Light & Darkness


Sequel 6








 アスライーゼの隣国・ロイゼ。
 アスライーゼとは長く同盟を結んでおり、安定した経済力と軍事力を持つ国である。現在は三十代前半の王が治めているが、これがなかなかのやり手で、近隣諸国との友好関係を築かせれば、随一との噂もある(結構な男前という噂もある)。また、あのアスライーゼの女王に見合い話を持ち込んだ張本人で、それを考えると相当な度胸の持ち主でもあるのだろう。
 そのロイゼ王の悩みといえば、未だ婚約者もいない弟のことである。
 身内のひいき目を多少入れて、容姿はなかなか整っている。さらに身内のひいき目を重ねて、そこそこ賢く、国の要人としては申し分ない男なのだが、いかんせん恋する乙女並にロマンチストで、浮いた話があったとしても、どうやらご婦人方はそこで挫折してしまうらしい。
 そんな弟の身を案じて、(丁度よく)独身、かつ本人が憧れを抱く隣国の女王に「一度会ってください」といった風の手紙をこっそり送ってみたところ、速攻で承諾の返事が来た。あまりの早さに少々疑心を抱いたものの、まあいいというならいいだろう、という楽観振りで弟を見合い会場へと送り出したのだった。
 結果、弟は以前の心理状態をはるかに超えるほど、アスライーゼ王にベタ惚れで帰って来たのだった。

 今宵の夜会は、国王とその后の結婚七周年を祝う会として催された。
 弟君から送られてきた招待状には「身内だけのささやかなパーティです」とか何とか書いてあったらしいが、会場を訪れた女王の甥と義従妹(いとこ)は、あまりの誇大ならぬ誇小表現に呆れ果てていた。
 確かに集まった貴族やご婦人方は、揃って顔見知りなのだろうが、ロイゼが友好関係を結ぶ諸国の重要人物たちが、そこかしこと立っているではないか。

 ――来なくて良かったかも……。

 ロックウェルとリリエンヌは、揃ってそんな風に考えた。
 フェリーシアは来なくて正解だった。彼女が危惧したように、こんな場所で間違っておかしな発言をされたら、一巻の終わりだったろう。

「ようこそお越しくださいました」

 パーティ会場の片隅に佇んでいたロックウェルとリリエンヌに声をかけて来たのは、招待状を送った本人。ロイゼ王の弟君(おとうとぎみ)・ランセル=マーデルロ=ロイズ殿下である。
 弟君が近づいてくると、リリエンヌはドレスをつまんで淑女らしく挨拶をしたが、ロックウェルはたいそう偉そうに軽い会釈を返しただけだった。密かにリリエンヌが肘鉄を食らわせたのは言うまでもない。

「お招きにあずかり光栄ですわ。わたくしは王の代理で参りました、義従妹のリリエンヌと申します。こちらの男は王の甥でございます」

 丁寧ながら、どことなく引っ掛かりを覚える紹介ぶりに、ロックウェルは些か不満そうであったが、弟君はにっこり笑顔を返してくれた。
 こうして見ている分には、ご婦人方が放って置かぬであろう好青年である。その証拠に、直ぐそばで彼を見てヒソヒソと耳打ち始める婦人がひとり、ふたり。

「ご本人にお会いできないのは残念ですが、こうして貴女にお会い出来た事は嬉しく思います」

 そう言ってリリエンヌの右手を取り、弟君は軽く口付けて微笑んだ。

「我が王にご紹介したい。どうぞこちらへ」





「どうしよう、私がもらったらダメかしら」

 先行く弟君の後姿を目で追いつつ、ロックウェルの腕に引っ付いたリリエンヌが溜め息を吐いた。わずかに頬が紅潮している。
 あのフェリーシアに猛烈アタックを試みる男だというから、どんな変わり者かと思ってみたら、なかなかどうしてイイ男ではないか。フェリーシアは何を渋っているのか知らないが、いらないなら頂きたいくらいだ、とリリエンヌは思った。

