Light & Darkness


Sequel 5








 アスライーゼ城下の繁華街は夜でも煌々と光を放ち、メインの大通りにはずらりと酒場が建ち並ぶ。規模は様々だが、どの店も日々繁盛している様子。
 中でも一番人気を誇るのは、猫をかたどった青銅製の看板が揺らめく【コーシカ】という名の店。扉を開けてみれば、店内は人、人、人。足を踏み入れてみれば、カウンターの奥でナイスバディの女主人が妖艶な笑みを向けてくれるに違いない。

 人でごった返した賑やかな店内、奥のカウンター席の端には、酒場の雰囲気には全く不釣合いな人物が座っている。彼の前には盛り沢山の果物で飾られた、やたらとデカい特製のフルーツジュース。酒しか置かないこの店で、これを出すのはただ一人。竜王の従者・ファルシオンである。
 ここは彼の主(あるじ)であるロックウェルが頻繁に顔を出す店で、つまり常に付き従うファルシオンもまた頻繁に顔を出しているわけである。
  “お子様立ち入り禁止”をモットーとしているはずなのに、お子様の立ち入りが許されているのは、ここの女主人は猫の獣人で、竜王の昔の女だとかいう噂があるからか。

 ファルシオンは頬杖をつき、カウンター越しに立つ少女に惚けた眼差しを送っている。視線の先には年の頃十六・七、褐色の肌に黒髪を持つなかなかの美少女。困り顔でグラスを磨いている少女の名はクルアといって、数ヶ月前から店で働き始めた娘である。
 ファルシオンは彼女に一目惚れをし、来る度にこの状態に陥り、こうなったらあのロックウェルでも手を焼く始末だ。

「あらファルシオン、今日も来てたのね」

 そこへ姿を見せた女主人・コーシカが声をかけてきた。少年に向けられた笑顔は優しさに溢れているが、その辺の男には、色香を漂わす妖艶な笑みに見えることだろう。
 当のファルシオンは、聞いているのかいないのか、気のない返事をするだけ。コーシカとクルアは顔を見合わせ苦笑した。
 ふと、コーシカは少年の隣に見慣れない男を見つけて瞬いた。いつもなら、その場所には白い髪の見慣れた男が座っているはず。

「ファルシオン、こちらの素敵な彼はどなたかしら?」

「うんとね〜、サラちゃん」

「あなたの連れ?」

「うん。俺の下僕」

「げ、下僕?」

 思いも寄らぬ答えが返ってきたので、コーシカは首を傾げて見慣れぬ男の顔を見つめていた。見つめられたサラはというと、微妙に照れているのか、頭をかいていた。

「ま、まあゆっくりしていってね」

 そう言って片目を瞑り、コーシカは店の奥へと消えていった。



 サラは非常に困っていた。彼にとっては主であるファルシオンに(強制的に)連れて来られたが、当の本人はこの通り自分の世界に浸っていて、周りなど一向に構わぬ様子。何度か話しかけたが、全く気付いてもらえなかった。この場所で彼にできる事といえば、竜王のツケで酒を飲むことくらいだろう(ちなみにファルシオンが勝手に許可した)。
 こんな状況に陥っているのは果たして幸なのか不幸なのか、もはやサラには判断不可能であった。
 入店してから二時間弱。ファルシオンはその間ずっと飽きずに惚けたままであった。そろそろ帰らないとマズイのでは……と思い、サラが隣席に顔を向けた時、突然店内の客達がざわめき出した。何事かとサラが振り返ると同時、入口を乱暴に開け放って一人の男が駆け込んで来た。

「し、城が……! 城の周りに真っ黒な影が……!」

 息も切れ切れ、男が吐き出した言葉で更に店内がどよめく。カウンターの向こう側に立っているクルアも、声を聞いて顔を覗かせたコーシカも、何事かと騒ぎ出したにも関わらず、それでも全く正気に戻らない主に代わり、サラは真偽を確かめようと店外へ走った。



 人混みを掻き分け、最前列へと躍り出たサラは、城の方角を見て険しい表情を浮かべた。離れた城下からもはっきりとわかるほど、王城周辺は黒い霧に包まれたように染まっていた。瞳を凝らしてみれば、翼を持った飛竜達がぐるりと取り囲んでいるではないか。あれは恐らくワイバーン。闘ったことはまだないが、見たことならある。
 飛竜は人間では手に負えない。その理由は簡単。空中戦は人間には不向きだからだ。サラは主たちがそんな風に教えてくれたのを咄嗟に思い出していた。

 ――たしか、竜王さまはいないんだよな。

 竜王はどこかの国の夜会に出かけるとかで、それに連れ出されることを嫌がって、ファルシオンは早々に城下へと逃げてきたのだ。だから間違いない。
 となると、ワイバーンを相手にできるのは、女王か店内で世界に浸っているファルシオンだけ。数十体もいるのでは、いくらおっかない女王様でも、一人では苦戦するはず。そう思ったサラは、大慌てで店内へと引き返し、ファルシオンの元へと走った。



