× 第1章 【炎の魔術師】 5 ×





 イグネアに与えられた役目は、国力の象徴だ。彼女は女だから騎士とコンビを組んで戦場に立つ必要もないし、ただのんびりと王宮で過ごし、時々王のご機嫌でも伺っていればいいだけだとの事。まさに一日中遊んで暮らすようなものだった。
 最初は厄介だと思っていたイグネアだが、考えていたほど面倒な事はそうそう起こらなかった。わざわざ呼んでおきながら大した用事もないのだろう、一日を通しても部屋に訪れる者は皆無だったし、大人しくしていれば誰も彼女を気にかける様子がない。これがものすごい美女だったら、用がなくても誰かしか無理やり理由をこじつけて会いに来るのだろうが。
 部屋の広さと家具の高級っぷりをあえて気にしなければ、さほど山奥の暮らしと変わらない。そのうち何か適当な言い訳を作って出て行ってしまえばいい。それまで、このまま平穏な生活が続けば、それでいい――そんな風に思っていた。

 開け放った窓からは爽やかな風が入り込み、レースのカーテンがふわりと揺れている。朝の光は眩しく、思わず瞳を細めてしまう。
 イグネアはテラスに出て外を眺めていた。山奥暮らしで老人並みの早寝早起きが習慣付いた彼女は、する事もないのでこうして外を観察しているわけだが、見下ろして広がるのは不変の庭園のみで、まあ大して面白くもない。というか朝早すぎるのだろうか、一人二人歩いている見回り兵ですら眠そうに欠伸をしている。
 起床してから約二時間、ようやく部屋の扉が叩かれた。毎朝、この時刻になると必ず女官がやって来る。専属の侍女はいらないと言ってあるのだが、それでも生きてゆくために欠かせない作業があるわけで。それを用意するために女官はわざわざ、毎日めげずにやって来るのだが……
「お食事のご用意は……」
「あ、今日もいいです」
「はあ」
 そんな端的な会話だけが交わされ、せっかく朝食の支度に訪れた女官は、顔だけ見せて退室して行った。
 申し訳ないとは思うものの、正直面倒くさい。こうやって断り続ければ、やがて向こうも面倒くさくなって自然に顔を見せなくなるだろう……などと考えていたものだが、世の中そんなに甘くなかったりする。なんたって王城に来てからすでに五日、イグネアは朝食どころか昼食も夕食もろくに摂っていないのだから、不審がられて噂になるのは当然だった。しかし当の本人は至って呑気で、それが隣室の怒れる魔術師の耳に入るとは思いもしなかっただろう。

 さて、ほぼ日課と化した女官とのやり取りも終えたことだし、暇だから読書でもしようか。そんな風に考えながらイグネアが足を踏み入れたのは、広い一間の片隅にある、どう見ても物置としか思えない空間だ。
 その事実に気付いているのか、それともあえてなのかは知らないが、そこにテーブルと椅子だけを運び込み、イグネアは事実上の“私室”として活用しているのだ。部屋は広すぎて居心地が悪いし、家具は豪華すぎて使いづらい。こんな所に税金を使うくらいなら返してやれと思うくらいだ。
 山奥で染み付いた生活感がたったの五日で改善されるはずもなく、広い王城でもイグネアはひたすら地味な暮らしぶりを続けていた。






