ビオレータと咲かない花



〜願いは悲しみに満ちて〜








 暖かな日差しが小さな国・ブルーメを優しく照らしている。王宮からは昼の鐘が鳴り響き、そろそろ午前の仕事が終わる時間だ。国民達は昼食までもうひとふんばり、とばかりに精を出し始める。

 町中へとやって来たビオレータとミュゲは、買出しの真っ最中であった。とはいえ、買い物をしているのはビオレータで、ミュゲはお散歩気分で歩いているだけだが。
 事実上一人で暮らしているため、食材は最小限しか買い込まないように、といつもミュゲに注意されている。それなのに、ビオレータは青果店の前であれもこれもと目移りし、手当たり次第にかごに放り込んでいた。ちなみに彼女、果物が大好物である。
 ビオレータは気を抜くと何でもすぐに腐らせてしまうから、せっかく新鮮な食材を手に入れても、無駄にしてしまうことが多い。それでは、せっかく心を込めて育てられた野菜や果物たちが可哀想だ、とミュゲに溜め息を吐かれることもしばしば。

「今日のお買い物はおしまい! ミュゲくん帰ろ!」
 大好きな【フレーズ】という果物が手に入ったからか、ビオレータは上機嫌だ。フレーズは、赤くて小さな甘い果実。春の果物で、幼い頃から彼女の大好物なのだ。
 ルンルン気分で帰路に着き始めたビオレータ。その後を、ミュゲは小走りでついていたが、ふとある一点を見つめたまま立ち止まってしまった。
「にゃーん」
 周囲に人がいるため、ミュゲは猫の声でビオレータを呼び止めた。一応、ヴァイスである彼には、人間の皆様に正体がバレてはならないという規則があったりする。何故かは知らないが、多分季節に異常をきたすからとか、そんな理由だろう。
 二、三度呼びかると、ようやくビオレータは振り返り、首をかしげながら戻ってきた。
「ミュゲくん、どうしたの?」
 言いながら彼の視線の先を追ってみると、そこには買い物袋を三つ抱えて運んでいる老婆の姿があった。老婆は数歩進んでは立ち止まって息を吐き、を繰り返し、とても辛そうだ。
「たいへん。手伝ってあげなきゃ!」
 ビオレータは急いで老婆に駆け寄っていった。慌てていたため、自分の買い物袋からフレーズがひとつこぼれ落ちたが、彼女は全く気がついていない様子。代わりにミュゲが拾い、小さな口にくわえながらビオレータの後を追っていった。

「おばあちゃん、大丈夫?」
 声をかけられた老婆は、一瞬きょとんとしていたが、すぐに笑顔を向けてくれた。
「ええ、大丈夫よ。少し買いすぎちゃったみたいね」
 口調や風貌は、とても穏やかな老婆だった。背丈も小柄で、ビオレータとほぼ同じくらい。
 ビオレータの祖母は、まだまだ現役で魔法使いとして働いているせいか、いつも凛々しいが、このお婆ちゃんはまた違った雰囲気をしている。とても可愛らしい。
 老婆は再び歩き出そうとしたが、やはり荷物が重いせいか、表情は辛そうだった。
「おばあちゃん、手伝ってあげるね!」
 ビオレータはにっこり笑顔を浮かべ、老婆が抱えていた買い物袋を二つ、その腕に抱えた。
 自分の分だって一つあるのに、どう見ても二つは持ちすぎだろう、とミュゲは心の中で呟いた。ビオレータ本人も、やっぱり張り切りすぎと思わなくもなかったが、一度受け取ってしまったものを返すわけにもいかず、最終的には意地になって歩き出した。
「あら、無理はいけないわ」
「そんなことないです! 全然平気です!」
 明らかに無理をしている、というのが見て取れたのか、老婆は心配そうに言っていた。が、ビオレータがずんずんと歩き出してしまったので、困った表情を浮かべながらも、白猫と並んで少女の後を追っていった。






 老婆の家は町外れにあった。隣接した家もなく、お年寄りが一人で暮らすには少し不便。それに何だか物寂しい感じがした。
 老婆はビオレータにとても感謝してくれた。それが嬉しかったから、実は結構腕が痛かった……というのは内緒にしておこう、とビオレータは考えていたが、ミュゲにはしっかりばれていた。
 老婆の家に着いたころは、ちょうどお昼ごはんの時間で、張り切ったせいかビオレータのお腹の虫は盛大な鳴き声を発してくれた。当然老婆とミュゲにも聞こえていて、老婆にはクスクスと笑われ、ミュゲには大きな溜め息を吐かれ、ビオレータは真っ赤になって照れ笑いを浮かべていた。
「そうだわ、よかったら一緒にお昼ごはんでもどうかしら」
「えっ、いいんですかっ?」
 ビオレータは満面の笑みを浮かべた。その笑顔の意味を、ミュゲはしっかりと理解した。彼女は、これから丘の上の家に戻って自分で料理をするのが面倒くさいのだ。しかも、すでに空腹は限界を超えているようなので、自宅に帰る前に行き倒れになる可能性も高い。
 そんなこんなで、ビオレータとミュゲは、老婆の手料理をご馳走になることになった。


