「ここ、どこかしら……」
 フェズは、人が絶え間なく流れる街道で呆然と立ち尽くしていた。たしか、さっきまでフューシャと共に立ち寄った町を歩いていたはずだ。夕暮れ時のオレンジがまぶしくて、手を振り合いながら去ってゆく子供達を見て、「お腹すいたね」などと話しながら歩いていた。そうしたら、突然上空から白い猫が一匹と黒い猫が一匹降って来た。猫達がぶつかる! と思って気がついたら全く知らない場所にいたのだ。
 空は真っ暗で、やたらと建物の光がまぶしい。人の流れは半端ではなく、そのほとんどが大人だ。こんな場所は知らないし、見たこともない。立ったまま夢を見ているのかと思い頬をつねるが、思いっきり痛い。
 そして何より問題なのが、フューシャが隣にいないことだった。さっきまで隣にいたのに。ここはどこ、フューシャはどこ? 見知らぬ場所でフェズは不安を覚えた。誰かに聞こうにも、周囲には酔っている人しかいなくて声をかけるのもためらった。
「ど、どうしよう……」
 とにかくここが何処なのか聞かなければ。フューシャを探さなければ。エコー達はどうしているかしら。ルアンさんとフラックスさんは心配しているかしら。それより私は帰れるのかしら。
「お姉ちゃん、一人で何してるの?」
 はっとして顔を上げた途端、酒臭い息に見舞われた。思わず表情を歪めるが、相手はへらへら笑っている。見たところ二十代、肉体労働が得意そうな、ほろ酔い気分の若者だった。
「ねえ、一人じゃつまんないでしょ? 一緒に飲まない?」
「はっ……? あ、あの、私、未成年ですから」
 フェズは動揺して思い切りクソ真面目な返答をしたが、相手は聞いていないらしく、しつこく迫ってくる。しまいには腕を掴まれ、フェズは青ざめた。
「は、離してください!」
 腕を掴む手を思い切り振り払うと、不可抗力で相手の顔を叩いてしまった。あっと思ったが遅く、男はものすごく不機嫌そうな表情を浮かべていた。まずい、と肌で感じた。
「優しくしてりゃ付け上がりやがって!」
 優しくされた覚えがない……そんな思いも虚しく、男は腕を大きく振りかぶった。叩かれる! フェズは怖くてきつく瞳を閉じ、顔を背けた。

「ぎゃあっ!」
 何事かと思って瞳を開くと、怒って殴りかかろうとしていた男が、振り上げた腕を捻り上げられて苦しんでいた。彼の背後には、背の高い青年が立っていた。無造作に束ねた真っ白な髪がとても瞳を引いた。
「離しやがれ!」
 痛がりながら男が訴えるが、白い青年は顔色一つ変えずさらに力を加えた。かと思うと、次の瞬間、片腕一本で相手を放り投げてしまったのだ。大の大人が軽々と宙に舞う。その様をフェズの灰色の瞳が追った。
「てめえ、何しやがる!」
 放り投げられて地面に転がった男は、ふらつきながら立ち上がっていきり立ったが、青年に睨まれて怯んだ。
「度胸だけは褒めてやる。死ぬ気があるならかかって来い」
 高価なエメラルドさながらの瞳が凄む。ぎろりと睨まれた男は、そこでようやく誰を相手にしているのか気付き、情けなくもすごすごと逃げていった。

