お城の裏庭はスリリング





 うららかなある春の日の午後。
 フィーリア姫は供も連れず、城の裏庭をひとりで歩いていた。
 姫が一歩進むたび、薄紅のドレスがふわりと広がる。腰まで伸ばした長い金の髪が、さらさらと背中で揺れていた。
 今年ようやく十四を迎えた姫は、ほっそりとした白い指を顎の辺りにそえ、なにか考えこんでいるようにも見える。いつもは無邪気に輝いている鮮やかな緑の瞳に、心なしか翳りが見えた。
 その時だった。茂みから数人の男たちが飛び出してきたのだ。一様に黒い衣服を纏い、顔を覆った正体不明の男たち。彼らは抜き身の剣を手に持っていた。
 驚いたフィーリア姫は大きく瞳を見開き、慌てて身を翻そうとするのだが、男のひとりが素早く動き、姫の手首をつかんでしまう。
「だ、誰かっ!」
 とっさに叫び声を上げる。けれどすぐに体の自由を奪われ、しっかりと口をふさがれてしまった。小柄な姫はすっぽりと男の腕の中に包み込まれてしまう。
「フィーリア姫ですな。どうかお静かに。我々は貴女に危害を加えようというわけではありません」
 押し殺した声が耳元で聞こえた。乱れて顔にかかった金の髪がまつげに触れる。
 激しく瞬きながら、姫は恐怖に身を震わせた。一体誰がこの男たちを差し向けたのだろう。忙しなく両の瞳を動かして、周囲の状況を把握しようとする。
 黒装束の賊は五人。みな気配を押し殺しており、その身のこなしから、かなりの訓練を積んでいるように見受けられた。
「よろしい。そのまま我らと共にいらしていただこう」
 抵抗する素振りを見せない姫を見て、男は安心したのか彼女を拘束していた腕の力を少しだけ緩める。
 その機会をフィーリア姫は見逃さなかった。口をふさぐ手に容赦なく噛みつく。
「……っ!」
 反撃されると思ってもみなかったのか、突然の出来事に驚いた男は腕の力を完全に緩めてしまった。姫はすかさず男の腕をつかみ、片手で捻り上げる。そして男の腰から剣を抜き、その喉元に突き付けた。
「……くっ」
 男は必死にもがくが、何故か姫の手を振り払うことができずにいた。
「まったく臭いったらないわ。あなたお風呂には入っているのかしら? 少しは体臭に気をつけたほうがよくってよ」
 ぎゅっと眉根を寄せ、幼さの残る頬を歪めた。つい先程までと同じ人物とは思えないほど、フィーリア姫の纏う空気が変わった。
 残る四人の賊たちは、さっと剣を構えると、姫と男を取り囲む。
「おまえたちはどこの手の者なの? このわたしを攫おうなんて、百万年早くってよ!」
 殺気立つ賊を前にしているというのに、一向に動じた様子もなく、むしろ楽しんでいるかのようだ。このような事態に慣れているようにも見える。
 姫はぎりぎりと男の腕を締め上げる。刃が食い込み、男の喉元から血が滴り落ちた。
「な……一体どういうことだ」
 男がうろたえて呟いた。
 十四になったばかりのか弱い姫だとでも聞かされていたのだろう。ひとりの所を狙えば、事は簡単に運ぶと甘く考えていたのかも知れない。
「それをおまえが知る必要はなくってよ。おまえたちが主(あるじ)の名を明かさないのなら……ここで死んでもらうだけ」
「な、なにっ!」
 挑発的ともいえる姫の言葉に、賊たちは馬鹿にされたとでも思ったのか怒声を上げる。それにしてもフィーリア姫は屈強な男を五人も相手にしようというのだろうか。
「生きて帰すとでも思って?」
 不敵に笑うと、戒めていた男の背中を思いっきり蹴り、その背中に剣を走らせた。
「……ぐっ」
 くぐもった悲鳴と共に血が飛ぶ。姫はドレスが血で汚れないよう、後方に飛び退いた。
 仲間が無残にも斬り捨てられたのを見て、賊たちはいっせいに姫に襲いかかった。その当初の目的――姫を攫う――はすっかり頭から消えてしまっているようだ。
「はあーっ」
 次々に襲ってくる刃を軽々とかわし、姫は賊をひとりずつ確実に倒していった。そしてものの数分で決着はついたのだった。
