ビオレータとオレンジ色のおばけ



〜甘い香は悪夢への罠〜







 ある日のこと。ビオレータとミュゲは、アーチェロに呼び出されてエスタシオンにやって来ていた。
 数日前に会った時にミュゲが約束をしたのだが、その際にアーチェロは「必ずビオレータも連れて来るように」と念を押していたため、こいつは何か企んでいる、と相当胡散くさいと思っていた。しかし友人との約束を無下にする事も出来ず、仕方無くビオレータを連れて季節管理棟までやって来たのだ。
「アーチェロさん、何かくれるのかな?」
 ミュゲに抱えられた猫型ビオレータは、異様な期待感を胸にウキウキしていた。呼び出されただけで何の用があるのかもわからないというのに、何を期待しているんだろうか、とミュゲが溜め息を吐く。しかしビオレータは全く気付きもせず、その後も可能な限り自分に都合の良い考えばかり口走っていた。


 管理棟に足を踏み入れると、いつものように季節の魔法使い達が慌ただしく働いていた。相変わらずの緊迫した雰囲気にどうにも馴染めず、ビオレータは丸くなっていた。
 通路を歩いていると、ふいにミュゲは足を止めて誰かと話を始めた。ゆっくりと顔を上げてみる。ミュゲと話しているのは見知らぬヴァイスだった。
 ミュゲと見知らぬヴァイスは、しばらく立ち話をしていたのだが……
「ビオレータ」
 つまらなそうにあくびをしている所で名を呼ばれ、ビオレータは慌てて姿勢を正す。
「僕はちょっと用事が出来たから、彼と一緒に行って来るよ。だからここで待っていてね。間違ってもその辺をウロウロして、他人様に迷惑をかけるようなことだけはしないでね」
 念を押して厳しく言いつけ、ミュゲはさっさと行ってしまった。

 取り残されたビオレータはというと、少しの間はその場で大人しくしていた。通路の片隅にちょこんと座り、通り過ぎてゆく人の姿をぼんやりと眺めてつまらなそうにしていたが、ふと、どこからともなくイイ匂いがしてきて、くんくんと鼻を鳴らした。
「なんだろう?」
 この香ばしい匂いは……お菓子に違いない。なぜ季節管理棟なのにお菓子の匂いがするのかは不明だが、(猫なりに)うっとりした表情を浮かべ、ビオレータは無意識に匂いの元を辿りながら歩き始めていた。
 そして案の定、匂いをたどってどんどん歩いていくうち、ビオレータはすっかり迷ってしまった。管理棟内を全て歩いたことがあるわけではなく、また今は猫であるため、見知らぬ空間は異様なほど広く見えて不安感が募った。たしかに匂いの元はこの辺りのようだが、一体どこなのか不明だ。
「えーん、ミュゲくんに怒られるよー」
 不安と恐怖から泣きべそをかきつつ、ビオレータはウロウロと歩き回り、なんとかして元の場所に戻ろうと必死になっていた。しかしそのせいでさらに迷っているという事実に、彼女は全く気付いていない。
 そうして通路の角を曲がった時、ふいに見慣れた後姿を見つけてビオレータはものすごく喜んだ。クルクルと綺麗に巻かれた長い栗色の髪に真っ白なローブ。間違いなく、あれはアーチェロだ。
「す、すみませーん!」
 知人に出会えた感激を全身で嘘くさいほどに表現しつつ、ビオレータは勢い良く走って近づいたのだが……

 ぼとり。

 目の前に何かが転がり落ち、ビオレータは思わず足を止め、そして悲鳴を上げた。
「ぎゃー! おばけー!」
 オレンジ色のカボチャのおばけが、にやりと怪しい笑みを浮かべていた。カボチャおばけの突然の登場に、怪奇現象が苦手なビオレータは、あっという間に気絶した。