「坊っちゃん!」

 少年の肩を揺さぶり声をかけたが、うっとり眼差しはそのままで、まだ正気に戻ってくれない。だが、今は一刻を争う状況だ。サラは声を大きくして、もう一度少年の肩を揺さぶった。

「坊っちゃん、しっかりしてください! 城が……竜に襲われてますよ!」

「え〜? 竜〜? …………竜!?」

 竜という言葉に反応し、ファルシオンは夢見心地の状態から我に返った。途端に、状況説明をしようとしたサラの手を跳ね除け、足長椅子から飛び降りて店外へと走った。

 大通りには話を聞きつけて各店から溢れ出てきた客達がひしめき、かつてないほどの賑わいを見せていた。酒場の入口から飛び出したファルシオンは、前方に広がる野次馬達を一生懸命に押しのけて最前列を目指した。小柄な彼は時たま押し返されたが、そこは身体の小ささを駆使し、わずかな隙間を潜り抜けてゆく。
 ようやっと最前列に飛び出した少年の碧眼は、ワイバーンをはるかに超える漆黒の翼を持つ竜が優雅に飛び回っている様を、はっきりと映し出していた。
 数えるのも面倒くさいほどのワイバーン達。あれだけの数を連れ回せるのは……間違いなくあいつだ。

「あれもワイバーンですかね?」

 ファルシオンの後を追ってきたサラが、巨大な飛竜を指差して問いかけた。次いで小柄な少年の顔をのぞき込んだが、彼はいつものおとぼけ振りからは想像もつかぬほどきつく空を睨んでいた。
 通りを吹き抜ける夜風が、少年の金髪と青年の茶髪を緩やかに靡かせる。その風が、嫌な匂いを運んできたような気がした。

「違う。あれはダークネスだ!」

 声を上げ、ファルシオンは歯を食いしばった。
 彼とて忘れてはいない。一族が滅ぼされた痛みを。
 親の顔も知らずに育った彼にとって、【ドラゴーネ】という種族そのものが家族であり、歳の近い仲間達が兄弟であった。
 王族の顔なんて数える程度しか見かけたこともないが、それでも主であるロックウェルの肉親と思えば奴は憎い。ダークネスはファルシオンの仇でもあるのだ。

「サラちゃん!」

 ファルシオンが名を呼ぶと、サラは無言で頷いた。
 人混みの中、少年は金色の竜に、青年は巨体の狼に、それぞれ一瞬にして姿を変えた。
 繁華街の大通りを、白い首輪をはめた狼が疾走する。走り去る巨体の狼の姿を人間達が捉えるのは困難を極めた。まるで風が吹きぬけたように、気づいた時にはその場に何者も存在しないのだ。サラの脚力は相当のものだ。奢るのも無理はない。
 一方ファルシオンはというと……。

「サラちゃん! ま、待って〜!」

 一生懸命に翼を羽ばたかせ、小さな金の竜は姿の見えなくなってしまった狼の名を呼んだ。
 息も切れ切れ、どうやったらそんなに遅く飛べるのかと質問したくなるほど、ファルシオンの飛翔速度は遅い。生まれつきだから仕方ないのだが、普通に走った方が速いくらいだ。

「乗ってください」

「う、うん」

 あっという間に引き返してきたサラが地べたに伏せると、ゼエゼエと息を切らせていたファルシオンは頷き、人の姿に戻ってその背に跨った。一人乗っても余裕があるほど、狼の背中は広く、そして柔らかな毛並みが温かい。

「しっかり掴まっていてください」

 ファルシオンは体勢を低くして白い首輪に掴まった。
 それを横目で確認してから立ち上がった巨体の狼は、通り沿いに建つ家々の壁を駆け上がり、一軒二軒と屋根を飛び移って王城との距離を一気に縮めていった。



「サラちゃん、レインの部屋へ向かって!」

「はい」

 普通なら城主であるフェリーシアの身を案ずるところだが、実際彼らは国の兵でもなく、女王の臣下でもない。その上ファルシオンは、ロックウェルから常に命じられていることがある。
 それは、自分が不在の時に何かあった場合――特にダークネスが絡む場合は、何を置いてもレインを護れというものだ。
 フェリーシアは国王であるが、彼女は竜であるため、多少のことで死にはしない。むしろ彼女の性格からすると、自ら危険に首を突っ込みたがるので、護ろうとするだけ無駄なのだ。いざとなれば炎のひとつも吐き出して、そこら辺を火の海にする事くらいわけない。
 しかし、レインはそうはいかない。彼女は魔陣石さえあれば魔術が使用出来るが、ダークネスが相手となると、陣を組む前に捕らえられる可能性が高い。
 ファルシオンが指差した先を見据え、狼が城壁を這うようにして駆け上がってゆく。そして命に従い、脇目もふらず目的の部屋を目指した。


