Light & Darkness
Sequel 14
朝陽がゆっくりと世界を彩り始めた。空が白さを増していくと、それまで世界を覆っていた闇は月と共に西へ追いやられ、ついには姿を消した。 瓦礫の山に埋もれ、カイザーは無造作に両腕を投げ出した。手にしていたブリューナクの重量で瓦礫が崩れたが、構う気力もない。もう、瞳を開ける事すら儘ならない。闇に塗れすぎた自分には、朝はあまりに眩しかった。 全てから見放されたように音が遠い。人の声は勿論、鳥のさえずりも、空気の音すらも聞こえない。鮮明なのは、今にも止まりそうなほどゆっくりと体内に響く鼓動だけ。 落下した先は運良くか機巧技師達の研究棟だった。最後のあがきとばかりに魔猟銃を撃ったものの、その後ロックウェルがどうなったのか知る由もない。確認しようにも立ち上がる気力すら残っていなかった。 瞼ごしでも感じ取れる白さ、音のない世界。すでに天に召されたかと考えて、カイザーは小さいけれども声を出して笑った。この身が“天”に召される事などない。堕ちるのは地獄以外有り得ないのに、と。 やがて笑う事にも疲れ、深く息を吐いた。感覚が徐々に遠のいてゆく。呼吸はいつ止まってもおかしくない。それでも光は情け容赦なく闇を照らしていた。 ふいにカイザーの身体を影が覆った。何事かと飛びかけた意識を引き戻すと、苦痛だった眩しさが和らいだ事に気付く。懐かしい香が鼻腔をくすぐり、頭には確かに柔らかな感触があった。うっすらと瞼を開けると、そこには朝陽を受けて一層輝く黄金色があった。陽光よりも何よりも眩しくて、思わず瞳を細めた。 「……初めてですね、貴女の膝枕」 「そうだったか?」 フェリーシアの細い指先が、猫を愛でるようにカイザーの髪を撫でた。 穏やかに、穏やかに時が流れる。不意に流れてきた風がそよそよと髪を揺らし、肌を優しく撫でる。それが、不覚にも心地よかった。こんな風に穏やかに時を過ごすのは、後にも先にも今だけ。死に際の今が最初で最後になるとは、つくづく神に見放された証拠か、それとも自分にもまだ加護があったと喜ぶべきか。 「死にそうか?」 「……ええ、死ぬでしょうね」 血に染まった身体、途切れそうな息、蒼白の顔を見れば一目瞭然だろうが、あえて聞いてくるあたりが何とも憎らしい。けれど、どんな言葉を吐かれても、カイザーにとって彼女は憎しみの対象にはならなかった。愛しすぎて、どこか冷めてしまった自分がいる。 「因果応報という言葉があるだろう。お前はレインを傷付けた。罪無き者を殺め過ぎた。だから、お前の死を悼んでやる事はできない」 たとえこの心に抱いた想いが全くの逆だったとしても、フェリーシアはそう言わなければならなかった。立場上もあったが、ずっと長い間貫いてきたものを今さら崩す勇気がなかった。 「……そうですか」 己がしでかした善事や悪事が、己の未来を決めてゆく。これまで信念に基づいてやって来た事が悪事だとは微塵も思っていないが、その言葉は真実であろう。血で汚れすぎたこの身体は、もはや消滅するしか止まる術を知らないのだから。 「もはやこの世に未練はありませんが……ただ……」 たとえどんな結末であれ、これ以上無様に抗うなど……敗北者が未練がましく「まだ死にたくない」とのたまうなど、最強種【ドラゴーネ】としてのプライドが許さない。竜と化しての闘いは、ロックウェルにとって一世一代のものであろう。それに応えた末の敗北だ、これ以上は生き恥をさらすだけ。しかし、ひとつだけ心残りがあった。それを伝えるためにカイザーは血に塗れた手を伸ばし、フェリーシアの頬に触れる間際でぴたりと止めた。 「貴女を残して逝くのが心苦しい。貴女を幸せにできるのは、私だけですから」 常人が夢見る“幸せ”など一度も望んだことはなかったが、それでも、今でも、彼女を誰よりも想っているのは自分だし、彼女を満たす事が出来るのも自分だけだと確信があった。 カイザーの言葉に、エメラルドの瞳が驚いて瞬く。そして伸ばされた手をそっと握ると、フェリーシアは困ったように笑った。 「お前は、本当に呆れるほど自惚れ屋だな」 「何を言ってるんですか。