× 第2章 【紅蓮の魔女】 3 ×





 ゴルド城の西側に広がる雑木林を抜けると、その先には高原が広がっており、少し前まではゴルドの貴族達の間でちょっとした乗馬コースとして流行っていたらしい。しかし最近は狼の群が出現するとかで、出かけていく者は少なくなっているそうだ。しかし高原から臨む景色は絶景で、それを見たさに他国からの来訪者は狼なんて何のその、といった感じで乗馬に繰り出す者もいたりする。
 未だに会議をやっている宰相たちを放り出し、暇すぎるという理由で、リヒトとヒュドールは馬を借り、高原へと遊びに出かける事にした。提案したのはリヒトである。
 普段は外に出たがらないヒュドールだが、城にいるよりはマシだからと珍しく誘いに乗ってきた。城にはオーゼラがいるから顔を合わせたくないのだろう。というか、もはや同じ空気を吸う事さえ嫌なようだ。
 見た目の繊細振りから運動は苦手のように思われたヒュドールだが、貸し与えられた白馬に難無く跨ってみせた。彼の場合、運動神経は人並みだが如何せん体力がないだけなのだ。
 繊細な美しさを持つ顔立ちに太陽の光を受けて輝く白銀の髪、理知的な青碧の瞳に極めつけは真っ白な馬。まさに“白馬に乗った王子様”状態で、出かけ間際に多数の視線を集めていたのは言うまでもない。
 しかし。そこまではいいのだが、どういうわけか二人の後ろからはぞろぞろと約十名くらいの老若男女がついて来ている。ゴルドの兵士、魔術師、貴族・貴婦人風の人……などなどメンツは様々だが、間違いなくスペリオル一の美形コンビに近づきたいが為だろうというのは明らかにわかった。馬を選んでいる時から妙な視線を感じると気付いていたが、何の承諾も無く勝手に後をついて来ている。最初はこっそりしていたものの、開き直れば堂々としたものだ。

 ところで、もう一人の王子様リヒトはというと、職業“騎士”に相応しく、乗馬もお手の物と言った感じで、実に優雅だ。一応、スペリオル国内で指折りの騎士という肩書きがある彼は、男女関係なく羨望の眼差しを集めていた。
 普段から貴族の姫君でも乗せているのか、“二人乗り”にも慣れているらしく、非常に落ち着いているのだが……自分の前で背中を丸めて固まっている少女を眺め、またしても噴出しそうなのを必死で堪えていたりする。
「だからさ、なんでそんなに前屈みなの?」
 と問いかけるも、返答はない。リヒトの馬に同乗して(正式にはさせられて)いるイグネアは、前傾姿勢のまま青ざめていた。
 部屋でまったりしていたら、いきなりリヒトが現れ、無理やり外に連れ出されたのだ。乗馬は初めてだというイグネアは、護衛の意味も兼ねてリヒトの馬に同乗しているわけだが、馬の背は思った以上に不安定で高い。少しでも安定感を得ようと、馬のたてがみにしがみ付くような格好でいるのだ。それがますます安定感をなくしていることに、彼女は微塵も気付いていない。
「そんなんじゃ肩凝るし、手綱引きにくいし。ほら、遠慮しなくていいからさ」
「うひゃっ!」
 肩を掴まれたかと思ったら軽く引き寄せられ、イグネアは悲鳴を上げた。落とす気かー! と思ってさらに青ざめたが、背後の騎士がそんな事をするはずもなく。気付けばリヒトの腕の中にすっぽりと収まってしまっていた。
「さっきより落ち着くでしょ」
 言われてみれば、たしかに先程までの不安定感がない。固まっていた背中には温かさが広がり、ほんのり緊張が解けた。が、今度はこの密着感に落ち着かなくなってきた。普通の娘ならば“騎士(美形)に護られる姫君”状態に頬を染めて胸を躍らせるだろうが、イグネアはむしろ早く馬から降りたいと願うばかりである。
「でも、やっぱりもう少し肉付きいい方が好みなんだよね」
「……今すぐ降ろしてください」
 余計な発言をされたお陰で背中に悪寒が走る。再び前傾姿勢を取ろうと試みるも、一度背を預けてしまうと簡単にはいかず、完全に捕らわれの状況に陥った。腕の中であたふたするイグネアはからかって面白いのか、リヒトはいつまでも上機嫌で笑っていた。

 そんな中、ヒュドールはちらを視線を遣り、相棒の様子を眺めていた。
 リヒトとコンビを組んで一年半、何かにつけて行動を共にする事が多いわけだが、あんな風に楽しげに笑う所は初めて見た。基本的にどんな女にも分け隔てないリヒトだが、いつも“営業”という感じの、作られた笑顔で接している事くらい見ていてわかった。それがイグネアに対してだけはそういう飾った姿を見せないのだ。とても珍しい……と思いつつも、だからと言ってヒュドールがそれ以上どうこう考えるはずはない。どうせ女として見ていないんだろう、くらいにしか考えていなかったりする。