「うーん、うーん、カ、カボチャが、オレンジが、おばけがっ…………はっ!」
 オレンジ色のカボチャおばけに追い回されている夢を見ていたせいか、ビオレータは全身汗だくで唸っていた。ようやく目を覚ましたわけだが、いまだ夢を見ているようで気分が優れない。恐る恐る身体を起こすと、無意味に大きなタオルが乗せられていることに気付く。濡らされているために重みを増しており、子猫のビオレータは押しつぶされるような錯覚に陥っていた。
「やっと起きた」
 タオルの下でもぞもぞと動いていると、聞き慣れた声が聞こえ、次いでひょいとタオルが取り上げられた。はっとして見上げると、頭上には少々怒り気味のミュゲの顔があった。
「じっとしているように言ったのに……」
「ご、ごめんなさい」
 やっぱりこうなる、と言ってミュゲが溜め息を吐くと、ビオレータはへにょっと耳を垂らして丸くなった。
「ところで、ずいぶんうなされていたけど、どんな悪夢を見ていたの?」
 問いかけられて、ビオレータははっと我に返った。
「ミュゲくん、大変なの! カボチャのオレンジ色が、帽子の真っ黒になって、笑ってにやっと見ていたの!」
「……なんだかさっぱり意味がわからないんだけど」
 慌てすぎたおかげでビオレータの説明は支離滅裂となり、ミュゲには何のことやらさっぱり理解不能であった。
 何でわかってくれないのー! と憤慨し、ビオレータは白いローブをカリカリと引っ掻いていたが、ふと誰かが振り向いたのが目に入った。
「オレンジ色のカボチャのおばけって、これの事かしら?」
 女の人の声と共に目前に置かれたのは、まさしくオレンジ色のカボチャのおばけで。再びにやりと笑いかけられたビオレータは、真っ青になってミュゲに飛びついた。
「ぎゃー! あの世から追いかけて来たッ!」
「……そんなわけないじゃないか」
 白いローブにしがみ付いて騒ぎ立てるビオレータに、ミュゲはもう一度溜め息を吐いたのだった。



「まさか、そんなに驚くなんて思ってなかったわよ」
 床に座ってぐすぐすと泣きべそをかくビオレータの頭を撫でつつ、困り顔で謝罪しているのは、エスタシオンに呼び出した張本人・アーチェロである。本当にまさかこんなに怖がるとは思っていなかったのだから仕方がないのだが、あんまりにもビオレータが驚いたため、逆に驚いたようだ。
「まさか、このカボチャおばけで驚かすためにわざわざ呼んだわけ?」
 にやけた笑いを浮かべるカボチャおばけの人形を拾い上げ、ミュゲが心底迷惑そうな顔をした。
「ちょっと、人聞きの悪い事を言わないでよ。相変わらず嫌な性格ね」
 ミュゲの素っ気無い言いっぷりにとりあえず一言文句を言った後、ふう、とアーチェロが一息ついた。
「ハロウィンって知ってる?」
 問いかけに、ビオレータとミュゲは知らないとばかりに首をかしげた。
「私たち秋の魔法使いには馴染み深い行事なんだけど、こういうカボチャのおばけを作って飾ったり、色々なものに仮装したり、お菓子を作って配ったりするのよ。この時期になると、仲間同士で集まってパーティをするの。それであなた達も呼んだのよ」
 にっこり微笑みつつ、アーチェロはビオレータの頭に子猫用の小さな黒い三角帽子を乗せた。それは、さっきのカボチャおばけがかぶっていたのと同じものだ。
「驚かせてごめんね、はいどうぞ」
 目の前に差し出されたのは、甘い香を漂わせるクッキーにケーキにチョコレート。その甘ーい誘惑に、ビオレータが瞳を輝かせたのは言うまでもなく。
「さっきのイイ匂いはこれだったんだ!」
 くんくんと鼻を鳴らして上機嫌に話すビオレータの隣では、ミュゲが疲れた表情を浮かべていた。なぜあの場所を離れたのか、ようやく理解したようだ。
「……どうせ、そんな事じゃないかと思ったんだよね」
 しかし、お菓子にウハウハ気分のビオレータには、ミュゲの呟きは全く聞こえていなかったのだった。




END







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