貴女がそうさせているんですよ」 握られた手に軽く力を入れ、さっさと結婚でもしてくれれば良かったのに……とカイザーが悪態づくが、フェリーシアはそれでも笑っていた。 「心配には及ばん。これでもな、嫁にしたいと言っている男がいるんだ」 カイザーとはまるで正反対の真人間。護ってあげたくなるような可愛らしい姫でも娶れば幸せになれるはずが、わざわざ苦労してまでこんな自分を構うなど、なんて馬鹿な男だろうと思う。でもその馬鹿さ加減が……少しお前に似ていて、とても好きなのだと。そう思ったが、フェリーシアはあえて言葉にしなかった。 「……妬けますね」 ここで時が止まる自分とは違い、フェリーシアは未来へ向かって歩んでゆく。その先に立つのが自分でないのは少し寂しい気がする。それは素直で率直な一言だった。 カイザーが疲れたように息を吐いた。それまで綻んでいた表情が、吐息と共に力失せてゆくのがわかった。 「最期にひとつだけ、お願いがあるのですが」 「言ってみろ」 「私の屍は、空へ返して欲しいのです。地上に留まるのは、もう疲れてしまいました」 言いながら、カイザーはそれまで開いていた瞳を閉じた。呼吸はゆっくり、ゆっくり。わずかに開かれた唇から微かな息が洩れるだけ。 光溢れる世界を、いつから苦手だと感じるようになったのか。そう感じるようになった日から、愛しい人にも闇の中でしか触れられなくなってしまった。相手は光の中で輝く人だから、闇に塗れた自分とは生きる世界が違う。そう確信したのは、ドラゴーネを滅ぼした日の夜だった。これ以上触れれば汚してしまう。だから別れを切り出した。だから最後に答えが聞きたかったのに、彼女は望みを叶えてはくれなかった。おかげで何年も未練がましく恋い慕い続けてしまったではないか。 しかしそれにも疲れてしまった。だから、眠りたい。走り続けた身体を休めたい。もう二度と誰にも触れられないように、灰となって。大地に埋められては、落ち着いて死んでいられない。翔け続けた大空へ帰りたい。過ぎた事をと詰られても、それだけが願いだった。 フェリーシアは瞳を閉じ、ゆっくりと身体をふたつに折った。触れる間際で止まった唇が開かれ、たった一言ささやく。この言葉をもっと早くに聞かせてやろうと思った事もあった。けれど、カイザーが闇に身を投じた本当の理由が、自分のためではないと……その力でもってどれだけ世界を動かせるのか試していたのだと知っていたから、少し意地悪をしてやっただけ。 これまで何度せがんでも決して聞く事ができなくて、それでもいつかはと願い続けた言葉。もしもその言葉をもっと早く聞いていたら、自分は――心に問いかけてみても、もう応えは返って来ない。それでもカイザーは満たされて微笑んでいた。たとえそれが“過去形”であっても、あの日あの時、確かに心があったのだと知ることが出来て満足だった。 「悪いが、もう触れてやれん」 フェリーシアが少し寂しげに微笑む。時が止まった相手に言葉は届かなかった。 触れそうな唇そのままに、ふっと息を吹きかけると、カイザーの身体がみるみるうちに石化していった。頭から爪先まで石と化したカイザーの身体は、流れてきた風に吹かれ、さらさらと砂のように飛ばされてゆく。 灰となって遠い空へ帰ってゆくカイザーを、エメラルドの瞳はいつまでも見つめていた。これまでの所業を正しいとは言ってやれないが、おかげで自由を得る事ができた。ようやく自分の翼で空を飛ぶことができる。その先に待つのがお前でないのは少し寂しいが、それでも私は未来を歩んでいかなければならない。 今はもう終わりを告げた想いが、真っ白な灰と共に飛んでいった。 朝陽で輝く黄金の髪を、風が柔らかになびかせる。 その風が呼び声を届け、フェリーシアは振り向いた。 「いた、いましたよー坊っちゃん!」 振り向いた先には立派な毛並みの巨大狼がいて、フェリーシアの姿を見つけるやいなや、後方に向かって大声で呼びかけていた。その声を頼りに遅れてやって来たのは、大小二匹のワイバーンを引きつれ、ひどいふくれっ面をした金髪碧眼の少年だった。 