地上を少しばかり離れた空の上に、“薔薇の園”と呼ばれる庭園があるそうだ。時期を問わず色とりどりの薔薇が咲き乱れる庭園は、薔薇色の瞳を持つ者が護っているという。彼らは“王”と呼ばれ、庭園内に建つ屋敷に住んでいるそうだ。
 その庭園に、新しい王がやって来る事になった。新王は、王と呼ぶのもはばかれるような少女で、名をネフェルティティという。
 弱冠十一歳で女王となったネフェルティティは柔らかく波打つ黄金の髪と、歴代王の中でも優れて美しい薔薇色の瞳を持っていた。

「ようこそ、薔薇の園へ。我等が王よ」
 庭園の門をくぐって間もなくのこと。屋敷へと続く白い石畳にひざまずいて項垂れる少女を二人見つけ、ネフェルティティは戸惑った。丁寧な物言いで挨拶をしてきたのは、薄紫色の長い髪を一つに束ねている右手に位置する少女だ。
「その見事な色の瞳……あなたこそ、この庭園を護るに相応しい方ですね」
 次いで言葉を発したのは、左手に位置する少女。同じく薄紫色の長い髪を、こちらは二つに分けて束ねている。驚くべき事に声が全く同じである。
「私の名はイーナ・ハークネス、こちらは妹のローズマリー。これから私たちが女王さまの身の回りのお世話をさせていただきます。よろしくお願いします」
「お願いします」
 二人同時に顔を上げ、髪を一つに束ねた方の少女が名乗り、次いで妹を紹介してくれた。二つ並んだ顔を見比べて、ネフェルティティは大きな薔薇色の瞳を瞬かせた。声どころか、顔も全く同じである。
「双子を見るのは初めてですか?」
「は、はい……」
 恐る恐るネフェルティティが応えると、姉のイーナがにっこりと微笑んだ。
「私たちは顔も声も同じですが、髪型で判断してくだされば大丈夫ですよ」
「あとは、こうして腰に剣を提げているのがイーナで、何もないのがこの私、ローズマリー。たまーに入れ替わる事もあるけど、滅多にないですから」
 姉の腰を指差しながら、妹のローズマリーが茶目っ気のある表情で片目をつぶって見せた。
 ネフェルティティが住んでいた町に双子はいなかったし、これまで見たこともなかった。世の中に自分と同じ顔の人が住んでいるなんて、なんだかすごい。そんな風にぼんやりと考えていたら、不思議に思ったのか双子は揃って首を傾げていた。
「どうかされました? 何か気にかかることがあれば何でもおっしゃって下さい」
「い、いえ……なんでもないです。き、緊張してしまって……」
 声をかけられ我に返ると、ネフェルティティは恥ずかしさで顔を伏せた。双子の姉妹は間違いなく年上だ。そんな人たちに丁寧な態度で接されて、どう返していいのかわからない。それよりも、ただ瞳の色が珍しいというだけで、寂れた町の孤児院からこのように素敵な世界に連れてこられてしまったのだ。動揺しないはずがない。
 あたふたしているネフェルティティを見て、姉のイーナは優しげに微笑んでいたが、妹のローズマリーは何故か異様に瞳を輝かせていた。
「……か、可愛いわっ! これはルイ様と並ぶ可愛さかもっ!」
 うっとりとした眼差しでネフェルティティを見つめ、ローズマリーは小さな手を取って感激している。
 イーナは額に手を当てて溜め息を吐いた。全く、ローズマリーの“可愛い子好き”は相変わらずだ。
「ローズマリー、女王に失礼でしょう。その手を離しなさい」
 注意を促すも、妹は全く話を聞いていない。
「ティティ様って呼んでもいいですか?」
「は、はい……」
「うっ、その恥じらう表情が可愛いっ」
 と、勝手に話を盛り上げている。
 暴走し始めた片割れは、とりあえず放置する事にして。
「まずは庭園をご案内しますね」
 ローズマリーの手からネフェルティティを救い出し、小さな手を取ってイーナはすたすたと歩き出した。



