「うふふふ……!」
 怪しげな声を発しながら、ブリーナ(猫型)は管理棟内を走っていた。
 ついさっき、彼女はとある場所で妖しげな飴玉を発見したのだ。その名も【恋する飴玉】。食べた者は、口にした直後に見た異性に恋をする、というものらしい。
 何ともいかにも怪しいのだが、ミュゲに恋するブリーナは半ば盲目状態でそれを信じ、飴をかっぱらって来た。そして偶然にも管理棟に滞在しているミュゲに食べさせようとしているのだ。怪しげな笑いだって洩れてしまう。
「こ、これでミュゲ様は私のものに?!」
 何かを想像して(猫なりに)にやけつつ、ブリーナはひたすら走っていた。そうして角を曲がろうとした時――向こうからやって来た別の黒猫と、見事衝突してしまったのだ。
「きゃああー!」
 悲鳴に聞き覚えがあった。
 ああ、この声は憎きライバル、そして愛しいあの方の引っ付き虫・ビオレータだわ。この子は何でこういつもことごとく邪魔してくれるのかしら! とか何とか考えつつ吹き飛びながら、ブリーナが前方を見遣ると――
 なんとミュゲに与えるはずの恋の飴が、ひゅるるるーっとビオレータの口に飛び込んでいってしまったではないか。
「あ、あんた、なんて事してくれるのよー! 出しなさい、今すぐ!」
 見事な着地を見せたブリーナは、猛烈な勢いで駆け込み、同じく吹き飛んで情けなく床に転がっているビオレータを責めに責めた。ビオレータはというと、何の事やらわからずに困惑し……挙句、あんまりにも身体を揺さぶられた勢いで、飴玉を飲み込んでしまったのだ。
「きゃーっ!」
 ブリーナが青ざめて悲鳴を上げた。

 その悲鳴を聞きつけて、ちょうど近くを通りかかっていた少年が近づいてきた。
「おっ、お前ら何やってんだ?」
 明るめの声色に聞き覚えがある。ブリーナが振り返ると、そこには灰色のローブを来た銀髪の少年が立っていた。緑の瞳を興味深げに輝かせる彼は、かつてのクラスメイト・ヴァンである。
 ヴァンが登場した途端、ビオレータに異変が起きた。あれほど苦手意識を燃やしていた彼に、なんと自ら飛びついたのだ。
「わーっ、なな、なんだっ」
「好き好き、大好き!」
「はあーッ? おまおま、おまえ、いきなり、なな、何言ってんだよ!」
 ヴァンは真っ赤になりながら慌てふためいていた。それもそうだろう。散々ちょっかいを出しても怒るか泣くか不貞腐れるだけだったビオレータが、好きとか言っているのだから。
 しかしビオレータの瞳はハートマークになっており、灰色ローブにしがみ付いて離れようとしない。ヴァンは慌てる一方だった。
 その様子を見て、ブリーナは非常に悔しげであった。ちょっとは怪しいと思っていたが、まさか本当に【恋する飴玉】だったとは! ますますミュゲに渡せなかった事が悔しくて、ブリーナは完全に怒っていた。
「ちょっとビオレータ、飴を吐き出しなさいよ!」
 ヴァンに飛び付き、ブリーナは小さな牙を剥いて威嚇したが、ビオレータはヴァンに擦り寄って離れず、人の話など聞いちゃいない。ヴァンはヴァンで、どうしていいかビオレータの扱いに困り、とにかく困惑するばかり。
 元はと言えば変な飴玉を拾ってきたブリーナが悪いのだか、彼女はますます腹を立て、きーっと唸ってビオレータに飛びかかろうとした。しかし勢い余って通り越し、空中を吹き飛ぶ羽目になってしまった。
「ああーっ!」
 叫び声を上げながら壁に向かって一直線なブリーナ。このままではぶつかる! と思った矢先、しっかりと抱き止めてくれた人がいた。
「ずいぶん楽しそうだね」
 聞き覚えのある声にどきりとし、ブリーナは慌てて顔を上げた。見下ろしてくるのは薄青の瞳。しがみ付いているのはヴァイスの証である真っ白なローブ。間違いなく、憧れの人ミュゲである。
「ミュゲさまっ!」
 今度はブリーナが慌てふためく番であった。なんと言っても憧れの人に抱えられているのだから正気なんて保てるわけが無い。
「ところで、あれはどういう事なのかな?」
 ミュゲが指し示した先には、ハート瞳になったビオレータを抱えるヴァンの姿があった。
 ミュゲの登場で我を取り戻したヴァンは、途端に異様なライバル心をむき出しにし、不敵に笑ってみせた。
「ふん、こいつは俺の事が好きだって言って離れないんだよ。なー、ビオレータ」
「うん。私、ヴァンの事が好きなの!」
 瞳をハートにしてヴァンにしがみ付くビオレータをちらと見遣り、ミュゲは一瞬むっとしたような表情を浮かべた。明らかに、何か細工されたようである。
「……何かしたでしょう」
「いえいえいえいえ、そそそ、そんな何もっ……!」
 憧れの人に抱えられて夢見心地だったブリーナは、我に返ってびくりと身を震わせ、わたわたと慌て始めた。実はあなたに食べさせようとしていたものを、間違ってビオレータが飲み込んでしまったなんて……恐ろしくて本人になど言えるわけがない。しかし。
「何したの?」
 向けられたにっこり笑顔は、どこか恐ろしさを漂わす。
 ああ、もうこれは逃れられない。観念したブリーナは、仕方無く、恐る恐る事情を話した。

