「うおおおおお!」
 普段は閑静な薔薇の庭に、豪快な声が響いていた。
「ぬおおおおお!」
 気合が込められた猛々しい声の合間に、楽しげな笑い声も響いていた。
 声の発現元をたどってみれば、そこは庭園の中心部、青い芝生が敷き詰められた広場にたどり着く。
 雄叫びの主は、熊と間違えられそうなほどに大柄な男だ。さっぱりと刈り込まれた褐色の髪と、同色の無精ひげが一見無法者を思わせてくれる。
 しかし、その身にまとう【深紅(あか)】を見れば、彼とて庭園の守護者なのだと知れる。
 大柄な男は、濃茶の瞳を輝かせながら“芝刈り”に勤しんでいた。特製の機械を引いては押し、引いては押し……を繰り返すたび、針のような青い芝が豪快にはじけ散る。
「うおおおおお!」
 そうして合間に気合を入れ直し、彼はとにかく豪快に芝を刈っていた。
 
 そんな熊男の姿を、少し離れた場所から眺める一団があった。
 真っ白なテーブルセットに並んだ屋敷の面々は、卓上に広げられた茶やら菓子やらを堪能しつつ、芝刈りの様子を笑いながら見ていた。
「あらあら、そんなに張り切ったらすぐに疲れてしまうわよ、クラウ」
 おっとりにっこり微笑みながら、アンヌが助言するも。
「何言ってんだ! この俺が芝刈りくらいでぶっ倒れるわけがねえだろう!」
 クラウと呼ばれた熊男は、振り返って豪快かつ非常に輝かしい笑顔を向けてきた。
「……クラウ様、今日は一段と張り切ってらっしゃいますね」
 口に含んだ茶が喉を過ぎると、視線を上げてイーナが冷静な声を出す。
「きっと、ティティ様がいるからですよ!」
「そ、そうなんですか?」
 隣に座るローズマリーに満面の笑みを向けられ、ネフェルティティはほんのり困惑した。
「クラウ様は芝刈りがご趣味で、よくこの庭園で勤しんでらっしゃるんですけど、あんなに楽しげにしているのははっきり言って初めてです。きっと、ティティ様に会えて嬉しいんですよ」
「クラウには娘さんがいるのよ。ティティ様より二つ三つ、年下だったかしら。奥様はとても穏やかな方でね、クラウには勿体ないほどの美人さんなのよ」
 ローズマリーに続いてアンヌがおっとりと教えてくれた。アンヌのように美しい人から“美人さん”と言われるとは、一体どんな方なのだろうか。
 薔薇色の瞳が、とても楽しげに芝刈りをする大きな背中を見つめた。物心ついた時から孤児院で暮らしていたネフェルティティは、父母の顔を知らない。“お父さん”という人は、皆あんなにもたくましい存在なのかな、と考えていると。
「少し休憩だ!」
 豪快な声を共に、空いた椅子にどっかりとクラウが座った。その隣に静かに佇むアスターとは対照的だ。
 イーナがすかさず茶を差し出すと、クラウは豪快に飲み干した。ちょうど良く冷まされていたから良いものの、熱かったら大変だろう。
 ネフェルティティはその笑顔にちょっと見とれていた。見とれていたといっても、アスターに対する気恥ずかしい感情とは違うのだが。
 なんと言うか、クラウは全身からとても不思議な雰囲気を漂わせているのだ。アスターやアンヌは、もちろん姿も美しいが、異世界の住人のような気品さえも漂わせている。それは、“騎士”と呼ばれるがゆえのことなのかと思っていたが、クラウはもっと身近な存在に感じられるのだ。
「ん? オレの顔になんか付いてるかい?」
「い、いえっ、す、すみません……」
 視線に気付いたクラウに問われ、ネフェルティティは顔を真っ赤にしてうつむいた。自分でも気付かぬうちにじっと見ていたらしい。
「ははは。今度の王様はえらい可愛いな。何か気になる事があるんなら、遠慮なく言いな。何たってお嬢さんは王様なんだからよ」
「そうですよ! ティティ様は私たちの主なんですから、気にせず言ってください!」
 クラウの言葉にローズマリーが激しく同意していた。表情は穏やかながらも、アンヌやイーナも同様に考えたようであるのは一目瞭然だ。ただし、アスターだけは全く意思が汲み取れない無表情だったが。
 皆があまりにも身を乗り出してきたため、何か言わなくてはいけない雰囲気になってしまい、ネフェルティティはためらいがちに口を開いた。
「え、えと、その……同じ騎士でも、クラウ様はお二人とは少し雰囲気が違う方だなと、思ったのです」
 やっぱり失礼だっただろうか。薔薇色の瞳が恐る恐る見上げた途端。
 がはは、と豪快な笑いが庭園に響き渡った。
「なんだ。そんな事、気にせず聞けば良かったのに。なあ!」
 と、クラウは隣のアスターに同意を求めていたが、彼は相変わらず無表情である。
「俺は、こいつやアンヌと違って、平民の出だからな。きっとお上品さに欠けるんだろう」
「え?」
 意味がわからずにネフェルティティは首を傾げた。
「アンヌとアスター、それからあとの二人は、正真正銘爵位ある家の出だ。【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】って呼び名は、この深紅(あか)の衣と、こいつらの爵位から来ているんだよ」
 誰も教えてくれなかったから当然だが、今初めて知った。だから、クラウの名前はアンヌやアスターと違って短いのだ。
 ネフェルティティは申し訳ない気持ちになった。本人はそう感じていないような口ぶりだが、出身を尋ねられることは、騎士という身分の人に対して失礼なことだったのかも知れない。
 それが表情に出てしまっていたのか。かえって周囲に気を使わせてしまったらしく。
「でも、私たちにとって身分など意味のないものなのよ。【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】に必要なのは、信頼が置ける精神の持ち主。だから、クラウは必要な存在で、大切な仲間よ」
 と、アンヌが言えば。
「そうですよ。クラウ様ほど豪快で、芝刈りが上手な方は他にはいらっしゃいませんし」
 と、イーナが続ける。
「お嬢さんは可愛いですし、奥様はお美しいですし」
 と、フォローになっているのかいないのか、わからない事をローズマリーが付け加え。 
「それによ、お嬢さんだって一般市民だろ?」
 当の本人であるクラウが、お茶目に片目をつぶっていた。
 階級など関係がない。人にはそれぞれ存在する意味と、役目があるのだ。
「……そうですね!」
 ぱっと花のような笑みを浮かべた小さな女王に、騎士達(アスター除く)は一斉に笑い出した。