「この庭園は、ご覧のようにたくさんの種類の薔薇が咲いています。これらは全て、薔薇色の瞳の王が持つ不思議な力によって護られています」
「だからってティティ様が何かしなきゃならない、というわけじゃないんですよ。あのお屋敷で、のんびり楽しく過ごしていればいいんです」
 薔薇が取り囲むの石畳を歩きながら、双子の姉妹は代わる代わる説明をしてくれた。とても丁寧な言葉で話すのはイーナで、少し砕けた話し方をするのがローズマリーだ。少し接しただけではあるが、同じ顔や声を持つ二人でも、性格まで全く同じというわけではないらしいとわかった。
「私には、そんな力はありません……」
 不安そうに呟くと、イーナがにっこりと笑った。
「わからなくても大丈夫なのです。こうしてここにいるだけで、薔薇たちはその力を感じているんですから」
「そうなんですか……。でも、こんな素敵なところに呼んでいただいて、何もせずに暮らしていていいのかと」
「あなたは選ばれた存在なのですから、お気になさらず。薔薇色の瞳は、誰もが持っているというものではないのですよ」
 たしかに孤児院にいた時も、町中では珍しそうに見られていた。けれど、まさかこんな所に連れてこられるなんてネフェルティティには想像だに出来なかった。この夢のような場所で、双子の姉妹とずっと一緒に暮らしていくのだろうか。そんな贅沢が許されていいのだろうか。
 そんな風にぼんやりと考えていると、ふいにイーナが立ち止まり、繋いだ手を引き寄せた。何事かと不安げに見上げると、イーナは厳しい視線で空を見回している。隣に立つローズマリーも同様だった。
「あ、あの……」
「ティティ様、ひとつだけ心しておいて頂きたい事がございます」
 真剣な表情で見下ろしてくるイーナ。声にも少しだけ厳しさがうかがえた。
「この庭園の薔薇は、とてもとても強い魔の力を秘めています。それを食らおうと、時々悪魔(イヴル)が現れることがございます」
「悪魔……?!」
 さっと青ざめて怯えたネフェルティティに、イーナは穏やかな笑みを向けた。
「けれどご安心を。我等が王には傷一つ負わせませんから」
 イーナの言葉と同時、周囲の薔薇たちが悲鳴を上げるようにざわめいた。色とりどりの花弁が舞ったかと思うと、その合間から真っ黒なものが飛び出してくる。邪悪な瞳に鋭い牙、コウモリに似た翼を持った悪魔が、新たなる王を狙って飛びついてきていた。
 しかし。
「私の可愛いティティ様に触るんじゃないよッ!」
 素早く飛び出したローズマリーが、見事なまでの動きで身をひるがえし、飛び込んできた悪魔に強烈な蹴りをお見舞いしていた。
「妹のローズマリーは、体術を得意としております。そしてこの私は……」
 言いながら腰の剣を抜き放ち、ローズマリーの蹴りで吹き飛ばされた悪魔に向かってイーナが走り込んだ。そして銀の光が宙を彩ったかと思うと、次の瞬間、剣は悪魔を真っ二つに切り裂いていた。
「キエエエエーーッ!」
 奇妙な悲鳴を上げながら悪魔が炎に包まれる。命を絶たれた悪魔はこうして裁きの炎で焼かれ、跡形もなく消えてゆく。イーナが剣を鞘に収めた頃には、何事もなかったかのように穏やかな時間が戻っていた。
 驚いて言葉を失ったネフェルティティに、同じ顔が二つ近づく。
「ティティ様っ、お怪我はありませんか?!」
 慌てて駆け寄ってきたのはローズマリーだ。
「は、はい大丈夫です……す、すごいんですね」
 今まで誰かが闘う所など見た事もなかったし、それがましてや女の人だなんて信じられなかった。ネフェルティティの心臓は、恐怖と驚愕で鳴り止まずだ。
「私たちなんか【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】の皆様に比べれば、大したもんじゃないですよ」
「騎士……?」
「私たち姉妹はティティ様の警護と身の回りのお世話が仕事。ですから護身程度の力しか持ち合わせておりません。しかし【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】の方々は本格的な戦闘を得意とする、この庭園と王の守護者です。皆様とお会いになる時間もいずれ取れることでしょう」
 戸惑うネフェルティティの手を取って、イーナが穏やかに微笑む。
「今日はお疲れになりましたでしょう。とっておきのお茶あるので、おやつにしましょうか」
 優しいイーナに手を引かれ、薔薇に囲まれた大きな屋敷へと誘われる。その後を、手を繋げずに不満そうにしているローズマリーが追う。

 美しい薔薇の花に大きなお屋敷、不思議で楽しい姉妹。
 そして庭園の守護者【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】。
 夢のような世界にやって来た少女の心は、ほんの少しの不安と期待でいっぱいだった。


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