× 第2章 【紅蓮の魔女】 2 ×





 腕を掴まれたままイグネアはずるずると引きずられ、気付けば自分用の客間まで戻ってきた。その事実にホッと安堵したところでようやく解放されたのだが、途端に頭上から白銀の魔術師様の睨みが落ちてくる。本当にいつにも増して不機嫌である。そんなに怒っていて疲れないかと思う。とはいえ、彼のおかげでいざこざから逃げられた事だし、こうして戻って来られたのだから、とりあえず感謝しなければ。
「どうもありがとうございます。迷ってしまって、帰れなかったらどうしようかと思っていましたよ。どうしてあんな場所にいたんですか?」
 のほほんと問いかけられ、ヒュドールは一瞬都合悪そうな顔をした。
 実はあの場所に現れたのは偶然ではない。イグネアが部屋から抜け出すのを見つけ、ちょっと後をつけていたのだ。とはいえ、決してやましい心からではない。放って置くと間違いなく何かやらかしそうだし、何かに巻き込まれそうだし、一応スペリオルが誇る国力ということになっているわけで、チョビヒゲからも秘密裏に「頼んだぞ!」といった風な指令が下っていたのだから仕方ない。……予想通り、さっそく面倒なことに巻き込まれていたわけだが。
 しかしヒュドールがそれを素直に話すはずも無く。
「偶然だ」
 きっぱりと言い切った。
 そしてイグネアは案の定というか、疑う余地も無く偶然の素晴らしさに感動していた。
「そうですか、偶然ってすごいですね。ところで、あのお嬢さんが先程話していた“例の彼女”ですよね」
 ヒュドールははっきりと返答しなかったが、面倒くさそうに頷いた。ということで、間違いないらしい。
 オーなんとかさんという名前だったか(興味もないから覚えていない)……なかなか性格はキツそうだが、美人ではあった。きっと毒殺事件を起こした頃も、それなりに可愛い子であっただろう。そんな子に好かれたら誰でも嬉しいのではないだろうか。
「綺麗なお嬢さんじゃないですか。あなたと並ぶと、とてもよく似合うのではないかと思いましたけど」
 特に二人がどうこう気になったわけでもなく、まあ美男子の隣に美人が並べば、やはり見栄えもいいのだろうなと呑気に考えて口走っただけだ。しかし言った途端にまたしても殺されそうな勢いで睨まれ、イグネアは訳がわからずもやっぱり怯んだ。
「ではなんだ、アンタは見た目だけ似合えばそれでいいと思っているのか」
「そ、そういうわけではありませんけれど……好意を抱いてくれたのだから、そんなに邪険にしなくてもいいのではないかと」
 はーッ! と肺に溜まっていた二酸化炭素を全て吐き出すかのような勢いで重い溜め息を一つ、ヒュドールは額に手を添えた。
「あのな、俺はあの女に殺されそうになったんだぞ? そんな女、普通嫌うだろう。アンタは、自分を殺そうとした相手に好意を抱けるのか?」
 問いかけにイグネアはうーんと唸り、考え始めた。そうしてふと、ある人物の顔を思い浮かべる。

 もし、もし。“あいつ”が目の前に現れたら……果たして自分はどんな気持ちを抱くのだろうか。憎むだろうか、呪うだろうか。それとも過去は全て水に流し、好意を抱けるのだろうか――

「おい」
 はっと気付くと、ヒュドールが不審げに見下ろしていた。
 イグネアは二三度瞬き、そしてはっきりと引き戻された。考えても無駄だ。“あいつ”が目の前に現れることなど有り得ないのだから。というか、よくもまあアレの顔を思い出したものだ。我ながら感心してしまった。
「そうですね、やはり嫌かも知れません」
「だろう。俺にだって好みはある。どんなに見た目が良くても中身が邪悪なのは御免だ」
 見た目が良くて中身が邪悪……それをそっくりあんたに言ってやりたい、とイグネアは密かに思ってしまった。彼の場合は邪悪というか、内面に鬼神を宿しているという感じだ。せっかく綺麗な顔をしていて、他人よりも幾分か得しているのだから、せめて気持ち程度の愛想を出せば、もっと色々楽しいだろうに。
「……それでもやはり、嫌われるより好かれた方がいいと思いますよ。嫌われるのは、とても辛くて寂しい事です。孤独で、心が荒んでしまいます。誰彼構わずとは言いませんけれど、あなたもそういつも怒ってばかりいないで、たまには爽やかに笑ってみるといいですよ。きっと違った世界が広がると思います」
 困ったように笑ってイグネアが言う。成就しない愛の末の殺人なんて、まだ可愛らしい方だ。真の殺意というものは、真の嫌悪というものは、真に恐ろしく、そして寂しい。
 なんて真面目な考えはほんのちょっとで、ヒュドールが怒ると本当に殺されそうで怖いから言ってみただけだったりする。
 しかし、青碧の瞳は見開かれていた。なんでだろうか。他愛ない言葉なのに、彼女が言うと重みがあるというか、真実味が滲み出る。自分よりも年下のはずが、ふとした時に年上のように思えるのは気のせいか……と考えて、ヒュドールは心に浮かべた疑問をすぐさま自己解決した。年寄りくさい生活を送っていると、自然とこうなるのだなと。
「余計なお世話だ。生意気を言うな」
「……それはどうもすみませんでした」
 生意気って……と思いつつも結局は睨まれ、イグネアはすごすごと客間へと帰っていったのだった。