 休憩を終えたクラウは、今度は雑草取りに勤しんでいたが、もう少し話をしてみたいと思い、ネフェルティティは思い切って手伝いに乗り出した。服が汚れますよ、とローズマリーに止められたが、どうしてもと懇願すると、アンヌに「いってらっしゃい」と背を押された。
 そういうわけで、今はクラウと二人、大きさの異なる背中を並べて草むしりに勤しんでいるわけだ。
「なかなか上手いな」
「孤児院にいるときに、よくやっていましたから」
「そうか」
 深く追求するわけでもなく、クラウは笑顔を返してくる。こういうところが、なんと言うか親近感が湧くのだ。この空気は、一般市民ならではのものだろう。
「今度、奥さまとお嬢さんに会わせてくださいね」
「おうよ。あまりの可愛さにひっくり返るなよ!」
「はい」
 その日がとても楽しみだ。
 ネフェルティティはその後もクラウと二人、日が暮れるまで仲良く草むしりに励んだのだった。


 その背後では――
「アスター様に続き、またもやライバル出現だわ……」
 すっかりネフェルティティを奪われてしまい、ローズマリーはテーブルに突っ伏して嘆いていた。
「うふふ、あれは完全にお父さんと娘の図よね」
 父親には敵わないわよね? と微笑ましい様子に、アンヌが表情を綻ばせるも、ローズマリーは依然暗い表情のままだ。
「このうえルイ様が現れたら……私はもう完敗だわ。あの方にだけは勝てる気がしないもの」
「……そもそも、あなたは何に対して闘争心を燃やしているのよ?」
 双子の片割れの意気消沈振りを溜め息混じりに見つめ、イーナはがっくりと肩を落とした。



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