 老婆が作ってくれたのは、野菜たっぷりのスープと手作りのパン。そしてビオレータが大好きだと言ったおかげで、フレーズをいっぱい出してくれた。ミュゲには冷たいミルクを出してくれた。
 野菜があまり好きではないビオレータだが、老婆のスープはとても美味しくて、彼女は遠慮もなくおかわりをしていた。ミュゲにはちょっぴり睨まれたが、老婆は喜んでくれていた。
 楽しく食事を摂りながら、ふとビオレータは窓の外へと視線を向けた。外には立派な花壇があった。けれど、花も草も植えられておらず、ただ土だけが残されていた。
「おばあちゃん、あの花壇は何も植えないの?」
「え? ああ、あそこはね、以前は花を植えていたの。【ウィオラ・トリコロル】っていうお花なんだけど……知っているかしら?」
 ビオレータとミュゲは、うんうん頷いていた。“春の魔法使い”であれば、花の名前はほぼわかる。斑のある大きな花びらが特徴で、様々な色をした、愛らしくも華やかな花である。
「……娘が小さな頃から大好きだった花でね。毎年春頃になると花壇いっぱいに咲いていたのに、いつ頃からか全く咲かなくなってしまったの」
 娘さんは、ずっと昔に亡くなってしまったのだという。ちょうどビオレータと同じ年頃の時だったそうだ。娘さんが亡くなって数年経った頃から、まるで彼女と共に花の魂も天へ昇ってしまったかのように、種を植えても芽すら出てこなくなってしまった。
 【ウィオラ・トリコロル】は、思い出の花。もう一度、また咲いてくれたなら……と老婆はずっとずっと願っているのだった。

「おばあちゃん! だったら私が咲かせてあげる!」
 話を聞いて泣き出しそうになりながら、ビオレータは立ち上がった。
 老婆は何のことやら、と驚いて首を傾げていた。
「私ね、これでも魔法使いなのよ」
 自信満々で黒いローブの裾を持ち上げ、片目をつぶって見せたビオレータ。が、ミュゲだけは心中で「見習いだけどね」と呟いていた。



 困惑する老婆を屋内に残し、ビオレータは張り切って花壇の前に仁王立ちになった。かなりやる気になっている。老婆のためにも、何としても咲かせなければ。
「えーと、お花を咲かせる魔法は……」
 ビオレータは、いつも持ち歩いているバッグの中から魔法の本を取り出し、一生懸命に探していた。
 その隙を見計らって、ミュゲは花壇の土の様子をうかがい、そして(猫なりに)かなり渋い表情を浮かべていたが、ビオレータは全く気付いていなかった。
「あった! 【アナスタシス】!」
 【アナスタシス】は、枯れてしまった花を甦らせる魔法だ。そんなに難しいものではないため、これまで何度か成功したことがある。
 ビオレータは魔法の杖を手にし、目を閉じて呪文を唱え始めた。
「ローザ・フロラシオン・ローゼ・フロラシオン、ロッソ」
 杖をくるくると回すと、先端がきらりと光った。ぱっと目を開けたビオレータは、自信に満ちた表情で、杖先の光を花壇に振りまいた。
 これで、もう一度花が咲くはず。それを期待して、うきうきしていたビオレータだったが、少し経っても何も起こらず、首を傾げた。
 おかしい。使う魔法は間違っていないし、呪文も合っているし、成功したはずだが。
 ビオレータはもう一度呪文を唱えた。杖先には同じく光がきらめき、先ほどそうしたように花壇に振りまいたが、やはり何も起こらなかった。
 ビオレータはそれでも諦めなかった。どうしても、お婆ちゃんに思い出の花を見せてあげたかった。今日のお昼のお礼もあるけれど、春を操る魔法使いとして、どうしても咲かせてあげたかったのだ。
 しかし、何度やっても魔法は成功しなかった。ビオレータの表情がだんだんと暗くなり、蒼紫の瞳にはうっすらと涙が浮かび始めた。

