× 第3章 【2+1の恋金術】 1 ×





 スペリオルの城下町は産業・工業・商業が発展し、外交も盛んなために常に賑やかだ。その中でも、商業区の一般市民が住居を構える区画は格別で、通りは常に祭のごとく賑わっているし、人通りも激しい。見ているだけでも十分楽しめる。
 その様を、館の三階の窓から眺めている人物がいた。肘をついて手にあごを乗せ、全くやる気ない眼差しで喧騒をぼんやり眺めているのは、黄金の輝き眩しいスペリオル王宮の騎士・リヒトである。非番の今日この日、彼が今いるのは商業区の大通りに面した宿屋の一室だ。
「退屈そうね」
 背後から言葉をかけられて振り向くと、そこには苦笑を浮かべる婦人が立っていた。取り立てて美しいわけではないが、商売柄か愛想の良い笑顔が印象的だ。彼女はこの宿屋の女主人で、数年前に亡くした夫の代わりに店を盛り立てている未亡人だ。そして、リヒトの恋人の一人だったりする。
 リヒトには複数の“恋人”がいると理解しているのか、婦人は彼を独占しようとしないし、我を張ることもない。そういう所が未婚の若い娘とは違って心地よく、リヒトはこの宿屋によく来ているのだが……なんでかあまり気乗りしなかった。
 この数週間、(ある意味)賑やかな娘が近くにいたせいか、静かになるとつまらないと感じてしまう。あの天然マイペースなドジっ娘をからかうと、なんでか面白いのだ。自分でもなぜそんなにからかいたくなるのか良くわからないが、あんなに腹の底から笑ったのは本当に久しぶりだと思う。むしろ数年越しな気もする。
 時々、恋人たちに向ける笑顔に疲れる事がある。けれどそれは彼女達に対しての礼儀でもあるし、向こうも“リヒト”という人間にそれを求めているのだから仕方ないと割り切っているつもりだった。けれど今は、ああやって心の底から笑える自分を求めているのではないかと、ふと思った。
「……ごめん、やっぱり帰るよ」
 申し訳なさそうにリヒトが謝罪すると、婦人は文句を言うでもなくにっこり笑って送り出してくれた。




 スペリオル城内、術師棟。
 イグネアは日々やることがないので、いつものように私室でまったりとくつろいでいた。部屋の隅の物置に入り浸り、またしても理解しているのかいないのかわからない本を読みつつ、うんうん頷いている。
 かれこれ数時間そんな風に過ごしていたのだが、少し風にでも当たろうかと立ち上がった。その拍子にまたしても眼鏡がずれ落ち、しかもそのまま顔から離れて落下し、テーブルに衝突したのだ。
「あっ!」
 慌てて拾い上げてみると、レンズにわずかな亀裂が走っていた。
「あうっ……まずい」
 この眼鏡、実は普通とは違う代物である。プレシウにだけ存在していた特殊なレンズを、ある“特殊な職人”に依頼して作らせたものだ。つまり修復も、その“特殊な職人”でなければできないのだ。レンズには魔力抑制の力があり(ちなみに牢獄の壁などに使用されていた)、ヒビが入れば効力も薄れる。ゴルドで落とした時から殊更調子が悪いなとは思っていたが、これはすぐに直さないとまずい。
 プレシウの魔術師の魔力は強大だ。現代は“物”が多過ぎるせいか、太古に比べて自然が減少し、大地に宿る魔力も微々たるものとなった。ゆえに、裸眼を晒していれば、その魔力に耐え切れずに壊してしまう事もある。だから特殊な眼鏡で隠しているのだ。
 こうなったらすぐに出かけよう。イグネアは(大した用意もないが)早速外出の支度を整え、自室を飛び出したのだが……

「どちらへ?」
 未だ術師棟すら抜け出せていない状況、通路で出会った女官に声をかけられ、イグネアはぴたりと足を止めた。振り返ると、何となく厳しそうな雰囲気を漂わせるレディがこちらを見つめている。
「えっと……その、外へ」
「お一人でですか?」
「そうですが」
「それはなりません」
 きっぱりと言い切られ、イグネアは怯んだ。ここで出会ったのが経験浅めの若い女官であったなら、あるいは見逃してもらえたかも知れないが、残念な事に今ここに立っているのは経験豊富な女官長さんである。
「あの、しかしですね。どうしても外に行かなければならない用事がありまして……」
「それならば、誰か供をお連れになって下さいませ。イグネア様はスペリオルの国力であらせられます。外界で事件に巻き込まれてしまったら大変です。どうかご理解くださいませ」
 事件て……そんなものに巻き込まれる可能性は皆無に等しそうだが、イグネアの内なる訴えは伝わりそうもなく、女官長は会釈をして立ち去ってしまった。
 このままこっそり出かけてしまっても個人的には問題ないが、こうして見つかってしまったからにはやはり供をつけなければならないだろう。もしも女官長の意見を無視した挙句に本当に事件に巻き込まれてしまったら、彼女に迷惑をかける可能性がある。
 “特殊な職人”は存在自体が特殊なため、あまり人に知られたくない。さてどうしたものか……と通路のど真ん中で悩む事数秒、仕方がないので事情を知っている彼に同行を願おうと、イグネアは来た道を引き返した。