 気付けば周囲にはものすごい人だかりが出来上がっていた。誰も彼もが白い青年を見つめている。確かに風貌は人目を引くし、夜の街での喧嘩は娯楽のひとつだろうが、何と言うか視線が“羨望の眼差し”に近い。完全に惚けている女性もいた。
 あまりに突然の事に、フェズは呆然としていた。酔っ払いを追い払ってくれた青年がちらりとこちらを見て、はっと我に返る。よく見ればバーミリオンもびっくりの美形だ。その上背も高いし、フューシャがこの場にいたら間違いなく黄色い声を上げているだろう。
「あ、あの……ありがとうございました」
 フェズは恐る恐るお礼を言って頭を下げた。確かに綺麗な人だが、雰囲気が冷たく感じられたから少し怖かった。
「鬱陶しかったから追い払っただけだ」
 青年は煙草を取り出して火をつけた。何とも様になっていて格好いい。これまでに見たことのないタイプだが、かなりの無表情でどうにもとっつき難い。
 それにしても、これはチャンスではないだろうか。ちょっと怖そうだけど、思い切って聞いてみよう。そう思い立ってフェズは顔を上げた。
「あ、あの……つかぬ事をお聞きしますが……ここはどこでしょうか?」
「はあ?」
 突拍子もない質問に、白い青年――ロックウェルは眉をひそめた。変わった格好の小娘だとは思ったが、何を言い出すかと思えば「ここはどこか」だと。
「頭でも打ったのか……」
 ぼそりと呟かれた言葉を、フェズはしっかりと耳に止め、顔を赤くした。
「ち、違います! あの、私ホワイトレドという所から来たんです。友達と歩いていたはずなのに、気付いたらここにいて……どこかもわからないし、困っているんです」
 あまりに真剣な物言いに、さすがのロックウェルも困惑した。娘が嘘を言っているようには見えないが、ホワイトレドなんていう場所は知らない。心中では「面倒な娘を助けてしまった」と思ったものの、こんな酔っ払いだらけの場所に置いておけばまた絡まれそうな感じだし、こちらも人探しをしている最中だし、(珍しく)放っておけない気もして、とりあえずその友達とやらを探してやることにした。

「私、フェズっていいます。あの、お名前聞いてもいいでしょうか?」
「……ロックウェルだ」
「ロックウェルさんですか。ご迷惑かけてすみません」
 先行く広い背中に向け、フェズはぺこりと頭を下げた。
「あの、ここはなんていう町なんですか?」
 周囲をキョロキョロしながらフェズが問いかける。今までに立ち寄った町とはまるで雰囲気が違う。服装が変わっているし、ロックウェルに至ってはおかしな物をかついでいる。武器か何かだろうか。
「ここはアスライーゼの城下町だ」
「アスライーゼ……ですか」
 やはり聞いたことのない名前だ。城下町というくらいだから、どこか大きな国なのだろう。こんな見知らぬ場所で、果たしてフューシャを見つけ出す事はできるのだろうか。フェズは不安になって俯いた。
「それで?」
「え?」
「そのダチっていうのは、どういう奴なんだ」
「あ、はい。えっと、私よりも小柄な女の子です。髪はこう短くて、瞳は紫。頭に真っ白な猫の耳がついているので、見ればすぐにわかります。名前はフューシャです」
 フェズの言葉にロックウェルはぴたりと足を止め、振り返った。
「猫……獣人か?」
「え? 獣人ってなんですか?」
「いや、いい」
 獣人のダチがいる割に、獣人という言葉を知らない。それに、オーベルドに住んでいてこの自分を、名前すら知らないなんて驚きだ(ひそかにプライドが傷付いていたが、顔色は変わらない)。探している娘もだが、一体何者なのだろうか。育ちがいいのか性格なのか知らないが、とりあえず腰の低さがいかにも善人な雰囲気を醸し出しているが。
「珍しい風貌だから、すぐに見つかると思うんですけど……」
「そいつは無理だな」
「え?」
 立ち止まったロックウェルが、ちらとこちらを見た。顎をしゃくられ、何だろうと思って見てみると、視線の先には驚くべき光景が広がっていた。
「う、うそっ……!」
 たしか、フューシャ以外に猫族の人はいないと、彼女のお爺さんが言っていたはず。それがどういうことか、フューシャのように頭に耳が……というより、犬や猫のような姿をして二足歩行をする人(?)があちこちに存在しているではないか。
 フェズは驚きのあまり声を失い、しばし固まっていた。