 やがて、その姿を見かねたのか、ずっと無言だったミュゲが重たい口を開いた。
「残念だけどビオレータ、この花壇に花を咲かせることは無理だよ。だって、土がもう死んでいるもの」
 この花壇の土には、もう草花を咲かせる力が残っていないのだ。老婆の娘さんが亡くなった頃、寿命を迎えてしまったのだろう。だからどんなに魔法をかけても、花が咲くことはない。“春の魔法使い”の力だけでは咲かせることができないのだ。
「じゃあ“夏の魔法使い”の力で、この土を甦らせてよ、ミュゲくん!」
 零れ落ちる涙を拭いながら、ビオレータは必死に願った。けれど、ミュゲは首を横に振るだけだった。
 ミュゲは春と夏、両方の魔法を使うことが出来る。雨を操る夏の魔法には、確かに土を元気にするものが存在する。それをミュゲほどの魔法使いが使えば、間違いなく花を咲かせることができるだろう。けれど、今ここで使うわけにはいかないのだ。
「ビオレータ、気持ちはわかるけど、一個人の願いのために、ヴァイスである僕が季節を無視した魔法を使うことはできないんだよ。それはわかっているよね?」
 ブルーメの季節は今、春である。それなのに夏の魔法を、しかもヴァイスが使ってしまったら、異常気象を招きかねない。願いをかなえてあげたいというビオレータの気持ちは痛いほどわかるが、だからといってそんな危険な行為で、ブルーメ全体の四季を壊してしまうわけにはいかないのだ。
 ビオレータは俯き、大粒の涙を零した。拭っても拭っても涙は止め処なく溢れてきた。彼女だって見習いとはいえ、季節を操るエスタシオンの魔法使い。それがいけないことだと、十分わかっている。わかっているからこそ、悔しくて、どうしようもなくて、涙が溢れてくるのだ。

 そんな彼女の頭を、誰かが優しく撫でてくれた。見上げると、そこにはにっこりと微笑んだ老婆が立っていた。
「ありがとうね、お嬢ちゃん。あなたの気持ちはとても嬉しいわ」
 言いながら、老婆は花壇の土に手を触れた。
「私も昔から草花を育てるのが大好きだったから、本当はね、わかっているの。この花壇の土はもうダメだってこと」
 老婆は目を細めて土を撫でていた。これまで花を咲かせてくれた事に感謝し、いたわるような、優しい手つきだった。
「ただ、もう一度だけ、この花壇に【ウィオラ・トリコロル】の花が咲き乱れたら。死んでしまった娘の思い出がずっとここにあるようで幸せだわ――そう願っているだけなの。だからお嬢ちゃんが気に病むことは何もないのよ」
 向けられた笑顔はあまりにも切なかった。その笑顔に答えてあげたかったけれど、ビオレータはただ涙を零す事しかできなかった。





 老婆に別れを言って、ビオレータとミュゲは丘の上の家まで帰って来た。よほど気を落としているのか、ビオレータはずっと俯いたまま無言だった。
「ビオレータ」
 名を呼ばれたが、ビオレータは顔を上げる事ができなかった。
 すると、彼女の手を優しく包んでくれる手があった。
「ビオレータ、僕たちエスタシオンの魔法使いは万能じゃない。魔法ではどうにもできない事だってある。それはヴァイスもグラウもシュヴァルツも関係ない。もちろん、君のお婆様にだってできない事なんだ」
 真っ白なローブの青年は、ビオレータの手をそっと握りながらゆっくりと言った。
「僕達は魔法使いだから、人間の皆さんとはちょっと違う。皆にはできない事ができるからこそ、ぶつかる壁や悩みもある。けれど、それらを受け入れなければいけない時もあるんだよ」
 その言葉に、ビオレータは再び涙を零し始めた。泣いたからって、どうなる事でもないけれど、どうしても涙は止まらなかった。
 ビオレータが見習いだからダメだったんじゃない。それが自然の摂理なのだから、たとえ季節の魔法使いだからといって、勝手にしてはいけない。だから花を咲かせられなかったのは、仕方のないことだと諦めるしかない。
 わかっている。けれどビオレータは、人とは違う力があるからこそ、もう一度おばあさんに思い出の花を見せてあげたいと思ったのだ。

 やがて嗚咽をもらしはじめたビオレータを、ミュゲはそっと抱きしめた。
「今は受け入れられないかもしれないけれど、きっとわかる時が来るよ」
 そうなることを切に願って、ミュゲは夕焼け色に染まった空を仰いだ。ビオレータの泣き声が止むまで、彼はずっとそうしていたのだった。




END







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