いつもは穏やかで和やかな雰囲気が漂う薔薇の庭園に、張り詰めた緊張が走っていた。
 綺麗に刈り込まれた芝生の広場にずらりと顔を揃えたのは、深紅の衣を身にまとった【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】たち。アスター、アンヌ、クラウ、ルイ――円を描くように並んだ面々は、各々手に剣を握っている。その色彩の異なる瞳は円の中心に立つ人物に集中し、一同真剣な表情である。
 中心に立つ人もまた、深紅の衣を着ていた。武器は所持していない。さっぱりと短い赤い髪とその長身で遠目には男性と違われるかも知れないが、すらりとしなやかな身体つきと強さの中に見える柔らかい表情が女性である事を明らかに物語る。そして珍しい褐色の肌は、異民族の血を引く証だ。
 ざわざわと風の音に合わせて薔薇たちが騒ぎ出す。恐怖や歓喜とは違う、期待感に溢れた音色だ。
 ふっと風が止んだと同時。素早い身のこなしでルイが切り込んだ。大気を貫いて突き出された剣は彼女の首元を狙ったが、皮一枚という距離でかわされた。
 次いで動いたアンヌが女性らしくしなやかな、洗練された剣さばきを披露する。緩やかに風を断つように、けれども確実に急所を狙った鋭利な剣先が迫るが、今度は軽やかなステップを踏んでかわす。
 深紅のマントを翻しアスターが隼の勢いで剣を薙げば、くるりと宙に身を躍らせ。着地と同時にクラウの力強い一撃が真上から落ちると、更に高く跳躍し、クラウの肩に手をついて彼の背後を取った。
 時間にして、ほんの束の間のこと。赤い髪の騎士は、四人の攻撃を華麗な身のこなしで全て回避した。

「すごい……」
 その姿を息を呑んで見守っていたネフェルティティは、薔薇色の瞳を大きく見開いて感嘆の息を吐いた。
 イーナとローズマリーに連れられて庭園に出てみると、薔薇達がざわめいているのが聞こえた。何事かと思って足を向けてみれば、そこには深紅の衣を身にまとった騎士達が勢ぞろいしていたのだ。
 最初は踊っているのだと思った。けれど騎士達の真剣な表情と一瞬の隙をも見せぬ厳しい雰囲気で、それが訓練なのだと理解した。
「ティティ!」
 名を呼ばれてはっと我に帰ると、満面の笑みを浮かべたルイがすっ飛んで来るのが見えた。
「ねえねえ、僕の勇姿みてた? 格好よかった?」
「う、うん……」
 腕にしがみ付き、ルイは青い瞳を輝かせて褒めてもらおうとしてねだる。確かにルイも子供とは思えないほど素晴らしい動きを見せていたが……ネフェルティティの視線は赤髪の女性にくぎ付けだった。太陽のように輝かしい黄金色の瞳と視線が合うと、女性は一歩進み出て膝を折り、その場に跪いた。
「お初にお目にかかります。我が名はスブニール。スブニール・ド・セントアンズと申します。彼らと同じ【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】の一人です。以後お見知り置きを」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いしますっ」
 男っぽい口調で挨拶をされて少し戸惑ったが、ネフェルティティは慌てて頭を下げた。すると、スブニールは一瞬驚いたような顔をし、そしてすぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「可愛らしい主様だね」
 優しさと強さを秘めた黄金色の瞳が細くなった。
 アンヌを聖女とたとえるならば、スブニールは戦いの女神だろう。高めの身長はアスターやクラウと並んでも見劣りすることはないものの、女性らしさは健在だ。珍しい褐色の肌に燃えるように赤い髪が良く映えて……アンヌとは違った美しさ、そして垣間見える強さに、ネフェルティティはすっかり見惚れていた。
「スブニール様は、踊りの名手でもあるのですよ」
 そうイーナが教えてくれると、ネフェルティティは深く頷いて納得していた。先ほど見たものは、剣を交わしているというよりも、まさに踊っていると言って間違いではない動きだったのだ。
「私の母方の一族は異民族でね。舞踊は神への祈りと考えているんだ。女も男も、幼い頃から様々な踊りを覚えさせられるんだよ」
 祈りの言葉の代わりに、踊りを捧げるのだと。母より教え込まれた神を讃える踊りは、こういう所でも存分に生かされているのだ。
「そうなんですか。とても素敵でした」
「ありがとう、嬉しいよ」
 爽やかに笑ったスブニールに、ネフェルティティは尊敬と憧れの眼差しを向けていた。女性ではあるが、とても格好いい人だと素直に思った。

 さて、それが面白くない人物が約二名。
「僕の方が全然格好いいよ!」
「ああ……ティティ様の心がまた私から離れてゆく……」
 ネフェルティティにしがみ付いたまま頬を膨らませているのはルイ、そして背後でがっくりと項垂れているのはローズマリーである。



