Light & Darkness


Sequel 4








 いつの間に室内へ侵入されたのか。気づいた時には口を塞がれ、壁に追いやられていた。
 強く掴まれた右の利き手からは、握っていた青い魔陣石が滑り、絨毯(じゅうたん)の敷かれた床に音もなく落ちる。
 恐る恐る見上げると、ダークパープルの瞳が放つ冷たい視線とぶつかった。
 悲鳴すら上がって来ない。身体中が麻痺して、指先すら動かせない。漆黒の闇をまとった目前の男が、怖くて仕方がない。
 瞳を見開き、凍りついた娘の姿を見遣り、カイザーは微笑んだ。

「覚えていてくださったようで、光栄です」

 暗い室内で穏やかな声が響く。
 その歪められた口元、その声。
 決して忘れるはずなどない。忘れたくても忘れられない。
 あの日と同じ皮手袋の感触が、封印したはずの記憶を甦えらせていた。

「貴女にはいくつか質問に答えていただきます。嘘は必要ありません。いいですね?」

 紳士的な物言いに知的な笑み。それでも眼鏡越しの瞳は妖しく輝き、決して笑ってはいなかった。穏やかながらも声色は完璧に“脅し”ていた。

「まずひとつめ。貴女の名前は?」

 言いながらカイザーは宛がった手を静かに下ろした。
 レインは躊躇(ちゅうちょ)したが、じっと見据えるダークパープルの瞳に促され、震える声で言葉を発した。

「……レイン」

 彼女の素直な反応に満足したのか、カイザーは表情をほころばせた。

「ではレイン。本物のアペイロンは何処にありますか?」

 その問いに、レインの顔色が変わった。
 村が滅ぼされたあの日、ダークネスが持ち去った秘宝【アペイロン】は、最悪の事態に備えて族長であった父が用意したレプリカである。
 見た目だけでは決して見分けがつかぬようにできている為、それが偽物だと知っているのは、父とレインだけであった。
 カイザーが空いた手で胸元から取り出したものを見て、スカイブルーの瞳が見開かれる。清き水のように透き通った、小さなつゆ型の魔陣石は、その形を崩し始めていた。

「……し、知りません」

「嘘は必要ないと、先程言ったでしょう?」

 彼女の返答に表情を曇らせたカイザーは、細い手首を掴む手に力を込めた。

「ほ、本当に知りません。アペイロンの管理は、代々の族長が行っていました。たとえ娘でも所在は知らされていないのです」

 レインは生まれて初めて嘘を吐いた。
 彼女は確かに本物の所在を知っている。しかしそれを知られれば、あの人に危害が加わるであろう。それだけは何としても阻止しなければならなかった。
 ダークパープルの瞳がしばし怯えた表情を眺めていた。が、ひと息吐いた後その色を変えた。

「そうですか、貴女なら知っていると思ったのですが……仕方ないですね。では、こうしましょう」

 レプリカを仕舞いこんだカイザーは、レインの目線に合わせて身を屈ませ、口端を吊り上げた。

「貴女が今後、私のために魔陣石を作り続けるというなら、嘘を吐いた事は許してあげます。勿論無償でね」

 娘の顔色を確認してから、カイザーは言葉を続けた。

「貴女に断る権利はありません。逃げ出そうというなら、この城の者はひとり残らず皆殺しとなります。“例外なく”貴女の身代わりとなってね」

 レインは背筋を凍りつかせた。この男には嘘も通じないのか。
 自分がこの場から逃げ出そうものなら、例外なく――そう、恐らく女王や竜王も残らず、殺すと言っているのだ。
 フェリーシアやロックウェルを信じていない訳ではない。彼らがダークネスに敗北するなど、有り得ないはず。けれど、皆が皆彼らのように強い力を持っているわけではない。城内の兵士やメイド達は普通の人間なのだ。
 ドラゴーネという種の闘い振りをその瞳で見た事があるならば、ダークネスの力が如何ほどか、見ずとも聞かずとも理解できる。人間は、彼には敵わない。
 レインには彼らを見捨てる事など、出来はしなかった。
 スカイブルーの大きな瞳から、いくつもの涙が零れて落ちる。その涙は、まるでアペイロンのように清く美しい。
 白い頬を止め処なく流れる涙を優しく拭って、黒い男は力を失い全身を震わせる娘の耳元にそっと言葉をささやいた。

