Light & Darkness
Sequel 11
カイザーと初めて出会い、そして闘ったのは、八年前だったか―― フェリーシアがドラゴーネを去った後、最大の理解者を失ったロックウェルは、一人で父王と闘うことになった。後継者である彼に対し、父王の教育は周囲も哀れむほどに厳しかった。 四六時中監視役が付きまとい、何をするにもいちいち口を出してくる。態度が悪い言葉遣いが悪いと言われれば、その数時間後には新しい教育係がやって来る。どこぞで拾ってきた子供を従者にしたと言えば、そんな下賤の輩は相応しくないとばかりに全うな血筋の者を差し向けてくる。 さらには自らの翼で空を飛ぶ事も禁じられ、フェリーシアがいなくなって数年、我慢は限界を超え、ロックウェルは日に日に荒んでいく一方であった。 母親は父の広げる世界が当たり前だと思っていたから、何も言わずただ彼の言いなりだった。一人息子ということもあり、甘やかすだけが彼女の愛情だった。 血の繋がった兄弟・姉妹はいなかったものの、割合に歳が近いフェリーシアがロックウェルの姉代わりとなり、闘い方や竜の扱いを教えてくれていた。 フェリーシアが居た頃は、居心地が悪くてもそれなりに楽しかった。彼女には悪いが、怒りの矛先が二点に分かれれば気苦労も分割されるし、同じ志を持つ者が傍にいればどんな事にも太刀打ちできたからだ。 行過ぎた監視に教育――幼き頃から強かった反発を矯正するにはそれでも足りないくらいだが、そんな神経質すぎる世界に耐え切れるはずもなく、ついには嫌気が差し、ロックウェルは領地にすら寄りつかなくなった。 従者のファルシオンを連れ、ロックウェルが逃亡したのは十四の頃。 フェリーシアを頼ろうとしたが、アスライーゼには年に数回ほど竜王の“使者”――要するにフェリーシアの素行調査――が向けられていたため、逐一報告される事に嫌気を覚えて諦めた。 名も知らぬ町でロックウェルはかなり腐っていた。齢十四の少年が日々繰り返すのは、“気高い”だの“賢い”だのとうたわれるドラゴーネの王子としてあるまじき行為の数々。 喧嘩を吹っかけられれば必ず応戦、泣いて許しを乞われても一度抱いた怒りはすぐには収まらず、相手が獣人だろうが人間だろうが構わず結果は半殺し。 そしてそこにいるだけでやたらと目立つ美少年を世のお姉さま方が放って置くはずもなく、金や住処など、ファルシオンと二人、生きてゆく上では何一つ困ることがなかった。 そんな腐った青少年時代を過ごすロックウェルに、新たな刺客が送られてきたのは、領地を飛び出してから二月と経たない、空に浮かんだ三日月が輝かしい夜だった。 ロックウェルはその夜も洩れなく喧嘩に明け暮れていた。足元にはすでに複数の男が血まみれで転がっており、それらを見下す瞳の色は、血を吸ったかのように紅く――ドラゴーネ王族の証であるピジョン・ブラッドに染まっていた。 だいたいが何かしら文句を付けられて吹っかけられる喧嘩だが、どんなに繰り返しても苛立ちは収まらない、すっきりしない。どいつもこいつも口だけ達者、弱すぎて相手にならない、面白くない。夜な夜な街を彷徨って探していたのは、己の怒りをぶつけるための相手。 無駄な喧嘩に親への反抗――いわゆる“反抗期”真っ只中の王子様は、常に機嫌が悪かった。それも最高潮に。 ガキっぽいから、と伸ばし始めた白い髪が夜風になびく。背中は行き場の無い怒りだけをひしひしと漂わす。 闇夜に映える見事な色彩を瞳に映しつつ、その背後から彼を誹(そし)る者がいた。 『暴力でストレス発散なんて、ドラゴーネの王子ともあろう御方が、ずいぶんと子供じみた事をするんですね』 振り向けば、屋根に腰掛けてこちらを見下ろす少年がいた。面立ちはまだまだ発展途上の少年のそれ、一見して同年代と判断できた。 