フリュフリュ狩りに連れてって!
フリュフリュとは、魔法生物の一種である。 成体でも両手に乗るくらいの大きさで、全く重量を感じさせないと巷ではもっぱらの噂だ。 全身を覆う純白の毛。艶やかな毛の奥に隠れた円らな黒い瞳。四肢はなく、長い耳を翼のように羽ばたかせ、宙を泳ぐ生き物。――だそうだ。 というのもこのフリュフリュ、滅多に人前に姿を現さないときた。 生息地域が限定されているわけでもなく、町中に突如として姿を現すことだってある。神出鬼没の生き物なのだ。 だかしかし、愛らしい容姿とは裏腹に、異常に警戒心が強く、体内に宿る魔力を発動させ、あっという間に空間を歪めて姿を隠してしまうらしい。攻撃魔法を使えない彼らにとって、それが唯一の防御手段なのだろう。 そのフリュフリュを捕まえろとは、まともな人間から見れば無理難題に違いない。だがアルディー――アルディー=ナシート――は十分可能だと判断したようだった。もちろん、捕まえるのは彼女ではない。彼女のパートナー――下僕ともいう――ならばやってのけるはずだと、決めつけているのである。ちなみにパートナーの意志が尊重された試しは一度としてない。 「やってらんねー」 盛大に肩を落とすのは、アルディーの下僕……いやパートナーであるシュヴァーンだ。 きらきらしい黄金の髪をかきむしり、仏頂面で歩いている。そんな不貞腐れた態度を取っていても、十分に見目麗しい容姿だ。すらりとした長身に、長い手足。はっきりした目鼻立ちをしているが、特に緑色の瞳が印象深い。極上のエメラルドも霞んでしまいそうな、魅惑的な、それでいて清々しさも感じさせる瞳をしている。つまり、やたら滅多にお目にかかれないような美男子だったりするのだ。 「フリュフリュー、フリュフリュ出ておいでー」 可愛らしい声でフリュフリュを呼ぶのはアルディーである。肩先で切り揃えた黒髪を弾ませて、ルンルン、と楽しそうにスキップなどしていたりする。 呼んでのこのこ出てくるようなら、町の市にはフリュフリュが掃いて捨てるほど溢れているだろうがっ。 腹の中で悪態をつくと、シュヴァーンはさらさらの金髪を乱暴な仕草でかき上げる。 フリュフリュ探索に二人が訪れているのは、とある国のとある都市。その外れにある、鬱蒼とした木々の生い茂る森の中だ。ちなみに、正規の手続きなど完全無視の入国なので(つまり不法入国)、国名は明かせなかったりする。当然、入国手段も人様に言えるようなものではない。 その割には堂々と探索中なのだが、そこはそれ、こんな深い森の中、まともな人間が足を踏み入れるはずもない、という先入観が働いているのだろう。 実際、人の気配など全くなく、不気味なほど静まり返っている。というか、こんなに陰気臭い場所にフリュフリュが生息しているのだろうか。伝え聞く外見的特徴には似合わない場所だ。 「本当にこんな場所にいるのかよ」 シュヴァーンがうっかり口を滑らした。 「つい最近の目撃情報はここなの! 何よ、あたしの言うことが信じられないっていうの? てゆーか、そっちこそ何も感じないの?」 はぁー、使えない、などという容赦ない言葉が礫のようだ。 「アルディー!」 使えない、の一言に敏感に反応すると、足を止め振り返る。自分の肩までしかない小柄な少女を威圧するように見下ろし、忌々しげに舌打ちする。 「あんたが言ったのよ。何でもするから助けてくれって」 勝ち気な紺色の瞳が、言ったわよね、と言わんばかりに見上げてくる。そのことを持ち出されると、シュヴァーンは黙るしかない。確かにあの日、あの時、シュヴァーンは口にしたのだ。 『助けてくれ。俺の願いを聞き入れてくれたなら、お前の言うことは何でも聞いてやる』 思えばあれが不運の始まりだった、とシュヴァーンは肩を落とす。 ただの口約束なら、とぼけることもできただろう。だが、あの時は気が動転していたのだ。焦りと恐怖で正常な判断力を欠いていた。でなければ人間の、しかもこんな娘に、一族の名にかけての誓いなどするはずがない。 