Light & Darkness


Sequel 8








 歯車の回転音と騒がしい機械音が引切り無しに鼓膜を震わせ、鉄臭と焦臭が鼻をつく。
 アスイーゼから奪ってきた対獣竜用魔猟銃【ブリューナク】の解体に勤しんでいるのは、ガイデル中から集められた機巧技師の精鋭たち。機械技術の最先端国・アスライーゼの特産物となれば、技師として成功を収めた者でも、未だ見習いの粋を超えられない者でも、この魔猟銃が興味の対象であることに差異はない。
 アスライーゼより劣るとはいえ、ガイデルには良い腕を持つ技師が多数籍を置く。ひとつ、またひとつと部品を外しては、いちいち声を上げて歓喜する始末。ついには、青く輝く巨大な魔陣石を取り上げ、その完成された美しさを見つめる瞳は、どれも宝玉を眺めるかのようだった。


 火花を散らし不快音を振りまく研究室を、ガラス窓の外から眺めているのは、ダークパープルの瞳の男。腕組をし、それ以外の事に興味がないように、じっと成り行きを見守っている。彼の周囲に人気はなく、まるでそこだけ止まってしまったのか、刻々と時間だけが過ぎていた。
 しかしながら、室内の動きを見守っている風で、実は彼の脳内では全く別の思いがめぐらされていた事実など、誰にもわかるはずはなかった。

 やがて、その時間の止まった空間に女が現れた。

「何か用ですか?」

 女が声をかける前に、彼――カイザーは振り向かずに問いかけた。その声は、一仕事終えて戻ってきた時に部下を労わるようなものでも、女性相手に甘い誘いを持ちかける時のものでもなく、素っ気無い、取り様によれば冷たさすら感じる声色だった。
 ロネッサは肩を小さく震わせ、動きを止めた。今更怯えることなどないはずなのに、今の彼の背中は、あらゆる存在、誰の言葉も拒絶しているのか、一定以上の距離でもって、その中に踏み入れさせようとしない空気を創り上げていた。
 まさかと思うが、昨夜の己の動向に気付かれていたのかと不安が過ぎった。
 その不安を悟られぬよう、ロネッサは務めて冷静に、普段通り、彼の僕である自分を装って顔を上げた。

「アスライーゼ王は、地下に繋いだままでよろしいのですか? このままだと、王の奪還にアスライーゼ軍が攻めてくるやも……」

「ロネッサ、私の言葉を忘れたのですか?」

 ロネッサの言葉は遮られ、それ以上の発言はもはや許されなかった。背を向けたままの主の言葉は何よりも冷たく、何よりも恐怖に感じられた。
 彼が、地下牢には近づくな、アスライーゼ王には危害を加えるな、と脅しすら込めて言っていたのを、勿論忘れるはずはない。忠実な僕である彼女が、主の命令にそむくはずがない。けれども昨夜、ロネッサは命取りとも言える行為を犯した。地下牢へと足を運ぶ主の後をつけたのだ。
 それに彼が気付いているかどうかはわからない。だがそこで耳にした言葉に、ロネッサが尋常でない嫉妬を覚えたのは、二度と消せない事実となっていた。

 ――貴女を、今でも愛していると言ったら?

 決して自分には向けられる事のない言葉、与えられる事のない愛を思い知らされた瞬間、抑え切れそうにない憎悪と殺意が心に芽生えた。彼に、そんな風に想い焦がれる相手がいたことにすら、強い嫉妬を覚えた。
 二人は同族なのだから、自分の知らない過去に繋がりがあってもおかしくはなく、またその時に知人以上の関係が築かれていたとしても、責め立てる理由にはならない。
 しかし、今でも――そう、夜な夜な相手をする女がいる“今でも”、アスライーゼ王を想っているのだと、彼は言ったのだ。つまり、その相手である自分は、彼の心の片隅にも存在しないと、そういう事になる。
 だがロネッサには、その事実を真っ直ぐに受け止めようとする思考が欠けていた。そんなはずはない、きっと昔の女を目の前にして、気持ちが揺らいだだけだ――そう思っていた。
 やや思い込みが激しいが、事実、彼女はその思考でもってカイザーからあらゆる女を退けて来た――とは、やはり思い込んでいるだけなのだが。

 長く伸ばした爪が、掌を突き破るのではないかというほど強く拳を握り締め、ロネッサは紅く染まった唇を噛んだ。
 それでも言い返すことは出来ない。不満の言葉を吐く事は許されない。なぜなら二人は“恋人同士”ではないのだから。

「他に用がないのなら、下がってもらえますか」

 最後まで顔を見合わせることなく発せられた主の言葉に、ロネッサは頭を垂れ、その場から立ち去った。振り返った彼女の瞳は、情熱と憎悪を宿し、飢えた獣のようにギラついていた。