黒スーツに黒ネクタイと、なんだか葬式のような出で立ち。加えて少年らしからぬ口調とひとつに束ねて肩に流した闇夜色の長い髪が、造形の整った彼を少し大人びて見せていた。 ひらりと地上に降り立った少年の瞳がロックウェルを見遣った。ほんのり蔑みを含んだ視線であったのは確かだった。 『なんだお前』 苛立ちをさらに募らせ、エメラルドが睨みつける。 見返したダークパープルは冷ややかだった。 『私はカイザー=シュラウゼン。あなたの新しい教育係です』 その一言で、こいつが父の差し金だと気付いた。 軽く腰を折り紳士然と名乗った少年からは、育ちの良さが嫌味なほど感じられた。どこで見つけてきたかは知らないが、いかにも父親好みの“優等生”である。 しかしどうやってここを嗅ぎつけたのか。しつこい事この上ない。 異様な敵意を感じてか、カイザーは軽く笑い返した。 『ああ、別に喧嘩するのは結構なんですよ。それで気が済むならば、存分におやりになって下さい。その代わり監視役も請け負っておりますゆえに、報告はさせて頂きますけれどね』 言葉の端々に走る棘に、ロックウェルの眉が釣りあがった。 『殺されたくなかったら消えろ』 余計なことはするな、気に入らないとばかりに握った拳の指を鳴らす。 あからさまな“不快”の意思表示に、小さな笑いが洩れた。 『私にも武力行使ですか? 結構ですよ、お相手しましょう。多少手荒な真似をしてでも連れ戻せ、というご命令ですから』 ただしこれだけは言っておく、とカイザーが言葉を繋げた。 『私はそこでくたばっているような輩とは違います。そして私は今、あなたと違って仕事中という事をお忘れなく。【邪魔する奴は容赦なく潰せ】というモットーで生きているので、その辺を頭に入れてかかって来て下さい』 要するに「仕事の邪魔をするならば、たとえ王子だろうが容赦しない」という意味だ。 言葉の後に広げられたのは、漆黒の竜の翼。そういえば遠縁に黒竜の一族がいたような、いないような……。だがそんな曖昧な記憶、今は必要なかった。 ――この枷を外して、自由に空を飛べたら楽しいのにな。 幼い頃からフェリーシアが幾度と無く口にしていた言葉。自分の翼で飛べるくせに何を贅沢言ってるんだと腹が立ったものだが、その意味を取り残されてからようやく知った。 どこまでも執拗に追いかけてくる竜王の影。彼にとって、自分は息子ではなくただの後継者。他国へと遣った実の妹は、万が一ドラゴーネが滅んだ時のための、王族の血を絶やさぬようにという“保険”にすぎない。 籠に閉じ込められるくらいなら“竜王”などという大層な肩書きなどいらない。いっそ滅んでしまえと思ったことさえあるあの神経質な世界に、連れ戻されるなんてゴメンだった。 しかしカイザーはその頃すでに並々ならぬ俊敏さを身につけており、繰り出される蹴りは、痩身からは想像もつかぬほど強烈だった。 徹底的に教育された身のこなしに、喧嘩で慣らしただけの闘いでは太刀打ちできず、結果ロックウェルは竜王の元へと連れ戻された。 領地へと戻った後も数回逃亡を企てたが、その度にカイザーに阻まれた。相手の方が一枚上手、自分とファルシオンしか知らないはずの抜け道も全て把握され、さらに闘ってもその時はねじ伏せる事が不可能だった。 やがて彼の存在に観念し、ロックウェルは仕方なく条件付で竜王の座を後継する事を誓った。 一つはファルシオンを従者として認めること。 二つは自分のやり方に口出しをしないこと。 三つはフェリーシアへの監視を止めること。 一つめは最初の段階で渋々了承された。父王はカイザーを息子の従者にしたかったようだが、あんなのが四六時中付きまとっていたら精神病になるからと、ロックウェルは頑としてそれを拒んだ。 二つめは時間が経つにつれて緩和されていった。