 さて、その頃。
 雑木林を抜けた辺りでは、オーゼラとバラムが木陰に隠れて三人を待ち伏せていた。
「作戦はさっき言った通りよ。わかっているわね?」
「ああ」
 オーゼラの問いかけに、バラムが真剣な表情で頷いた。
 二人の作戦とは、こうだ。まずイグネアだけをどうにかして二人から引き離す。そうして一人になった所で、バラムが風の魔術でちょっとした強風を浴びせてやる。あたふたとしたらオーゼラが魔術を発動、そして一言脅しをかけてやろう、というものだ。……はっきり言って稚拙極まりない作戦である。
 そもそも、リヒトとヒュドールは前線で通用するようなコンビだ。どうにかしてーなどという曖昧な作戦に引っ掛かってイグネアを一人にするはずがない。しかし、スペリオルよりものほほんとしているゴルドの魔術師達にはあまり知られていないようで、まあ適当に何か物音でも立ててやれば何処かへ行くだろう程度に思われているらしい。
 きっと上手く行く、というか成功の二文字以外有り得ない、などと無駄にプライドの高い二人は自信満々だったのだが……
「ちょっと、あれどういうことよ!」
 ようやく一行が現れたと思ったら、なんでかゾロゾロとゴルド人たちが一緒にいるではないか。
「そんなの俺が知るかよ!」
 オーゼラに胸倉をつかまれて詰め寄られたが、バラムにだって理由はわからない。盗み聞きをした時、たしかに“三人で”と言っていたのだから。
「あんなに沢山いたら、一人になんてさせられないじゃない! せっかくこうして先回りしてきたっていうのに、全て無駄だわ!」
 オーゼラは形良い眉を吊り上げてたいそう怒っていた。
 しかし、その時。バラムはふと何か異様な気配を感じて周囲を見回した。
「おい、オーゼラ」
「なによっ!」
 しつこく声を張り上げる彼女の口を強引に塞ぎ、「静かにしろ!」と声を出さずに訴える。
「……ヤバイ感じがしてきたぞ。俺達はさっさと退散した方が良さそうだ」
 言われてようやく冷静さを取り戻したオーゼラは、ゆっくりと周囲に視線を向ける。そして深海色の瞳を思い切り見開いた。
 複数の赤い瞳が、遠くで怪しい光を放っていた。




「なーんか出てきちゃったね」
 周囲を取り囲む複数の赤い瞳に気付いたリヒトは、そわそわし始めた馬を落ち着かせながらゆったりと辺りを見回した。声色はまだ呑気だが、黄金の瞳が放つ視線は厳しい。当然ヒュドールも異変に気付いていて、青碧の眼光はいつにも増してキツイ。二人の様子に後を付いて来ていた者達もそわそわし始め、自然と寄り集まってくる。
「あれ、何の瞳でしょうか?」
 ずれた眼鏡を正しつつ、遠くで光る赤い瞳を眺め、イグネアが問う。
「狼かな。結構いるね」
 向こうも警戒しているのか、距離があるのでまだ余裕はあるが、一応後ろの人たちも護ってやらなければならないから、こう人数が多いとちょっと面倒だ。
「全く、なんでこうトラブルにばかり巻き込まれるんだ」
 溜め息と共に視線を向けられ、おや? とイグネアは首を傾げた。
「ちょ、ちょっとお待ちを。私のせいですか?」
「そうとしか思えない」
 それはあんまりだ……と顔をしかめたが、すでにヒュドールの視線は狼たちに向けられていた。

 狼の群はじりじりと歩み寄り、気付けばすぐ近くまで来ていた。ざっと数えて二十くらいか、これだけ集結するのも珍しい。ある程度距離が狭まるとただの狼ではないとわかり、リヒトとヒュドールは一気に集中力を高めた。あれらはただの狼ではなく、魔物だ。その証拠に通常の狼よりも大きく、やや変形している。四肢も太く、瞬発力がありそうだ。
 とりあえず普通の狼だと思っているらしいが、狼の群が出現すれば恐ろしくなるのは当然で。ゴルドご一行様は大いに慌てふためき、恐れを成し、逃げ出そうとする者もいたのだが……。
「そこを動くな!」
 一喝されてすくみあがり、もれなく動きを止めていた。
 ちょろちょろされると守護の標的が散乱してやりにくいのだ。全く、勝手について来たくせにとんだお荷物たちだ……とブツブツ不満を洩らしつつ、ヒュドールは宙に印を切った。