「やっと見つけた! もう俺疲れちゃったよー」 「それにしても、坊っちゃんの言った通りでしたね」 「でしょ! だから言ったんだよ。フェリーシア様は絶対無傷だって。助けに来る必要もなかったねー」 と、そこまで言った途端にゲンコツをお見舞いされ、ファルシオンは頭を抱えながら身をよじらせて悶えていた。あまりに強烈な一撃に、サラは同情の眼差しを向けつつ主を労わっていた。 「ずいぶんと素晴らしい噂話をしてくれたようだな、ファルシオンよ」 いつの間にか仁王立ちしていたフェリーシアは、いつも以上に大きく見えた。当然、ファルシオンとサラは大いに怯む。 人を殴る元気があるなら無事だろうとは思ったが、服が血に染まっているのが気にかかる。碧眼と濃茶の瞳が釘付けになっていた。 「フェリーシア様、本当に怪我ないの? だいじょぶ?」 「ん? ああ、これか。気にするな、私は無事だ」 言いながらエメラルドが遠い空を見つめる。その先には明るい空しか見えなかった。 フェリーシアは一息吐き、足元に転がっていたブリューナクを拾い上げると、放り投げてファルシオンに渡した。さすがに何だか疲れてしまった。 「あいつ等もじきに帰ってくるだろう。先に戻るぞ」 この場を早く立ち去りたかった。悼むことはできないと言ったが……本当に疲れているのか、カイザーの死を真っ向から受け止められるほど、今の自分には気丈さが足りなかった。やはり少し時間を要するだろう。 しかし、いつまでも陰鬱に滅入っているわけにもいかない。気を取り直して視線を上げると、目の前でサラが地面に伏していた。 「乗ってください」 「? 何だ、私は自分で飛べるぞ」 「でも、女王さま疲れてるみたいですし……」 「そうですよー、たまには女らしくした方がいいですよー。だからいつまで経っても嫁の貰い手がないんですよ」 呑気な一言に、フェリーシアの何かがプチッと切れた。 「余計なお世話だッ!!」 真っ赤に染まった瞳がぎろりと睨む。牙を剥いてフェリーシアが吠えると、ファルシオンは悲鳴を上げて逃げ惑った。 何だか思いつめていたようだったが……あれだけ元気があれば大丈夫だろう、とサラはこっそり笑っていたのだった。 風の音と竜の咆哮が渦巻き、空が悲鳴を上げていた。その声が怖くて怖くて……膝を抱えて床にうずくまり、レインはじっと耐えていた。 竜の声は二つだった。そのうちに一つが消え、そして今はどちらも聞こえない。声の主はどうなったのか、考えるだけで恐ろしかった。 ふいに、あれだけ騒がしかった風の音が止んでいた。座り込んだまま顔を上げ、大きな窓に瞳を向けて、外界が明るくなっていた事に気付く。いつの間にか、闇が消え去っていた。 それだけで心を支配していた恐怖感が少し和らいだ。金縛りにあったように動かなかった手足が、魔法が解けたように自由が利く。それならば、外の様子を見てみたい。消えた声の主がどうなったのか、確かめなければ。そう思って、立ち上がろうとした時だった。嵐が迫り来るような音が聞こえたかと思った直後、何かが窓を破って室内に侵入してきたのだ。 レインは悲鳴を上げて頭を抱えた。盛大な破壊音がしたかと思うと、直後に強い風が入り込み、薄緑の髪と衣類の裾を舞い上がった。 硝子を突き破って侵入した“何か”は、室内の壁に激突してようやく止まった。舞い上がった埃の中、その何かがゆらりとうごめく。 「……つッ! 痛ェ……」 崩れた壁の破片に埋もれ、自由が利くのか確認するように一度二度と白い翼が羽ばたく。のそりと身体を起こし、ロックウェルは頭を押さえて表情を歪めていた。 聞き慣れた声が耳をくすぐり、レインははっとして顔を上げた。室内に充満していた埃やら砂煙やらが落ち着くと、瓦礫の中でうごめく人影が鮮明になる。待ち焦がれた人の登場に、レインの表情が朝陽のように輝いた。 「ロックウェル!」 レインは立ち上がり、笑顔を浮かべて駆け寄った。そして普段の彼とは違うことにはたと気付く。いつもは束ねている髪が下りている事より、いつも着ている薄茶のコートがない事より、彼の背に彼自身の翼がある事に驚いた。これまで一度として見た事がなかった彼の翼は、これまで見た何よりも白い。