ビオレータとサクラの木



〜花見はやっぱり花より×××〜








 春の光が惜しげなく差し込み、屋内を暖かく照らしている。わずかに開いた窓からは爽やかな風が吹き込んで、レースのカーテンを柔らかく揺らしている。まさに春真っ盛りな今日この頃だ。
 昼前の時候、ビオレータ慌ただしく身支度を整えていた。あっちこっちと動き回る彼女の後に付いて、ペルも一緒になって駆けている。
 今日は王様からお呼ばれをしている日なのである。昼を告げる鐘が鳴るまでに王宮に行かなければならないため、こうして早々と準備に勤しんでいるのだ。
 いつもならばミュゲが渋い顔をしてビオレータを待っているが、今日は姿が見えない。昨日からエスタシオンへ出掛け、間に合うように戻ると言っていたのに、まだ帰って来ないのだ。何かあったとは思わないが、どうしたのか。もしやまた風邪を引いて、お師匠さまの世話になっているのだろうか。
「もう、ミュゲくんってば何してるんだろう。置いて行っちゃおうか?」
 などと、ビオレータはペルに向かって話しかけた。普段は散々待たせているくせに、たまに立場が逆転すると言いたい放題である。ふくれっ面を向けられたペルは、無邪気に小首を傾げているだけだ。
 黒いローブに着替え、寝ぐせを直してリボンをつけて、杖等が入ったバッグもさげて。さあ出かける準備も整い、あとはミュゲを待つばかり。ところが、一分待っても二分待ってもミュゲは来ない。
 もう少し待てばいいものの、こうなったら置いて行っちゃおう! とビオレータが意を決して立ち上がると同時、レースのカーテンがふわりと大きく揺れ、わずかに開いた窓から真っ白な猫が飛び込んで来た。口には何やらくわえている。
「ただいま」
 しなやかな動きで降り立ち、口にくわえていた封書をそっと床に落とすと、ミュゲはふうと一息吐いた。が、何やら不穏な気配を感じ取って薄青の瞳がちらと見上げると、仁王立ちになったビオレータが口を尖らせて見下ろしていた。
「ミュゲくんってば遅いよ! 何してたのっ」
 ミュゲは眉間にしわを寄せた。珍しく万全の支度でいるかと思えば……よくもそんな発言ができるものだ。だいたい、遅くなったのも全てはビオレータのためだというのに。
「この間の試験の結果が出てたから、もらって来たんだ。それで遅くなったんだよ」
「えっ本当?!」
 ビオレータはさっと青ざめた。薄青の瞳がちらと視線を向けた先には、真っ白な封書がある。恐る恐るその封書を拾い上げ、複雑な表情で中身を取り出した。
 先日の試験は、筆記の方はミュゲのおかげで自信を持って挑んだのだが、実技の方に少し不安があった。だから、もしかしたらダメかも……とずっと気になっていたのだ。結果は本人にしか開けられない。だからミュゲもどうなったのか知らないはず。
「どど、どうしよう!」
 とんでもなくドキドキしてきたらしく、丁寧に折ってある紙を手にビオレータは落ち着かない。一人ではとても見られないといった感じで、開こうとしては閉じ……を繰り返している。
「約束の時間に遅れるから、早く見ちゃいなよ」
 どう足掻いても結果は変わらないのだ。ビオレータの心情など気にもせず、まるで他人事のようにミュゲはさらっと言い放った。
「ううっ、ミュゲくんってば冷たい」
 恨めしげな瞳でちらと見るが、ミュゲはそ知らぬ顔をしている。
 緊張するが、だからと言ってミュゲの言う通り遅刻はできない。しかも珍しく早々と準備を整えたから尚更だ。
 えいっ! と妙な掛け声を発しながらビオレータは意を決して通知を開いた。青紫の瞳が恐る恐る文面を読み進める。そして、泣きそうだった顔が少しずつ綻び、やがては満面の笑みに変わった。
「きゃー、合格だっ!」
 先程までの緊張ぶりはどこへやら、ビオレータは唐突にはしゃぎ出した。ペルを抱き上げ、その場でクルクルと回り出したほど。
 先日の試験は四回目で、難易度もそれなりに高かった。だからこそ喜びもひとしおだ。これであと一回試験に合格すれば、ようやくグラウへの昇級試験が受けられるようになる。
 それからしばらく、ビオレータは舞い上がって喜びまくっていたが……遠くで昼を告げる鐘が鳴り響いた途端に青ざめた。
 結局、今日も見事に遅刻である。




