Light & Darkness


Sequel 2








 アスライーゼ城の南側にそびえる塔は、国が誇る機巧師団の研究施設として使われている。吹き抜けの五階建て建造物には、多数の技師達によって開発された怪しげな機械や材料が置かれ、我国発展のための研究には余念が無い。

 吹き抜けの最下層、ガラス張りの広い一室で、ひとりの女性が椅子に腰掛けて眼を瞑り、何やら言葉をささやいている。かざされた手のひらの中には、直径十センチ程度の丸い石が、螺旋状になった言葉の帯に包まれている。彼女が作り出しているのは【魔陣石】。魔力を込めた特殊な石だ。
 ガラスの向こう側では、機械を操る機巧師団の技師達が女性の姿をじっと見つめている。その視線は事の成り行きを見守っているというより、憧れの人を目の前にして惚けているといった風だ。
 この世で唯一魔陣石を作り出せる種族【オルフィス】。
 その最後の生き残りである娘・レインは、師団の最高傑作である魔猟銃【ブリューナク】に必要な魔陣石を、定期的に生成する役目を担っている。
 やがてガラス張りの室内が目も眩むほどの輝きに包まれると、技師達は一斉に立ち上がった。魔陣石が出来上がったのだ。

 眩しい光が治まると、瞑ってた瞼を開き、レインは溜め息を吐いた。
 台座に置かれた出来立ての魔陣石を手に取り、その出来栄えを確認する。薄青の光をぼんやりと振りまく透明な球体の内側では、魔力が螺旋を描いていた。
 魔陣石を台の上に戻し、振り返ろうとした時、激しい眩暈(めまい)に襲われ、レインはその場に崩れ落ちた。

「レインさん!」

 彼女の異変にいち早く気付いた師団の技師が、大慌てで入口に駆け寄った。

 叫び声に反応して、吹き抜けの三階から同じく事の成り行きを見守っていたアスライーゼ王・フェリーシアは、いじくっていた怪しげな機械を机に置き、階下を覗きこんだ。
 レインが倒れているのに気付いた彼女は躊躇いもせず、手摺を乗り越えて一気に飛び降りた。普段から軽装を好んでいるため、抵抗を受ける衣類は少ないが、それでもドレスの裾がヒラヒラとたなびく。
 目前に降って来た王に男性技師は非常に驚いていたが、フェリーシアは気にも留めず、床に膝をついてレインを抱き起こした。

「レイン、大丈夫か?」

 声をかけるが、レインは気を失っており、返事は無かった。
 顔色が悪い。恐らく魔力を使い過ぎたのだろう。

「お運びしましょう」

 男性技師が名乗りを上げたが、フェリーシアは首を横に振り、自らレインを抱き上げた。しかも軽々と。

「いや、私が運ぼう。お前達は作業を続けてくれ」

「は、はい……」

 男性技師の表情は渋々であった。こんな時くらい“おいしい”役をくれたっていいのに、といった風である。
 レインは密かに人気高い娘なのだ。清楚な魅力と天使の歌声は王城内の癒しとなっており、お近づきになりたいと淡い想いを抱く者は少なくない。
 だが彼女は竜王のもの。近づく事すら侭ならならず、あのエメラルドの瞳に睨まれたらなら、それこそ怯えて暮らす毎日となろう。

 普通の女性であれば、三階から飛び降りる事も、同じ女性を抱え上げることもなかなか出来たものではない。だがフェリーシアはそれをいとも簡単にやってのける。そこら辺の軟弱男よりも、よっぽど男らしいのだ。
 そんな女王に男共――特にインドア派の機巧技師などはまるっきり男としての面目が丸つぶれなのである。
 レインを抱えて研究室を出てゆく女王の後姿を、技師達は溜め息を吐いて見送った。








 夜が更けた頃。
 アスライーゼ城へと戻ってきたロックウェルは、疲れた表情で城内を歩いていた。その心情を表すかのように、コートの裾と白い髪が力なく宙を漂う。
 彼の背後には金髪碧眼の少年が従う。そこまではいつもと変わらぬ光景で、何の疑問も生じない。
 満面の笑みを浮かべる少年の隣に、ロックウェルよりもやや背丈の長い男がいるのだ。歳は二十代半ば辺りだろう。肩まで伸ばした茶髪は真っ直ぐだが不揃い。飾り気のない服装を見ても庶民としか区分されないであろう彼の首には、白い首輪がはめられている。ファッションといえば聞こえはいいが、どちらかというと動物に与えるそれである。

「ファル」

「はい?」

 立ち止まって名を呼ぶと、少年はすこぶる機嫌良さそうに返事をした。
 ロックウェルの眉間にシワが寄る。溜め息をひとつ吐いて振り返ると、眼下には憎たらしいほどの笑顔、そして目前には怯えた表情があった。