◇   ◇   ◇



「あーびっくりした!」
 フューシャは心底驚いた表情で、何度も背後を振り返っていた。フェズと一緒に町中を歩いていて、ちょうど曲がり角に差し掛かった時、空から二匹の猫が振ってきたのだ。あまりよく見えなかったが、白と黒の猫だったと思う。ぶつかると思って瞳を閉じていたが、何の衝撃もなく、また猫達も消えていた。幻覚を見たのだろうか。
「何だったんだろうねー? ほんと、びっくりしちゃったよ」
 隣を歩くフェズに語りかけながら、人混みの中ではぐれないようにと、彼女の腕にしがみつき――そこで、フューシャはようやく異変に気付いた。フェズだと思ってしがみ付いた相手は見知らぬ少年だった。背丈も彼女とちょうど同じくらいだったから何の違和感もなかった。
「きゃー、あんた誰っ?」
 相手の少年は突然のことにもきょとんとしているだけだったが、フューシャは驚いて後退りした。その結果、背後を歩いていた通行人に激突してしまった。慌てて振り向くと、ぶつかったと思われる女性が不愉快そうにこちらを見つめ、その隣のむさい男が思い切り睨んでいた。
「いったーい! 何するのよ!」
「ご、ごめんなさい」
 わざとらしく腕をさすりながら文句を言われ、フューシャは謝罪した。隣の男にも「俺の連れに何しやがる」とか散々文句を言われ、フューシャの白い耳がへにょっと垂れる。普段ならばこの程度で気圧されることなんてないが、何か本能的に怖いと感じてしまったのだ。
「猫娘の分際で俺達の縄張りを歩くとは、いい度胸だな」
「な、縄張り?」
 男の言っている意味が理解できず、フューシャは困惑する。その目の前で男の顔がみるみるうちに変貌を遂げ、あっという間に狼と化した。突然のことに紫の瞳を見開いた。
「この辺りは俺達【ヴォルク】の縄張りだ!」
 牙を剥かれ、フューシャは身を縮こまらせた。さっきから落ち着かなかった理由がわかった。相手が犬だからだ。

「あーあ、大の大人が情けないよねー。だいたいさぁ、この城下はあんた達のものじゃなくて、国王のフェリーシア様のものだと思うけど」
 振り向くと、先ほど間違ってしがみ付いた例の少年が挑発的な笑みを浮かべていた。碧眼は一回り以上も体格のいい相手でも怯えず、あくまで冷静だ。
「なんだと? ガキが生意気な口利くんじゃねぇよ」
「そっちこそ、ちょっと獣人だからって意気がっちゃってさ。子供に当たるなんて大人げなくない? ああ、それとも女の人の前だから格好つけてみようとか思ってたりして」
 少年がわざとらしく盛大な溜め息をつくと、狼男はいよいよ頭に来たようで、ひと吠えして飛び掛かってきた。少年はフューシャを押しのけ、大柄な男の懐に飛び込むと、まず腹に一発拳をねじ込んだ。さらに、その狭い空間でくるりと回転し、男の顎に蹴りをお見舞いした。男が後方へと倒れこむ。電光石火の攻撃に、フューシャも連れの女性も呆然とすることしかできなかったが、少年だけはひとり楽しそうだった。
「今度からは相手を見極められるように努力した方がいいと思うよ? って聞いてないか」
 倒れた男に向かって少年が言葉を吐くが、男は完全に気を失っていた。碧眼が傍らの女性をちらと見遣る。
「文句があるならいつでも待ってるよ。俺の名前はファルシオン。ああ、【竜王の従者】って言った方がわかりやすいかな?」
 小悪魔スマイルを向けられた女性は、その名を聞いて一瞬にして青ざめ、連れだったはずの男も放置して逃げていってしまった。その逃げ足と言ったら、さすがは狼女ともいうべきか素早かった。