ロックウェルが分別のつく年頃になると同時に父王は病の床に伏せるようになり、もはや口出しなど出来ぬほど衰えは早かった。 しかし三つめはいつまで経っても止まる様子がなかった。――それが、やがて最も信頼していた臣下に裏切られる原因になるとは、父王は思いもしなかっただろう。 ドラゴーネに属していた頃、カイザーは至って普通の男だった。多少嫌味な性格と優等生ぶりは今とさほど変わらないが、性格のゆがみはほとんどなく、ロックウェルともそこそこ仲良くやっていた。 カイザーはフェリーシアに会ってから少しずつ変わっていったのだ。 竜王の絶対の信頼を得るため、いかなる命にも笑顔で応じ、従順な臣下を気取った。やがて王が信頼を寄せるようになると、ある程度自由が確約されてくる。それを利用し、カイザーはアスライーゼへと度々足を運ぶようになった。 結果フェリーシアとは数年の間恋仲になったが、その事実を竜王は知らなかった。知られていたなら逆鱗に触れていただろうが、ばれるような下手はしなかった。 フェリーシアはいずれアスライーゼ王として即位するよう運命付けられていた。 血縁者が支配者となれば、最強と呼ばれる国の力は我が物同然。竜王は、長い長い目を持ってして妹を遠い地へ追いやったのだ。 世界最強とうたわれる一族を未来永劫繁栄させるには、女だろうが子供だろうが容赦なく利用する――それが先代の支配だった。 先代はアスライーゼに定期的に使者を送り、フェリーシアが逃げ出さぬよう、おかしな男と結婚しないよう監視し続けていた。 女性としての幸せなど与えられず、遠い地にやられてなお縛られ続けているフェリーシアが、カイザーには痛ましかった。【ドラゴーネ】というちっぽけなもののために、愛する人は翼をもがれて自由を奪われている。 それならば――くつがえしてやろうではないか。 この力がどれだけ世界を引っ繰り返せるか、試してみるのも悪くは無い。 そうしてカイザーは堕ちてゆき、手始めにドラゴーネを滅ぼしたのだった。 あれから三年。 目前の男に対して抱くのは、裏切られた恨みでも、信頼を損なわれた痛みでも、滅んだ故郷への喪失感でもない。 上手い具合に自分とフェリーシアを生かした理由を問いたいと思ったこともあるが、今となってはどうでもいい。 エメラルドの瞳が、黒竜の翼を広げた男を凝視した。 「そういえば貴方と初めて対したのも、こんな月夜の晩でしたね。あの頃はずいぶん腐った男でしたが……だいぶ矯正されたようで何よりですよ」 “私の教育の賜物だ”とカイザーが笑う。 実際、カイザーはフェリーシア同様、連れ戻したロックウェルをほぼ武力行使で教育した。言って聞かない相手は、身体で覚えさせるしかないと。 効果はてき面、ひどい反発を繰り返していた怒れる王子様は、徐々に大人しくなっていった。カイザーにしてみれば、狂犬を飼いならした気分だっただろう。 その代わり、いつまでも敵わぬ相手にいつか勝利してやろうという、その密かな熱意がロックウェルを強くしていったとは気付いていないだろうが。 「そういうお前はずいぶんと堕ちたものだな。俺は、お前がこんなに頭の悪い奴だとは思っていなかった」 溜め息混じりに言葉を吐くと、煙草の煙が夜空に昇ってゆく。 思わぬ言葉に、カイザーは眉をひそめた。 「貴方にそんな事を言われるとは……この上なく心外ですね。何故そう思われましたか?」 つまり「頭の悪いお前に言われたくはない」という嫌味であるが、通用したのかしないのか、ロックウェルは座った視線を向けて煙草をふかしているだけだ。 「ガキの頃に教わらなかったか? “人のモノを盗んではいけません”ってな。お前がアスライーゼから盗んでいったものは(フェリーシアは付属だが)俺のもの。ついでに言うと、お前が我が物顔で飛び回っている領域も、今は俺のものだ。