その夜のことだった。
 ベルジェは、提出を免れたはずの反省文書きに奮闘していた。自室に閉じこもり紙面と格闘すること数時間。それでも終わりそうにないし、今日は懺悔室係で何だか疲れたし、さぼって寝ちゃおうかなどと考えている間、何か不穏な空気を感じ取って顔を上げた。長い盗賊稼業の末に身についた、いわゆる勘が働いたのだ。
「……ちっ、また来たのかよ」
 忌々しげに舌打ちしつつ乱暴な口調で吐き捨て、ベルジェは立ち上がった。勢い良く部屋を飛び出し、黒い修道服の裾と銀の髪をなびかせ、真っ直ぐにある場所を目指して走った。
 ここプリエは、良家の令嬢やら一般家庭でも大切に育てられた娘たちばかりを集めた格式高い修道院。ベルジェ以外に事態に気付いた者は当然おらず、他室の扉が開くことはなかった。まあ、むしろそちらの方が好都合なのだが。
 走り続けてやって来たのは、マリートヴァ像が安置された小聖堂へと続く長い通路だった。小聖堂は夜の祈りを終えると施錠されてしまうため、朝の祈りの時間まで出入りすることは出来ない。だから夜の祈りを終えたこの時間、通路に人の気配があるなど有り得ない。しかし、ランプの明かりが複数の怪しい影を照らし出していた。
 全身を目立たない色で覆い、極力物音を立てないようにとひそやかに行動する様が何だか見ていて懐かしい。他の場所に潜んでいる可能性も否めないが、とりあえず通路に立っているのは合計六人。それぞれ腰に短剣や銃と、ご丁寧に武器まで持参しているあたり、その辺のケチなコソ泥とは訳が違う。恐らくそれなりの集団だろう。
「とにかく目当てのブツは、あの聖堂の中にある。心してかかれよ」
 リーダー格と思われる人物がその他五人に指示を与えている。顔も覆っているため声質とガタイの良さから判断せざるを得ないが、間違いなく男だ。周囲の状況を確認し、人影がないことに安心しきっているのか、侵入者のクセに堂々とした態度で通路を塞いでいる。が、その背が軽く叩かれ、リーダーの男が何事だと振り向いた。視線の先には微笑みをたたえた修道女がいた。
「このような時間に何用でございますか?」
 藍の瞳を細めて微笑み、夜の静けさそのままにしっとりとたたずむ姿は、一見して清楚で従順な修道女に他ならない。修道服の黒に肩を流れる銀髪が見事映え、緩やかに弧を描いた口元からは修道女らしからぬ色気さえ漂わせていた。
 謎の盗賊集団は揃って目を見開いた。「まさか見つかるとは」という焦りと、「まさかこんな修道女がいるとは」という喜びが複雑に入り混じった心境が、瞳に浮かんでいる。
「何って……お嬢さんには関係ないことだよ」
 恐らくのほほんと修道生活を送っている、世間知らずの娘と思われたのだろう。修道女という禁欲的な職業に特殊な感情を覚えたのか、ついでに何かちょっかいを出してやろうと言わんばかりにリーダーの男が手を伸ばしてくる。
「まあ、この先には小さな聖堂しかありませんわよ?」
「俺達はその聖堂に用があるんだよ」
 わざわざ自分達の目的をばらすなんて、きっと馬鹿なんだろうなと思った。この修道院には何度か盗人が入ったことがあるが、どいつもこいつも用があるのは聖堂だった。なんせそこには……
「ふーん。じゃあお前らの目的は【女神の雫】だな」
 伸ばされた男の腕をしっかりと掴み、一変して口調を変えた麗しの修道女は、口端を吊り上げて不敵に笑った。藍の瞳は全てお見通しだと言わんばかりに輝いていた。
「なっ……」
 何か言おうとして開いた男の口は、開いたまま塞がらなくなったのだと布越しでもわかった。握った拳が容赦なく、男の鳩尾にめり込んでいた。言葉もなく地面に崩れ落ちたリーダーの姿を、仲間達は唖然として見つめていたが、やがて一斉に顔色を変えた。
「てめっ……何しやがる!」
 一番手近にいた男が武器に手を伸ばす。短剣が抜き放たれる前に、ベルジェは男の頬に鉄拳を食らわした。吹っ飛んだやつの隣では仲間が応戦しようと飛びかかってきたが、長いスカートを見事さばいて繰り出された回し蹴りが吸い込まれるようにして男の首を直撃、あえ無く地面に沈んだ。
 たったひとりの女、しかも修道女に次々と倒されていく仲間の姿に不安を覚えたのか、盗賊の一人が震える手で腰の銃を抜き放ち、銀の頭に照準を合わせた。
「そんな物騒なものを使われては困りますね」
 背後から聞こえたのは少女の声。振り返ると、漆黒の髪を持つ小柄な少女が立っていた。読書の最中だったのか小脇に分厚い本を抱え、深緑の瞳は男の顔を忌々しげに睨んでいる。
 新たな修道女の登場に男は慌てふためいたが、逃げようにも時すでに遅し。少女は小脇に抱えていた本を振り上げ、固い背表紙で男の顎を打ち上げた。だがそれだけでは済まなかった。更なる追い討ちをかけるべく、黒いスカートがふわりと風を含んで揺れる。ルフィータの華奢な身体がくるりと反転し、仰け反った男の胸に強烈な一蹴がお見舞いされた。
「貴重な自由時間を邪魔してくれた制裁は、これくらいでは済みませんよ」
 怒りに燃えた深緑の瞳が、慈悲の心など見せずに地面に伏した男を冷たく見遣る。さあ本番はこれからだ、と言わんばかりのルフィータに近づき、ベルジェは溜め息を吐いた。
「あー残念だけど、そいつもうのびてるよ」
 すかさず突っ込みを入れられ、怒りのやり場を失ったルフィータは、強く拳を握り締めて悔しそうに身をよじらせた。
「なんてこと! たかが二発でのびるなんて、あなたそれでも死線を潜り抜けて生きてきた盗賊なんですか?! そんな軟弱さで男を名乗るなんて情けないにも程があります! そこの不良修道女の方がよっぽど男らしいですよ! あなた聞いてます?!」
 完全に意識を失って床に横たわっている男の胸倉を掴み、ルフィータは説教を始めた。ああ、始まったとベルジェが額に手を当て、天を仰ぐ。誰も聞いていないというのに、それでもルフィータは延々十分程度説教を続けていた。
 まじめで固くて従順で(可愛い所もあるが)、並の男では太刀打ちできないほど武術に長けた小柄な修道女は、一度キレると手に負えないタイプだったりする。ちなみにそんなルフィータの理想の男性像は“熊よりも強い男”だとか。