 地下牢に閉じ込められた麗しの女王は、繋がれたまま、しかも寝息まで立てて朝までぐっすり眠っていた。何とも器用である。
 脳はほとんど夢の世界に浸っていたのだが、突然の衝撃が顔面を襲い、フェリーシアは一気に現実へと引き戻された。
 一度二度瞬いて、そして顔や首、とにかく身体の前面が水浸しになっている事実に気付く。水の冷たさに表情を歪めながら視線を上げてみると、そこには赤い巻き毛の女が立っていた。女の手からブリキのバケツが放り投げられ、床に転がって騒々しい音を立てた。

「こんな状況で寝るなんて、無神経な女。カイザー様も何がお気に召しているのか……」

 言葉と共に向けられたのは、明らかに蔑みの意を込めた冷ややかな視線。それは、自分よりも下等な存在への眼差しというよりは、品定めでもするかのようなものだ。
 フェリーシアの頬を、いくつもの水滴が流れては落ちる。“水も滴るイイ男”もとい“イイ女”とは、まさに今の彼女に打って付けの言葉だが、それでもフェリーシアは平然としていた。
 全くナメられたものである。水を引っ掛け、嫌味のひとつでも言えば、泣いて許しを請うとでも思っているのか。悪いが、そこまでおしとやかな性格をしているわけではない。

「カイザー“様”ねえ……」

 あの男はいつからそんな大層な身分になったのか。笑ってしまう。よほど崇拝されているか、それとも目前の女が勝手に思い込んでいるだけなのか。
 フッと鼻で笑ったフェリーシアは、品定めの仕返しとばかりに女を見遣った。
 肌の露出の激しい服装、嫌でも暗中で目立つ化粧に加え、地毛なのだろうが赤い髪。見た目も性格もあの男の手下としては不合格っぽい。
 もしもこの女があいつの“特別な女”だとしたら、あの男の好みもここまで変わったのか、と考えているうちに何だか可笑しくなり、フェリーシアは思わず声に出して笑っていた。

「あいつの女にしては、ずいぶんと下品だな」

「何ですって!」

 笑いと共に呟かれた言葉に、ロネッサは明らかにカッとしたようだった。ものすごい睨みを飛ばし、今一歩という所で殺意を理性で抑えている風だ。

「抱かれて本気にでもなったか? どうせ捨てられるのがオチだぞ」

 拘束され、自由を奪われてなお余裕の態度。カイザーを相手にするのとは訳が違う。この状況下で殺意を抱かれれば、間違いなく命取りであるというにも関わらず、フェリーシアはロネッサを挑発した。
 見た感じいかにも短気そうなロネッサは、挑発にまんまと引っ掛かったというか、図星をさされたというか、とにかく見る見るうちに怒りをあらわにしていった。

 フェリーシアの指摘どおり、ロネッサはカイザーの誘惑に負けた女である。
 【ドラゴーネ】といえば、人間であろうと獣人であろうと、誰もが尊敬と羨望を向ける存在。その名だけで釣られる女も少なくはない。しかも相手は(少々陰りがあるが)一目で周囲を魅了する美貌の持ち主。甘い言葉をささやかれ、ロネッサは一気に思いを高揚させた。それは彼にとっては何の他愛もない、一夜の埋め合わせに過ぎないのに。
 ロネッサはそれからカイザーに忠誠を誓い、付き従うようになった。しかし、カイザーは彼女の事を“忠実な僕”として見てはいても、“一人の女”として見てはいない。自分は執着する性格のくせに、執着されるのが嫌い――つまり、自分はいつまでもフェリーシアに想いを寄せているくせに、他人からの一途な想いには無関心という、何とも性格のひねくれた男なのだ。ゆえに彼を振り向かせるには、よほど執着心を抱かせる要因を持つ女でなければ不可能である。
 それでもカイザーはロネッサにとって尊敬し崇拝するに値する存在であって、そばに仕える事が出来るだけで、他の女とは一線を駕していると思い込んでいる。が、今の彼女は、その主の命令など頭の片隅ですら覚えていなかった。それほどまでに怒りが頂点に達していた。

「その減らず口を閉じてやるよ! 永遠にね!」

 激しく吼えたロネッサの爪はいっそう長く、鋭利なものとなり、剥いた犬歯は牙と化していた。おそらく彼女はネコ科の獣人だ。爪の形は鳥のものではなく、また竜や狼のそれとも異なっている。
 ロネッサは興奮する猫のごとく身の毛を逆立て、その爪でフェリーシアを引き裂こうと、腕を大きく振りかぶった。
 しかし。

