ビオレータと白い猫



〜祝祭は光に満ちて〜








 小さな国・ブルーメは、争いもなく、毎日がごくごく平凡に過ぎ去る平和な国だ。世界地図の東方に位置する島国で、これといった特産物は無い。
 しかし、この国には魔法使いがひとり住んでおり、それだけはちょっと有名である。

 ブルーメは現在、百二年建国祭の準備で慌ただしい。毎年建国祭をやっている辺りから、この国の平和ぶりがうかがえるが、国民も王族も兵士も一丸となって、年に一度のこの祭りの為に日夜大忙しで働く。この祭りの時だけは、重苦しい城壁に囲まれた王宮の庭園も、街中も、色とりどりに飾り付けされ、華やか。一日の仕事の後で疲れていても、国民達はみな笑顔で建国祭の準備に勤しんでいるのだ。

 その様子を王城の窓辺で眺める人物が二人。
「準備は万端ですな、国王」
 長身痩躯(そうく)のひげ面大臣が、窓辺に立つでっぷりした国王に言葉をかけると、国王は「うむ」とうなずきながら振り向いた。楽しげに動き回る人々の姿にご満悦のようだ。浮かべた笑顔はこの上なく幸せそうである。
「あとはこの庭園に花を咲かせるだけ。彼女にはきちんとお願いしてあるのだろうな?」
 念を押して国王が尋ねると、大臣は自信満々の表情で頷いた。
「午後の鐘が鳴る頃に、とお話しておきましたので、そろそろいらっしゃる頃合かと思うのですが……」
 言いながら、大臣はまだ現れぬ魔法使いの姿を探して、窓外の世界を見回した。






 王宮から少し離れた小高い丘の上に、魔法使いは住んでいる。家の目印は、レンガの煙突と大きな木。日当たりは最高。周りは草原が広がっているだけでとても静か。
 煙突からは白い煙がモクモクと昇り、赤い屋根の上では、ぽかぽか陽気の中、真っ白な猫が日向ぼっこをしていた。夢見心地で気持ち良さそうだ。

 そのうちに吹いてきた柔らかな風が、草原と大木の緑をさわさわと揺り動かし、王宮から聞こえる午後の鐘の音を届けてくれた。
 白い耳がぴくっと動き、猫はつぶっていたまぶたを重そうに開いた。
「……時間だ」
 前足で二・三度顔を撫でてあくびをひとつ。ねぼけまなこの白い猫は屋根から降り立ち、半分ほど開かれた窓をくぐって家の中に入っていった。



 家の中では、小柄で細身の少女が、下着姿で慌ただしく動き回っていた。歳の頃は十三・四歳。焼きたてのパンをかじりながら、大慌てで黒いローブを着ている。あっちへ行ったかと思えば戻ってきて、何かを運んで行ったと思えば違うものを運んでくる。
 そんな少女の姿を見て、白猫は溜め息をついた。
「だから早く寝た方がいいよって、夕べ言ったじゃないか、ビオレータ」
 まるで母親の小言のようなセリフを白猫が呟いた。声は少年というよりは、青年の域に入っているように感じられる。
 するとビオレータと呼ばれた少女は、青紫の瞳を潤ませて彼の方を向いた。
「だ、だって……今日は大事な日だから、ちゃんと魔法の復習しておかなきゃって思ったから……」
 何とか喉の奥にパンを押し込み終えたビオレータは、今度は鏡の前でクシを探し始めた。辺りには乱雑に物が置かれていて、どこに置いたか忘れてしまったようだ。
 しばらくして、重ねられた本の間からやっとクシを探し出し、ビオレータは肩まで真っ直ぐに伸ばされた薄紫の髪を一生懸命にとかし始めた。クシを引き抜いたと同時に、重なっていた本がいくつも崩れ落ちたが、今はそんな事に構っている余裕はない。
「あーん、寝ぐせが取れないっ。ミュゲくん、キッチンからお水の入ったスプレー取ってきて!」
 必死に毛先の寝ぐせと格闘する背中に向け、ミュゲは溜め息を吐いた。彼は昨夜「明日は大事な日なのだから」と、早く寝るよう何度も忠告したのだ。それなのにビオレータは、夜遅くまで魔法の本を読みふけり、結果午後の鐘が鳴る直前まで寝ていた。ただでさえ朝寝坊なのに、まったくとんでもない寝坊である。間違いなく遅刻だろう。
 そんな風に考えながら、ミュゲはキッチンに足を踏み入れ、棚の上に目的の物を見つけて軽やかに飛び乗った。一度口にくわえてみたが、重さがあって運ぶのは無理だ。そのため、棚の上から突き落とし、床を転がして行く作戦に変更した。

 スプレーボトルのおかげで、ビオレータの寝ぐせは何とかおさまった。
 最後に濃紺の大きめリボンをひとつ結んで、午後の鐘が鳴り終える頃、ようやく二人は家を出る事ができたのだった。