「あの、ありがとう。アンタ強いんだね」
 フューシャは少年の前に進み出てお礼を言った。少年――ファルシオンはこちらを見て、ふうと溜め息を吐いた。
「君もこんな所をひとりでうろついてるから絡まれるんだよ。早くおうちに帰りな」
 そう言ってファルシオンがフューシャの頭をよしよしと撫でる。おや、とフューシャは思い切り違和感を覚えた。これはもしや、年下だと思われているのか。
「ちょ、ちょっとアンタ、初対面のレディに大してずいぶんと失礼なことするのね!」
「レディ? 誰が?」
「私のことよ! 私十六歳よ! 頭撫でるなんて失礼! しかもさっきあの男に『子供相手に』とか言ってなかった?!」
「十六?! 嘘でしょ! 俺より年上だ……!」
 その一歳の差がファルシオンにとっては相当な打撃だったらしい。驚愕の表情を浮かべ、珍獣を見るような目つきでこちらをまじまじと眺めている。なんと失礼なと思ったものの、お姉さんなんだから、とここは一旦気を鎮める。
「まあ、助けてくれたから許してあげる。ところでさ、ファルシオンっていったっけ? ここどこなの? 私、友達と歩いてたはずなのに、気付いたら全然知らない所に立ってたのよ。友達ともはぐれちゃったし、ここはどこだかわかんないし、助けてよ」
 フューシャの途切れを知らぬ物言いに、ファルシオンは唖然とした。いきなり呼び捨てにするし、初対面なのに失礼な態度なのはどちらか。ここはどこかなんてワケのわからない事を言っているし、変な服装だし、何者なんだろうか。とりあえず、頭の耳でネコ科の獣人であるのは確かだが。
「ねえ、聞いてるの?」
「聞いてるよ」
「で、ここはどこなの?」
 ファルシオンはふうと溜め息を吐いてから言葉を返した。
「ここはアスライーゼの城下町。アスライーゼはフェリーシア様が治める世界一の大国だよ。獣人のくせに、そんな事も知らないの? 一体どこから来たのさ」
「ホワイトレド」
「それこそ、どこ?」
 不自然な空気が流れる。互いに噛み合わない世界に住んでいるような気がしてきた。二人の間に奇妙な沈黙が流れた。
「じゃあ、友達を探すのを手伝ってくれない? 私、この町のこと知らないし」
 ファルシオンはすぐに返事をしなかった。こちらも人探しをしている最中だから急いでいる。遅くなればこちらの身が危ういというのに、なんとも厄介な娘を助けてしまった。けれどどうやら本当に困っているようだったので、ファルシオンはその友達探しに協力する事にした。

「友達ってどんな人なの?」
 ファルシオンが隣を歩くフューシャに問いかける。フューシャは物珍しそうに周囲をキョロキョロして落ち着きがないが、とても楽しそうにしている。迷子のくせにいい度胸だ。
「えっとね、名前はフェズ。ちょうと身長はアンタくらいで、髪は肩までで灰色。大人しいから、きっと今頃困ってるに違いないよ。ところで、アンタは何してるの?」
「俺も人探し中」
「だれ、だれ? さっき【竜王の従者】って言ってたから、そのご主人様?」
 他人事にも関わらず、それがかえってフューシャの興味心に火をつけたらしい。本当にどっちが失礼なんだか……とファルシオンは疲れた表情を浮かべていた。「相手ペースに巻き込まれるなど、まだまだ甘い」とかなんとか、ロックウェルに知られたら叱られそうだ。
「ねえ、その【竜王】ってどんな人? 格好いい? 私の予想だと、背が高くてものすごい美形だと思うのよね」
 ファルシオンは思わず足を止め、驚愕の表情でフューシャを見つめていた。なんという想像力か。しかも見てもいないのに当たっている。ちょっと尊敬した。こいつ侮れない。
「あ、当たってる……!」
「でしょー! だったら早く探しましょうよ、その【竜王】さまを!」
 なんだか目的が完全に違ってきたが、とりあえずフェズとやらとロックウェルを探すべく、ファルシオンとフューシャは町中をうろつき始めた。



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