願い花の咲く木の下で 【前編】





――【下】の世界には、不思議な花が咲くの。その花は七色に輝いていて、願い事をすると必ず叶うのよ。もしもあなたが【下】の世界に行く事があったなら、まず大きな山を探しなさい。そして頂上から見える大きな木を目指しなさい。近づいて行くと泉があってね、その泉を越えるとようやく木にたどり着けるの。見上げられるくらい木に近づいたら、今度は足元を見て。ほら、きっと見つかるわ。七色に輝く“願い花”が。


 この話を聞いたのはいつだったか、一体誰から聞いたのか、覚えていない。それでもカレンはずっとずっと夢見ていた。いつか【下】の世界へ行って、願い花を見てみたいと。それがどんな花か、いつもいつも想像して楽しんでいた。
 世界は【上】と【下】に分かれている。生まれて十四年間ずっと【上】で暮らして来たから、【下】がどんな所かカレンにはわからない。大人もあまり話してくれない。子供のみならず、大人にとっても別世界は未知だったからだ。なぜ【下】について大人が話してくれないのかなんて考えた事もなかった。勿論【上】の人間が【下】へ行く事など許されない。しかしカレンがその事実を知るはずはなく、いつ【下】へ行けるのか、毎日両親に問い質していたほどだ。
 ねえ、母様。私、下の世界へ行ってみたいの。いつ行けるかしら? そう問うたびに、母は顔をしかめた。父は無言で首を横に振った。まるで忌み嫌うものの名を聞いたかのように。そして決まってこう言う。そんな事が出来る訳ない、夢を見るのも大概にしなさい、と。 なぜ行く事が出来ないのか、世の中の仕組みを理解していないカレンにはわからなかった。だから、出来ないと言われた時は本当に悲しかった。
 けれど願いは常に心を満たしていた。その衝動を止めることは、誰にも出来なかった。そしてある日、カレンは【下】の世界を目指し、たった一人で家を飛び出したのだ。



◇    ◇    ◇



 【上】と【下】は一本の細い道で繋がっている。しかしそれは人が行き来するものではなく、【上】が不必要とするモノ、つまりはゴミを捨てるための道だ。【上】から降ってきたモノは【下】に山となってたまり、今ではガラクタ山と呼ばれている。
 そのガラクタ山のふもとで、少年が座っていた。鳶色の短い髪は、生まれつきのクセなのか天を目指して逆立っている。髪と同じ鳶色の瞳は掌に釘付けだ。少年は掌に広げた小銭を必死に数えていたが、納得がいかない金額だったのか、眉をひそめて舌打ちした。
「くそー! あれはやっとの思いで見つけたものだったのに! たったこれっぽっちじゃ腹も膨れねーよ!」
 不貞腐れて寝そべり、少年――ヒソクは空を仰いだ。空と言っても、広がっているのは鉄板の屋根。【上】との境界である屋根は高く、どんな手を使ってもあそこまで行く事はできない。
 【上】がそうであるように、【下】の人間にとっても【上】の世界は未知だった。双方が見えることは決してなく、どんな人間が、どのような生活をしているのか想像すらできない。このガラクタ山に溜まっていくゴミだけが、貴重な情報源になっているような、いないような。
 しかし【上】の人間にとってはゴミでも、ヒソクにはこの積み上げられたガラクタも大切な収入源だった。ここから適当なものを見つけ出しては街で売るのが彼の仕事。十の時から六年間続けていて、街ではちょっとした顔になるほどになった。ゴミはただの箱だったり、棚のようなものだったり。綺麗で新しい物ほど売れ行きもよく、またどんな風に利用されていたのかわからない物でも、【下】の人間たちは何かしらに有効利用している。こんなに簡単に物を捨てるなんて、【上】の人間は何と贅沢なのか、と思いながら。
「ああ……腹減ったな」
 言ったと同時、腹の虫が豪快な鳴き声を上げた。すでに時刻は昼過ぎだが、朝から何も食べていない。何か買おうにも金が足りない。仕方ない、午後もガラクタ漁りに勤しむか……そう思った矢先、ゴミの通路がガタガタと鳴き出した。【上】から新たなゴミが降って来たのだ。
 ヒソクは起き上がり、張り切って腕を回した。今度は何が落ちてきたのか。それがどれだけの金に換わるのか、想像するだけでわくわくしてくる。腹が減っている事なんて、すでに忘却の彼方だ。鳶色の瞳を輝かせ、ガラクタの山をひょいと軽い足取りで飛び移り、ふもとから一気に頂上まで登り詰めてゆく。慣れているのか見事な身のこなしである。
 ゴミの排出口は大きくて、両手を広げてもそれ以上だ。その排出口が砂埃を上げている。どうやらすでにゴミが吐き出された様子。ヒソクは意気揚々と覗き込んだが、すぐさま驚きの表情を浮かべ、硬直した。