「兄上、こちらがアスライーゼからのお客様です」

 呼びかけに振り返ったのは、談話を楽しんでいたロイゼ王とその后。どちらも今宵の主役らしく、きらびやかで華やかな装いだ。

「アスライーゼ王の義従妹・リリエンヌでございます」

 リリエンヌが先ほどそうしたように、お辞儀をする。
 ロイゼ王と后は、にこやかな笑顔を向けてくれた。

「ようこそ。さすがは美女ばかりと評判のアスライーゼ。王と並んで美しいご婦人だ」

「あら、ありがとうございます。ほほ」

 社交辞令とわかっていながらも、褒められれば嬉しいもので、リリエンヌは口元にそっと手を添えて上品に笑った。たいそうご機嫌である。
 そんな彼女に向けられていた視線が隣の男に移され、ロイゼ王は呟いた。

「そして……貴殿が【竜王】か」

 本物の“国王”を目前にしても、謙遜(けんそん)の意すら見せずに堂々とたたずむ様は(はっきり言って大変無礼だが)、まるで一国の王。無駄に豪華な衣装や、周囲の人並みを頭ひとつ分飛び出る身長は確かに目立つが、人目を引くのはそれだけではない。
 光を受ければ銀の輝きを放つ白い髪。高価なエメラルドさながらの瞳。人間離れした美貌は、その場の誰よりも――この日とばかりに着飾った婦人方よりも際立っていた。
 噂の“空の王者”を見たのは初めてだが、こんなにも異様な存在感を放つ者であるとは思わなかった。
 思わず見惚れたのは、国王夫妻だけではない。周囲を取り囲んだ貴婦人や貴族、あらゆる人間の視線が二人に集中していた。
 そんな彼らを尻目に、リリエンヌはにやりと笑った。
 これだ。これこそ彼女が望んだ結果なのだ。
 ただでさえ、二人は登場時の派手さで注目の的だった。夜空から竜が舞い降りただけでも驚きなのに、その背から優雅に降り立った二人に、憧れの念を抱いた者は数知れず。
 そして今。会場中の女達――そう目の前の王妃でさえ、自分の連れに見惚れている。こんな優越感に浸れる状況というのは、そう滅多にあるもんではない。隣の無愛想男が竜王であることに感謝しなければと、リリエンヌは上機嫌だ。

 方々から憧れと羨望の眼差しを惜しみなく向けられているにも関わらず、国王の御前にも関わらず、当の本人は至って平然と突っ立ていた。気の利いたセリフのひとつも言わず、王の代理で来ているにも関わらず、「どーも」だとか一言返しただけだ。
 ロイゼ王が寛容な人物であったからいいものの、普通なら無礼だと退場させられても文句は言えない。が、向こうも相手が竜王だからと、逆に緊張しているのだろうというのは見て取れた。



 その後なごやかな雰囲気で夜会は進んでいた。
 ロックウェルは婦人方に取り囲まれ、質問攻めにあって苛立ちを募らせていたが、逆に若い貴族を捕まえたリリエンヌは、非常に楽しげに会話を交わしていた。
 そんな中、突如として勢いよく扉が開け放たれる音が響いた。何事かとざわめく人々をかき分け、ひとりの男が大慌てで国王の元へ駆け寄る。

「何事だ、騒々しい」

 場をわきまえずに登場した臣下に、国王の厳しい視線が投げられる。現れた臣下は大慌てで謝罪したが、事は一刻を争うものらしい、というのは誰の目にも明らかであった。

「何かあったのか?」

「は、はい。先ほどアスライーゼから通知がありまして……城が竜に襲われたと」

 一同がざわめいた。
 その騒ぎの中心に視線を向けたロックウェルは、周囲でざわめくご婦人方の声を掻き分け、耳をそばだてて遠い場所から話を聞いていた。
 獣人は、人間よりも聴力に優れている。同室内であれば、離れた場所での会話を聞き分ける事もできる。
 ロイゼ王と臣下の会話を一言一句逃さずに聞き取ったロックウェルは、見る見るうちに怒りをあらわにしていった。

「どういうことだ!」

 国王よりも先に声を上げたのはロックウェルだった。王の下で跪いていた臣下に詰め寄る彼の表情は険しく、エメラルドの瞳は恐怖すら感じさせるほどであった。竜と聞いて穏やかでいられるほど、彼は冷静な人間ではない。

「い、いえ、通知されたのはそれだけでして……詳しいことは何も」

 臣下の腕を掴んでいた手を離し、ロックウェルは舌打ちした。
 自分の不在時を見計らって、一国を竜に襲わせるとは……そんな事ができるのは、この世でたった一人しかいない。
 顔を背けると、直ぐそばでリリエンヌが不安そうに見上げていた。