「……私が怖いですか?」

 それは、この上なく甘く優しいささやき。
 瞳を見開いたまま、レインは微動だにしなくなっていた。震える膝を支えるだけで精一杯。抗う力も悲鳴を上げる気力も、彼女には残されていなかった。あの日の記憶を脳裏に巡らせるだけ。そして心中で恋人に助けを求めるだけ。

「あの時は少々手荒になってしまいましたが、今なら少しは優しくできそうですよ……試してみます?」

 黒い男が鼻で笑い、愛情も欲望も込めずに軽く言葉を口にする。
 小刻みに震える肩は、少し力を込めれば折れてしまいそう。
 誰にも見せられない背中の古傷が、まるで今しがた出来上がったかのように痛み始め、誰にも触れさせられない心が、かつて片翼を奪った男によって再び深い闇へと誘われる。肩を流れる長い髪がそっと払われ、男の顔がゆっくりと近づいてくる。
 細く柔らかい髪の先が頬を撫で、夜風のようなひんやりとした空気を肌で感じたかと思うと、軽く吐かれた息が首筋を掠めた。抗うことも許されず、レインはされるがままの状態できつく瞼を閉じていた。

 しかし、触れる間際でぴたりと動きを止めたカイザーは、ゆっくりと身体を起こし、扉の方へと視線を向けた。
 足音が聞こえる。あと数秒で、その扉が思い切り開かれることだろう。

「タイムリミットですね」

 娘を拘束したまま、黒い男がやれやれと肩を上げる。
 レインにはその言葉の意味が理解できなかった。が、説明をされる間もなく皮手袋の指が瞳の前で広げられ、その掌の陣が光った途端、一瞬にして深い眠りに落ちた。

 気を失った娘を軽々と抱え上げ、カイザーは窓辺に足を運んだ。その背には漆黒の竜の翼が現れていた。
 ひと羽ばたきすると、ガラス窓は派手に音を立てて勝手に開く。
 漆黒の男は宙に身を投げ、優雅に夜空へと飛び立っていった。






 アスライーゼ城は漆黒の影に取り囲まれていた。
 城内に侵入したのは大小様々なワイバーン。翼を持った飛竜は所狭しと暴れ回り、兵達は苦戦を強いられていた。竜は人間では手に負えない。
 こんな時に限って頼りの人物は不在。まるでそれを見越したかのような計画的犯行だ。

 城の南側、研究塔。魔猟銃開発のために設けられた吹き抜け最下層の研究室内は、あたり一面紙やら機材やら散乱し、傷ついた技師達が痛みに苦しんでいた。
 そこには黒翼竜の手下が現れていた。主(あるじ)とは違ってボサボサの髪に着崩した衣服。歳は十代後半あたり。鼻の頭に大きな傷を持つ男は、左の手にした短剣を拘束した技師の首に宛がったまま、目前に立ちはだかる人物にやる気のない視線を送っている。彼の足元には、切りつけられて肩を赤く染めた別の技師が転がっていた。
 視線の先には女、そして王。
 フェリーシアはひ弱な技師達を背後へと退け、自ら進み出て敵の男を真っ直ぐに見据えている。
 傷の男と女王は、睨み合いながら何度も問答を繰り返していた。

「先程から言っているが、その技師を解放してもらおうか」

 逃げも隠れもせず、更には全く怯えもせずに気丈に立ち向かう女王に対し、傷の男は一瞥を投げる。

「後ろの魔猟銃と、設計図と交換。何度も言うけど、それが俺の要求」

 男は態度を変えることなくやる気のない声色で言い放つ。
 そう言いながらも、彼はこの場の人間を解放するつもりは一切ない。彼が主から言い付かってきたのは、アスライーゼの機巧技師団だけが作り出せる対獣竜用魔猟銃のサンプルと、その設計図を手に入れてくること。そしてそれらを手に入れたなら、城内の人間は皆殺しにしろと。