勝手をされると大迷惑」 返答に、カイザーは唖然とした。 世界すらも自分のモノと言わんばかりの“俺様発言”に、額に手を当て溜め息を吐いた。しかも相手は至って大真面目らしい。 「……貴方のそういう所、嫌っていたお父上にそっくりですよ」 先代も何もかも全てが自分のもので、思い通りになると考えていた人だ。さすがはその息子、この空までも自分のものと言い切るとは……見事な王様思考である。 似ていると言われても、ロックウェルの心には今さら怒りすら起こらなかった。故郷を思っても涙が出ない、とフェリーシアが言っていたが、何となくその気持ちがわかる。自分で言うのも何だが、ずいぶん冷めた息子だなあと思う。 「それで……貴方の大切なものを盗み、あまつさえ多大な迷惑をおかけしている私を、どうされるおつもりで?」 腕組をし、カイザーが問う。あくまで冷静、そして挑発的な口調で。 だが視界から一瞬ロックウェルの姿が眩み、瞳を見開いた。気付けば目前には白い姿が迫っていた。 「貴様がいつも言っていただろうが」 抜き放たれた剣は月光を浴びて妖しく輝き、銀の像でもって闇を彩りながら、ためらいもなく振り下ろされる。カイザーは抜剣し、それを受け止めた。 押し返されまいと腕に力を込める。一瞬でも気を抜けば命取りとなることを、これまで繰り返した戦闘でお互いよくわかっている。 幾度となくカイザーが口にしていた、己のモットー。 カイザーは頭が切れる分、教えは卑怯とも取れるものが(かなり)多かったが、“あれ”だけは唯一今でも実践しているし、教わったことに感謝している。 最強種が甘さを見せてはならない、やるなら徹底的にやれという、あの言葉を忘れた事はない。 「「邪魔する奴は容赦なく潰せ」」 二つの声色が重なり、エメラルドとダークパープルが楽しげに輝いた。互いに邪魔な存在ならば、相手を潰すしか方法はない。 一族が滅び、臣下など無き今、“竜王”などという肩書きは必要ない。勝者こそが最強の竜、この空の王者として相応しい。生き残った者が……最強の獣人族【ドラゴーネ】として、この世に君臨すればいい。 剣を交差させながらカイザーが足を突き出すと、ロックウェルは後方へ跳んで蹴りをかわした。間合いが取れると、一呼吸置いて互いに見遣った。 「意見が一致して良かったですよ。これで心置きなく闘えますね」 呼吸も乱さず、笑顔を浮かべながらカイザーがネクタイを緩めた。常に几帳面に服装を正す彼がそうする姿を、これまで何度か見た事がある。あれは“本気を出す”という合図だ。 彼はドラゴーネのお尋ね者。一族を滅ぼし、愛する者を苦しめた相手に手を抜くつもりなどなかったが、その気ならば喜んで応じようではないか。 最後に煙を噴出し、ロックウェルはくわえていた煙草を吐き捨てた。 「火の点いた煙草を、その辺に捨てないで下さい」 言葉はすぐ隣から。 黒革の手袋をはめた左手が、今しがた吐き捨てられた煙草を握り潰し、空いた右手が容赦なくロックウェルの頬を殴りつけていた。 「お行儀の悪い人だ」 先程までの笑顔は消え、ダークパープルが見下したように視線を送る。教育係的なその視線を、過去何度見せられたかなどもう覚えてなどいない。 息も吐かせずここまで接近するとは、さすがは【ダークネス】。闇夜は彼の最も得意とする戦場だと忘れる所であった。 だが、不利な状況だからこそくつがえしてやりたくなる。その黒竜の翼をへし折って、地上に堕としてやりたくなる。涼しげな表情が苦悶で歪む様を見てみたい。 戦闘種の血が湧き、異様な興奮が身体中を駆け巡っていた。 「……面白い」 口元を拭いながら、ロックウェルはにやりと笑った。 |
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