 ヒュドールは術師棟の通路を歩いていた。表情はいつも以上に不機嫌そうである。というのも、彼は軍事関係の仕事もしっかりこなしているため、先ほど魔物討伐の遠征から戻ったばかりで大変疲れているのだ。
 普通なら城に戻ればそれなりの安息を得られるものだが、彼は違う。数日間不在にした部屋の掃除に洗濯、そのうえ食事の支度まで自分でやらなければならない。疲れたなどと言って休んでいる暇もないのだ。まあ、そういう道を自ら選んでいるのだから仕方ないが。
 そんな感じで溜め息を吐いていると、前方で女官が一人、右往左往しているのを見つけた。他人事に無関心なヒュドールは、当然ながら無視して通り過ぎようとした。女官が、彼に何用かあるはずがないのだから。
 しかし。
「お帰りなさいませ。あのヒュドール様、少々ご相談したい事があるのですが」
 ヒュドールは数歩先に進んだ後、渋々足を止めた。一体何の用があるというのだ。不愉快げに振り返ると、女官は困惑というか、少し怯えた表情を浮かべていた。滅多に声をかけないから、どう接していいのかわからない、といった感じだ。
「なんだ」
「は、はい……実はわたくし、イグネア様のお世話を申し付かっているのですが、ここ数日間ほとんどお食事を召し上がっていらっしゃらないようで……」
 朝昼晩、規則正しく部屋まで食事を運んでいるのだが、イグネアはほとんど手を付けず終いなのだという。ここ数日間で彼女が口にしたと思われるのは、飲物と果物のみ。肉や魚などの料理、野菜類には一切手をつけないのだ。王宮での不慣れな生活も考えて、一日や二日は食事が喉を通らないのも頷ける。しかし、彼女がここへやって来てからすでに五日も経過しているのだ。さすがに心配になったらしく、女官はどうしようかと悩んでいたらしい。
「で、何故それを俺に相談するんだ」
 青碧の瞳が冷ややかに見据える。自分に相談してくる意味がわからない。そんなの、他の誰かに話せばいいだろうが。
 すると女官は首を傾げ、それこそ彼の発言の意味がわからないとでも言うような表情を返した。
「陛下より、イグネア様の事は何でも、ヒュドール様に相談するよう言われておりますが?」
 次瞬。
 ヒュドールは遠慮もなしに舌打し、握った拳に力を込めた。
 ――あのチョビヒゲめ!!
 全く、下らない事ばかり押し付けてくれるものだ。今度会ったら本当に氷漬けにして川に捨ててやる――それでも根っからの責任感の強さは捨てられないのか、ヒュドールはぶつぶつと文句を言いながら山娘の部屋へと向かった。