 ガラクタの中に、人が倒れていた。

 どうしてこんな所に人が……ヒソクは大いに混乱した。意味もなく頭上の大穴を見上げてみる。この道を通って落ちて来たのだろうか。ということは、【上】の人間に違いない。生きているのか死んでいるのか、俯せで倒れているのでわからないが、服装からして多分女の子だろう。見た事もないような白い色は、そこだけ別世界のようだ。丹念に洗濯した所で、これだけ白くなるとも思えないような白っぷりだ。
「ど、どうするんだよ、コレ」
 死体だとしても、ここに放置するわけにはいかない。邪魔だし、腐ったらそれこそ処置に困ってしまう。とりあえず別の場所へ運ばなければ。ヒソクは手を伸ばし、恐る恐る突いてみた。
「う……」
 予想外の反応に、ヒソクは二三歩後退る。どうやら生きているらしい。死体でなくて良かったが、よくあの穴から落ちて生きていたもんだ。
「おい、大丈夫か?」
 声をかけると、白い少女はぴくりと身を震わせ、そしてゆっくりと身体を起こした。
 第一印象は「白い」だった。傷一つない肌も、短く切り揃えた髪も、【下】では有り得ないほど白い。足元まで裾が延びたひと繋ぎの服には、汚れも染みも見当たらない。それが眩しくて、まさに別世界の人間なんだと感じさせてくれた。【下】でこんな小綺麗な服を着ている奴なんて見た事ない。
 白い少女は、軽く頭を振ってから瞬いた。そして薄い灰色の瞳がヒソクに向けられた。
「こんにちは」
 第一声はこれだった。しかも、にっこり笑って言われた日には、はっきり言って反応に困った。ついさっき、この少女は【上】から落ちてきたのだ。無傷なのが奇跡なくらいだが、いきなり挨拶された所で、何と答えていいのか。そして少女の透明な声色に戸惑った。しかし、そんなヒソクにはお構いなしで、少女は楽しげにあたりを見回し始めた。
「ねえ、ここ【下】の世界でしょう?」
「え、あ、ああ。そうだけど……」
 少女は立ち上がり、薄灰の瞳を輝かせ、ガラクタ山の頂上から周囲の風景を眺望している。そして何かを見つけて、あっと声を上げた。
「ねえ、私“願い花”を探しているの。きっとあの木の下にあるんだわ。あなた、見た事ある?」
「はあ?」
 挨拶もそこそこに、いきなり何を言い出すのか。
「そんなの知るか。っていうか、お前誰だよ?」
「私、カレンっていうの。そう、見た事ないのね……じゃあ、ひとりで探してみる」
 と言って、カレンと名乗った少女はガラクタ山を下ろうとしていた。話の展開についてゆけず呆然としていたヒソクだが、ある事実にはたと気付いて大慌てでカレンを引き止めた。
「おい、ちょっと待てよ! お前裸足じゃねえか!」
 裸足でこのガラクタ山を歩こうなんて、馬鹿も休み休み言えと言ってやりたい。ここには何があるかわからない。危険な物だって落ちている時がある。それを承知だからこそ、ヒソクはいつも底の厚いブーツを履いているのだ。
「お前、なんで裸足なんだよ。靴くらい履けよな」
「? “はだし”ってなあに?」
 言葉の意味がわからないとばかりに、カレンは小首を傾げて不思議そうにヒソクを見つめていた。一瞬言葉を失う。こいつ本気かよ、と。
「本気で言ってるのか? それとも俺が馬鹿だと思ってからかってるのか?」
 わざとなのか知らないが、その無知っぷりが癪に障った。ヒソクが眉をひそめて睨むと、カレンは少し怯えた様子を見せた。
「ご、ごめんなさい……知らない言葉なの」
 申し訳なさそうに俯いて詫びる姿に、ちょっとだけ罪悪感が生まれる。まさか本当に裸足の意味を知らないのだろうか。
「裸足っていうのは、こう靴を履いていない事を言うんだよ」
 ヒソクはその場でブーツを脱ぎ、靴下を脱いで裸足になってみせた。そして脱ぎたてのブーツを持ち上げ、言葉を続ける。
「靴はわかるんだろ? こーいうやつ」
 けれどカレンは知らないと言って首を振った。
「そういうの、見た事ないよ」
 相当な衝撃を受けた。一体、どんな所でどんな生活を送ってきたのか、この子は。
「な、なあ。お前【上】から来たんだろ? それは間違いないよな?」
「うん」
「靴も履かないで裸足の生活って……どんな所に住んでたんだよ」
「白いお家よ。そういうの……えっと“靴”? はいてる人なんていないもの」
「じゃあ、みんなして裸足かよ【上】の奴らは。何でだ?」
「何でって聞かれても……履く理由がないからじゃないかな」
「理由がない……。裸足で生きてて足の裏怪我したことないのか?」
「ないよ」
 最後の否定句があまりにきっぱりしていて、妙に頭に響き渡った。一体【上】とはどんな所なんだろうか。その後のカレンの話によると、家の中だけでなく、外でも裸足だったという。よほど掃除好きのやつが住んでいるか、それとも元々ゴミや汚れ、そういった無駄な物が存在しない潔癖な世界なのか。色々な憶測をしてみるものの、もはやヒソクの想像域を超えていて考えるだけ無駄だった。
「とにかくだな、ここはお前が住んでいた白いお家とは違う。靴も履かずに一歩踏み出せば、そんな小枝みたいな白い足、すぐに真っ黒になって、下手すりゃすぐに真っ赤だ。だいいち何を探してるか知らないが、裸足も靴も理解できないようなら、さっさと帰った方がいいと思うぜ。【下】はお前が考えてるようなお綺麗な世界じゃない」
 その“願い花”とやらをひとりで探す気らしいが、万人が理解できる当たり前で簡単な言葉すらわからないようで、どうやって探すというのか。【上】に住んでいる奴等がどんな風で、どんな暮らしぶりをしているかなんてこの際どうでもいいが、とにかく“無知”である事は確かだ。ヒソクは思わず刺々しい態度を取ってしまった。只でさえこんなにゴミを捨てるくせに、自分達はそんなにお綺麗な世界に住んでいるなんて、腹立たしかった。こっちは必死で金を稼がなければ生きて行けないというのに。
 ちらと見遣ると、カレンは俯いていた。少し言い過ぎたか……と内心で反省し、人差し指で頬を掻く。
「とにかく、帰れよ」
「でも……」
「なんだよ」
「帰り方がわからないもの」
 言われて初めてあっと気付いた。