 プリエの小聖堂には現在、マリートヴァ教の秘宝である【女神の雫】が保管されている。各地を転々として数年前にたどり着いたわけだが、どこから情報が漏れるのか、時々こうして盗人が入る。こんな田舎の方へわざわざ出向いてくるなんて大した根性だと思うが、お宝、特に【秘宝】と言われるとついつい手を出したくなるのが盗賊の性だ。
 【女神の雫】は何としても護らなければならない。しかしプリエは“古い歴史を持つ格式高い女子修道院”というのが売りであるため、警備として俗世の男子を立ち入らせることは出来なかった。
 院長のユスタは頭を痛めていた。何とかして院内自衛策を立てたいが、お嬢様育ちの娘ばかりでどうにもならない。だが五年前、希望の光となる娘がプリエに入院して来た。名はルフィータ=エルフィン、当時十一歳。娘の詳細を記した身上書に目を通し、ユスタは目を見開いた。少女の父親の名はフェルテ=エルフィン。世界でも指折りの格闘家だった。
 ルフィータがプリエにやってきた理由はただひとつ。父の格闘術を遊び半分で見よう見真似し、気付けばたった十歳で“熊殺し”と呼ばれるまでに育った、可愛い娘の将来を案じての事だった。修道院に入れば少しはしおらしくなるだろうかという両親の願いも虚しく、拳を振るい出すと止まらないあたりから、あまり矯正にはなっていない事実がうかがえる。
 ベルジェがやって来るまで、ルフィータはひとりで【女神の雫】の守護を務めていた。ひとりでは荷が重いと思いつつも、闘える修道女なんてそう滅多に現れるものではない。ユスタと相談し、仕方ないが護衛を雇う事にしよう……そう決まるか否か、という時に運良くベルジェが現れたのだ。
 前職は盗賊の首領というだけあって身のこなしは一流、戦闘には慣れていたし、公安局に追われる身だから修道生活に嫌気がさしても逃げ出す事はなかった。二十年も身勝手に生きてきたせいで完全な禁欲生活は無理だったが、修道女に見せてしまえばこちらのものだった。
 どんなことをしてでも【女神の雫】を護り通さなければならない事情をユスタは抱えていた。だから手段など選んでいる暇はなかった。