ゆっくりと羽ばたかれていた翼は二度三度と瞬くうちに消えてしまったが……どうして今まで見られなかったのか――ロックウェルを長年縛っていた掟を知らないレインは、しばしの間見惚れていた。が、正気に戻そうとロックウェルが目前で手を振るとはっと我に返り、彼の左肩の大怪我に青ざめた。 「なんて、ひどい怪我……どうしよう」 触れるのも躊躇うほどのひどい傷だ。今なお血を滲ませる肩を見つめ、レインは瞳を潤ませた。零れそうな涙をぐっと堪え、止血しなければと服の裾を破こうして慌てる。泣いている場合ではない。自分よりも彼のほうが辛いのだ。しかし、服に手をかけた所で手を重ねられ、レインは視線を上げた。ゆっくりと首を振り、ロックウェルは止血を拒んでいた。 「遅くなって悪かった」 言葉と共に、少しばかりの疲労と盛大な安堵が混ざった笑顔が向けられた。その一言に、スカイブルーの瞳に溜まっていた涙が零れ落ちた。言葉は喉の奥で詰まり、声にはならなかった。レインは俯き、頭を振った。もう二度と会えなかったらどうしようと思っていたから、こうして来てくれただけで、無事とわかっただけで嬉しかった。けれど、最強だと思っていたロックウェルのこんなにも傷付いた姿を見てしまったら……心が痛くて涙を止める事が出来なかった。 ロックウェルは泣きじゃくるレインの背に腕を回し、そっと抱き寄せた。レインは胸にもたれて泣き続けていた。左肩は血で汚れているが右肩は綺麗だ。しばしそのまま、ロックウェルはレインの髪を撫でてなだめていた。そんな場合ではないとわかっているが、この穏やかな時間と柔らかな温もりが心地良かった。そうしているうちにレインも落ち着いて来て、それを見計らってロックウェルが様子をうかがう。 「怪我は?」 「大丈夫」 涙を拭いながらレインは笑顔で応えた。 「あいつに何かされた?」 「う、ううん……何も」 一瞬躊躇したレインの反応に、ロックウェルの眉間にしわが寄った。 「何された」 「本当に、何も……」 「本当に?」 嘘を見透かすような視線を向けつつロックウェルが顔をのぞきこむと、レインは軽く視線を泳がせた。彼女は嘘を吐くのが得意ではないから、様子を見れば明らかに怪しいとわかる。何かあったというのがバレバレで、猛烈に腹が立った。この場に奴がいようものなら一発殴るどころか息の根を止めてやりたいが、残念ながらそれは二度と叶わない。そして観念したのか、レインが恐る恐る口を開いた。 「あの、その、手に……」 恥ずかしいのか、それとも発言に困るのか語尾は消え入ってしまったが、それ以上の言葉はなくとも何をされたのかすぐさま理解できた。重ねていた手にエメラルドの視線が落ちる。なるほど、気取ったアイツならいかにもやりそうな事だ。何だかそのままにしておくのも気に入らなく、またもの凄く許し難かったため、ロックウェルはレインの手を取り唇を触れた。 「消毒」 挑発的に微笑まれ、レインは頬を紅潮させた。今更この程度で動じる事なんてないはずが、無性に照れ臭くてまともに顔すら見られず、俯いた。 その様子をロックウェルは小さく笑って見ていた。が、ふと笑いを止め、何かを思い出して服を探り始めた。ようやく目的の物を探し当てると、ロックウェルはそれをレインに手渡した。 「また、お前に助けられた」 スカイブルーの視線が掌に落ちる。手渡されたのは、自分の瞳と同じ色の魔陣石だった。なくしてしまったとばかり思っていたのに。 「よかった……」 「見つかって?」 「ううん、そうじゃない。あなたが無事だったから」 かつてしばしの別れを告げられた時、彼のためにせめて何か出来たらと思い、この魔陣石を預けた。戻ってきてから、離れている間に何度も救われたのだと話して聞かせてくれた。命を救ってもらったのに、そばにいても何も出来ないと悩んだ事もあった。だから、こんな自分でもまた役立てて……彼を救う事が出来て本当に嬉しかった。 「レイン……」 名を呼ばれて視線を上げると、エメラルドの瞳とかち合った。あまりにも真っ直ぐに見つめられ、スカイブルーの視線は躊躇いがちに宙を迷う。しかし、逸らされない視線とゆっくりと確実に近づいてくるエメラルドについに捉えられ、レインは観念して瞳を閉じた。