来たれ、氷の槍(ライ・ジェロ・ランツェ)!」

 青碧の瞳がぎらりと妖しく光ると、地面から氷の槍が一斉に突き出し、襲いかかろうとしていた狼たちを貫いた。この初動でまず数匹撃退したのだが、免れた狼は怒り狂い、歯をむき出して唸り声を上げながら飛び掛ってくる。
 そうなると俄然やる気を出すのはリヒトである。巧みな手綱さばきで馬を操り、手にした剣で迎え撃つ。
「えいっ!」
 と、微妙に緊張感のない掛け声で剣を振るうリヒトに、イグネアは若干不安を募らせたが、まあさすがは騎士様というべきか剣さばきは見事で、ばっさばっさと倒してゆくではないか。ほほう、と思わず感心したほどだ。年中遊んでいるのかと思っていたが、そうでもないらしい。蜂蜜色の髪をなびかせて闘う美形騎士の姿に、なんだかゴルドのギャラリー達からも声が上がる始末だ。
 しかし一匹の狼が遠吠えを上げた途端、余裕だったリヒトも冷静だったヒュドールもさすがにぎょっとした。なんと、新たに仲間を呼び寄せたのだ。その数追加で十前後、数匹倒したとはいえ、これではラチが明かない。
 前方の敵を相手にしていると、後方から飛び掛ってくる。リヒトに至っては、同乗しているイグネアをかばいつつ、ゴルドの皆様にも気を使っていなければならない状況で、だんだんと余裕も消えてゆく。
 そんなこんなで戦闘の最中、ぐるりと馬が反転し、イグネアは思い切り首を引っ張られた。しかもあろう事か、その衝撃で大事な眼鏡が吹っ飛んでしまったのだ。
「あっ、眼鏡がっ!」
「こらっ、動くなっつーの!」
 蒼白になって地面に落ちてしまった眼鏡に手を伸ばすが、とてもじゃないが拾っている場合ではないとリヒトがたしなめる。イグネアがおかしな動きをしたために馬はバランスを崩し、あたふたとしている隙を狙われ、背後から狼が飛び掛ってきたが……

来たれ、氷の盾(ライ・ジェロ・アスピス)!」

 ヒュドールの声が響いたと同時、二人を護るようにして氷の盾が現れ、飛びついてきた狼を弾き返した。衝突した狼は大きく仰け反って吹っ飛び、どさりと地面に落ちてぐったりとした。
 しかし別の場所に意識を飛ばしていたせいで、ヒュドールにも身の危険が迫っていたのだ。死角から瞳を光らせていた一匹が、彼に襲い掛かろうとしていた。
「ヒュドール!」
 気付いたリヒトが声を上げる。すぐさま反応してヒュドールが視線を向けると、狼はまさに食いつこうとしている所であった。

 このままではまずい。致し方ないがやるしかない。イグネアは意を決した。
「リヒト、私の瞳を塞いでください!」
「はっ?」
「いいから早くしなさい!」
 怒鳴りつけると、突然の事に戸惑いながらもリヒトはイグネアの瞳を塞いだ。
 視界が暗くなると、イグネアはすぐさま二本の指を使って宙に印を切った。

来たれ、炎の狼よ(ライ・フラム・ヴォルフ)!」

 言葉と同時。
 あちこちに炎が立ち上がり、次々と狼たちを襲い始めた。燃え上がる炎は狼の形を成し、唸りはまるで咆哮のよう。ヒュドールに食いつこうとしていた狼は、猛烈な勢いで脇から飛び込んで来た炎の狼に首を食いつかれ、悲鳴を上げて地面をのた打ち回った。炎狼は骨の髄を焼き尽くすまで決して逃さずに食らいつき、先程まで動き回っていた狼たちは見る影も無く形を崩してゆく。其処彼処で悲痛な声が上がったかと思ったのも束の間、灰さえ残らないほどの灼熱が全てを無に返していた。

 初めて目の当たりにした真の炎の魔術に背筋がぞくりとした。披露パーティの時に見た火の鳥は、まだほんの少しの力でしかないのだと思い知らされた。跡形もなく消え去った狼の群が何よりの証拠。普通の炎では、骨まで焼く事は不可能だ。
 誰もが呆然とする。救われた安堵感よりも、恐怖心の方が強いかも知れない。これは遊びや余興ではない。封じられた理由がはっきりとわかる。
 炎は、破壊だ。

 役目を終えた炎狼たちが鳴き声とも唸りとも判別できない声を上げながら姿を消すと、イグネアは肩を抱えていたリヒトの腕からするりと逃れ、自ら望んで落馬した。落ちた衝撃で左肩を強打したが、そんな些細な痛みなど気にかけている暇はない。あっとリヒトが声を上げたが、何ふり構わずに地面を這い、落ちていた眼鏡を拾い上げて慌てて装着した。ぞっとするほど鮮やかで艶やかに輝いていた真紅の瞳は眼鏡の硝子に覆われ、少しずつ輝きを失せてゆく。
「大丈夫か?!」
 慌てて馬から下り、リヒトとヒュドールは地面に座り込んでいるイグネアに駆け寄った。
「だ、大丈夫です。ご心配には及びませんから」
 イグネアは左腕を押さえ、蒼白になりながらも何とか笑顔を作って答えた。しかし無理をしていることくらい、二人はお見通しだった。
「落ちた時に折ったのかも知れない。急いで戻った方がいい」
 ヒュドールの言葉にリヒトが頷き、一行はすぐさまゴルド城へと引き返して行った。




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