× 第1章 【炎の魔術師】 3 ×





 なんでこんな事になったのだろう。なんで平穏平凡極まりなかった私の城に、謎の美男子が二人もいるのだろうか。やはりあの言い伝えは本当だったのだ。こんな事ならば、花なんて摘んで来なければ良かった。
 イグネアは、テーブルを挟んで向こう側に座る二人の顔を恨めし気に見た。なんとまあ、女子もびっくりなほど綺麗な顔をしているんだろうか。お城の王子様と言っても過言ではないだろう風貌だが、とりあえずこの場に相応しくない人間であるのは明確だ。
 一人は明るい蜂蜜色の髪と輝かしい瞳が印象的な、愛想よくニコニコと微笑む青年。社交的で明朗な性格であろうというのは、一見して推測できた。
 もう一人はひどく仏頂面でさめざめとした風貌の青年。艶やかな白銀の髪は冷え切った泉の水を思わせ、苛立たしげな青碧の瞳は一睨みで射殺せるんじゃないかというくらい凍てついている。
 見事にというか……髪の色や瞳の色を、そのまま性格にしたような青年達である。
「……今、お茶をお淹れいたします」
 とくに出してやる気もなかったが、二つしかない椅子を取られてしまい、手持ち無沙汰だったからとりあえず茶でも淹れるかとイグネアは狭い台所へ向かった。先ほどの無礼極まりない登場には怒りを感じたが、一応相手は王の使いだというし、茶も出さないのはこちらが無礼になるのだろうかと考えた末の決断だ。
 はあ、とイグネアは盛大な溜め息を吐いた。台所は向こうのテーブルから丸見えなので、青年達には思い切りこの溜め息が聞こえているだろうが、どうでもいいし気にもならない。こっちは平穏を壊されたことで疲れているのだ。
 とにかく早く帰ってくれないだろうか――そんな風に思いながら、上方の棚に置かれた、一つとして揃いのないカップに手を伸ばそうとした時だった。いつの間に近づいていたのか、脇から白銀の青年が手を伸ばし、イグネアよりも先にカップを手に取っていた。
「ちょ、ちょっと何ですかあなた!」
「俺の分は自分で淹れる」
 はあ? とイグネアが表情を歪める。この人は他人の家で何を勝手に図々しい事を言っているのだろうか。
 呆然とするイグネアの脇で、白銀の青年は非常に慣れた手つきで黙々と茶の用意をし、沸騰させた湯を鍋からポットに注ぐ。その際手をかざして一言呟いたのだが、何を言ったのかは聞き取れなかった。しかもだ。彼は自分の分だけ茶を淹れていた。図々しさも甚だしい。
「あはは、気にしないで。彼、他人の淹れた茶はおろか、作った料理すらも食べない潔癖な奴だからさ」
 のほほーんと片割れが弁解しているが、はっきり言ってそんな話はどうでもいい。人の家なんだから、淹れてもらった茶が飲めないなら我慢すればいいだろうが! と、そんな憤慨も爆発できずに口ごもっていると、その間に白銀の青年はさっさと席に戻っていた。
 結局イグネアは片割れと自分の茶を淹れ、がっくりと肩を落としながら運んだ。