 街中は活気付いていて、とても賑やかだった。見慣れた街道沿いのパン屋も、雑貨屋も、魚屋も、それぞれ個性的に店内外を飾り付けている。人々はみな笑顔で、建国祭を楽しみにしているのが良くわかる。ライトアップされた街並みは、今宵の祭を彩ってくれることだろう。

 そんな街中を、ビオレータとミュゲは脇目も振らず、猛烈な勢いで走り抜けていった。ミュゲが一歩リードしており、ビオレータが彼を一生懸命に追っている状況だ。
 石畳の街道を真っ直ぐに向かえば、やがて王宮を取り囲む城壁が見えてくる。ようやく着いた、とビオレータは息を荒げつつも笑顔を浮かべたが、気を緩めた途端、彼女は盛大に転んだ。そして地面に突っ伏したまま、数秒が経つ。
「だ、大丈夫かい?」
 そばで見ていたおばさんが、心配そうに声をかけると、ビオレータは勢い良く立ち上がった。
「あ、あはは、だ、大丈夫ですっ」
 服についた砂埃を払いながら、ビオレータはとても照れくさそうに、何度も頭を下げた。気を取り直して前方に向き直ると、ちょこんと座ったミュゲが、盛大な溜め息を吐いていた。


 城門の前でビオレータは立ち止まり、深呼吸をした。彼女が任されているのは、建国祭を盛り上げる一大イベントでもあるのだ。失敗は許されない。気を引きしめ、改めて一歩踏み出した。
「ちょっと待って」
 声をかけられ振り向くと、白猫がいたはずの場所には、真っ白なローブを着た、薄青の髪と瞳をした青年が立っていた。
「失礼のないようにね」
 ミュゲはビオレータに無表情で歩み寄り、少しまがっていた濃紺のリボンを正した。その所作は、まるで妹の世話を焼く兄のよう。
 歳の頃十七・八の、背の高い青年――それがミュゲの本当の姿。彼はビオレータの兄弟子。白いローブは一人前の証である。


 白猫に戻ったミュゲと共に城門を抜けると、とても美しい庭園が二人を迎えてくれた。芝生の緑が目に眩しい。花壇には色とりどりの花々が咲き乱れていてとても綺麗。
 庭園内では、この日とばかりに数人の庭師たちが手を休めることなく作業に勤しんでおり、また城の兵士やメイド達も多数、間近に迫った建国祭のために掃除や飾りつけをしている所だった。
 キョロキョロしながら歩いていたら、段差に気付かず、ビオレータはまたしても転んだ。そんな彼女の横では、ミュゲががっくりと項垂れた。
 付近には兵士やメイドに混じって、なんと国王と大臣がおり、二人は転んだまま地面に突っ伏している少女に歩み寄り、心配そうに声をかけた。
「だ、大丈夫かね?」
「あ、あはは、大丈夫です」
 さっと起き上がったビオレータは、照れくさそうにしながらローブの裾を正した。
 辺りからはクスクスと笑いが起こり、国王も大臣も苦笑を洩らし、恥ずかしくなったビオレータは真っ赤になって照れ笑いを浮かべていた。
 その時ミュゲは、その俊敏さがあるならば、転ばないよう注意を払えばいいのに、と思っていたが、気付かれるはずもない。

「あ、あの、遅れてごめんなさい。その、お仕事に取りかかりたいんですけど」
「そうですね、ではご説明しましょう」
 大いなる遅刻を気にかける様子もなく微笑んだのは、長身痩躯のひげ面大臣だった。ビシッとスーツを着こなし、とても優しげな紳士である。
「王宮へとつながる、この通路。その両サイドの花壇に【魔法の花】を咲かせていただきたいのです」
 大臣は両腕をいっぱいに広げ、自信に満ちた顔で説明してくれた。
 【魔法の花】とは、夜になるとランプのように光を発する、特別な魔法でしか咲かせられない花である。
「わ、わかりました」
 ビオレータは頷いて了解した。彼女は二年前の建国祭から何かしら魔法で手伝いをしているが、【魔法の花】を咲かせるのは今回が初めてである。
 【アペルティオ・フローリス】という魔法なのだが、実は魔法使い界では割と難易度が高く、見習い魔法使いが一人前と認められるために行う、最終試験でテストされるようなものなのだ。けれど、昨夜遅くまで本を読んで復習したのだから、きっと上手く行くはず。

「で、ではさっそく、作業に取りかかりますので」
 ビオレータは緊張の面持ちでその場に座り込み、そして肩に掛けていたバッグから、魔法の杖と水の入ったスプレーボトルを取り出した。ちなみにこのスプレーボトル、朝の寝ぐせ直しに役立ってくれた代物である。