 翌朝。
 朝陽が照らすゴルド城の通路を、見目麗しい娘が歩いている。長く伸ばした金髪は朝陽を受けて輝き、背後から見ればさながら女神のよう。
 だが、綺麗な顔に浮かべているのは何やら企んでいそうな、若干邪悪っぽい表情で、深海の瞳は不機嫌な色を惜しげもなく露わにしている。
 ――この私を差し置いて、あんな地味なのに気を取られるなんて……まったく不愉快だわ。あの小娘、どうしてくれようかしら。私の魔術で氷漬けにしてやろうかしら。
 などという恐ろしい事を考えつつ、オーゼラは通路を歩いていた。合間に「ヒュドールはやっぱり美しいわね」などという乙女心も混じっていたが、どちらかというと前者の思考の割合が高い。
 ちなみにオーゼラの実力ではヒュドールやイグネアと渡り合う事は不可能であるが、プライドだけは無駄に高い彼女がいちいちそんな事実を気にかけるはずがない。
 そんなこんなで過去の(危険過ぎる)想いを捨て切れず、未だにヒュドールの事を追っかけているオーゼラは、突如現れたイグネアの存在を非常に不愉快に感じていた。自分がどんなに頑張っても振り向かなかったあのヒュドールが、私よりも地味な小娘を相手にするなど許せない。成長して半端ない美形に育ったから尚更だ。だからどうにかしてヒュドールに近づかぬよう、脅しをかけてやろうと考えているのだ。ちなみに、二人の関係を完全に勘違いしている事には、一夜明けても気付いちゃいない。“恋は盲目”とは良く言ったもんだ。
「おっ、来たな」
 ブツブツと独り言を繰り返しながら通路を進んでいたオーゼラを呼び止めたのは、柄の悪い魔術師・バラムである。二人はコンビではないが、士官学校時代からの級友で、どういうわけかいつもつるんでいる。
「何か用かしら?」
 私は忙しいのとでも言わんばかり、肩にかかっていた長い金髪を手で払い、不満げな表情でオーゼラが視線を返す。いちいちお高く留まった素振りである。
「そんなおっかねえ顔して見るなよ。あの美形魔術師の事で、耳より情報があるんだから」
 途端、オーゼラは別な意味で怖い顔をしてバラムに詰め寄った。
「そういう事は早く話してちょうだい! なに?」
 バラムは軽く溜め息を吐いた。大体、警戒しているのかあちらさんの情報はほとんど外部に洩れないから、これだって(盗み聞き等の)苦労して手に入れてきたのだ。こいつはこーいう勝手な所が嫌なんだよな……と思いつつも仕方無く話し始めた。
「今日の午後、あのヒュドールって魔術師とコンビ組んでる騎士は、昨日の小娘を連れて“例の高原”まで乗馬に出かけるらしいぜ。暇潰しだってさ」
 話を聞いたオーゼラは、綺麗な顔に“いかにも何か企んでます”的な笑みを浮かべた。この機を逃してなるものか。あの小娘に、ゴルドの魔術師の力を思い知らせてやる。
「そうと分かれば、わたし達も行くわよ!」
「おう……って、俺も行くのかよ?」
「当たり前でしょう。わたし達の恐ろしさを思い知らせてやるチャンスなの!」
「……はいはい」
 せっかく綺麗な顔してるのに、何でこの女は邪悪な性格なんだ……と盛大に溜め息を吐きつつも、惚れた弱みなのか、バラムは仕方無く付き合う事にしたのだった。




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