 すでに意識を失った盗賊たちに一通り説教を終えて満足したのか、ルフィータの声が止んだ。それを見計らってベルジェが声をかける。
「はいご苦労さん。さすがのあたしも、弾丸ぶち込まれたら一溜まりもなかったよ」
「ベルジェさんなら、それくらいで死にはしません。それよりも、もっと骨のある盗賊が来れば良かったですよ」
 さらりとキツイ言葉を返しつつ、大好きな読書の時間をさいて来たのだから存分にやりたかったのに、まるで手応えがなかった……とルフィータは残念がっていた。そんな姿を、明るい将来を願って入院させた彼女の両親には見せられないだろうが。
 足元に転がるのは覆面した六人の男達。奴らもまさか武闘派の修道女がいるとは思いもしなかっただろう。「安らかに眠るが良い」と十字を切ったベルジェに対し、「まだ死んでませんよ」というルフィータの突込みが飛ぶ。
 ルフィータがどこからか持ち出してきたロープで男共を縛り上げ、一息ついた時、二人に向けて拍手が浴びせられた。異様な気配を感じ取り、ベルジェとルフィータが血相を変えて辺りを見回す。やる気なさそうな拍手は、小聖堂の入口から発せられていた。扉脇に設置されたランプの炎が、聖堂へと続く階段に腰掛ける男の姿を浮かび上がらせる。にこやかな笑顔と共に、藍色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
 スタンドカラーの濃紺の制服は、政府公安局保安官の証。その上に羽織った漆黒のマントと夜の闇に、青年の眩い金の髪がよく映える。一見すると人畜無害、婦人方に人気がありそうな優男だ。
 その顔、その瞳の色にベルジェは見覚えがあった。
「……クロイツ=フェーデ!」
 忘れもしない。一年前、窮地に追い込んだのは間違いなくこの男だった。名を呼ぶと、あの日の光景が鮮明に甦った。昼間のあれが予知夢だったなんて、そんなオチは勘弁して欲しかった。青ざめ、神妙な面持ちで後退りするベルジェ。その只ならぬ様子に一抹の不安を覚え、ルフィータが男を睨みつけた。
「あなた、ここを何処だと思っているんですか?」
 ルフィータは馬鹿ではない。だから彼がどういう地位にいる者か、それくらいはわかっている。けれどもいつも強気で陽気なベルジェの、怯えたような姿は初めてで、自分でも気づかぬうちに敵意をむき出しにしていた。ここは女子修道院。たとえ保安官であろうとも、男子の立ち入りは禁じられているはず。
「威勢のいいお嬢さんだな。今度はそんな可愛い子を手下にしたの? ベルジェ」
 立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくるクロイツに、ルフィータは身構えて明らかに不快気な表情を浮かべた。
「私は彼女の手下なんかじゃありません! むしろこの人が……」
 私の手下です、とでも言いたかったのだろうか。しかしベルジェの手に口を塞がれ、言葉はそこで途切れた。
「やめておきな。あいつに口喧嘩は通用しないよ」
 ベルジェの藍の瞳が前方を凝視する。深緑の瞳に映った横顔は、緊張感に溢れていた。
 なぜこいつがここにいるのか。心中で疑問符を打ち、そして思い出す。今朝、教会の門で神父と話していたのはきっとこいつだったのだ。見覚えがあると感じたのは間違いではなかった。
「そんな怖い顔するなよ。美人が台無しだ」
 眉間にしわを寄せ、今にも噛み付きそうな表情のベルジェに、クロイツは苦笑を向けた。せっかくのお世辞も無駄に終わったようだ。
「今日はこいつらを捕まえに来たんだよ」
 いつの間にかクロイツは目の前までやって来ていて、二人が縛り上げた盗賊たちの間抜けな寝顔をうかがっていた。さきほどの二人の闘いぶりを、実は最初から見ていたが、ベルジェはともかく黒髪の少女も大した身のこなしだ。よくもまあ見つけてきたものだと感心した。修道女にしておくには勿体無い。むしろ保安官に勧誘したいくらいだ。
「結構世間を騒がせている奴らでね。ふもとの町にたむろしているっていう話を聞いて追ってきた。そうしたら偶然にも君を見つけたんだよ、ベルジェ」
 当人もまさかこんな所にいるとは思わなかったようだった。盗賊たちに向けられていた藍の視線が上げられ、銀の娘を真っ直ぐに見遣った。
 久しぶりに真に受けた射抜くような藍の視線に、ベルジェは観念した。
 平穏が長く続かなかったことが悔やまれる。退屈だったけど、盗賊稼業から足を洗って普通の娘並みに過ごせた事は本当に楽しかったのだ。ルフィータは妹みたいに思っていたし、ユスタにしても口うるさかったけれど、叱ってくれる母親のようで、それなりに面白かった。しかしこれ以上巻き込むわけにいかないだろう。
「……【女神の雫】は“どんな事をしても”護らなければならない教会の秘宝です。そういった意味で彼女は適任でしょうが……なぜ助けたのですか?」
 質問の意味が掴めずに、ベルジェとルフィータは首を傾げた。クロイツの視線は二人の背後に向けられていた。いつの間にやって来たのだろうか、視線の先にはユスタがいた。
 ユスタは深い溜め息を吐き、そして口を開いた。
「その子が、ロザリオを下げていたからです」
 あの日――院の前で見つけた傷ついた迷い猫。彼女を招き入れることは、プリエで真剣に修道に励む娘たちの毒となるだろう。だから放っておくべきだったのかも知れない。
 しかし、彼女はマリートヴァ教信者の証である銀のロザリオを下げていた。どんな過去を持っていようとも、神を崇める人間を見捨てることは出来なかった。
 ベルジェは思わず胸元に瞳をやった。これは死んだ養父の形見の品である。養父は「きっと美人な神様に違いない」という、何とも不純な動機のマリートヴァ信者で、受継いだ本人も形見として身につけていただけだが、そんな事をこのシリアスな場で言えるはずがなかった。むしろ、このロザリオのおかげで命拾いしたのだから感謝しなければ。
「そうですか……。しかし、ここで見つけてしまったからには仕方がない。ベルジェ、君を連れて行くことにするよ」
 クロイツが歩み寄り、ベルジェの腕を掴んだ。すぐそばでルフィータが戦闘体勢を取るが、ベルジェは笑顔を向けて制止した。いくら修道女といえど、保安官に手を出したらただ済むはずがない。まだ未来のあるルフィータに、そんなことはさせられなかった。