「わかってるさ」 この魔女が、と心の中で毒づく。 誓ったのは紛れもない事実だ。だからこの、少女のような姿をした魔女――アルディー=ナシート――の願いを叶えねばならない。例えそれがどんなにつまらない事だったとしても。 例えば、さらっさらの金髪でエメラルド色の瞳をした、人間離れした容姿なんて素敵よね、なんて言われれば、それを叶えなければならないし、フリュフリュという人畜無害の愛らしい外見をした、だがしかし非常にやっかいな生き物が欲しいと言われれば、何としても捕獲しなければならないのだ。 「わかってればいいのよ。わかってればね」 にこりと笑うアルディーからは、邪気の欠片も感じられない。大概の人間がこの笑顔に騙されるのだ。そういう自分も不本意ながら、その中の一人だったりするからやり切れない。 「お前の魔法で何とかなるだろうが。悪名高き【紫紺の魔女】」 何も二人で連れ立ってこんな森の中をさまよわなくても、【紫紺の魔女】と称されるアルディーの力をもってすれば、いとも容易く事は運ぶはずだ。 「それ本気で言ってんの? あたしが欲しいのは生きてるフリュフリュ。丸焼きとか氷漬けじゃあないの!」 ぶぅ、とむくれると、アルディーは地団駄を踏む。子供じみた仕草をしているが、実年齢を知っているシュヴァーンとしては、少しも心動かされることはない。いい歳をしてみっともない、と言わんばかりに顔をしかめた。 アルディーの台詞にも一理ある。この魔女が内に秘めた魔力は尋常ではない。何せこの自分が、誇り高き龍族である自分が、助けを請うほどのものなのだ。焼きつくし、凍えさせ、大地を割るには適していても、小動物捕獲には向いていないのだろう。 「魔力の微調整くらい覚えろよ」 「えー、面倒臭いのはヤダ!」 できない、ではなく、面倒臭いと言い返すあたりがアルディーらしい。つまり、やればできるがやりたくないということなのだ。シュヴァーンはひょいと肩をすくめ歩き出す。無駄なやり取りを繰り返すより、さっさとフリュフリュを捕獲して、つまらない仕事は終わりにした方が得策だと思ったからだ。 龍族である自分が人間の魔女に使役され、フリュフリュ探しだなんて、同族には絶対に見られたくない光景だ。 人間は自分達より遥かに短い寿命だと認識していたのが裏目に出た。一般的に人間の寿命は七十年と言われている。それに比べ、龍族の寿命は遥かに長い。個体差は激しいが、平均で五百年くらいは生きる。あの時のアルディーの外見は十七、八だった。だから五十年ほど付き合えば解放されると思ってしまったのだ。だが現実はそう甘くはなく、五十年が過ぎた今もシュヴァーンは彼女との誓約に縛られたままだ。この魔女はひょっとしたら龍族よりも長命かも知れないと、今は本気で思っていたりする。 「で、飼うのか?」 彼女の性格からして、稀少価値のあるフリュフリュを、魔女仲間や客などに見せびらかしたいに違いないと思った。きっと見せびらかすだけ見せびらかし、相手が歯噛みする姿が見たいのだろう。 性格の歪みと魔力は正比例する。それは彼女との暮らしで知り得た事実の一つだ。 「何言ってんの。飼うなんて面倒臭いことするわけないでしょ。それともあんたが世話してくれるっていうの?」 舌打ちしながら苛立った声を上げるアルディーを振り返り、シュヴァーンは驚くほどの早さで首を左右に振る。 「欲しいのはあのふわっふわの毛皮よ。あれを集めて襟巻きにするの! まぁついでに本体から魔力もらっといてもいいけどー」 うっとりと目を細めるアルディーの姿は、全くもってこの場の雰囲気に似つかわしくない。今だって、遠くで獣なのか何なのかわからない、ケケケ、という鳴き声が聞こえているのだ。それはまるでアルディーを嘲笑っているようにも聞こえ、シュヴァーンは気が気ではない。 この見た目は可憐な少女である魔女が、気に入らないという理由で、常識では考えられないような行動に出たのを、幾度となく目にしている。この森だって彼女の力をもってすれば、一瞬で塵と化すだろう。 