◇ 第1話 ◇
相崎まどか、十七歳。
運動も勉強もそこそこ、友達の数もそこそこな、至って普通の女子高生である。特技もなければこだわりの趣味もない。特に背が高いわけでも低いわけでも、痩せているわけでも太っているわけでもない。どこにでもありがちな女子高生だ。
そんなまどかにあえて特徴を上げるとするならば、それは家族のことかもしれない。
父母は共に企業のキャリア組で、揃って海外勤務中。そんな両親から至って普通の娘が生まれたのだから、「鷹が鳶を産んじゃった感じね」と幼少の頃から叔母に散々言われたのも仕方がない。
まどかは、高校からほど近い自宅マンションで兄と二人で暮らしていた。何を隠そう、この兄こそが“あえて上げる特徴”なのである。
頭脳は妹同様に普通で、課目によっては特に良かったものもあった。運動は多分普通だった。見た目も一般的と思われる。五体満足で心身ともに健全、友達もそれなりにいて楽しい生活を送っていた――というのは、今から二年前までの話。
現在二十歳になる兄・友哉(ゆうや)は、高校を卒業してから家に引きこもるようになった。大学へも行かず、働きにも出ず、一日中家の中で過ごすようになったのだ。
その理由を聞いてみても、明確な答えは返って来ない。時を同じくして海外勤務を命じられた両親たちは、きっとそのうち何とかなるって! という持ち前の楽天家ぶりを発揮し、まどかと友哉を残してさっさと海を越えて行ってしまった。今では年甲斐もなくラブラブなメールの最後に、「お兄ちゃんは元気にしてる?」的な決まり文句で締める程度だ。
特に健康を害しているわけでもない。肌つや・毛づやは悪くない。食事も普通に取るし、もちろんまどかと顔を合わせて会話もする。学校であったことを話せば、若干適当に思えなくもないが返事もするし、何かあれば意見も言う。見た目も内面も、至って普通の青年だ。
だからきっと何か理由があるのだろうと、家族は考える事に決めたのだ。金食い虫であるのは問題だが、少し様子を見ようと。
しかしその理由が明らかになった時。
まどかはとんでもない事に巻きこまれる羽目になるのである。
◇ ◇ ◇
「まずい、遅れちゃう!」
慌ただしく家中を駆け回りながら、まどかは出かける支度をしていた。うっかり寝過ごして、いつもより三十分も経過していた。
今日は終業式。明日から夏休みが始まる。式は午前中で終わるからお弁当を作らなくて済んだが、それでも走らなければ間に合わない。あちこち走りまわって身支度を整え、最後に胸元のリボンを結び、さて出かけるぞ! と靴を片方履いたところでふと思い出し、まどかは廊下を逆走し始めた。その途中で最奥の部屋のドアが開き、丁度よかったとばかりに声を上げる。
「兄ちゃん、今日終業式で午前中で学校終わるから、午後はみっちゃんと遊んで来る。夕方には帰って来るから。お腹すいたら先になんか食べてていーよ」
ドアに向かって声を張ると。
「……ああ」
のっそりと出て来た兄・友哉は、ものすごくだるそうな声で返事をした。正直妹の話もどうでもいい風である。上下グレーのスウェットで、頭はぼさぼさ。そこそこ背は高いがいかんせん覇気がなく、いかにも不健康な生活を送っている若者像といった感じである。
用件だけを伝えて満足すると、まどかは大急ぎで玄関に向かった。
「行ってきます!」
返事を待つのも勿体ない、とばかりにバタンとドアが閉じた。
家を出ると焼けつくような熱が肌を照りつけた。少し走っただけですでに全身汗まみれ、今日は体育館で密集状態なのに、朝から汗かきまくりなんてものすごく嫌だった。学校に着いたら早々に制汗スプレーで消臭しなければ周囲に大迷惑だ。
そんな感じで、とにかく今日は暑い。
「まーどか!」
ようやく学校が見えたところで安堵しきってもたもた歩いていると、バシッ! と勢い良く背中を叩かれた。
「いたっ! みっちゃん、手加減してよ!」
激しくのけ反りながら相手を見れば、親友のみっちゃん、三浦美菜であった。三浦で、美菜。だから“みっちゃん”だ。
「のそのそ歩いてるからだよ。せっかく明日から夏休みだっていうのに、もっと張り切りなよ。この若年寄!」
「それ、なんか使い方違う気がするんだけど……」
まどかは頬を引きつらせ、苦笑した。
美菜は一年の時から同じクラスで、親友である。互いの家事情を知っているので、よく話もしている仲だ。もちろんまどかは兄のことも話してある。明るく気さくな子なので、少しだけ人見知りするタイプなまどかにとっては、とても有難い存在である。
「それよりさ、午後はどうする?」
「とりあえずランチして、その後はカラオケにしよ」
「だねー、妥当だねー。今日あっちいし、涼しいとこでのんびりしたい気分」
照りつける太陽を見上げながら、美菜が言う。
たしかに今日は格別に暑い。言うなれば【ザ・夏】。
「みっちゃん、夏休み後半はカレシとデート? あ、前半は家族旅行もあるって言ってたよね」
「うん。まー、家族旅行はそんな大したあれでもないけどさ。あっち大学だから夏休み始まるのちょっと遅いんだよね。だから前半で課題とか全部終わらせて、後半はガッツリ遊ぶの」
美菜は、通っている塾のアルバイト大学生講師と付き合っている。年上の彼なんて羨ましいと何度も思ったものだ。というか、今もそう思う。
ちなみに両親はこっちが長期休暇に入ると帰ってくるのだが、今は忙しいらしく、なかなか時間が取れないようだ。自分が遊びに行ってもいいのだが、いかんせん一人で飛行機になど乗れそうにもない。
家族旅行も羨ましい。何より素敵な彼と海にでも行けたらなあ……と妄想しかけて、そんな相手いないだろうと気づき、まどかはほんのり寂しさを覚えた。その想いをぶつけるように、美菜の腕にしがみ付き、訴える。
「わたしの事もかまって!」
「当り前さマイフレンド! 前半はお互い、課題こなすために必死になるのよ!」
「わかってます先生! わたし、課題終わるまで遊びになんて行きません!」
などと、このクソ暑い中、暑苦しい友情を育んでいると。
始業のベルが高らかに鳴り響き、まどかと美菜は全力疾走するはめになったのだ。
←BACK / ↑TOP / NEXT→
Copyright(C)2010− Coo Minaduki All Rights Reserved.
|