになに、ちょっと掠れたくらい何て事は無い。お前の可愛さで許してやろう。それでも文句を言う奴がいたら、この私が即刻始末してやるから安心しろ!」
「そうですね。文句ばかり言っている誰かさんとは大違いですね。“働かざる者食うべからず”、これは基本です。いかなる仕事であれ、身を粉にして働いた結果、人は真の幸福を勝ち取るのです。それを良くお解りで。私、賢い女性は大好きですよ」
「あ、ありがとうございます……」
 たかが捺印程度でここまで褒める甘やかしぶりもどうかと思うが、とりあえず内容はどうであれ褒められれば嬉しいもので、相手がダークネスだという事実もすっかり忘れてレインは照れていた。ちなみに何を褒められているのか、彼女自身は理解していない。そしてカイザーに幸福云々説教されても説得力がない。
「わかったよ、やればいいんだろう」
 意味もなく和気藹々とした光景を見せ付けられたら、意地を張っている方が馬鹿らしくなってくる。それに最強の“姉”と元教育係を前にして、どうにも逆らえない状況となってしまった。
 とりあえず盛大な溜め息を吐き、ロックウェルはレインの隣に座った。そして書類の山から紙を一枚掴み、おもむろに目を通す。
「ところで、これ何の書類なんだ?」
 言いながら読み進め、ロックウェルは次第に顔色を悪くしていった。
「どうしたの?」
「い、いや……何でもない」
 レインが不思議顔で問いかけるも、ロックウェルはそれ以上何も言わず、黙々と捺印に勤しんでいた。

 そんな二人を尻目に、離れたデスクではフェリーシアとカイザーが別件書類作成に追われていた。
「あのロックウェルといえど、自ら破壊した器物の修理費請求書だと知れば、文句も言わないでしょう。さすがは“姉上”、扱い慣れてらっしゃる」
「まあな。それより、貴様も寝ずにそれを終わらせろ。さもなくば命はないと思え」
 こっちは三日三晩本気で寝てないんだ、とブツブツ文句を言いながら、フェリーシアは仕事に没頭し始めた。
「……はいはい」
 と言いつつも、視線を上げれば積み上げられた書類の山。しかも終わらなければ本当に殺されそうだ。カイザーは「何でもする」という己の発言を少々後悔しつつ、書類作成に勤しんだ。

 その後、無駄口を叩く者は誰一人おらず、女王の執務室の灯りは朝まで消える事がなかったそうな。
 ちなみに書類の山が無事仕上げられたかどうかは謎であるが、一応新しい年は迎えられそうだとのこと。


END


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