ミュゲと聖なるバレンタイン



〜オトメ心は不運の味?〜


※この話は番外編1から続いています※





「はい、ミュゲくん」
 午前中の掃除が終わり、さてこれからひと勉強しようかとテーブルについた頃、朝からキッチンに閉じこもってせっせと何かをしていたイリスがやって来て、なにやら包みを渡してきた。両手で持てるくらいの大きさの箱で、可愛らしいリボンで装飾されている。
「なんですか、これ」
「やだー、ミュゲくんってば今日はバレンタインデーじゃない!」
 意味がわからずに首をかしげていたミュゲの肩を思い切り叩きながら、イリスが楽しげに説明してくれた。思いのほか力強くてミュゲはたいそう痛がっていたが、イリスには全く通じていなかった。
 どうやらイリスはプレゼント用にチョコレートを作っていたらしい。通りで朝から室内に甘いにおいが充満していたわけだ。
「早く食べてみてー」
「えっ、もう食べるんですか?」
 たった今渡したものなのに、どうしてそんなに急いで食べさせようとしているのか不明だったが、イリスがしつこく催促してくるため、ミュゲは仕方なく包みを開けて食べる事にした。
「どう? おいしい?」
 などとしつこく聞かれたら、否でも応でも毒味をさせられたのだと気付く。だがミュゲのためを想って作ったのは確からしい。しかも、一番最初に渡すのは可愛い弟子と決めていた、と聞いてもいないのに喋っていた。
 だったら毒味などさせないでくれ……と思うものの口には出来ず、そんな師匠のちょっと違うんじゃないかという愛情に困惑しつつも、ミュゲは食したチョコの率直な感想を述べた。
「……美味しいですよ」
「良かったー。マズイって言われたらどうしようかと思ってたの」
 イリスは乙女のようにはしゃいで喜んでいた。そういう所はわが師ながら可愛いと思う。ちなみにイリスは割と家庭的で、料理も結構上手かったりする。ので、毒味とわかってはいたが、不味いだろうという不安は全くなかった。
 そんなミュゲの心情も全く気にせず、イリスは再びキッチンへと向かっていった。が、途中で振り返り……
「あ、午後は管理棟にチョコ配りに行くから、ミュゲくん荷物持ちお願いね」
「ちょっ……待ってください。午後は勉強しようと……!」
 ミュゲの予定がまともに通った事は、イリスの下についてから一度もなかったりする。






 毒味させられたチョコの小箱入り袋を抱え、ミュゲはイリスのお供として管理棟にやって来た。すでにヴァイスとなった彼は、堂々と人の姿で立ち入る事ができる。普段は天然だが、こういう公共の場に出ると、周囲の者たちの接し方からイリスはカトル・セゾンと呼ばれるだけの風格が感じられる。そこへきて隣にミュゲが並ぶと、なかなかに壮観である。
 イリスは数年前からこの時期は管理棟にやって来て、お世話になった人にチョコを配って回る。まあそれは良いのだが、そのお世話になった程度というのが大小様々で、かつ男女構わずに渡すため、量が半端じゃなかったりする。もらわない人のほうが少ないのではないだろうかと思うほど。しかもイリスのチョコは評判が良いため、期待からかやたらと親切にする人が多かったりするのだ。弟子にまで迷惑が降りかかっているとは、きっと誰も思っていないだろうが、もらった方は大変喜んでいるので何とも怒りのやり場が見つからない。

 笑顔と共にチョコを配りつつ歩いていくと、二人の前に見慣れた人物が立ち塞がっていた。
「あら、ネージュ。ご機嫌いかが?」
「や、やあイリス。今日はどうしたんだい? 君が管理棟に来るなんて珍しいじゃないか」
 何ともわざとらしい雰囲気をかもし出しつつ、カトル・セゾンの冬の魔法使い・ネージュは落ち着かない様子で言葉を返してきた。明らかに待ち伏せしていたとバレバレだが、イリスが気付くはずもない。向けられたにっこり笑顔が、ネージュには女神の微笑みに見えたことであろう。ちなみにイリス同様、カトルであるネージュが管理棟にやって来ることも非常に珍しかったりする。
「今日はお世話になった方々にお礼をしにきたの。そうだわ。ミュゲくん、彼にも渡してあげて」
 促されたミュゲは渋々袋から小箱をひとつ取り出し、ネージュに手渡した。受け取ったネージュは感極まってイリスの顔を見つめていた。彼女が大切な会議に遅れた時、かばってあげて良かったなどと思っていたことは、本人にしかわからない。
「いつも迷惑かけてごめんなさいね。これからもよろしくね」
「な、な、何を言っているんだ。カトル同士、そんなに気を使わなくてもいいのに……。そ、それにだな、君のことを迷惑だなんて思ったことは一度もないよ。だって、僕は君の事が……」
 水色の瞳を輝かせ、ネージュは振り返った。その先に人影はなく、だだっ広い廊下だけが虚しく広がっていた。






 一通りチョコ配りを終えた頃、ミュゲはすっかり疲れていた。できることなら来年からはやめて欲しいと思うが、イリスは当分続ける気満々らしい。しかもさっそく来年の事を見越してか、帰りがけにやたらと親切にしてくる人が多数現れた。ミュゲとしてはありがた迷惑である。
 ルンルン気分のイリスとは対照的に、ミュゲはかなり不機嫌そうな表情で歩いていた。すでに日が沈みかけているため、これから帰って勉強しなければならないと思うと、どっと疲れが増す。
「あ、あの……」
 そんなミュゲに、柱の影から声をかけてきた女性がいた。立ち止まって振り返ると、彼女は小さな包みを渡すだけ渡し、灰色のローブをなびかせつつ猛烈なスピードで走り去っていった。それはそれは素晴らしい脚力であった。
 唖然としていると、イリスが手元をのぞき込んでにっこり笑った。綺麗な装飾をほどこされたそれは、どう見てもバレンタイン用のプレゼントである。
 それを筆頭にミュゲにプレゼントを渡してくる女子が続々と現れた。さきほどのように“渡し逃げ”をする子や、堂々と台詞つきで渡してくる子もいた。イリスは大変楽しがっていたが、ミュゲはただただ困惑するだけで、管理棟を出る頃にはカラになったはずの袋が再び溢れんばかりになってしまっていた。
 階級を問わず、ミュゲは女子の間で人気高い。その彼がバレンタインの日に師匠のお供でやってくるだろうという噂はあっという間に広がり、結果こうなったわけだ。
「もう、ミュゲくんってばモテモテねっ」
 隣で冷やかす師匠の笑顔が何となく憎らしい。もらった分だけ後々返さなければならないと考えると、今から頭が痛い(ミュゲはかなり律儀な性格をしている)。こんなことになるならついて来なければ良かったと溜め息を吐くがもう遅い。腕にのしかかる重量感と闘いつつ、チョコ配りには今後絶対付き合わないとミュゲは心に決めた。
 が、結局師匠には逆らえず付き合わされ、全く同じ事を(しかも数年)繰り返すのであった。




END







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