 イグネアはすっかり本の世界に浸り切っていた。それは小難しい言葉が並べ立てられている分厚い歴史書なのだが、彼女は理解しているのかいないのか、うんうんと一人頷きつつ、飽きずに読書を続けていた。だから、部屋の扉が何度も叩かれていたことなど一向に気付きもしなかったのだ。
「……そこで何をしている」
「うひゃあああ!」
 なんとも情けない悲鳴が狭い空間に響いた。拍子でずれ落ちた眼鏡を正しつつ、真紅の瞳が驚いて見上げる。小部屋の入口には、耳を塞ぎつつものすごく不機嫌そうな表情を浮かべる白銀の青年が立っていた。心なしか顔色が悪いようだ。
「な、な、なんですかあなた! いきなり現れて……ああ、びっくりした」
 大焦りで言葉を返すイグネアを、青碧の瞳がぎろりと睨む。気を使って何度もノックしてやったというのに、なんだその反応は。
 しかもだ。彼女が納まっているこの空間は物置だ。それなのにまるでこの一画こそが自室とでもいわんばかりの寛ぎっぷりは何だ。
「……聞いてもいいか?」
「なんでしょう」
「なぜ、こんな物置で寛いでいる?」
「え、ここ物置なんですか? それにしては大きいですよね。ここがものすごく落ち着くんですよ。お部屋は私には広すぎますし」
 ヒュドールは額に手を当てて深い溜め息を吐いた。この貧乏性はどうにかならないのだろうか。
「もう一つ聞くが」
「はい?」
「昼過ぎにも関わらず、なぜ寝衣姿でうろついている」
 問いかけられ、イグネアは自身の服装に瞳をやった。象牙色の長衣は上質な布で出来ていて、そのうえ裾や袖、襟周りなどに細かい刺繍が施されている。その刺繍がとても凝っていて気に入って着ていたのだが……
「これ、寝衣なのですか? 綺麗なので普段着かと」
 ただでさえ疲労と空腹で倒れそうだというのに勘弁して欲しい。
「どう見ても寝衣だろう! さっさと着替えろ!」
「そ、そう言われましてもですね。クローゼットの服は私にはサイズも合わないし派手だし、どうにも着る気が起きないのですよ。これが一番地味だったので、着ているのです」
 眼鏡を正しつつ冷静に答えるイグネアを見ているうちに、だんだん言葉を返す気力もなくなってきたのか、ヒュドールは壁にもたれて天を仰いだ。全く、とんでもなく面倒な娘を押し付けてくれたものだ。年頃の娘らしくしろとはまでは言わないが、せめてもう少し普通の“人間”っぽくなってくれないだろうか。
「……五日間、食事を摂っていない割には元気そうだな」
 視線と共に向けられた言葉に、イグネアは明らかに動揺した。嫌な事を感付かれたとでも言うように急に焦りを見せる。その様子を青碧の瞳は見逃さなかった。
「なな、何の事でしょう?」
「しらばっくれるな。アンタの世話をしている女官が言っていた。この五日、飲物と果物以外は一切口にしていないと。その割に元気そうな理由を、今すぐ吐け」
 さもないと氷の槍で串刺しにするぞ……などと半ば拷問めいた台詞を吐きつつ、ヒュドールが睨みつけてくる。
 イグネアはううっと唸って縮こまった。五日も食事をしないと、やはり不審に思われるのか。しかし事情を話したくない。ものの、間違いなくこの魔術師様は見逃してくれないだろう。拒否すれば槍どころか矢まで降って来るかも知れないし、挙句氷漬けにされて川に捨てられるかも知れない。
 真紅の瞳が「言わなきゃダメ?」的におろおろと見上げると、「さっさと吐け」と言わんばかり、青碧の瞳が苛立たしげに見返してきた。
「そ、その実は……」
「実は?」
「あの、私、ものっすごい偏食なのです」
 イグネアが恐る恐る答えると、呆れ返った顔をされた。
「それにしても程がある。いくらなんでも、十六年間飲物と果物だけで生きてきたわけじゃないだろう」
「ま、まあそのようなものです」
「有り得ない」
 きっぱりと否定され、イグネアはついに困り果てた。常識的に考えれば有り得ない事実だろうが、実際に肉も魚も野菜も食べられないのだ。それは嘘ではない。
「第一、どうやって栄養を補っている。生きるために必要な栄養素は、果物だけでは摂取できない」
 どうしよう、完全に怪しまれている。いや怪しまれるような展開に持ち込んでいるのは、間違いなく自分なのだが。説明するのも面倒だし、だから女官はいらないと言っていたのに。
 しかしこうして人のいる場所で暮らすからには、いつかはバレる事だ。今は、この場をどう切り抜けるか……それだけが問題だった。
「えっと、その、薬を飲んでいまして」
 言いながら、イグネアは懐に隠し持っていた小瓶を取り出して見せた。茶色く染められた硝子に赤い蓋。ラベルも無ければ、中身も見えない。いかにも怪しさ爆発な薬瓶に、ヒュドールが眉をしかめたのは当然としか言い様が無い。
「昔から、ダメなのです。どんなに努力しても身体が受け付けなくて……。だから特別な配合のこの薬で、ずっと生きてきたのです」
 眼鏡の奥で、真紅の瞳が伏せられた。気落ちしたように表情を曇らせたイグネアの姿に、ヒュドールはほんのちょっぴり罪悪感を抱いた。衣食住は生きる者の基本。その基本の一つである“食”を、普通の者と同じように出来ない歯痒さを、彼は知っているからだ。
「……ちょっと来い」
 え、と顔を上げると、ヒュドールは既に背を向けて歩き出していた。