 そうこうしているうちに日はすっかり沈み、夜がやって来た。
 初めはたったの三人だった屋敷にも、少しずつ人が増え、今は大勢でとても賑やかだ。
 【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】たちがこうして顔を揃えるのは、実は久方ぶりなのだという。そのせいか積もる話もあるのだろう、そこかしこから様々な声が聞こえてくる。
 そんな中、ネフェルティティはキッチンに立つスブニールの姿を見つけ、薔薇色の瞳を瞬かせた。近付いて彼女の手元を見てみれば、イーナやローズマリーのようにとても手際よくお料理を進めているではないか。
「スブニール様は普段は男らしい方なんですけど、ものすごくお料理上手なんですよ。ほら、ティティ様が大好きなスープ、あれはスブニール様に教えて頂いたんです」
「えっ、そうなんですか!」
 ここで初めて知った事実に、ネフェルティティは思い切り驚いた。
「男らしいだなんて、失礼よローズマリー」
 妹の失言をたしなめるようにイーナが言葉を挟むも、当のスブニールはカラカラと笑っているだけだった。
「はは。言う通り、私は料理するようには見えないからな。でもまあ、アンヌよりは確実に腕は上だと自負しているよ」
「た、たしかに……」
「あれはある意味恐るべき腕前よね……」
 スブニールの発言に、ローズマリーだけでなく珍しくイーナも同意し、一体何を思い出したのか若干青ざめていた。
「そんなにすごいお料理なら、一度食べてみたいですね」
 アンヌの料理がとても珍しいもの、もしくは盛大なものなのだと勘違いしたネフェルティティが言えば。
「それだけは絶対におやめ下さい!」
「料理ならいつでも私達がしますから!」
 大いに慌てた双子に強く阻止され、さらにスブニールには大いに笑われ、ネフェルティティはひとり困惑したのだった。


 今夜の夕食は、スブニールがいるおかげか一際豪華だ。大好きなスープも並んでいる上に、初めて見る料理もある。何だかちょっとしたパーティみたいで楽しい。
 わいわいと賑やかに語らう声が響く。勢揃いした騎士達はまさに圧巻の一言で、かなり見た目的にも豪華な面々である。年齢も様々、性別も違う騎士達を見て、不意にネフェルティティは俯いた。
「どうかされましたか?」
 イーナが優しく声をかけてくれると、その“思い”はますます募った。
「あの、わたしは皆さんに護っていただくような人間なのでしょうか」
 何でも出来て、綺麗で、そして誰より強い【薔薇の騎士(クリムゾン・デューク)】。そんな夢のような人たちに護ってもらう理由も、こうして世話をしてもらう理由もないはずなのに。
 そんな風に思い悩むネフェルティティに、誰より先に声をかけたのはものすごく意外な人物だった。
「……その薔薇色の瞳は、誰もが持っている物ではない。その色が深ければ深いほど、この庭園の薔薇は見事に咲き誇る。そしてその色と、この地を護るのが我々の使命だ」
 ネフェルティティと視線を合わせるように跪いたアスターが静かに言った。相変わらず素っ気なく冷たい声色だが、そこには確かな気遣いが感じ取れた。
 だから、気に病む事は何もないのだと。アスターは言ってくれているのだ。普段あまり喋らない彼だからこそ、その言葉には重みが感じられた。
 アスターだけではない。アンヌ、クラウ、ルイ、スブニール、そしてイーナとローズマリーも同じように思ってくれている。その気持ちは皆の優しい眼差しからひしひしと感じられた。
「はい……!」
 満面の笑みで頷くと、皆も笑顔で答えてくれた……アスターは別だが。


 その後の夕食はいつになく長い時間続いた。
 そんな中、語らい合っていた女性陣の輪でローズマリーがぽろりと零す。
「それにしても。アスター様があんなに喋るところ、初めて見ましたよ」
 そういえば……と誰もが頷いたのは言うまでもない。
 そして、もしや……と誰もがネフェルティティに視線を向けたのも、言うまでもない。
「え、え?」
「いえ、いいんですいいんです。ティティ様は何も考えなくていいんですよ」
「そうだね、その可愛さは罪作りになるよ、将来的に」
 ローズマリーの言葉に、なぜかスブニールが同意していた。
「どちらになびくか、賭けましょうか?」
 聖女の笑顔でアンヌが思いもよらぬ提案をすれば。
「アンヌ様、なんてことを……」
 真面目なイーナが額に手を添えて溜め息を吐いた。
「えっ、え?」
 最後の最後まで、ネフェルティティには何の事やら理解できなかったが。

 これからも楽しい日々が続くだろうというのは、しっかり予感できていた。



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