* ご注意 *

この番外編は本編既読の方におすすめします
お話の時期は、最終話〜Ende〜とSS〜楽園の昼下がり〜の間となっております


ちなみに、SS〜楽園の昼下がり〜は、最終話〜Ende〜にだけリンクを貼っています。







真昼の夢と守護者達






 まさに白という表現が相応しい、時間に捕らわれることのない空間には、静寂が漂っている。
 円形の一室は四方を囲む白い壁に朝の光を受け、広い一間をより一層白く、明るく見せる。室内には椅子や机、棚など家具と思われるものが数点見られるが、どれも壁や床、天井と一体化しており、白い土を固めたような素材で、何となくそれらしい形をしているだけ。
 耳を澄ませば、微かな寝息が聞こえてくる。部屋角のベッドの上で、少女が眠っているのだ。
 少女が頭を向けている壁の上方には硝子のない窓があり、薄い青の羽根を持つ小鳥が三羽、じゃれ合いながら降り立った。窓辺に並んだ小鳥達は、わずかに上下する白い布を見て不思議そうに小首をかしげ、おしゃべりでもするようにさえずり始めた。
 安らかな寝息を立てていた少女は、小鳥達の歌声に小さな吐息を洩らし、ゆっくりと瞳を開いた。閉ざされた瞼の奥から現れたのは、紫水晶のような瞳。
「……おはよう」
 少女――ティアイエルは、真っ先に視界に飛び込んできた小鳥達に微笑みを向けた。小鳥達は一層声を響かせる。まるで友達同士、挨拶を交わすように。
 横になったまま背伸びをし、一息吐くと、ティアイエルは身体を起こしてベッドから降り立った。そして裸足のまま窓辺に近づいて、外の世界を見渡した。
 清々しい空気をいっぱいに吸い込んでいると、小鳥達が彼女を慕って寄って来た。薄い青の羽根をひとつふたつと散らばせ、少女の肩に停まって長い髪をついばんだり、掌に乗って鳴いたり、朝から賑やかだ。
 窓の外は静かで、円形の大地を土台とした半球体の建物がいくつも宙に浮かんでいる。太陽こそ見えないものの、靄(もや)もなくすっきりと明るい空は、外界の風景をはっきりと浮かび上がらせる。

 ここは楽園。
 【翼人】と呼ばれる有翼種たちがかつて住んでいた、人間の住む世界と隣り合わせでありながら決して相成れず、人知れず存在した神聖な場所。
 住人を失った楽園は静まり返り、今は色鮮やかな鳥達がその声を響かせるだけ。

 頬杖をついて風景を眺めていたティアイエルは、その瞳に緑を映し出した。
 円形の大地よりもはるかに伸びた枝に沢山の葉を茂らせ、ゆったりと宙に浮かぶ【大樹】。
 【大樹】は楽園の守護者。翼人たちの命の源。大樹が実らせる果実を口にすれば、やがて身一つで数百年生きながらえる存在となれる。
 小鳥達と共に大樹を見つめていたティアイエルは、笑顔を浮かべて呟いた。
「今日はあそこに行ってみようかな」
 その思いを翼に乗せ、小鳥達は一足先に大樹へ向けて羽ばたいていった。


 ティアイエルは裸足のまま、同じ建物内の別の一室に向かっていた。袖のない真っ白なワンピースは床に触れそうなほど長く、軽い足取りに合わせて裾がひるがえる。
 目的の部屋にやってくると、ティアイエルは様子をうかがうようにこっそりと室内を覗き込んだ。
 この建物に関わらず、楽園には硝子窓というものが存在しない。人間の世界で長年過ごしていたティアイエルは、初めの頃は不自然で慣れなかったが、さすがに数ヶ月も経てば慣れてくるものだ。
 覗き込んだ部屋の奥には、揺り椅子に腰掛けて読書に耽る青年がいた。人間達が【空色】と呼ぶ髪、書物に落とされる瞳は宝石のような蒼。最後の翼人・ゼルエルは、何者かの気配に気付き、視線は書物に固定したまま揺り椅子だけをピタリと止めた。
「何か用か?」
 物音ひとつ立てていないのに、何故気付かれたのか。いきなり声をかけられ、ティアイエルは細い肩を跳ね上がらせた。
「あ、えと、あのその……おはようございます」
 心の準備が出来ておらず、ティアイエルは慌てふためいた。

