新たな年の初めは、何か良い事がありそうな気分になったりするものだ。今年こそは××が……エコーも洩れなくそんな根拠のない期待感を抱きつつ、キングダム城内を足取り軽く歩いていた。
 エルフェンバインより話があると急な呼び出しを受け、エコーは彼の元へと向かっていた。年初から仕事を与えられるとは、何とラッキーなのか。これが大きな仕事だとなおイイな〜、などと呑気に考えつつ、やって来た聖騎士の執務室の扉を叩く。すぐに返答があり、エコーは名乗って了解を得てから扉を開いた。
 室内にはエルフェンバインだけがおり、何やら優雅にお茶をすすっている。何だか仕事を与えられそうにないその雰囲気に少々疑心を抱きつつ、エコーは歩み寄った。
「お呼びですか?」
「エコーか、良く来たな。実は君に重要な話があって呼んだのだ」
「重要な話……ですか?」
 聖騎士の空色の瞳がじっとこちらを見据えてくる。エコーは緊張の面持ちで息を呑んだ。年初早々、どんな重要な任務が与えられるのか。
 エルフェンバインは一拍置き、そして言葉を返した。
「ああ。今後、君は白い騎士の一員となる事が決定した」
 一瞬、思考が止まった。エコーはあんぐりと口を開けたまま、しばし呆然としていた。
「は、はい?」
 素っ頓狂な声を出しつつ、エコーは聞き違ったのだと思い込んでもう一度答えを求めた。
「ん? 聞こえなかったのか? ならばもう一度言おう。君は白い騎士の一員となる事が決定したのだ。今日からな」
「ちょ、ちょっと待ってください! そそそ、そんないきなり、しかも兵士も騎士も飛び越えて“白い騎士”ですかっ? こ、困りますよ!」
「うーむ、そう言われても、これはクイーンの命だからな。私にはどうする事も出来ん。まあ、そんなに硬くならず、気楽に考えればいい」
 と言って、エルフェンバインは高らかに笑った。
「気楽にって……」
「そうそう。急な話で君の鎧は間に合わなかったのだ。しばらくはそのままの格好になってしまうが、まあ我慢してくれ。適当に白い服でも着ていればいいだろう。剣もそのうち用意させよう。それからバーミリオンに教育係を頼んでおいたから、すぐに彼の所へ行ってくれ」
 なんという適当振りなのか。いきなりな展開もそうだが、エルフェンバイン自身が猛烈に胡散臭い。いつもと明らかに様子が違っている。本物だろうか? と疑わしげな視線で、エコーはエルフェンバインを観察してみたが、彼はにこにこと笑っているだけだ。余計に怪しい。
 しかし聖騎士すらも抗えないクイーンの命だと言うなら、従う他ない。エコーはかなりの疑心を抱きつつ、仕方ないのでバーミリオンの元へと向かう事にした。