 ミュゲから盛大な溜め息と小言を頂戴しながら、ビオレータは王宮に向けて全速力で走った。ひと足先にミュゲとペルが走っている状態である。そして途中でまたしても盛大に転び、道行くおばさんに心配されたものの、恥ずかしさと忙しさからうすら笑いを浮かべてぴゅうっと逃げた。
 そんなこんなでようやく王宮に到着すると、待ち構えていた女官さんが庭園まで案内してくれた。庭園まで続く石畳は花壇に囲まれていて、春真っ盛りの今日、様々な花が生き生きと咲いている。
「春だねー」
 などと言いつつしまりのない顔をしていたビオレータだが、庭園にやって来るなりはっと我に返った。そこでは今まさに、楽しげなパーティが開かれていた。テーブルの上には美味しそうな料理やお菓子が並んでいて、目ざとく見つけた青紫の瞳がさっそく輝いていた。足元でミュゲが怪訝そうにしていたが、ちっとも気付いていない。
「やあやあ、待っていたよ」
 でっぷりとしたお腹を揺らしながら、王様が笑顔で迎えてくれた。その隣には素敵紳士の執事さんがいる。
「お、遅くなってごめんなさいっ」
「いえいえ、お気になさらず。まだ始まったばかりですから」
 ビオレータが慌てて頭を下げると、紳士な執事さんが丁寧に応対してくれた。見事に気を遣われたな……とミュゲが溜め息を吐くも、当の本人はへらっと笑っていて気付くわけない。
「ところで、今日はどんなご用ですか?」
 てっきり何か依頼でもあって呼ばれたのだと思っていたが、どうやら違うらしい。庭園にはたくさんの人がおり、楽しそうに会話を交わしていて賑やかだ。
「ええ、今日は花見なので、あなたにも参加して頂こうと思いまして」
「花見?」
 執事さんが答えてくれたが、花見が何だか知らないビオレータは首を傾げた。
「花を愛でながら、こうして食事をしたり、会話を楽しんだりすることですよ」
「えーっ、すごく素敵なイベントですね!」
 恐らく“食事”の単語につられたのだろう、ビオレータは青紫の瞳を存分に輝かせ、ものすごく嬉しそうだ。あちこちのテーブルに目移りしている状態である。
 確かに春真っ盛りの今日この頃、庭園の花壇にも色とりどりの花が咲いていて、見ているだけでも十分に楽しめる。
「今の時期は“サクラ”が見頃だからね」
 王様が指示した先には、大きな木が立っていた。まん丸の形を取る枝には薄いピンクの花がたくさん咲いている。時々花びらが華麗に舞い散り、見た目にも豪華で存在感のある木だ。でもビオレータは初めて見る花だ。以前来た時は花が咲いていなかったため、ただの木だと思っていた。
「……サクラなんて、珍しいね」
 足元のミュゲが、ビオレータにだけ聞こえるように呟いた。
 “サクラ”はある限定した地域にしか咲かないが、そこでは春を代表する花である。たとえ春の魔法使いといえど滅多にお目にかかれない木なのだ。
「もう何十年も前に東の国から譲り受けた木でね、毎年このサクラを愛でるためにこうして花見を催しているんだよ」
 目を細めてサクラを見上げる王様たちにならい、ビオレータも隣に並んでみた。真下に立ってみると豪華さもひとしおだ。ビオレータの頬やペルの鼻先、ミュゲの頭にピンクの可愛らしい花びらがひらりと舞い落ち、ちょっと楽しい。
「まだ満開じゃないのが残念だけどね」
 サクラはいわゆる八分咲き状態で、満開になるにはあと数日を要するだろうと王様は言っていた。
「たしかに、全部咲いたらもっと綺麗だろうね!」
 足元のミュゲとペルに話しかけつつ、ビオレータがそっと幹に手を触れてみると。春の魔法使いの力に触れたサクラの木は、なんとあっという間に全ての花を咲かせてしまったのだ。
「おおっ!」
 不思議な出来事に、周囲の人々は驚きの声を上げた。
 満開になったサクラは、本当に綺麗で見事だ。さわやかに吹いた風が枝を揺らせば、吹雪のように花びらが舞う。空いっぱいに広がるピンク色を見上げ、誰もが感嘆の声を上げた。
「素晴らしい!」
 誰よりも声高に叫んだ王様は、ビオレータの手を取り、でっぷりしたお腹を揺らしながら上機嫌に踊り始めたのだった。