「は、はい。では、ここにごく普通の水が入ったスプレーボトルがあります」
 周囲に集まった人々は、一体何が起こるのかと興味深々な様子で、少女が高くかかげたボトルにじっと見入っていた。
「こ、これにですね、魔法をかけたいと思います」
 言葉と同時、観客達がうんうんと頷いた。
 皆が見守る中、ビオレータは息を呑んだ。彼女の心拍数は確実に上がっていた。この状況で失敗したら相当恥ずかしい。何としても成功させなければ。

 瞳を閉じたビオレータは、右手に持った杖をクルクルと回転させながら、呪文を口ずさんだ。
「フィオリトゥーラ、トゥルペ、コータ・コート、ルブルム、フラーウム」
 呪文と同時に、少女の髪を結んだ濃紺のリボンと、黒ローブの裾が風に吹かれたようにふわりと揺れた。
「フィオリトゥーラ、トゥルペ、コータ・コート、ルブルム、フラーウム」
 もう一度繰り返すと、回転する杖の先がささやかな輝きを放った。
 ビオレータは瞳を開き、光り始めた杖先で、スプレーボトルに二度ほど軽く触れた。杖先の光はボトルの中の水に移り、ごく普通の水がキラキラと輝き出す。
 ビオレータがぱっと明るい笑顔を浮かべた。成功したのだ。
「は、はい。では、この魔法のお水を花壇に振りまきたいと思います」
 成功した喜びと、まだ少々残る緊張を胸に、ビオレータは花壇に歩み寄った。屈み込んで、魔法の水を花壇の土にひと吹き。これで【魔法の花】が咲くはず。
 しかし。
 数秒経っても何も起こらず、ビオレータは徐々に焦り始めた。おかしい。魔法が成功したなら、すぐに花が咲くはずなのに。少女の顔色が徐々に悪くなってゆく。


 その姿を見かねた白猫が、溜め息を吐きながらすっと左の前足を上げた。小さな足が微かな光を放っていたが、誰にも気づかれる事はなかった。
「ビオレータ、もう一度、お水をかけてごらん」
 周囲の人々に気付かれぬよう、ミュゲがこっそり話しかけると、すでに瞳を潤ませ始めていたビオレータは頷き、もう一度花壇の土に水を吹きかけた。
 すると、今度は花壇いっぱいに花が咲き始めた。赤・白・黄色・青・ピンク……あっという間に咲き乱れた小さな花は、まだ明るさを残す景色の中でもはっきりとわかるほど光っている。まるで、花壇いっぱいに小さなランプが並んでいるかのよう。その幻想的な光景に、国王も大臣も、兵士もメイドも庭師も、いっせいに歓喜の声を上げた。
「なんとすばらしい!」
 感極まった国王はビオレータの手を取り、たっぷりついたお腹の肉を揺らしながらその場で踊り始めた。ビオレータは慌てていたが、周囲の人々はいつまでも笑っていた。






 辺りはすっかり暗くなり、いよいよ建国祭が始まった。
 ビオレータが咲かせた【魔法の花】は、今年の建国祭の目玉となり、王宮を訪れた人々を魅了した。子供もお年寄りも恋人達も――誰もが美しい庭園に見惚れていた。

 ライトアップされた王宮や街中が見渡せる、町で一番高い教会の屋根の上で、ビオレータとミュゲは、国中から響く笑い声を聞きながら幸せ気分に浸っていた。 柔らかな夜風が、少女の薄紫の髪と、白猫の細い毛並みを撫でてゆく。
「みんな、幸せそう。よかったね」
 にっこり笑顔をミュゲに向けると、白猫は大きなあくびをひとつ返した。
「でも、もうちょっと魔法は頑張らないとね、ビオレータ」
「えっ?」
「さっきの呪文、途中で【アルブム】が抜けてたよ」
「ええーっ!」
 ここで初めて、ビオレータはミュゲが助けてくれたのだと気付き、がっくりと項垂れた。さすがは一人前の魔法使い、とっさに助けてくれたとは。
 ミュゲは、【アペルティオ・フローリス】を門下生になった数日後に完成させたという、とても優秀な魔法使いなのだ。
 そんな兄弟子を教育係とし、ビオレータはこのブルーメに“魔法の修行”としてやってきた。みんなには内緒だが、彼女はまだ“見習い”の魔法使い。黒いローブはその証である。しかも【アペルティオ・フローリス】の魔法は今日が初めてだった。

「失敗したこと、お師匠様には黙っておいてあげるよ」
「はい……お願いします」
 ビオレータがさらにがっくりと項垂れ、その心情を表すかのように、頭のリボンが力なく揺れた。そんな妹分を見て、白猫はくすくすと笑った。


 そして国中から聞こえる笑い声は、その夜遅くまでずっと続いていた。




END





ぴよさんのサイト「Secret Garden」さまへ、二周年のお祝いに送らせていただいた短編です。私にしては珍しくメルヘンチック。
「可憐な少女」と「秘密」をテーマに……とのリクでしたが、全くもって可憐ではなくなってます(笑)
ちなみに人物や魔法の名前は、全て花が元になっています。

題名はぴよさんに付けて頂きました。ありがとうございました!






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