「さて、お茶も出たことだし、本題に入らせてもらおうかな」
 軽い口調で金色の青年が話を切り出した。その隣では例の白銀が涼しい顔して茶をすすっている。
「私の名はリヒト=アルマース、スペリオル王に仕える【光の騎士】。そして彼はヒュドール=サファイオ、同じく王に仕える【水の魔術師】。率直に言うと、貴女には我々の質疑に嘘偽りなく応える義務が生じています」
 丁寧な物言いでリヒトが自己紹介をし、ついで王の許可状を広げて見せた。ずらずらとお決まりの文句が書かれており、紙面の下方には王の直筆署名と捺印がしっかりと記されてある。なるほど、この許可状さえあれば彼らは何でも聞きだすことができ、逆らえば反逆罪に問えるという事か。
 こういった重要な書状には、必ずと言っていいほど魔術が施されている。たとえばこの許可状の文句に同意して名前をサインすると、彼らの問いかけた事項に限り、イグネアは一切嘘をつけなくなる。というような、一種の暗示的な魔術を施してあるのだ。それは書面上で交わされた約束事を破棄出来ぬようにとの配慮で、古くから利用されている手である。
 ヒュドールという青年の先ほどの発言の意味がようやく理解できたわけだが、あんな無礼で王宮の人だとは本気で理解し難い。
「遠路はるばるご苦労様です。それで、その王宮の騎士様と魔術師様が、この私に何の用ですか」
 眼鏡を正しながら問いかける。さすがに王直筆の書状を見せられたら観念するしかないだろう。イグネアはその辺に転がっていた空の木箱を引き寄せて椅子代わりにし、力なく腰掛けた。もう、平穏は戻って来ない気がする。
「まず、お名前を聞かせて欲しいな」
「イグネア=カルブンクルスです」
「変わった姓だね。ちょっと古めかしい響きというか」
「放っておいてください」
 はは、と笑いながらリヒトが書状に彼女の名を記す。これで聞かれた事には素直に答えなければならなくなった。
「じゃ、年齢は?」
「十六です」
「じゅ、十六っ?! こんな所に一人で住んでいて不便ではないの?」
「ちっとも」
「あ、そう」
 イグネアが素っ気無く返すと、リヒトがやれやれと肩を上げた。
 見れば見るほど地味な娘だ。眼鏡はどう考えてもサイズが合っていないと思われる。そのせいか、それともただの癖なのか正す回数が異様に多い。
 十六といえば都では恋に恋するお年頃。貴族であろうと平民であろうと皆華やかに身を飾り、素敵な殿方を探して闊歩しているというのに、この娘はそういった物とは無縁のようだ。というか、こんな山奥ならば仕方ないと思うが、むしろ無関心といった方が適当っぽい。
 滅んだはずの【炎の魔術師】というからどんな美女かと期待して来たものの……正直落胆の意は消しようも無い。部屋を見回してみても年頃の娘らしい物など一つもないばかりか、魔術師っぽい道具や書物も見当たらない。この子、本物だろうかという疑心は否めなかった。
「で、君は本当に【炎の魔術師】なの?」
 その問いに、イグネアはしばし間を置いてから答えた。
「……ええ、一応」
 許可状もあるから答えは真実だろうが、彼女の言葉に静かに茶をすすっていたはずのヒュドールがわずかに反応した。
 真紅の瞳は【炎の魔術師】の証。ビジュどころか、世界中どこを探しても真紅の瞳を持つ者は存在しないという。これまでも数多の魔術師を見てきたが、紅の瞳を持つ者は一人として見た事がなかった。
 魔術師界で最高と呼ばれるのは、破壊だけを生業とする炎を操る力だ。しかしその力を持つ者は滅んだからこそ英雄視されている。だからこそ貴重であり、尊敬にも値するし、羨望の対象ともなり得る。それを“一応”とは……なんとも軽く言ってくれるものだと不快感を覚えた――ものの、表情は少しも変わらない。
「一応って、それどういう意味?」
「言葉通りです。そちらの魔術師様ならお解かりでしょうけれど、この瞳は本物、炎の魔術師だけが持つものです。しかし、今は魔術を使いませんので」
 ヒュドールがわずかに視線を上げる。魔術師ならば、力を目の当たりにしなくとも瞳を見れば本物かどうか判断できる。この娘は嘘は言っていない。間違いなく【炎の魔術師】だ。
「なぜ“使わない”?」
 ヒュドールが問いを投げる。“使えない”ではなく“使わない”と彼女は言った。そこが気になる。
 イグネアは間を置き、少し言い難そうに口を開いた。
「……炎は破壊を意味します。全てを焼き尽くし、滅ぼすだけ。古の大戦で炎の魔術師がどうなったか、ご存知でしょう?」
 魔術師だけでなく一般人ですら知っている。
 千年前に勃発した【ベルルム大戦】。魔術師による、魔術師のための大戦を集結に導いたのは【紅蓮の魔女】と呼ばれた炎の魔術師の力だった。
 魔術師が操る炎は、料理をしたり湯を沸かしたり塵を燃やしたり、そういう時に起こされる火とは種類が違う。破壊を目的とし、奪うことだけが全てとされる。その力は恐れられ、後年魔女は裁判にかけられたのだ。そして炎を操る魔術師達は消えていったのだ。
「その力を使って、私に何をさせようというのですか? 戦場に立って敵を殺めろと? 炎の力で滅ぼせと?」
「いや……」
 イグネアは凛とした佇まいで青年達を見据えた。真紅の瞳は、かつて滅ぼされた祖達を思って全てを恨んでいるかのように、限りない怒りと清算されることの無い罪を映しているように見えた。それは十六の娘が持つには不釣合いなほど強く、激しい感情にも思えた。
 あまりに気迫が込められた弁に、リヒトとヒュドールは揃って瞳を見開いていた。
「私は炎の魔術師です。けれど古の大戦を期に、その力を使用する事は禁じられています。そんな使えない魔術師が、国王陛下のお役に立てるとは思いませんが」
 国が魔術師を欲する理由はわかっているし、騎士と魔術師が組んで戦場に立つ事も知っている。魔術師に危険は少ないし、ただのお飾りとして国王の傍に仕える場合もある。しかし、それでも自分は世に出るべき存在ではない。
 これは忌み嫌われたくないという保身ではない。だから地味に生きたいと願っているわけでもない。一度排除された事には理由があるのだ。それを覆すような――歴史をかき乱すような事があってはならないのだ。長い間守り続けてきたものを、こんなに簡単にさらけ出してはならないのだ。