「一体どうなってんだよ……っていうか、俺が白い騎士って本気なのかな?」
 自分で言うのも何だが、白い騎士はおろか、騎士にすら任命するのにリスクが伴うのではないのだろうか。クイーンは一体何を思って、自分を白い騎士に置こうと考えたのか。
 深刻な顔で唸りながら通路を歩いていると背後から名を呼ばれ、エコーは振り向いた。振り向いた先にはフェズとフューシャがいて、走ってこちらに向かってくるのが見える。
「ちょっとちょっと、聞いたよ! エコーってば今日から白い騎士なんだってね! すごいじゃーん!」
 自分ごとのようにはしゃぎつつ、フューシャが飛びついてくる。エコー自身つい先ほど話を聞いたばかりだというのに、何とも素早い対応だ。何処から話が伝わったのだろう。
 一方フェズはフューシャに一歩遅れでエコーに近づき、彼の手を取って涙を流していた。
「エコー、私、本当に嬉しいわ。あの悪戯小僧だったエコーが、白い騎士様になるなんて……。天国にいるおじさんもおばさんも、子犬のべスもきっと喜んでくれてると思う」
「こ、子犬のベス?」
 子犬のベスってなんだろう? と思いつつフェズに視線を向けると、彼女は息子の昇進を喜ぶ母親のように、おいおいと泣き続けている。なんだか、今日は皆変だ。
 歩き出そうとするが、二人は異様な力強さでしがみ付き、離してくれない。まるで鉛でもぶら下げているかのような重量感だ。
「あのさ、喜んでくれるのは嬉しいんだけど、俺すぐにバーミリオンの所に行かなきゃならないんだよ。だからそろそろ離してくんない?」
「何言ってるのエコー! 私達の祝福よりも、あなたはバーミリオンさんを選ぶのね!」
「おいおい、お前こそ何言ってるんだよ……」
 涙で灰色の瞳を濡らしつつキッと睨みつけてくるフェズに、エコーは困惑した。祝福とバーミリオンを対比させている時点でおかしいではないか。
「エコーがそんな薄情な奴だったなんて、私知らなかった! ガッカリ!」
「お前も何言ってんだよ……」
 フューシャは思い切り頬を膨らませ、ぷいっと顔を背けた。何でこんなに怒られなきゃならないんだ。
 しかしこれ以上遅れるわけにはいかない。既に数十分、彼女等のお陰で足止めを食らっているのだ。バーミリオンを怒らせたら、こっちは命が危うい。
「あのさー、ホントに離してくれよ。でないと、あの鬼上官に何言われるか……」
「“鬼上官”とは俺の事か?」
 氷点下の声色にぎくりとして、エコーは肩を震わせた。背中に一筋の汗が流れる。ゆっくりとぎこちなく振り向くと、腕を組みつつ冷たーい視線を向けてくる白い騎士様が背後に立っていた。据わり切った視線で、彼のイラつき度が計り知れた。
「こ、これはこれは護法騎士様。ご機嫌麗しく……」
「貴様が数十分も待たせなければ、ご機嫌も麗しかったのだがな」
 鋭い一言に心臓が貫かれるようだ。エコーは全身で汗をかきつつ、腕にしがみ付くフューシャと泣きすがるフェズを引き剥がそうと奮闘していた。
 その様子を見て深ーい溜め息を一つ、バーミリオンが一歩、また一歩と近づいてくる。
「貴様は“白い騎士”になるという事が、どういう事かこれっぽっちもわかっていないらしいな」
「バ、バーミリオン……顔が怖いっ」
「バーミリオン“様”だ」
「“様”?!」
 今まで様付けで呼んだ事などないのに、いきなり何を言い出すのか、こいつも。
「そうだ。お前が白い騎士となった時点で、俺との間には明白な上下関係が成立したのだ。今後この俺に無礼な口を叩けば、腹を一刺しした上に傷口から雷の魔法を食らわせるから覚悟しろ」
 思わずエコーは表情をゆがめた。想像すると脇腹の辺りがムズムズしてくる。なんという恐ろしい事を考えつくのだ、この男は。
「わ、わかりました」
「よーし。それでは今からこの通路の雑巾掛けだ。隅々まで余す所なく綺麗にやれ」
「は?」
「騎士は体力が命。雑巾掛けは体力作りに最適な作業と言えよう。この俺も騎士になりたての頃、良くやらされていた」
 バーミリオンは過去を思い出して懐かしみ、天井を見上げて陶酔していた。彼は騎士になりたての頃、ブリュトンで魔法の勉強をしていたはずだが。しかもバーミリオンが雑巾掛けをしている所など、恐ろしくて想像も出来ない。
「体力作り云々は別として、こ、この長ーい通路をやれって言うのかよ?」
「口答えをするな。今すぐやれ」
「で、でもさ、こいつらが離れてくれないんだよ。その上何だか重いし」
 相変わらずしがみ付いたままのフェズとフューシャに視線を下ろす。フェズはまだ泣いてるし、フューシャはまだ膨れてるし。
「だったらそのままやれ」
「えーっ、お前何言ってんだよ。無理に決まってんだろ!」
「俺に無礼な口を利くなと、先ほど言ったばかりだろう」
 掌に抜き身の剣をパシパシと打ち付けつつ、バーミリオンが凄んでくる。そのあまりの恐ろしさにエコーは後退りしようとしたが、フェズとフューシャが重たくて侭ならない。
「お前ら重い! いい加減に離れろよ! 殺されるだろ!」
「エコーってばひどい! レディに対して重いだなんて!」
「そうよ! 私達、別に太ってなんかないもの!」
 と二人はどうでもいい事を嘆き始める。それに比例してますます重みを増してくる。必死にもがくがどうにも出来ず、ついにはバーミリオンが間近に迫っていた。
「これまでのお前は一般人という事で容赦していたが……白い騎士となったからにはそうはいかない。仕置きも徹底的にやらなければな」
 ふふっと不敵な笑みを浮かべつつ、バーミリオンが一歩、また一歩と近づいてくる。これは間違いなく殺される。しかも当人、猛烈に楽しそうだし。
「待て! 俺が悪かった、じゃなかった、悪うございました! だからお許しくださいバーミリオン様!」
 ついには床を這って逃げ出そうとしたエコー。だがその逃亡は襟を掴まれて阻まれてしまった。
「もう、遅い」
「ひいー! だ、誰か助けてくれ!」
 こんなに恐ろしい思いをするなら、白い騎士になんて一生なりたくない! そう思いながら、エコーは救いを求めて必死に手を伸ばした。








 はっとして目が覚めると、室内には眩しい光が注いでいた。身を起こして周囲を見渡す。見慣れた自室の風景が広がっていた。
「ゆ、夢か……」
 先ほどの出来事が夢であったと気付き、エコーは安堵の溜め息を吐く。全身にびっしょりと汗をかいていた。新年早々嫌な夢を見てしまった。しかもかなり滅茶苦茶な内容だ。あれが現実だったら、今頃自分はこの世に存在していないだろう。
 速まった鼓動を落ち着かせていると扉が開いた。そしてすぐに顔をのぞかせたのは、同室のヒースだ。
「おいおい、まだ寝てたのかよ。早く支度しろ」
「何かあったのか?」
「エルフェンバイン様がお呼びだ。大至急だと。何やら重要な話があるらしい」
 途端、エコーの顔からすっと表情が消えた。これはまさに夢と同じ展開だ。もしやさっきの夢が現実に……。
 ――ま、まさかな!
 あんな滅茶苦茶な内容が正夢となるはずがない。そう思いつつも、頬をだらだらと流れる汗はどうにも止まらなかった。


END


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