「お待ちください」
 歩み始めたクロイツの次の一歩を止めたのは、意外な人物の言葉だった。
「連れて行かないで下さい。プリエには、その子が必要なのです」
 言葉の主を振り返ると、両手を組み合わせて床に膝をついたユスタが、懇願するように見上げていた。
「しかし、彼女は犯罪者。保安官である僕が見逃すわけには……」
「……いのです」
「え?」
 ベルジェとルフィータとクロイツ、三人の声が重なる。
「その……実は【女神の雫】は……ここにはないのです」
 一瞬漂う静寂。
「はあ?! んじゃあたしら何を護ってたって言うわけ?」
「ど、どういうことなんですかっ。ユスタ様!」
 数秒後、沸き起こった怒涛の質問攻撃に、ユスタはばつが悪そうに視線を泳がせた。そして彼女の口から発せられた衝撃の告白に、動揺という名の波紋が広がった。
「これは教会や修道院の最高責任者しか知らない事実なのだけれど……【女神の雫】は何十年も前に何者かに盗まれてしまったのよ」
 しかし教会の秘宝が盗まれたとあっては、マリートヴァを信じる者達に顔向けできないし、長く続いた歴史に泥を塗るようなものだ。そういうわけで、最高責任者達は【女神の雫】を護っていると見せかけて、それが“存在しない”という事実を護り続けてきたのだ。つまり小聖堂には【女神の雫】なんてものはなく、ベルジェとルフィータは教会の秘密を護っていたに過ぎなかった。だからユスタは必死になって聖堂を護っていた。護らざるを得なかった。聖堂に侵入され、秘密が暴かれては困る。それを守り抜くためには、どんな者にも太刀打ちできる存在――ベルジェが必要なのだ。
「結果的に、あなた達二人を騙していたことになるわね……」
 申し訳なさそうにユスタが項垂れた。“歩く戒律”のごとく、常に堂々と振舞っていたユスタの珍しい姿にほんのり優越感を抱きつつも、何だかどうでもよくなっていた。ベルジェはその場で座り込み、気の抜けた笑いを振りまいた。
「あーバカバカしい。ないならないって初めから言えばいいじゃん。だいたいさ、誰も見たことないような物、秘宝になんてしなきゃいいんだよ」
「……誰も見た事がないから、秘宝なんじゃないんですか?」
 笑い治まらぬ状態のベルジェを見て、ルフィータが落胆したように突っ込みを入れる。その様子に「なかなかいいコンビだ」とクロイツは感心していたが、誰も聞いちゃいない。