 きっぱりと説き伏せたイグネアに、二人は瞬いた。確かに彼女の言う事は最もで、一理あるが――
「“使用を禁じられている”という事は、決して魔術が使えないという事じゃないだろう。アンタは自らの意思で使わないだけであって、先天的または後天的に使用不可な状態にあるわけではない。つまり、必要とあらば使うという意味だな」
 ヒュドールが淡々と語るやいなや、茶をすすっていたイグネアは、ぶはっ! と噴出した。なんという洞察力か。あのかなり曖昧な説明でそこまでびっちり言い当てるとは、若いくせに侮れない。
「し、しかしですね、使ってはならないというものを使うわけにはいかないのですよ! あなた方は、私に先祖さえ裏切れというのですか!」
「あのチョビヒゲ……じゃなくて国王の命令なら仕方ないだろう。今は今、昔は昔。いつまでもそんな風習に囚われていても、何も変わりはしない。今生きているのはアンタだろう」
「そうだねえ。俺達の使命も君を王都へ連れ帰る事だし、とりあえず来てもらわないと困るよね」
 リヒトの言葉に、ヒュドールが無言で頷いた。
「だからって……いきなり現れてあんまりな言い分です!」
 イグネアは慌てつつカップを口に運んだ。絶対に王都になど行くものか。ひたすら地味に生き続ける事が願いなのに、何でこんな事になったのだろうか。
 喉の渇きを癒すべく、イグネアは俯いて黙々と茶をすすっていた。が、不意に顎に指を添えられ、くいと上を向かされた。目前には甘く眩い黄金の眼差しが迫っており、懇願するように見つめてきた。
「俺達を助けると思って、一緒に来てくれないかな? 王都に来れば、君も姫君のように美しく変身できる。その姿を俺は一目でいいから見てみたい。いや映してしまったら最後、手放せなくなってしまうかも知れないな」
 穏やかに微笑みながら、甘い声色でリヒトがささやく。一体何人の娘がこのささやきの餌食になったか計り知れない。この美貌と声と口説きのテクニックを持ってすれば、必ずこの娘も落ちるだろうと確信してのことだったが……
 狙ったかのように眼鏡がずれ落ち、イグネアは口に含んでいた茶をだーっと零しだした。
「何で出す?!」
「す、すみません……ちょっと、背中というか身体中に悪寒が走って……」
 口を拭いながらイグネアは退いた。いきなり顔を近づけきたかと思えば、どこからそんな台詞が出てくるのだろうか。恥ずかしくないのだろうか、この人は。
 台所から適当な布巾を持ってきてせっせと掃除し出したイグネア。その家政婦さながらな姿、果ては自分の美貌に微塵も興味を示さないばかりか気色悪そうに身を退いた彼女に、リヒトはがっくりと肩を落とし嘆息した。
 だめだ、こういう相手は苦手だ。一応老若問わず、派手地味問わず女性ならいけるという自信はあったのだが。元々地味な娘は好みじゃないし、眼鏡だし……そんな風に思いつつ、リヒトは隣の相棒の肩に力なく手を置いた。
「……あとはお前に任せる」
「『必ず落とす』とか言ってなかったか?」
「無理」
 口調はきっぱりしていた。一年半コンビを組んで、リヒトの女癖の悪さは嫌という程見てきたが、その男がはっきり言ったのだから無理なんだろう。恐らく好みのタイプではないのだろうというのも理解できた。
 自信喪失というか、とりあえず気力を失ったリヒトを横目で見遣り、溜め息を一つ。ヒュドールは真っ直ぐにイグネアを見据えた。
「アンタには、俺達に同行する以外に選択肢はない」
「なぜですか?!」
「国民税、払ってないだろ」

 一瞬漂う沈黙。

「あっ……!」
 イグネアの顔色がさっと青ざめた。スペリオルに来て二年間、彼女は一銭たりとも国民の義務である税金を払った試しがなかった。そういう卑怯な手で来たか! と思うもすでに遅し。おろおろと視線を上げると、深海を思わせる青碧の瞳が一層冷ややかさを増し、勝利を確信して不敵に笑っていた。凡人がやろうものなら怪しさ爆発な笑みも、深窓の美男子がやるとなるほど非常に様になる。
「すぐに出るぞ、リヒト。いつまでもこんな山奥に滞在するなんてごめんだからな」
 イグネアの返答も待たず、ヒュドールが立ち上がった。それで我に返ったリヒトも、すぐに倣う。
「ちょっと待ってください! 今すぐって、そんなご無体な! じゅ、準備とか!」
「必要なものなら王都へ着いてから揃えればいい。それに城に行けば、アンタにはここより遥かに広い部屋が与えられるだろうから安心しろ」
「そういう意味でなくて!」
 慌てふためくイグネアを、青碧の瞳がちらと見下ろす。頭の天辺から爪先まで品定めして、結果言われた言葉がこれだ。
「どうせ持って行かなきゃならない物なんてないだろ?」
 かーっと頭に血が昇った。なんと失礼な! たとえ地味でも何でも娘なのだから、色々あるとか思わないのだろうか! 興奮した真紅の瞳が睨みを飛ばすが、ヒュドールは応える気も無いのか無表情であっさりかわしてくれた。

 こうして地味に篭城していた【炎の魔術師】はベルグ山から引き摺り下ろされ、王都へと連行される事になったのだった。




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