 彼と暮らし始めて数ヶ月が経つ。昼や夜という単純な括り以外、この楽園に“時間”という制約はないが、恐らくそれくらいは経っていると思う。
 ゼルエルと二人きりの生活というのは今に始まった事ではないが、ここに至るまでの経緯を思い返すと何ともやりにくい。
 ゼルエルは以前のように“脅威”ではなく、ティアイエルにとって唯一“世界を共にする者”であり、そして微妙な存在へと変わっていた。かつて彼を取り巻いていた刺々しい空気は微塵も感じられなくなったが、だからと言って甘やかすようになったわけでもない。話しかければ答えは返って来るが、逆に彼の方から何かを話しかけてくるという事はあまりない。要するに、互いの思いが不確かな状況で、ゆえにいちいち緊張してしまうのだ。

 ティアイエルの慌てぶりを感じ取ったのか、ゼルエルは視線を上げて軽い溜め息を吐いた。
「そんな事をわざわざ言いに来たわけじゃないだろう。何だ?」
 さすが何でもお見通しだ、とティアイエルは思った。というより、彼女が何でも表情や態度に出し過ぎなのだが。
「あの……遊びに行ってきます」
 本人には全く自覚がないが、かつての習性か刷り込まれた感情か、ティアイエルは時間が経った今でも、どこか怯えた様子で話しかける。気にならないと言えば全く嘘になるが、そうしてしまったのは他でもない自分であるため、ゼルエルは仕方ないと割り切り、もう一度息を吐いた。
「あまり遠くへは行くなよ。離れ過ぎると気配が掴めなくなる」
 つまりは「いってらっしゃい」という意味だが、ゼルエルがそんな風に言った試しはない。
 まるで幼子のような扱いだが、この楽園は果てがないため、遠く離れ過ぎると戻って来られなくなってしまう。ゼルエルはある程度の距離であれば所在を知る事ができるが、離れ過ぎると全く気配が掴めなくなってしまうのだ。
 過保護といえば過保護だが、大切な存在だからこそそうしたくなる。彼にとってもティアイエルは、唯一“世界を共にする者”だから。
「はい、行ってきます!」
 にっこり笑顔だけをその場に残し、足音を響かせて通路を駆けてゆくティアイエル。その背中を見送るゼルエルの耳に、声が聞こえた。

 ――愚かな娘よ……。

 風が運んできた、それはあまりにも微かな声。
 気になったものの、当然のことながら辺りに怪しい気配はなく、ゼルエルは再び読書に耽り始めた。








 家の窓から見た時はそんなに遠く感じなかったはずなのに、いざ向かってみるとかなりの距離だった。空を飛んで一心に大樹を目指していたティアイエルだが、途中で降り始めた雨にうたれ、大樹の元へやって来た頃には全身びしょ濡れになっていた。
「どうしよう……」
 水を吸って重くなってしまった翼では、飛んで引き返すこともできない。かと言って、雨宿りが出来るような場所は見当たらない。冷えが芯まで伝ってきて、寒さで身体が震え出す。
 困り果てていると、今度は稲妻が走り始めた。すぐそばで閃く稲妻と轟音にティアイエルは悲鳴を上げ、耳をふさいでうずくまった。隔てる物も無く直接耳に届く雷鳴は、まるで落雷時のように激しく、耐え難い。まだ昼間なのに、空は真っ暗になり、雨は激しくなる一方。
 何とか雨を凌げる場所を探そうと、ティアイエルは辺りを見回した。すると、大樹の太い幹に人一人入れそうな穴を見つけ、必死で駆け込んだ。
 ティアイエルは冷たくなった肌をさすりながら小刻みに震えていた。外よりはわずかに暖かいものの、冷え切った身体が一層寒さを募らせる。
「すぐ止むといいな……」
 寒さと闘いながら、ティアイエルは膝を抱えて座っていた。そんな彼女を突然、眠気が襲う。
 しっかりと見開いていたはずの瞳は徐々に虚ろになり、気付けば瞼を閉じていた。

 ――愚かな娘よ。

 眠りに落ちてしまう前に、ティアイエルは声を聞いた気がした。
 男性のような女性のような、若者のような老人のような、何とも区別がつけ難いが、力強さが込められた不思議な声だった。

 ――翼人であるなら、雨に濡れることも、雷に怯えることもなかろうに。

 突然吹き荒れた風が、大樹の枝を大きく揺り動かした。
 天を引き裂く稲妻は、まるで神の怒りのように激しい。

 ――愚かな人間よ、夢の世界に取り込まれるがいい。

 ぼんやりと頭の片隅で声を聞いていたティアイエルは、いつしか深い眠りへと堕ちていった。




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