はぁ、と溜息をこぼすと、シュヴァーンは再びフリュフリュの気配を探して、意識を森の奥に集中する。 襟巻きにされる運命が待つフリュフリュを気の毒だとは思うが、アルディーに目を付けられたからには、その運命から逃れる術はない。 許せ、フリュフリュ。 これから捕獲するであろうフリュフリュに心の中で謝りつつ、シュヴァーンは黙々と足を進めるのだった。 * 更に森の奥深く、二人は何の頓着もせず進んでいた。辺りは薄暗く、かなり太い幹の木々がそびえ立っている。枝葉が絡み合うように天へと伸び、空を覆い隠していた。日が射さないためか空気は湿り気を帯びてひんやりとしている。森の入り口では、足元に小さな花や雑草が生い茂っていたが、太陽の光が届かない森の奥では、シダや苔、奇抜な色の茸などか生えていた。 足を踏み出す度に伝わってくる、じゅくじゅくと湿った土の感触に、シュヴァーンは眉をしかめる。鬱陶しいことこの上ない。ただでさえ気分が乗らないというのに、余計に気持ちが滅入ってくる。 「フーリュ、フリュー。フーリュ、フリュー」 変なメロディに乗せてフリュフリュを呼ぶアルディーは、場所にも雰囲気にも影響されないらしい。いつでもどこでも彼女は彼女である。それがいいことなのかどうなのか……やれやれと内心首を振る。 その時、のほほんとしていた背後の空気が、一瞬にして氷点下に変化した。 「……燃えよ」 低い囁きが、シュヴァーンの耳を掠める。はっとして振り返った先に、真紅の炎が揺れた。 「ギガアァァ!」 断末魔の叫びと共に、肉の焦げる嫌な臭いが漂う。 ぼとりと音を立て、炭化した塊が地面に落ちた。原型を留めないそれは、愚かにもアルディーを襲おうとし、焼きつくされたのだった。 「いやーん。シュヴァーンの役立たず!」 背筋に震えが走るほどの、圧倒的な魔力はもう感じられない。目の前で頬を膨らませている少女が、膨大な魔力を有する魔女だという事実を思い知らされる。長い付き合いになるシュヴァーンでさえ、その豹変振りにはまだ慣れないでいた。 「あ、あぁ……悪い」 いくら考え事をしていたとはいえ、獣か妖か判別が付かないような雑魚相手に不覚をとるとは、一族の名に泥を塗るようなものだ。あってはならない失態だった。 素直に謝るシュヴァーンに、アルディーはこぼれ落ちそうなくらい瞳を大きく見開いた。 「やだ。何か変なものでも食べたのかな?」 ぱちぱちと、わざとらしいほどゆっくりと瞬きしている 「食ってねぇっ!」 真顔でのぞき込んでくるアルディーから逃れるように、後へ飛び退いた。一緒にいるいつもこんな風に調子を狂わされる。やりにくいったらありゃしない。 「あー、何か疲れたなぁ。ほんとに何にも感じないのぉ? この辺にいるっぽいんだけどなぁ」 しっしと犬でも追い払うようにシュヴァーンに向かって片手を振ると、アルディーは歩き出す。口調はいつもと変わらないが、いい加減探索に飽きてきたようだ。ちらりと見た横顔に、若干のやる気が見えた……ような気がする。 「……仕方ないなぁ」 嫌そうに呟くと同時に、シュヴァーンの全身に悪寒が走った。 風が止んだ。 森の木々がざわめく。 地鳴りのような振動がひどい目眩をもたらした。 立っているのがやっとというシュヴァーンに背を向けた、アルディーの小柄な体がぴんと伸びる。 圧倒的な力。 一人の人間が発しているとは思えないほどの力に、空気が震える。 もちろん、すぐそばにいるシュヴァーンもその力に引きずられそうになる。 彼が自身に施した魔法が乱され、かき消されそうになる。ぶれ始めた手のひらに視線を落とし、シュヴァーンは自らに宿る魔力に意識を集中させる。でなければ、今すぐにでも正体を現してしまいそうなのだ。 「閉じよ!」 懸命に抗うシュヴァーンの耳に、力に満ちた声が聞こえた。 ぴきん、という音にならない音を体で感じる。アルディーが魔法である空間を閉じたのだ。閉じられた空間から逃れられることができるのは、彼女の力を上回る者のみである。もっとも、そのような者はそう滅多にいないだろう。 