 地面に倒れ伏し絶命した賊を見下ろし、フィーリア姫は手にした剣を投げ捨てた。むせかえるような血の匂いに眉をしかめる。
「姫さまっ! フィーリアさまーっ」
 聞き慣れた声に、姫は城の方を見た。
 慌てた様子で走ってくるのは、短く刈り込んだ栗色の髪をしたまだ若い男だった。手には剣を持ち、必死の形相なのが遠目からでもはっきりとわかる。
「姫さま……あれほどひとり歩きは……いけません……と……申し上げているではありませんか。それなのにまたこのような……」
 若い男は息を切らせながらも、くどくどと何事か言い募っている。賊に襲われたフィーリア姫のことは、微塵も心配していないようだ。
「セーリウス。後は頼んだわ」
 姫はそう言うと、急に怯えたような表情を作る。そしてセーリウスの腕にしがみつくと、その背中に隠れてしまった。
「まったく仕方がありませんね」
 剣を鞘に戻すと、姫の名を呼ぶ大勢の声が聞こえてきた。
「姫さまー」
「フィーリアさまっ!」
 見ればみな剣を手にし、フィーリアとセーリウスがいる方へと走ってくる。
「案ずる事はない! 姫さまはご無事だ!」
 セーリウスは声を張り上げ、背中に隠れてしまったフィーリアの手を取ると、そっとみなの前へと誘(いざな)った。
 駆けつけた者たちは、周囲に立ち込める血の匂いと、事切れた躯(むくろ)を前にして、慌てて辺りを見回した。
「みな落ち着きなさい。セーリウスの働きにより、わたしを狙った賊たちは倒されました」
 震える声でフィーリア姫が言葉を放つと、みなその場に膝をつき頭(こうべ)を垂れた。
「申し訳ありません、姫さま。賊の侵入を許すなどとは、我ら近衛騎士団の落ち度にございます。どうか、我らに処罰を……」
 集まった者たちのひとりが、口惜しさをにじませて申し出た。
「なにを言うのですか、騎士団長。供も連れず、ひとり歩きをしたわたしにも非はあります。それにこうして、セーリウスが助けてくれました。わたしは無事だったのです。それでいいではないですか。さぁ、みな戻りましょう。父上にいらぬ心配をかけたくありません」
 姫は気丈にも騎士たちひとりひとりに微笑みかけた。
「はっ! では我らはこの場の後始末をいたします。姫さまはセーリウス殿と城にお戻りください」
「わかりました。みな、よろしく頼みます」
 セーリウスを従えて、フィーリア姫はゆったりとした足取りで歩き始めた。
「よかったわね、セーリウス。これでまたあなたの評判が上がるわね」
 騎士たちから遠ざかると、姫はくすくすと笑った。
「フィーリアさま、いい加減にしてください。わたしは少しもうれしくありませんよ。それにもし本当に攫われでもしたらどうするのですか」
 本当に困った様子で、セーリウスは先を歩くフィーリア姫の背中を見つめていた。
 姫が攫われそうになるのは、今回が初めてではない。今までも幾度かこんなことはあったのだ。そして武道に長けていると知られていないのをいいことに、姫は自ら賊たちを始末しているのである。そして何故かいつも一番に駆けつけるセーリウスが、姫を助けたことにされてしまっているのだ。そんなこともあり、狙われたか弱い姫を守る騎士、という真実とはかけ離れたイメージが定着しつつあるのだった。
「はいはい。少しは気をつけることにするわ」
 フィーリア姫はひらひらと手を振った。そしてドレスの裾を翻し駆け出した。セーリウスは仕方なくその後に続く。姫が少しはしとやかになってくれることを真剣に祈りつつ。
 しかしこの先その祈りが神に聞き届けられることは……おそらくないだろう。


 END




Secret Garden」のぴよさんから、三周年のお祝いとして頂いてしまいました! フィーリア姫も騎士セーリウスもすごく好みで、ウハウハです(笑)
ぴよさん、有難うございました!