何者も邪魔できない、恋人同士だけが作り出せる独特の甘い雰囲気が二人を包む。閉じた瞼から涙が零れ、白い頬を伝った。その涙を指で拭い、レインの唇に唇を重ねようとした時だった。 「大丈夫かーっ?!」 勢いよく開け放たれた扉の音に、二人の動きがぴたりと止まる。やって来たのは、破壊音を聞きつけてご丁寧に駆けつけてくれたガイデル兵であった。一瞬眉間にしわを寄せて舌打し、ロックウェルがキッと睨みつける。その鋭い眼差しにガイデル兵は大いに怯み、後退りした。 「も、申し訳ございません!!」 真っ赤に染まった瞳に睨まれ、牙を剥かれて咆えられ、ガイデル兵はしっかり扉を閉めて大慌てで逃げて行った。せっかく親切心を出して助けにきてくれたというのに、なんとも不憫である。 せっかくのいい雰囲気を邪魔され、ロックウェルは面白くなさそうだったが、レインはくすくすと笑っていた。レインの笑い声を聞いていたら、何だか怒る気も失せ、ロックウェルは息を吐いた。 「そろそろ帰るか」 「はい」 ロックウェルは立ち上がり、レインの手を取って立ち上がらせた。そしてベッドに近づき白いシーツを剥ぎ取ると、血で汚れないようにとレインを包んでさっと抱え上げた。そのまま窓辺まで走り、バルコニーから身を投げる。ロックウェルの背から現れた真っ白な翼が羽ばたかれ、二人は空を翔けていた。直に受ける強い風も気にならないほど、朝陽は眩しく美しかった。 真っ白な竜に誘われ、遠い空から飛竜が飛んできた。風に乗ってその背に着地する。主の帰還を喜ぶ声が朝陽眩しい空を震わせた。巨大な両翼を思い切り羽ばたかせ、飛竜は二人を東の地へと運んで行った。 ◇ ◇ ◇ あれから数週間が経った。 アスライーゼ城内はいつもと変わらない活気に満ち溢れていた。カイザー一味の襲撃により受けたダメージは、隣国ロイゼの助力や城の者の努力によって日に日に修復されつつある。世界一の大国に住まう国民は、ちょっとやそっとでは怯まない逞しさを持っているのだ。 今回不祥事を起こしたガイデルは、当然というべきか王の失脚を迎えた。全てはダークネスの仕業だとガイデル王は必死に訴えたそうだが、そんな言い訳が通用するはずもなく、アスライーゼや同盟諸国の監視下の元に新王が擁立された。しばらく大人しくする以外に国を存続させる術はないだろう。 「つまらん……」 シンと静まり返った謁見の間に女の声が響く。赤い絨毯(じゅうたん)を足蹴に玉座に腰掛け、肘掛にもたれて至極退屈そうに口を尖らせているのは、誰もが認める勝気な女王。彼女の隣には白い口ひげを生やした老紳士が立つ。執事セバスは王の顔をちらと見遣り、そして咳払いを一つ。 「では、歌でも歌いましょうか?」 普段ならば、セバスが自ら歌おうなどと言い出すことは皆無である。しかし、あの一件以来少しばかり元気をなくした女王への心遣いだった。そんな彼の思いやりを知ってか知らずか、フェリーシアはセバスを見上げて溜め息を吐いた。 「歌はいい。そのうち聞こえてくるだろう」 お前の下手くそな歌を聞くなら、寝たほうがマシだ。そう言っている間に、どこからともなく美しい歌声が聞こえて来る。 「レインが歌っているな」 「そのようですね」 二人の顔に笑顔が浮かぶ。 これまで聞こえていたのは、ただひとりを想って焦がれる、とても切ない歌だった。けれど今は違う。すぐそばに感じる、溢れんばかりの幸せを伝える歌だ。闇に怯えることを忘れた声色は、清き水のように透明で、澄み切った空のように晴れやか。その歌声が疲れた心を優しく癒してくれる。隣には彼女にとっての永遠の光がいることだろう。 「退屈もいいものだな」 「そうですね」 女王の言葉に執事が応える。 窓から入り込んだ爽やかな風がカーテンを揺らし、暖かな太陽の日差しが謁見の間に光を与える。美しい鳥の歌声に彩られた心地よい午後の一時を、二人はとても幸せに感じていた。 とりあえず、アスライーゼは今日も平和だ。 END |
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