「来い」 短い言葉と共に右腕を上げる。 手招きするように差し延べられた腕の先に、ぽわんとした白く丸い塊が姿を現した。両手の上に乗りそうな大きさのものが一つ。その半分に満たない大きさのものが三つ。 ふわふわの毛玉のようなそれらは、宙に浮かんだままふるふると小刻みに震えだした。ぷるん、と大きく震えたと思ったら、長い耳がふぁさあっと生えてきた。艶やかな純白の毛の奥にのぞく、円らな黒い瞳。 「……フリュフリュ?」 あっさりと出現したその生き物に、間の抜けた声がもれてしまう。 「きゃー、かわいいー」 ハイテンションな黄色い悲鳴に、フリュフリュたちは恐怖を感じたのか、きゅっと寄り添って震えている。 「無駄無駄。無駄よ。空間閉じてるから、逃げられやしないんだからね」 ふふふ、と笑いながら、アルディーは怯えている(ようにシュヴァーンには見える)フリュフリュたちの周りをゆっくりと歩く。 わかってはいたが、極悪人そのものだな、と心の底から思う。 これからこの愛らしくも無力な生き物に待ち受ける残酷な運命を思うと、若干の胸の痛みを覚える。だがしかし、アルディーを止めることのできる者などいないのだ。 「で、どうするんだ。ここで解体してくのか?」 そうすれば後処理が簡単だ。ただ単にそう思って言っただけだった。 「あんたってサイテー。こんなにかわいいのに、そんな酷いことできるわけないでしょ!」 アルディーは目に涙をためて、非難の眼差しを向けてくる。 「連れて帰るんだからね! お世話係に任命してあげるから、ありがたく思いなさいよね」 びしっと突き付けられた指を、呆れた顔で眺めるしかない。 一体何なんだと言ってやりたいが、そうしたところで何の解決にもならないということも、わかりすぎるほどにわかっている。アルディーの気紛れはいつものことだ。溜息をのみ込むシュヴァーンだが、次のアルディーの言葉にはさすがにうろたえた。 「飛べ」 冷徹な眼差しと、簡潔な命令に目を剥く。 「ここでかっ!?」 「だって疲れたんだもん」 ぺろり、と舌を出したアルディーは、フリュフリュを閉じ込めた空間を手元に引き寄せた。 「どうなっても知らないからな!」 半ばやけくそに宣言すると、シュヴァーンはアルディーから少し離れる。それを見たアルディーが小さく呟いた。 「切り裂け」 すると、ひゅんっ、と風が唸り、太い木の幹を次々と切り倒していく。いとも容易くまるで紙でも切るように、魔力で作られた風の刃は木を切り倒す。 森の奥にぽっかりと空いた丸い穴。遮るものがなくなった空間に、日の光が降り注ぐ。 眩しさに目を細め上を向く。空は青く、雲はゆっくりと流れている。 シュヴァーンは目を閉じた。体を包む魔力を、丁寧にほどいていく。 シュヴァーンの体が二重にぶれ始めた。輪郭がほどけ、人の姿が薄れていく。再構築される体。それが彼本来の姿だ。 膨らみ続けていた肉体が、ある形をとり始める。太い四肢。鋼をも切り裂く鋭い爪。長くてよくしなる尾。黄金の瞳に縦に走る黒の瞳孔。久しぶりに本来の姿に戻ったシュヴァーンは、翼を広げ、空へ向かって叫ぶ。 「グアァーッ!」 大きく裂けた口には鋭い牙が生え揃っていた。人間など一噛みすれば、呆気なく息絶えてしまうに違いない。 日光を浴びて艶やかに煌めく漆黒の鱗が美しい。 力強い翼。鋭い牙。漆黒の鱗。 龍族である彼の、それが本来の姿である。 翼をたたんで脚を折ったシュヴァーンの背に、慣れた動作でアルディーが飛び乗る。翼を打ちつける度、土埃が舞い枯れ葉が踊る。 黒龍の巨体が舞い上がり、東を目指して飛び去った。 紫紺の魔女と黒龍。 彼らは世界の畏怖と羨望の対象である。 これはそんな彼らのごくありふれた日常である。 END |
「Secret Garden」のぴよさんにリクエストして書いていただきました! 「ファンタジックな可愛い生物登場で!」というリクでしたが、フリュフリュ可愛すぎです! しかも、魔女と龍とか私好みでうはうはです。 ぴよさん、ありがとうございました! |