「どうしよう、みんな無事かしら……」

「今から俺が戻る。お前はここにいろ」

「でも……」

 フェリーシアを始め、国の者達を案ずる気持ちを抱えたままひとり残されるのが不安なのか、リリエンヌは自分も帰ると言って聞かなかった。しかし、彼女をわざわざ危険な場所に連れて帰るほど、ロックウェルは愚かではない。
 そばで話を聞いていたロイゼ王に彼女をしばらく頼むと願い、マントをひるがえして飛竜がいる屋上へと駆けて行った。




「ま、待ってください!」

 飛竜の元へ着いたと同時、呼び止められてロックウェルは振り返った。
 そこには必死で追いかけてきたのだろう、息を荒げるロイゼ王の弟君・ランセルが立っていた。

「私も連れて行ってください」

 言葉も無くエメラルドの瞳がキッと睨む。その視線には「足手まといだ」という意味が込められていた。
 息を呑んだランセルだったが、気を取り直して口を開いた。

「これでも剣の腕には多少自信があります! 竜王殿の邪魔はしません」

 ただフェリーシアのことが心配なのだと訴えるランセルの勢いを、ロックウェルが止める事は不可能だった。愛の力は何よりも強いらしい。
 仕方ないと諦め、竜の背に乗り上げたロックウェルが、視線で後ろに乗るよう促す。
 ぱっと表情を明るくしたランセルだが、やはり普通の人間。男といえど、竜の背に乗るのはなかなか苦労を要するらしい。しがみついたまま微動だにせず堪えている姿を見兼ね、ロックウェルは彼を引き上げた。本当に大丈夫だろうか、かなり不安感が募った。

「倍速で帰る。振り落とされても知らないからな」

 言った途端に竜は地を離れ、二・三度羽ばたくと、東の方角を目指して一気に翔け出した。
 風の音が耳をかすめる中、ランセルは必死で竜王にしがみつき、悲鳴を上げていた。そんな彼を見て、ロックウェルは不満げな表情を浮かべていた。





 アスライーゼ城はワイバーン達と獣人が暴れた痕跡だらけだった。
 壊された家具に崩された壁、傷ついた兵にメイド。彼らを介護するため走り回る者たち。ロックウェルとランセルが到着した頃には、城内はあっという間に慌ただしくなっていた。
 竜王の飛竜が降り立った場所にはまだ数体のワイバーンが残っており、アスライーゼ兵達が必死に追い払っているところであった。
 飛竜が完全に降り立つ前に、一匹の大型ワイバーンが襲い掛かってきた。が、ロックウェルは物怖じせず、飛んできたワイバーンの細い後足首を掴み、数回振り回すと勢い良く放り投げた。宙に投げ出されたワイバーンは、別の一体とぶつかり、二体は重なり合うようにして落下していった。
 一方のランセルは、自負するとおり、なかなかの剣の使い手だ。ロックウェルのように野性味溢れる闘い振りとは違い、高貴な雰囲気を漂わせ、騎士さながらの流麗な剣さばきを披露してみせた。

「ロックウェル様ー!!」

 辺りのワイバーンどもをようやっと片付け終えた頃、城内への入口付近から名を呼ばれた。声の方向に視線を向けると、金髪の少年と茶髪の青年、そして老年の執事が走り寄ってくるのが見えた。

「どういう事なのか説明しろ」

 腕組みをし、国王さながら振舞うロックウェルは相当機嫌が悪い。当然この状況下で平常心を保っていられる者などいないだろうが、目の据わり具合からかなり怒っているのがわかる。下手に反抗すれば逆鱗に触れそうだが、彼の怒りはその場の誰に向けられたものでもない。
 ファルシオンと執事は、偽り無く自分達が見て聞いた有りのままをロックウェルに話して聞かせた。
 フェリーシアが連れ去られたと聞くとランセルが怒りの表情を浮かべ、レインがダークネスの手に落ちたと聞くと、ロックウェルの瞳の色が変わった。
 エメラルドのような瞳が一瞬にして真っ赤に染まり、よく見れば肌の色がより白く変化している。噛み締めた歯の隙間からは微かに冷気が漏れており、もう少し高揚すれば間違いなく白い竜が姿を現しそうであった。
 ランセルは一度それに近いフェリーシアの姿を見ていたはずだが、彼女とはまた別格の空気を肌で感じて後退りした。何というか気迫がまるで違う。また、初めて竜王の怒る様を見たサラも同様であった。
 ファルシオンになだめられて多少落ち着きを取り戻したロックウェルだったが、表情は暗く、刺激を与えられない状態だ。