「残念だったなぁ。足も繋いでおくべきだった」

 フェリーシアはにやりと笑うと、腕を繋ぐ鎖を握り締めて力を込めた。そして膝を合わせ、揃った両足でロネッサの顎(あご)を思い切り蹴り上げた。
 ロネッサはバランスを崩し、後方へとよろめいた。顎に激痛が走る。女といえど、相手はドラゴーネ。ひめたる力は人間の倍なのだ。
 口端から血を流し、顎を押さえながらロネッサは振り向いてフェリーシアを睨んだ。が、既に全てが終わろうとしていた。

「悪いが、もう自由にさせてもらうぞ」

 そこに居たのは、もはや人間とは呼べぬ存在。女王は、白き竜へと姿を変えつつあった。
 ピジョン・ブラッドの瞳が見開かれ、フェリーシアの胴体が光ったかと思うと、裂けた口がかぱっと開かれ、眩しくて耐え切れぬほどの光のブレスが吐き出された。

「ああァァッッ!! カイザー様ァーーッッ!!」

 光の渦に呑み込まれ、ロネッサは悲鳴を上げた。愛しい主の名を呼んだが、その声が当人に届く事はなかった。しかし、例えその場にカイザーがいたとしても、恐らくロネッサを助けようとはしなかったに違いない。
 哀れロネッサは、高熱で焼かれたようにその場に何も残さず、真っ白な光に取り込まれて消え失せた。










「げほっ……む、無茶はするもんではないな」

 人の姿に戻ったフェリーシアは、冷たい床に両手両膝を付き、激しく咳き込んでいる真っ最中だった。
 竜に変わろうとしたおかげで手首を繋いでいた鎖は引き千切り、枷は破壊できたが、同時に首が思い切り絞められ、あわや窒息死する所だったのだ。
 何度も呼吸を繰り返し、荒く背中を上下させていたが、しばらくして治まってくると、身体を起こし、フェリーシアは腹の辺りをさすり始めた。

「しかも、こっちも相当ダメージを食ったな。まあ、おかげでとんでもないブレスを吐けるようになったが」

 竜王のみが吐き出す“プラチナブレス”よりも眩しく、強烈な光のブレス。それは、腹の中に魔陣石を仕込んだフェリーシアならではの特技となった。しかも腹の中のブツは【アペイロン】。何度使用しても魔力が底を尽かない代物だ。
 これならば、本気で――つまりは竜形態で――闘っても、竜王であるロックウェルですら敵わぬかもしれない。
 その事実に、フェリーシアは満足げな表情を浮かべた。

「ふふ、ロックウェルめ、これまで以上に酷使してやるから覚悟しろよ」

 至って普段どおりの状態に戻ったフェリーシアは、鼻歌なんぞ歌いながら上機嫌で牢からの脱出を試み始めた。



 地下牢の扉は何とも呆気なく開いてくれた。どうせ繋いであるからと油断したのか、施錠されていなかったのだ。ものすごく厳重に施錠されているのだろうと、フェリーシアが渾身の力を込めて蹴り飛ばしたおかげで、鉄の扉はまるで木の板のように真っ二つに折れ曲がっていた。
 フェリーシアは軽快な足取りで地下牢脱出を開始したが、扉の先には二匹のワイバーンが待ち構えていた。一匹はフェリーシアの腰辺りまで背丈のある成体、もう一匹は人間の顔くらい、まだ愛らしさのある幼体だ。
 幼体のワイバーンは繋がれておらず、楽しそうに飛び回っているが、成体の方は首輪を施され、さらに鎖で繋がれ、よほど飢えているのか、今にも食いつきそうな形相だった。
 フェリーシアが一歩踏み出した途端、成体のワイバーンが一声鳴いて食いついてきたが、真っ赤に染まった瞳で睨んでやると、二匹のワイバーンは恐れおののいて身を縮こまらせてしまった。ひと凄みでワイバーンを退けるとは、さすがはドラゴーネといった所か。

「私もなにかペットが欲しいと思っていたのだ。ちょうど良く鎖もついていることだしな」

 成体ワイバーンを繋いだ鎖を拾い上げ、フェリーシアはにっこりと微笑んだ。ワイバーンは慌てているようであったが、逃げ出す事は出来ず、あっさりペットとなる運命を定められてしまったのだった。

「さて、レインを探しに行かなくては」

 俄然やる気を出したフェリーシアは、キョロキョロと辺りを見回しながら歩き始めた。鎖で繋がれたワイバーンは引きずられるようにして後をついて行き、子供のワイバーンは懐いてしまったらしく、彼女の周りを楽しそうに飛び回っていた。




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