 はあ、と心底迷惑そうな溜め息を一つ、ミュゲはつかつかとヴァンに歩み寄った。
 頭上から上司であるヴァイスに見下ろされ、ヴァンは反射的に身構えるが、ミュゲは相手にもしない。灰色ローブにがっちりとしがみ付くビオレータを無理やりに引き剥がすと、黒猫はキーキーと不満の声を上げた。
「何するのよー! ミュゲくんなんか嫌いよっ!」
 終いにはぷいっと顔を背ける始末。
 別にビオレータが誰を好きだろうが構わないが、自分を嫌いとはどういう事か。一体、今までどれだけ世話を焼かせて来たと思っているのだ、この恩知らずめ!
 額にはうっすらと怒りの刻印が刻まれるが、ビオレータは気付かず文句ぶーぶーだ。そんな彼女の背中を、少々乱暴にペシッ! と叩くと、突然ビオレータは咳き込み、喉の奥につかえていた小さな飴玉が飛び出し、コロリと床に転がった。
 さすがは兄弟子、容赦ない扱いである。

 夢から覚めたビオレータは、場の状況を全く理解しておらず、何事かと瞬くばかりであった。ミュゲにブリーナ(猫型)に、なんとヴァンまでいるではないか。
「なになに? これは何事なの?」
 全く呑気である。
 もしやまた何かやらかした? そう思って恐る恐る見上げると、かなり不機嫌そうなミュゲがじっと見下ろしていた。
「わ、わたし何かやらかしましたでしょうか?」
「……覚えてないんだ」
「え、えへ」
 へらっと笑ったビオレータに、ミュゲは今一度盛大な溜め息を吐いた。
「君はあの彼が大好きだと言ってしがみ付いていただけでなく、この僕に向かって嫌いだとのたまっていた」
「ええーっ?!」
 ビオレータは嘘くさいほどの驚き振りを見せていた。そんなの嘘だ。第一ヴァンの事が好きなわけないし、ミュゲの事が嫌いなわけはもっとない。
「嘘じゃないぞ! おまえは俺の事を『好き好き大好き』と言ってた」
「嘘よー! そんなわけないじゃない!」
「なんだ、今さら照れるなよー」
「照れてない!」
 その後、ビオレータとヴァンの(レベルの低い)言い争いは延々と続き、傍らのミュゲは「どうしてこんな場に居合わせてしまったのだろう」と非常に疲れ切った表情を浮かべていたという。

 そんな中、床に転がった飴玉を見つめて涙ぐむオトメが一匹。
「ああっ……恋する飴がっ……」
 せっかくかっぱらい……もとい手に入れてきたのに、なんと無残な姿か。
 しかし、ブリーナはすぐさま気を取り直した。飴は無駄になってしまったが、あのミュゲに抱えられただけでも幸せだ。
 その幸せを噛み締めつつ、ブリーナはまだ言い争いをしているビオレータ達を楽しそうに眺めていた。


 ちなみに。
 ブリーナは怪しげな【恋する飴玉】を、どうやら師匠の所からかっぱらい……もとい手に入れて来たらしいが、きっとそんな事は誰も気にしていないに違いない。


END


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