 ヒュドールに連れられたのは、なんと彼の自室であった。とはいえお隣同士なので、さほど移動距離もないから新鮮味も薄い。
 男性、しかも国で一、二を争う美形の部屋に足を踏み入れるとなったら、普通の娘は戸惑うか恥らうか警戒するかの反応を見せるものだが、イグネアは美形に興味がなければ異性に興味もないため、緊張感もなく室内をじろじろと見回していた。
 ベッドにテーブルにソファ、大きな窓を抜ければテラス……部屋の造りは自室と大差ない。が、広い一室の続き部屋には珍しい光景が広がっており、イグネアは引き寄せられるように足を向けていた。
 なんと、魔術師の私室に厨房があるのだ。一般家庭のそれよりはやや大きいが、さすがは王宮内の一室というべきか設備は完璧っぽい。
「お料理、するんですか?」
「自分でやらなきゃ餓え死にするからな」
 ヒュドールの言葉の意味を一瞬掴み損ねたが、そういえばと思い出した。確か山小屋で彼の相棒が言っていた。
 ――彼、他人の淹れた茶はおろか、作った料理すらも食べない潔癖な奴だからさ。
 つまり彼は茶どころか、食事の支度も全て自分でやっているという事か。
 国力の象徴である魔術師(しかも美青年)ともなれば、女官達は我こそ! と競って世話をしたがるだろう。ヒュドールはあれでも多忙らしいから、誰かにやらせる方が楽だろうし、普通ならばやってもらうに違いない。しかし彼にはそれを許せない事情があるのだと知った。
 いつ頃からこういう生活を送っているのかは知らないが、多忙の身で身の周りの事までこなしているとは……無礼で傲慢ではあるが、なかなか苦労をしているのは確かだった。
「あの」
「なんだ」
「どうして、他人の作った物はダメなんですか?」
 イグネアが問いかけている間も、ヒュドールは動かす手を休めない。しかも厨房で働くコックもびっくりなほどの手際の良さで、あっという間に適当な果物と少量の野菜という“固形物”をジュースに変えてみせた。
 まさに別の意味で魔術師であるな、とイグネアは感心していたが、ふと問いかけは一切無視かと気付く。そんな彼女の顔の前にガラスコップが差し出された。
「これでも飲め」
「なんですか、これ」
「さすがに肉類や魚介類を混ぜるわけにはいかないが、野菜ならこうしてしまえば飲めるだろう」
 コップを受け取りながら、おや? とイグネアは疑問を抱いた。もしや自分のためにわざわざ作ってくれたのだろうか。不思議そうに瞬いていると、青碧の瞳が「さっさと飲んでしまえ!」という脅しを込めて睨んできた。
 イグネアは恐る恐る特製のフルーツジュースを口に含んだ。そして……
「あ、美味しいですね」
「この俺が作ったんだから当たり前だ」
 ああ、こういう時にまで傲慢ぶりは変わらないんだ……とイグネアは苦笑した。でも美味しいのは事実だ。実は果物自体もそんなに得意ではないし、薬さえあれば特に栄養を摂取する必要もないのだが、これならば無理せずにいける。
「さっさと飲んで帰ってくれ。俺は腹が減って死にそうなんだ」
 だからさっきから顔色が悪いのか、と納得した。言われてみれば、いつもはもっと切れのある毒舌が、今は大した脅威にも感じられない。
 ふと気付く。そんな瀕死(?)の状態にも関わらず、このジュースを作ってくれたのだろうか。自分の食事の支度をすれば良かったのに……なかなかイイ所もあるのではないか。
「ありがとうございます」
 自然と零れていたのは感謝の言葉。
 この言葉を使うのは何年ぶりだろうか。もう忘れてしまっていたとばかり思っていたのに。こんなにも自然と口から出てくるなんて自分でも驚きだった。
 イグネアは笑顔を浮かべて残りのジュースを一気に飲み干した。これ以上この場に留まるのは悪い……と思っての事だったのだが、勢いよく喉に通したせいか、最後の一滴が気管の方へと入り込み、飲み終えた途端に激しく咳き込んでしまった。その様を見て、ヒュドールが怪訝そうだったのは、もはや言うまでもなく。

「あれー?」
 と、そこへ唐突に新たな入室者が現れた。
 イグネアは激しく咳き込みながらも視線を上げる。そこには黄金の輝き眩しい騎士様が立っていた。柔らかな髪は室内でも光を放ち、瞳は常に好奇心に溢れて輝いている。
 リヒトは床でうずくまりつつ咳き込むイグネアと、腕組みして明らかに不愉快そうな視線を投げかけてくるヒュドールを交互に見遣り、意味ありげな笑みを浮かべた。
「お前が俺以外の人間を部屋に入れるなんて、珍しいね。天変地異の前触れ? それともついにそうなっちゃった?」
「……殺されたいようだな」
 ぎろりと睨む青碧の瞳が、魔術を発動する直前のように妖しい輝きを放った。が、さすがと言うべきかリヒトはそれでも怯まない。
「いやいや、そんな照れなくてもいいんだよ我が麗しの相棒よ」
「煩い! 俺は今猛烈に腹が減って死にそうなんだ。下らない話をしに来たなら、本当に食らわすぞ!」
 空腹が限界らしいヒュドールは大変イラついており、さながら飢えた銀狼のようだ。神経を逆撫でしたら、それこそ相棒でも何でも容赦なく牙を剥くだろう勢いだった。
 そんなヒュドールの様子にも慣れているのか、それとも見飽きているだけなのか……リヒトは変わらず呑気な態度で接していたが。
「まあまあ落ち着け。そこで苦しんでいるお嬢さんに用があるから、まあ丁度良かったかな」
 真紅の瞳が見上げると、リヒトは愛嬌たっぷりの笑顔を振りまいた。
「明日の夜に、お披露目パーティを開くらしいよ」
 片目を瞑られ、イグネアははて? と首を傾げた。ちらと視線を向けると、青碧の瞳が同情めいた視線を投げてくるし、見上げると黄金の瞳は愉しそうに眺めているではないか。
 まさか。
「お、お披露目って……なにを?」
「君に決まってるじゃないか。【炎の魔術師】様」
「はあっ?!」
 素っ頓狂な声が、部屋中に響き渡った。

