逢瀬




 太陽もなく雲もない白の空は、それでも眩しいほどに明るかった。柔らかな風が草花を揺らし、ほのかに甘い香りを運んでくる。
 周囲を見回せば、白い空を埋め尽くすようにして森の木々が緑の手を広げている。森の中は静かで、小鳥のさえずり以外に音はなく、何の気配も感じない。
 森には一際大きな木がそびえていた。ちらつく木漏れ日の中で目を凝らしてみれば、その木の枝に人影が見つかる。太い幹に背もたれて座っているのは、髪から爪先まで黒で覆った少年。彼は瞳を閉じ、苛立たしげに誰かを待っていた。

「待った?」
 程なくして聞こえたのは少女の声。彼女は少年が座る枝の先に音もなく現れ、微笑んでいる。その背に生えた翼が羽ばたかれるたびに、一枚二枚と真っ白な羽根が落ちてゆく。そして澄んだ青の瞳は楽しげに輝いていた。
 少年は閉じていた瞼をゆっくりと上げた。真紅の瞳は、目の前で悪ぶれもなく微笑む美しい少女を映し出した。
「遅えんだよ」
 軽く舌打ちを混ぜて少年が吐き捨てる。
 少女は金の髪をかき上げて、それでも笑っていた。
「怪我したの?」
 少女が指し示したのは少年の右目を覆う白い包帯だった。口調にも瞳にも彼を案ずる感情がなく、興味心だけが表れていた。
 痛みに表情を歪めつつも、少年はばつが悪そうにそっぽを向いた。
 少女がくすりと笑う。
「悪魔って不便ね。私たちなら、傷跡だって残らないのに」
 天使が生まれながらにして持つ治癒の力は、他者だけでなくその身に受けた傷も瞬時に癒すことができる。少女は青い瞳を輝かせ、偉大なる力を誇らしげに語ってみせた。

 眩い金の髪と青い瞳は天使の証。漆黒の髪と真紅の瞳は悪魔の証。
 二人は敵対する種族。繰り返される一時の逢瀬は背約の証。

「癒してあげる」
 少女の両手が少年の頬に添えられ、可憐な唇が白い包帯にそっと口づけた。
 細い肩を眩い金の髪がさらりと流れ、風が運んできたものと同じ甘さが鼻腔をくすぐる。その香に吸い寄せられるように、少年はあらわになった白い首筋に唇を触れようとした。
 刹那、それまで静かだった森がざわめく。息を潜めていた鳥達が一斉に飛び立ち、風が吹き荒れた。
「……来やがった」
 言葉と同時、少年が少女の身体を押し除ける。口付けを止めた少女は、つまらなそうに口をとがらせた。
「なんで、いつも邪魔するかなあ」
「仕方ねえだろ」
 この森はハンター達に狙われている。彼らは反逆者を捕らえて己の利益にしているのだ。天使と悪魔の密会が見つかれば……双方間違いなく殺されるだろう。

 白い翼をいっぱいに広げ、ゆっくりと羽ばたきながら少女は宙に浮かんだ。
「じゃ、またね」
 片目をつぶって合図を送り、吹き荒んだ風に乗って愛らしい天使は姿を消した。
 ついさきほどまで愛しい者がいた虚空を見つめ、少年は溜め息をつく。右目の痛みは幻だったかのように消えていた。




 END






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