「そうか、どうしても魔猟銃と設計図が欲しいか……」

 ならば、と言葉を続けるフェリーシアの口が弧を描いた。

「ならばこの私を連れてゆけばよい。その方が貴様等も都合がいいだろう」

 王の発言に、技師達は何を言い出すのかと絶句した。身を乗り出して彼女を止めようとするが、逆に制止されて踏み止まる。
 ちらと向けられたエメラルドの瞳は余裕気に笑っており、些か楽しそうに見えたのは気のせいではない。彼女がああいう瞳をする時は、誰にも止められない。
 だが男は要求に応じようとはしなかった。

「あんたを連れて行っても意味がない」

 フェリーシアも負けじと言葉を返す。

「そうでもないぞ? 何を隠そう魔猟銃の設計をしたのはこの私だ」

 得意げに発せられた言葉に、傷の男は明らかに反応した。
 あと一歩でこいつは条件を呑むに違いない。フェリーシアの瞳が鋭く光る。

「ついでにオルフィスの秘宝【アペイロン】の在り処も、私が知っていると言ったら?」

 勝気な女王は口端を吊り上げ、やる気のない男を挑発した。
 結果、男は誘いに食いついた。

「皆の命が懸かっているのだ。嘘は吐かんぞ」

 フェリーシアには男の行動などお見通しだ。
 こいつがダークネスの手下であるならば、弱き者に対する容赦などない。自分ならば目前の男やカイザーとも互角に闘えるが、力弱き人間達ではそうはいかない。
 こいつらの目的は恐らく魔猟銃と本物のアペイロン。それらを使って最強の武器でも創り上げるつもりなのだろう。ならば、間違いなくレインも狙われているはず。あの子を助け出すにも護るにも、自分が行く方がこちらとしても好都合だ。
 都合よくあの男の元へ連れて行くのであれば……ついでにあいつも何とかしてやろうではないか。あの漆黒の竜を止められるのは、ロックウェルか自分以外に有り得ないのだから。

「どうだ、魔猟銃にアペイロン。これさえあれば全て貴様等の自由となろう。だが、どちらも手に入れたいと思うなら、私を連れて行かねば意味がない」

 フェリーシアの言葉に、傷の男はしばし考えを巡らせていたが、やがて微笑して言葉を零す。

「あんた、面白いね」

 傷の男は楽しげに笑った。人質を買って出るなんて、王のクセに可笑しな事を言う女だ、とでも思ったのだろう。
 どうやらフェリーシアに興味を持ったらしく、傷の男は拘束していた技師を突き飛ばすと、目前の女王に近づき細腕を掴んだ。

「いいよ、あんたを連れて行く。その方が都合いい」

「そうだろうな。だったら私が大人しく着いて行くから、これ以上無駄に暴れるのはよしてくれ。修理代や治療費だって馬鹿にならないんだ。お前はただ暴れるだけでいいが、こっちは色々大変なんだよ」

 敵の男も子供扱い。まるで甥っ子に説教するような口ぶりだ。
 それが面白いのか、傷の男はまだ笑いを浮かべている。

「あんたホントに面白いね。王様にしておくの、もったいない。俺と付き合わない?」

 男の言葉にフェリーシアは拍子抜けして瞬いた。人の事は言えないが、緊張感のカケラもない奴だ。
 言った本人は、そんな発言をしておきながらもすぐさま撤回していた。そんなことになったら怒られると。
 一体誰に怒られるのか知らないが、男が歩き出したので、腕を掴まれたフェリーシアもつられて歩き始めた。が、数歩進んだ所で男があっと思い出して立ち止まり、彼女は危うくつまずきそうになった。