 結局、ヒソクはカレンを住処へ連れ帰った。怪我をするといけないので、背負ってガラクタ山を下りた。まるで空気を背負っているかのようにカレンは軽かった。それがまだ救いだった。関わり合いになるのには正直気が進まなかったが、知らんぷりしているのも気持ちが悪いため、この際仕方無い。
 ヒソクの住処はガラクタ山から少し離れた所にある。その辺一帯には廃工場が連なっていて、今は使われていない小さな資材置き場がヒソクの城だ。一歩踏み入れば、肌寒い空気が頬を掠める。四角形の殺風景な一室には、所々に鉄骨やらら鉄パイプやらが転がっている。
 くつろぎの我が家に戻ったヒソクは、とりあえずカレンをベッドの上に座らせた。裸足なので床に座らせるわけにもいかない。袖のない服では寒いだろうと思い、いつもかぶっている毛布を手渡そうとしたが、何だか気が引けたので代わりに着ていたジャケットを脱いでかけてやった。全く、何をかいがいしく世話を焼いているんだ俺は、などと思いながら。
「悪いけど、食い物ならないぞ」
「お腹すいてないよ、私」
 カレンがにっこり笑顔を返した。屈託のない笑みにつられたのか、ヒソクの腹の虫が虚しく鳴き声を上げる。そういえば朝から何も食べていない、と思い出す。拾ったのがヘンテコな娘でなく、金だったら良かったのに。
 鳶色の瞳がちらと少女を見遣る。何とまあ場違いなこと。薄汚れた資材置き場に現れた、さしずめ白い天使さまか。しかし、そんな天使さまを拾った所で腹は膨れない。さてどうしたものか。
「ねえ、本当に“願い花”を知らないの?」
「知らねえよ。っていうか、なんだソレ?」
「あのね、私聞いたことがあるの」

 ――【下】の世界には、不思議な花が咲くの。その花は七色に輝いていて、願い事をすると必ず叶うのよ。もしもあなたが【下】の世界に行く事があったなら、まず大きな山を探しなさい。そして頂上から見える大きな木を目指しなさい。近づいて行くと泉があってね、その泉を越えるとようやく木にたどり着けるの。見上げられるくらい木に近づいたら、今度は足元を見て。ほら、きっと見つかるわ。七色に輝く“願い花”が。

 カレンは、かつて耳にした話を語って聞かせた。
「さっきのお山の上から木が見えたわ! きっと、それが願い花のある場所なのよ!」
「お山? ガラクタ山のことか?」
 うん、とカレンは頷いた。しかしヒソクの表情は渋い。そんな花の話は十六年生きてきて今日初めて聞いた。それに毎日ガラクタ山に登っているが、木なんか見えただろうか。



「な、何てことだ……! あるじゃねえか!」
 翌朝、ヒソクはガラクタ山に登って頭を抱えた。西の方角に、ちょこっとだが木の天辺が見えるではないか。どうして今まで気付かなかったのか。しかしガラクタ山に登っている間はゴミ漁りに夢中になっているため、気付かなかったのも当然だ。
「ね、あったでしょ!」
 ガラクタ山の下方から、ゴミの箱に座ったカレンが声を上げた。薄灰の瞳は期待感で輝いている。何となく負けた感じがするのは気のせいか。ヒソクは軽快な足取りでゴミからゴミへと飛び移り、ガラクタ山を下ってカレンの目の前に降り立った。
「でも、あそこにその花があるかどうか、わかんねえよ」
「きっとあるわ! 行ってみましょうよ!」
「って、ちょっと待て! 俺も行くのか?!」
「だって、一人で歩き回るのは危ないって言ったの、あなたでしょ?」
「うっ……」
 完全に墓穴を掘った。確かにそう言ったのは自分だ。その上、裸足で歩き回るなとも言った。そうして結局、ヒソクはカレンと共に“願い花”を探すはめになってしまったのだった。


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