「あのさ、それあたしが探してやるよ」
「は?」
 顔を上げたユスタが、不審げな表情を向けてきた。
「詳しくは言えないけど、ちょっとしたアテがあるからさ」
 藍の瞳がちらと見上げた先にはクロイツの顔があった。実は、ふもとの町には盗賊時代の手下が数人、ベルジェを慕って住み着いているのだ。彼らを使って情報収集や煙草の調達をしていたわけだが、詳細を話してクロイツに捕まってしまったら申し訳ない。
 出来るだけ尽力するというベルジェの言葉を信じ、ユスタは「詮索しない」という条件を呑む事にした。【女神の雫】が戻るのであれば、この際手段は選べない。
「それならば僕も協力しよう。審問官として、教会側の不手際は出来るだけ内密にしたいからね」
 ふと、クロイツの言葉に引っ掛かりを覚えたベルジェが小首を傾げた。
「審問官?」
「あれ、言ってなかった? 僕は過去に十年ほど修道を積んでいたことがあるんだよ」
 聞き捨てならない事実を耳にした途端、ベルジェは立ち上がり、血相を変えてクロイツに詰め寄った。
「ちょっと待て! なに、修道って一生の道じゃないわけ?!」
「五年間修道に励めば自由になれるよ。さらに五年修行を積めば、教会の審問官になれる。知らなかったのかい?」
 呆れた……と言わんばかりにクロイツが眉をひそめた。保安官ならばどんな理由があれど修道院に立ち入ることは出来ないが、教会の審問官ならば話は別。クロイツは審問官としての身分証をご丁寧に見せてくれたが、ベルジェにとっては最早どうでもよかった。

『あなた、その身を一生神に捧げる覚悟はおあり?』
 プリエで働く事を決めた時、確かにユスタはこう言った。
 自分はこれまで悪事を働いて来た。しかも公安局の手からも逃れた身。もしも罪を償う時が来るとしたら、それはきっと今なのだろう。そう思って、たとえ一生俗世に戻れなくても構わない……(一応の)固い決意を胸に今日までやって来たというのに。
「クソッ……ババアめ!」
 舌打ちしてベルジェは一人ごちた。完全に騙された。五年頑張れば自由の身になれるだなんて、今の今まで知らなかった。
 ふいに拘束していたクロイツの手が緩んだ。解放されて始めて、ずっと掴まれていたのだと思い出す。
「とりあえず、【女神の雫】が見つかるまでは君を自由にしておくよ。ただし、ユスタ院長にはこれまで以上に厳しい監視をお願いするから、覚悟しておくように」
「言われなくてもわかってるよ!」
「それだけ元気があれば、まだまだ長生きしそうだ。君を捕まえるのは僕の仕事だから、勝手に死なれては困るからね」
 気を失った盗賊たちを叩き起こし、奴らを繋いだロープを引っ張りつつ、クロイツは笑顔を残して夜の闇の中へと消えていった。その背に向けてベルジェが「二度と来んな!」と怒声を浴びせていた。
 その後、ユスタから“【女神の雫】を見つけ出す”という新たな使命を与えられたベルジェは、とりあえず騙されていた事に対する文句を言ってみたが……
「明朝までに反省文の提出をしなかったら、水をかぶる程度じゃ済みませんよ」
 きつい一言と共に睨みつけられ、逃げるようにしてその場を立ち去ったのだった。