 サクラが満開になったおかげで花見は最高の盛り上がりを見せ、それから夕刻まで続いた。皆本当に楽しそうな笑顔を浮かべていて、ビオレータも幸せな気分になったのだった。




 さて、王宮から帰って来たビオレータだが、なぜか唸り声を上げつつベッドに横たわっている。上機嫌になった国王様に乗せられ、美味しいからとついつい料理を食べ過ぎてしまったのだ。枕元にはペルがちょこんと座っていて、心配そうに見守ってくれている。さらにベッドの傍らにはミュゲ(人型)が立っており、ものすごく渋い表情で溜め息を吐いていた。
「まったく、すぐ調子に乗るんだから」
「ううっ……ごめんなさい」
 さすがに自分でも食べ過ぎたと後悔しているのか、ビオレータは素直に反省した。お腹が苦しくて仕方がない。
 しかしサクラも綺麗だったけど、それよりも料理がとても美味しかった。あんな素晴らしいイベントがあるなら、もっと早くに知っておきたかった。そしてぜひともまた呼んで欲しい……などと、ビオレータは苦しみながらもそんな事を考えていた。
「それにしても」
 ふいにミュゲが言葉を発し、また小言を言われるのかと思ったビオレータは、びくっとして恐る恐る視線を上げた。
「少しは力がついてきたみたいだね」
「? どういうこと?」
「サクラみたいに地域限定で咲く花はとても気難しくて、安易に魔法を受け付けないものなんだよ。でも、あの木は君の力に反応して全ての花を咲かせた。それは、君にもそれなりの力が付いてきたっていう証拠だよ」
 いつもスパルタで厳しいミュゲに大いに褒められていた。最初はきょとんとしていたビオレータだが、ついには苦しんでいたのも忘れて飛び起きた。
「本当?!」
「うん。四回目の試験に合格したのも、まぐれじゃないってことだね」
 徐々に頬が緩み、ビオレータは瞬時ににやけ顔になった。鬼のような模擬問題に挑み、日々スパルタに耐えて来たからこそ、ミュゲの言葉は心から嬉しく思えたのだ。
「次の試験も頑張ろうね」
「うん!」
 珍しくミュゲに微笑まれ、ビオレータは元気よく返事をした。
 が……
「じゃあ、その意気込みが消えないうちに、次の試験に向けて明日は【百問問題集】ね」
「ええーーっ?!」
 思い切り不満げな声を上げつつ、ビオレータは頬を膨らませ、ぶーぶーと文句を言い放った。ミュゲ特製の百問問題集は、主におしおきに使われる本当に鬼のように難しい問題集なのだ。せっかくいい気分になっていたのに、一瞬にしてどん底気分だ。
「いくらなんでも、そんなに簡単に合格できるほど次の試験は甘くはないよ。落ちて泣いたって知らないからね」
 ついでに今日食べ過ぎた罰だよ、とさらっと厳しいお言葉を頂戴し、ビオレータはあえなく閉口したのだった。




END







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