「勝手にしろとは言ったが、連れて来いとは言ってない」

「だって俺の初めての下僕ですよ? 傍に置いておきたいじゃないですか!」

「……お前はいつからそんな身分になったんだ?」

「いいじゃないですか。ロックウェル様だって、いっつも俺の事こき使ってるんだから」

「俺とお前では立場が違う。第一、お前のではなく“俺の”下僕だろう」

「違います! サラちゃんは俺のです!」

 碧眼の少年・ファルシオンは、膨れっツラで隣に立つ男のたくましい腕にしがみついた。まるで大切なものを独り占めしたい子供のようである。

 首輪をはめた大男はというと、非常に困惑した表情を見せていた。
 当然だろう。ここまでハッキリ“下僕”と呼ばれると、この先の己の幸薄い人生を恨みたくもなる。それもこれも、三年前のあの日、ワケのわからない仕事を請け負ったのが間違いだったのだ。
 彼には竜王に目をつけられたままで生きていく勇気がなかった。怯えて暮らすくらいなら、いっそ彼の手となり足となり働く道を選んでみたが、早速逃げ出したい気分に陥ってしまった。

「ロックウェル様にはレインがいるからいいでしょう! 今日から俺はサラちゃんと一緒に寝ますから!」

 先程からファルシオンが連呼している【サラちゃん】というのは、首輪の男の名前である。本名はサラルマンドというのだが、言いづらいからとまるで女の子のような呼び名にされてしまった。
 “ちゃん”付けしたり一緒に寝ると言っている辺り、ファルシオンは完全に勘違いしているらしい。彼が狼の獣人【ヴォルク】であるからか、下僕をペットの犬か何かと間違っているようだ。

「……わかった。そこまで言うなら、そいつはお前にくれてやる」

 ただし、とロックウェルは付け加えた。

「ここに置くからにはフェイの承諾を得る必要がある。お前が一人で話をつけるというなら、俺は文句を言わない」

 素っ気無く背を向けられたファルシオンは、「あっ」と声を上げて青ざめた。
 最も重大な事を忘れていた。サラを城に置くには、最恐の人物に話をつけなければならないのだ。大慌てでロックウェルに助けを求めたが、彼は知らん顔でさっさと歩いて行ってしまった。




 背後の嘆きを全く無視して通路を歩いていると、前方で右往左往するメイドの姿が見えた。メイドは足音に気付くと、慌てた様子で駆け寄って来た。彼女はレインの世話係・ノアである。

「お帰りなさいませ、ロックウェル様」

 ノアは目前で立ち止まり、スカートの裾を抓んで軽くお辞儀をした。どうやらのロックウェルの帰りを待っていたようだ。

「急ぎの用か?」

「実は、昼間レイン様がお倒れになったので……お知らせしておいた方が宜しいかと思いまして」

 ノアの説明に、ロックウェルの眉がぴくりと動く。
 確か今日はブリューナク用の魔陣石を生成すると言って、朝からフェリーシアに連れて行かれたはず。また無理をしたのだろう。

「そうか。ありがとう」

 ノアに一言礼を言い、ロックウェルは足早に歩き始めた。




 既に休んでいるに違いないが、とりあえず様子だけでも見ておこうと、ロックウェルはレインの部屋を訪れた。一応ノックしてみると、意外なことに返答があった。
 扉を開くと、レインがベッドの上で半身を起こしてこちらを見ていた。

「おかえりなさい」

 静かに言葉を発したレインの顔色は、やはりあまり優れない。

「ノアから倒れたと聞いた」

 ロックウェルはベッドに腰掛け、手を伸ばして彼女の頬に触れた。
 レインは鳥の獣人であるが、獣人だからと言って全ての種族が強いというわけではない。特に【オルフィス】は魔力が強いため逆に体力はなく、むしろ身体は弱い。
 肉体的強者は精神面で弱者、精神的強者は肉体面で弱者というのが、獣人唯一の欠点である。
 例えば、闘いを生業とする種は身体が戦闘用に出来上がっており、筋力・瞬発力・持久力などが優れているが魔力を持たないものがほとんど。その反対で、魔力が強かったり他に特殊な能力を持つ種は、肉体的に普通の人間となんら変わりはない。
 種族によって得意とする分野が違うということだが、その中でも最強と呼ばれる【ドラゴーネ】は、魔術こそ扱えないものの、肉体的強者でもあり精神的強者でもあるのだ。

「あまり無理はするな」

 心配そうな眼差しに、レインは軽く微笑みを返し、頬に触れている手に自分の手を重ねた。
 優しい人肌の温もりが冷えてしまった大きな手を包み込む。

「私は大丈夫。あなたのために出来ること、それくらいしかないから」

「レイン……」

 沈黙が辺りを包み、エメラルドとスカイブルーがしばし見つめ合う。
 長い指の先が白い頬を滑り、細い顎を捕らえた。そのまま軽く顔を上げさせ、ロックウェルは薄紅の唇に口付けようと顔を寄せた。
 気付いたレインはわずかに頬を染め、ゆっくりと瞳を閉じた。
 恋人同士だけが作り出せる独特の甘い雰囲気が二人を包む。

 だが、あと少しで唇が触れるかというところまで来た時。

「ゴホン!」

 背後からわざとらしい咳払いが聞こえ、レインは思わず瞳を開き、ロックウェルは眉間にシワを寄せて舌打ちをした。
 振り返ると、腕組みをして入口の扉にもたれている人物が居る。