「フェリーシア様を連れ去った男が、ガイデルの名を口にしたと、技師達が言っておりました」

「ガイデル。あの南方の国ですか?」

 執事の言葉にランセルが反応する。

「何度か訪問したことがありますが……あそこの国王はこんな大それた事が出来るような、肝の据わった人物には見えませんでした」

「カイザーがそそのかしたんだろう。国ひとつ潰すなんて、あの男は娯楽の一部としか考えていない」

 言いながら羽根飾りのついたマントを投げ捨てると、そばにいた執事が慌てて受け取った。
 ついでに髪もまとめ直す。せっかく綺麗に整っていた髪が、いつものように無造作になってしまった。

「カイザーって誰だい?」

 知らぬ名を聞いたランセルが、隣に立つファルシオンにこっそり問いかけた。

「ダークネスのことだよ。ダークネスは知ってるでしょ? 前はロックウェル様の教育係だったんだけど……」

「ファル!」

 得意げに語って聞かせていたファルシオンだったが、話の途中で怒鳴り声を上げられ、縮こまった。余計な事は話さなくていいと睨まれ、ランセルの背後に慌てて隠れる。

「着替えが済んだらすぐに出る。ファル、それからサラも一緒に来い」

 歩き始めたロックウェルの後に、やる気満々といった笑顔を浮かべるファルシオンと、緊張の面持ちのサラが従う。

「ま、待ってください。私も……」

 歩き出した三人の後を追いながら、ランセルが声をかけた。
 連れて行ってくれと言おうとしたが、行ってしまったロックウェルに代わって金髪の少年が立ち止まり、首を横に振った。

「行かないほうがいいよ。だってあんたロイゼの王子さまでしょ? 俺達はアスライーゼとは関係なく攻撃しかけられるけど、ロイゼの王族が攻めて来たなんて知れたら、大変な事になるんじゃないの? まあ、気持ちはわからなくないけど」

 言われて初めて気付いた。確かに国名を背負う自分が行けば、兄王やフェリーシアに迷惑がかかることは免れない。一時の感情だけで行動するには、自分の背後を支える存在が大きすぎる。
 連れ去られたフェリーシアが、今どうしているのか考えるだけで、居てもたってもいられないというのに、こうして待っている事しかできないのか。

「だいじょぶだよ。フェリーシア様のことだから、いまごろ暴れてガイデルは崩壊してるかも知れないし」

 ランセルを安心させるように言ったセリフだったが、相手はもしかしたらフェリーシアが結婚する相手かも知れないと考えた執事はファルシオンを睨み付けた。それがものすごい剣幕だったため、びびったファルシオンは大慌てでランセルを盾にして交わしていた。



 自室へと戻ったロックウェルは、窮屈な衣装を脱ぎ捨て、普段のラフな服に着替えると、愛用のコートを羽織った。次いでクローゼット脇の棚に置いてある小さなケースを取り上げると、煙草を一本取り出してくわえ、部屋を出ながら火をつけた。
 普段から“城内禁煙”とフェリーシアに口うるさく言われているにも関わらず、くわえ煙草で堂々と廊下を歩くが、城内はそんなささいな事を気にするような状況ではない。それにあまりに苛々して、煙草でも吸わなければやっていられない。
 再びみなの待つ場所へ戻ろうと、足早に通路を抜けようとしていたロックウェルに、ひとりのメイドが駆け寄った。ノアは涙ながらにレインを護れなかったことを詫び、蒼い小さな石のペンダントを手渡した。美しいスカイブルーの魔陣石。レインが連れ去られた部屋で、取り残されていたものだ。
 ロックウェルは何も言わずペンダントを受け取り、首にかけると再び歩き出した。
 その背に向け、ノアは頭を下げた。
 どうか、無事で連れ戻してくださいと願いながら。




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