「着飾れば何とかなるかな?」
「無理だろう。そうしたところで、普段の生活ぶりがすでに“娘”ではない」
「だよねえ。でも少しは見られるようにしないとさ。集まる人たちもきっと期待してるだろうし」
「全くどいつもこいつも下らないな。もっとも、そんなものを開催するチョビヒゲが一番下らないと思うが」
「はは。陛下は新しい魔術師を手に入れると、すぐ自慢したがるからなあ。お前の時もそれは大層立派なパーティだったよね」
「……あれほど苦痛なものはなかった」
「特に今回は伝説の【炎の魔術師】だからね。陛下も今すぐ見せびらかしたくて仕方ないんだと思うよ。そう思うと、ますます何とかしなきゃねえ」
「しかし明日とは急だな。よく間に合ったもんだ」
「彼女が城に着いてすぐに招待状をばら撒いたらしい。とりあえず今回は国内のみだけど、さすがは陛下、やる事早いね」
「全くあのチョビヒゲは……というか、お前はなんでそんな事を知っている」
「俺の素晴らしい人脈を使えば、城内外問わず、どんな些細な情報でも入手出来るけど?」
「チッ……女か」
 と、呑気に(所々失礼な)会話を交わす美形どもはこの際どうでもいいとして。
 本当にあのチョビヒゲは何て下らない事を考えているのだ。お披露目? 冗談じゃない。ただでさえ人目につくような事は嫌だと言っているのに、そんな所で広められるなんて堪ったものではない。大体こんな地味な娘、披露した所で何の楽しみもないだろうが。イグネアは憤りつつ拳を震わせていが、二人は気付く様子もない。
「あ、ちなみにこれは君の為のパーティだから、逃げようとしても無駄だよ」
「いきなり話を振らないで下さい! というか嫌です、困ります!」
「大丈夫だって。ちょっと顔見せれば終わるし、あとは適当に美味しいものを食べて、その辺の貴族でも捕まえてお話してればいいんだからさ。あ、それとも何着ていこうかとかそういう問題? 何なら俺が見立ててあげようか。頑張れば、その地味さもどうにか誤魔化せるかも知れないしね」
「そういう問題ではありません。嫌なものは嫌です。大勢の前に顔を出すなんて、とんでもない」
「だが逃れられないぞ。俺もあの時、どんなに拒んだか……!」
 けれど逃れられなかったのだな、というのは様子を見れば明らかだった。当時を思い返しているのか、それとも単に腹が減って飢えているだけなのか、ヒュドールの顔色がますます青ざめてゆく。彼の場合、パーティという場そのものが苦痛のようだ。なんと言っても彼は並べられた料理にも飲物にも手が付けられず、長時間空腹状態で過ごさなければならないのだから、さぞ辛いだろう。
 しかも、二人はそういう場には必ずと言って良いほど強制的に出席させられるらしい。理由は単純、客寄せだ……と楽しそうに説明したのはリヒトである。彼の場合は、華やかに着飾った女性達を口説くために最適な場というだけであるが。
「楽しみだね、明日の夜」
 普通の娘ならば真っ赤になって喜びそうなさわやかウインクも、イグネアにとっては悪魔の誘いにしか見えなかった。一体何が楽しみなのだ。だったら勝手に楽しんでいればいいだろうが。
 とにかくどうにかして今のうちに逃げ出せないだろうか……などという考えも無駄に終わり、虚しくも時は流れ、披露(イグネアにとっては疲労)パーティを迎えることとなる。




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