 修道女たちの私室かある棟は、聖堂前での騒動など気付きもしないのか、シンと静まり返っていた。こっちは危うく連行されるところだったというのに、何とも腹立たしい。が、それよりも新事実が多々発覚した衝撃の方が大きかった。
「あーあ、全く。なんだか疲れたよ……」
「そうですね。もう読書する時間がなくなってしまいました」
 高さの違う肩を並べ、のんびりとした足取りで自室に向かいつつ、大あくびをひとつ。呑気なベルジェに対し、隣のルフィータはひどく残念そうに俯いていた。その姿を見て苦笑しつつ、ふとベルジェは先程のクロイツの言葉を思い出した。
「ところでさ、ルーちゃんは五年過ぎたのに、なんでまだ修道女やってんの?」
 質問を投げかけた途端、ルフィータはぎくりとして足を止め、明らかに動揺した素振りを見せた。
「べ、別に理由なんてないですよっ」
「えー? ちょっと怪しいなあ。なんか理由があるんじゃないのー?」
 しどろもどろで焦っているルフィータを、藍の瞳が意地悪げにのぞき込む。普段ならば「ルーちゃん」と聞くとすぐ説教攻撃が始まるというのに、それどころではないといった風だ。
「な、なにも……そう、審問官! あと五年修行を積んで審問官になろうと思ってるんですよ! そうしたら、ベルジェさんなんか異端審問にかけて抹殺してあげますから!」
 さらりと恐ろしいセリフを残し、ルフィータは驚くべき速さで走り去っていった。それが照れ隠しだったというのはルフィータのみが知る事実。本当はベルジェと一緒にいるのが楽しいから、なんて恥ずかしくて口が裂けても言えなかった。
 逃げてゆくルフィータを見送りつつ、ベルジェは「本当にやりそうで怖い」と心中で呟いた。異端審問にかけられるのはゴメンだが、立派な審問官になるまで見守っていたい気分だ。あの子ほど見ていて(からかって)飽きない子はいない。まさに妹の成長を見守る姉の心境である。
 気を取り直し、ベルジェはぐっと背筋を伸ばした。さて、これから反省文の続きを書かなければ。明日は町中へも出かけなきゃならないし、朝から忙しいだろう。
「今夜は徹夜かな」
 もう一度大きなあくびをして、ベルジェは自室へと入っていった。

 こうして、今宵もプリエに静寂が戻った。二人の活躍は、女神マリートヴァの加護に隠れて日の目を見ることはないが、とりあえず平和が何よりだ。




 夜が明ければ、いつもと変わらない朝がやって来る。修道女達は女神に祈りを捧げ、どこかで煙草の煙が立ち昇る。
 あの夜から変わった事といえば、銀髪の不良修道女が度々町に足を運ぶようになったことと、金髪の男前審問官の姿を院内で頻繁に見かけるようになったことくらいか。
 そして……
 ベルジェが率いていた盗賊団のアジトから、蒼白い光を放つ輝石が発見されたとの知らせが届くのは、まだまだ先の話である。
 若かりし頃の養父と先立った彼の妻が出会ったのはとある教会。しかも【女神の雫】を盗んでいるまさにその時だったなんて、同じ屋根の下に子供の頃からずっと住んでいたなんて、ベルジェ自身知らなかったのだから咎められるいわれはない……はず。




END


あとがき


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