 レインの部屋の前では、ひとりのメイドが今まさにワイバーンの餌食になろうとしていた。ワイバーンは大小様々だが、大きなものでもせいぜい人体と同じ程度だ。それでも両翼を広げれば、大きさと共に与える恐怖心も倍増する。怯えたメイドは頭を抱えてうずくまっていた。
 ワイバーンが鳴き声を上げ、細い首を伸ばして女に食いつこうとした瞬間。何物かの衝撃が飛竜を襲った。身体をしならせて勢いよく吹き飛んだワイバーンは、そのまま壁まで直行して激突、悲鳴をあげて動かなくなった。
 不快な声を耳にしたメイドが、恐怖と驚愕の表情を持ち上げると、目の前には喉の奥で低く唸りを上げる巨大な狼がいた。

「だいじょぶ?」

 唖然として目を見開いていたメイドは、聞き覚えのある声に我に返り、瞬いた。
 狼の背に、金髪碧眼の、見覚えのある少年がいる。

「ファルシオンさん!」

 少年の名を呼んだのは、部屋の主の世話係・ノアであった。
 城外でワイバーン達がざわめきだした頃、不安に駆られたノアは、レインの身を案じて部屋に足を運んだ。そこで瞳にしたのは、姫君をさらう魔王さながら、漆黒の翼を広げた男の姿。ノアが扉を開け放ったと同時、黒翼竜は窓から飛び立って行ってしまった。レインが肌身離さず身につけている、青い魔陣石だけがその場に残っていたという。

「遅かった!!」

 してやられた、とファルシオンは両の拳を握り締め、心底悔しそうに身を震わせた。
 だが、ここで悲嘆にくれているほど暇ではない。

「フェリーシア様は?!」

「は、はい……恐らく、研究塔ではないかと……」

 ノアの言葉に、ファルシオンとサラが顔を見合わせて頷く。

「この辺の竜は退治したから、そこにいたほうが安全だよ。俺、フェリーシア様を探してくるから。行ってサラちゃん!」

 狼に跨る少年の姿は、まるで馬を駆る騎士のよう。
 その背を見送りながら、ノアはスカイブルーの石を握り締め、天を仰いだ。




 研究塔へと続いている橋は居残っていた多数のワイバーンに占領されていた。しかし濃茶の双眼には塔しか映っておらず、サラは怯むことなく更に加速して飛竜の群れへと突き進んだ。
 ファルシオンは腰に装備した二本の短剣を両手に掲げ、通り過ぎざまにワイバーンどもを切り裂いた。ついさっきまで生き生きと宙を羽ばたいていたものが、切りつけられてバタバタと地に落ちてゆく様は爽快感を誘う。
 そしてサラは、研究塔の入口付近でやたらと群れを成しているワイバーンを見つけ、勢いに乗って走り込んだ。背中の少年が飛び降りたのを確認し、躊躇いなく襲い掛かってゆく。まず体当たりで一匹、次いで前足を振るい片方で一匹ずつ、首をひねった先で細首に噛み付いて一匹、それをブン投げて別のものに当てて更に一匹、飛び込んだと同時に五匹のワイバーンを蹴散らした。
 黒だかりの中心に倒れた人間の姿を見つけ、ファルシオンは絶叫した。

「セバスちゃん!!」

 残りのワイバーンと闘いながら、ファルシオンは涙ぐんだ。
 口うるさい爺さんだったけど、結構好きだったのに。だからいつも「年寄りは静かにお茶してればいいのに」って言ってやったのに。いつも女王様の花嫁姿のこと(だけ)を気にかけていたのに、結局その目で見ることなく逝っちゃった。
 ワイバーンを一匹残らず片付け、ファルシオンは倒れた執事に駆け寄った。その隣にはいきり立つ狼が寄る。

「セバスちゃん……食われちゃったんだね」

 うっうっと嗚咽を洩らしながら、ファルシオンが座り込んだと同時。

「……だから“ちゃん”は余計ですと、常々申し上げているでしょうが」

 むっくりと起き上がった老年の執事に、少年の碧眼が驚愕で見開かれた。てっきり死んだと思ったのに。
 執事・セバスは、一撃を食らった鳩尾をおさえて痛がりつつ、服についた埃を払い落とし、大きく息を吐いた。よく見れば乱れているのはフサフサの頭髪のみで、どこにも怪我は見当たらなかった。

「勝手に殺さないでいただきたい」

「……あの状況じゃ死んだと思うでしょ、ふつう」

 きっと爺さんの肉なんて不味くって食えなかったんだね、とファルシオンが毒づくと、執事がキッとにらみつけた。ファルシオンはケロッとしていたが、代わりに視線を受けた狼が身構えた。

「フェリーシア様は、ブリューナクと共に連れ去られました。相手は獣人の男です」

「レインもダークネスに連れて行かれたよ」

「奴ら目的は、魔猟銃とその設計図」

「それと魔陣石だね」

 ファルシオンと執事、そしてサラは顔を見合わせて息を吐いた。

「こりゃ、どっかの国の陰謀かな。早いとこ、ロックウェル様に知らせなくちゃ」

 ファルシオンの疲れた声に執事が頷く。
 そして事態は、隣国・ロイゼで呑気に夜会に出席する竜王の元へと伝えられるのであった。




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