「おっと忘れる所だった。ブリューナクっていう魔猟銃も持っていかなくちゃ」

 傷の男がちらと視線を向けた先には、メンテナンス中のブリューナクがあった。
 技師のひとりが庇うように立ち塞がったが、フェリーシアが目配せをすると、彼は素直に引き渡す事を決めた。
 二人がかりで運んだブリューナクを、傷の男は軽々と片手で持ち上げて見せた。それで、彼が獣人であると判断できた。つまり、ただの人間では抗うだけ無駄という事だ。
 背後から不安げな視線を送ってくる技師達に、心配するなの意味を込めて笑みを向けながら、フェリーシアはその場から連れられて行った。





 見知らぬ男に腕を掴まれたまま、フェリーシアは大人しく連れ歩かれていた。無駄に抵抗して怪我人を増やすより、そのほうがいい。
 男の合図でワイバーン達は引き始めたが、それでも城内には多数残っており、混乱は拭えなかった。怪我を負って苦しむ兵やメイドは相当数。破壊された器物にかかる修理代は瞳が眩むほどだ。足元にも崩れた壁の破片やら何やらが転がっている。
 一国に対して奇襲とも取れる行動を起こすくらいだから、何処かの国がバックアップしているのだろう。
 ダークネスという男は、自分の利益にならぬ事は一切しない。計算高く、誰かを陥れる事が何よりの悦。だから今回も彼の口車に乗り、まんまと罠にはまった奴がいるに違いない。それに、ワイバーン達を従わせるなんて、余程この若い男を信頼していると見た。
 城内の人間達を心配しつつ、そんな風に考え込んで歩いていると、背後から名を呼ばれ、傷の男と共にフェリーシアは振り返った。

「その薄汚い手を離してもらいましょうか」

 白い口髭と蝶ネクタイ、きっちり着こなされたスーツと高貴な出で立ち。
 普段“執事”と呼ばれる老紳士は、何処からか手に入れてきた丈長の鉄パイプを手に、王を連れ去ろうとする男を鋭く睨みつけていた。眼光だけは若者にも負けていない。

「それはできないな。連れて帰らないと俺が殺されるからさ」

「ならば力ずくでも離して頂きましょう」

 執事は鉄パイプを握る手に力を込めて身構えた。

「待てセバス! 無茶をするな!」

 さすがのフェリーシアも必死になって執事を止めた。気持ちはありがたいが、年老いた彼ではこの男には敵わない。無駄に血を流さないで欲しい。

「いいえフェリーシア様。このセバス、アスライーゼ王家に仕えて早50年。国王をみすみす危険にさらすほど愚かではありません!」

 声を荒げた執事は鉄パイプを回転させながら走り込み、渾身の力を込めて男に殴りかかった。
 傷の男は右手でフェリーシアの腕を掴んだまま、左手にしていたブリューナクで攻撃を受け止めていた。
 片手で持ち上げられた魔猟銃を、執事はちらと見遣った。が、これくらいで驚くほど、彼の心臓は弱くはない。女王のお陰で日々鍛えられた鉄の心臓は、こんな時こそ役立つものだ。

「それに……貴女に花嫁衣装を着せなければ、亡くなった先代に顔向けできません!」

 執事は振りかぶって再度殴りかかったが、軽々と振るわれたブリューナクが鉄パイプを弾き飛ばし、次いで突き出された銃口が彼を襲った。
 鳩尾(みぞおち)に強烈な一撃をくらい、苦痛の表情を浮かべた執事は、かつて武芸で慣らした腕を見せるチャンスを完全に奪われ、胸を押さえてその場にうずくまってしまった。

「セバス!!」

「フェリーシア……さま……!」

 伸ばされた手は惜しくも届かず、執事は気を失って冷たい床に倒れこんだ。

 ――お前がそこまで私の事を心配しているなんて、全然知らなかったぞ!

 フェリーシアは瞳を背け、執事の無念を嘆いた。
 彼の勇敢な姿を脳裏に焼き付けながら、アスライーゼ王は異国へと連れ去られていった。




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