「お取り込み中に申し訳ないね」

 咳払いをしたのは夜でも眩しい金髪を持つ女王。エメラルドの瞳が二人に向けた視線と緩められた口元は、明らかに冷やかしだ。

「……わざと邪魔をしたな」

「何を言うか。一応ノックはしてやったぞ」

 気づかない方が悪い、しかも扉も閉めずにやる方が悪い、とフェリーシアが勝ち誇った表情を返すと、ロックウェルは不服そうに視線を逸らし、舌打ちをした。

「何の用だ」

 ロックウェルが問いかける。その口調はまるで拗ねた子供。

「レインの様子を見に来たんだよ。まあ、その調子では大丈夫のようだが」

 ちらと視線を向けると、レインは真っ赤になって俯いた。その可愛らしい仕草に、フェリーシアは思わず笑みをこぼした。心配で来てみたが、体調も戻りつつあるようだ。
 安心したフェリーシアは、背を向けて部屋を出ようとしたが、不意に何かを思い出したようで、手を叩いて再度振り返った。

「ああ、そうだ。ロックウェル、お前にひとつ頼みがあるのだ」

 言った途端、ロックウェルが思い切り不満顔になる。
 が、フェリーシアは構わず勝手に話を続けた。

「お前、明後日ロイゼで行われる夜会に出席しろ」
「断る」

 これでは依頼ではなく命令だ。
 間髪を容れずにロックウェルが返答すると、フェリーシアはあからさまに不快げな表情を見せ、大きな溜め息を吐いて甥の顔をじっと見据えた。

「いいかロックウェル、よーく聞け。私はこの国の王で最高権力者。お前はただの居候。お前の竜王という地位は、ここでは何の意味も成さないのだよ。つまりタダ飯を食らっているお前とファルシオンは、私の手となり足となり、時には命を張ってでも働く義務がある」

 フェリーシアは説き伏せるようにきっぱりと言い切った。
 だがロックウェルの表情はますます渋くなる。

「……それとこれとは話が違う。単にお前が行きたくないだけだろう」

「私は忙しいのだよ。代理をリリエンヌに頼んだら、あいつはお前のエスコートでなければ嫌だと言うのだ」

 リリエンヌというのは、フェリーシアの義従妹(いとこ)である。二人は姉妹のように仲が良く、どちらも周りを気にしない楽天家なので気が合うらしい。
 今回ロイゼで開かれる夜会は、そんなに大それたものではなく身内を集めてのささやかなパーティらしい。フェリーシアに招待状を送ってきたのは、王の弟君。以前見合いをした相手だが、その後はそれなりのお友達付き合いを経て今日に至る。
 行けば色々と面倒くさい事になるので、ロックウェルも予想した通り、フェリーシアは行きたくないと招待状を執事に突っぱねたのだ。
 だがそのままにするにはあまりに無礼。代理を立てなければならない。
 ということで、義従妹のリリエンヌに「誰でも好きな者を供につけよう」と話を持ちかけてみたところ、色好い返事がもらえたが、彼女はロックウェルが一緒に行くなら喜んで引き受けようと言ってきたのだ。

「断る。第一“ただの居候”は、そんな社交の場には相応しくない」

 顔を背けて反抗的な態度を取るロックウェルに、フェリーシアの眉がつり上がった。怒りの最高点まであと少しであろう。

「……ほう。貴様、そう言う割には大層なご身分だな。また余計な居候を勝手に増やしたようだし」

 ロックウェルがぴたりと動きを止めた。
 “余計な居候”というのは、間違いなくファルシオンが連れ帰ってきた狼男のことだ。

「貴様がどうしても下僕にしたいと、無理に連れて来たというではないか」

「……あのクソガキ」

 視線を逸らしたまま、ロックウェルがひとりごちた。
 ファルシオンがどんな説明をして聞かせたのか、だいたい見当がつく。恐らく全てをロックウェルのせいにして、泣き落としたのだろう。

「わかったよ。行けばいいんだろう」

 これ以上意地を張っていても仕方ないと、ロックウェルは諦めた。
 タダ飯を食らっているというのは事実であるし、勝手に居候を増やしたのも真実であるし、最終的には彼女を怒らせた時の後始末を考えると非常に面倒くさくなったのだ。

「ということで、悪いが借りるぞ」

 まるで物でも扱うように指差し、フェリーシアがレインに言葉をかけた。
 レインは何も言わず笑顔を返したが、ふと真顔になり口元に手を当てた。

「私もただの居候だから、フェリーシア様のために何かしなくちゃ」

 真剣に悩むレインの姿に感極まり、フェリーシアはすっ飛んできて小さな頭を抱き寄せた。

「レインは本当にいい子だね。ただでさえ、こいつのために日夜身を削ってまで魔陣石を作っているというのに……。お前は女の子なんだから何もしなくていいんだよ。可愛いしな」

 レインの髪に頬ずりし、フェリーシアは労わるように彼女を優しく抱きしめた。
 柔らかな温もりにレインは笑っていたが、その傍らで散々言われているロックウェルは大いに機嫌を損ねていた。




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