 自室の隣室のドアを叩くと、住人は在室しているらしく、すぐに返答があった。了承を得てから遠慮がちに入室して様子を伺うと、部屋の主・ヒュドールは、何やら慌ただしく動き回っていた。
「何の用だ」
 挨拶もそこそこ、顔を見た途端に面倒くさそうに言われ、イグネアはうっと唸った。
「忙しそうだな」
「ああ、魔物討伐の応援を頼まれた。今から出なきゃならない。くそっ、今日は非番だったのに。リヒトの奴は何処をほっつき歩いてるんだか」
 ブツブツ文句を言いつつも手は休まる事がない。そんな状況下で「一緒に眼鏡を直しに行きませんか」などと誘いかける事など、恐ろしくて出来ない。
「で、何か用なのか? 急いでいるから簡潔に言え」
 またしても面倒くさそうに言われたが、何でもありませんなんてそれこそ言えず、イグネアは歯切れ悪く答えた。
「眼鏡の調子が悪いので修理に行きたかったのだが……」
「そんなの一人で行ってくれ」
 最後まで言わずして話を遮断され、イグネアは口を噤むしかなかった。

 頼みの綱であったヒュドールに断られてしまったからには、もう一人で行くしかない。とりあえずこっそり何気なく出て行けば、誰にも気付かれずに脱出できるだろう、などとイグネアは安易に考えていたのだが……
「お出かけですか?」
 先程の繰り返し、今度は城門で守護を務めていた衛兵に引き止められ、イグネアはがっくりと肩を落とした。
「お出かけでしたら、誰かお連れになった方がよろしいですよ。何でしたら、今すぐ手配いたしましょうか?」
「いえいえ、結構ですよ。ご苦労様です」
 丁重にお断りしつつ深々と頭を下げ、さてこの雰囲気のまま出て行ってしまおうと思ったが、やっぱりダメだった。
「陛下より、あなたの外出は止めるようにと命令が出ております。同行者を付けるか、外出は諦めてください」
 あんのチョビヒゲめ、余計な命令を下しおって! という内なる憤慨を爆発できず、イグネアは困惑していたのだが。
 そこへ運良くか悪くか、顔見知りが現れた。
「どうかした?」
 この声は……と思って振り返ると、すぐそばの高い位置に美麗な顔があった。にっこりと微笑む美青年の髪は、昼の光を受けて輝き、眩しいくらいだ。相棒が非番だと言っていたからには、彼もそうだったのだろう。その証拠にいつもは剣を携え、騎士服に身を包んでいる彼も、普段着っぽい服を着ている。普段着と言っても、着ている人物の素材がいいから高級感漂っているのだが。
 普段着とはいえ騎士であるリヒトが現れると、衛兵は一礼をして身を引いた。あとは任せたという感じだ。
「何してたの?」
「ええと、その、眼鏡の調子が悪いので修理に行きたいのですが……一人では外出できないみたいで」
「修理なら外から人を呼べばいいのに。頼んであげようか?」
「いえいえ、ちょっとこの眼鏡は特注品なので、出来れば作った人に直してもらいたいのです。呼んだ所で絶対に来ませんし」
「ふーん」
 と、リヒトは素っ気無い返事をしてきた。王宮暮らしをしている婦人方なら普通にそうするのだろう。我侭を言っていると思われても仕方ないし、だったら諦めなとか言われそうだなとイグネアは考えていたが。
「ちょっと」
 イグネアに何か言うでもなく、リヒトは先程の衛兵に向かって手招きをして呼び寄せた。
「何でしょう」
「馬車を手配してくれない? 私が一緒に行けば問題ないだろうから」
「承知いたしました」
 衛兵はあっさりと上官の命を受け入れ、すぐに馬車の手配に走った。

 カタカタと心地よく揺れる馬車の中、イグネアは肩身の狭い思いで座席の隅っこにいた。おろおろと視線を上げると、ほんのり呆れたような表情が向かい側から返って来る。
「リエスタに徒歩で行こうとしてたなんて……見かけによらず無謀な子だね。王都からどれくらいかかると思ってるの? 君は歩くの遅そうだから、一日経っても帰って来られないんじゃないかな」
 リエスタは王都より少し離れた場所にあり、港と王都を繋ぐ町として栄えている。徒歩で丸一日……は言いすぎだが、馬車でも一、二時間かかるだろう。と、馬車に揺られて数十分後、イグネアは彼の発言の意味をようやく理解した。しかも最もな意見なので言い返す術がない。
 以前、一度だけ眼鏡の修理でリエスタに行った事があるが、その時は別ルートだったし、特に何かの制限を受けている身でもなかったし、一人なら寝食を摂らずとも平気なので、どんなに時間がかかったかなんて一切気にしていなかった。
「お世話をかけてすみませんです。ありがとうございます」
「まあいいけど。どうせ非番で、暇だったし」
 暇というのは微妙に嘘であるが、やることがなかったのは事実である。
「そうなんですか? ヒュドールは忙しそうでしたよ。魔物討伐の応援を頼まれたとかで」
「……ふーん」
 と、いつもなら「麗しの相棒よ」とか言っているくせに、今日はいつになく素っ気無い。ヒュドールも文句を言っていたし(とはいえ彼はいつもの事だが)、喧嘩でもしたのだろうか。
「仲がいいんだね」
 一体どこをどうやったら、そんな発言が生まれてくるのだろう。イグネアは思い切り困惑した。この人、相変わらず思考が直結型だ。
「(あれで)仲良く見えますか?」
 するとリヒトは一拍おいて、何やら真剣な表情を浮かべた。
「君は王宮に来て間もないからよく知らないと思うけど、ヒュドールって見た目通りかなりの神経質だから、他人に易々と気を許すことなんてないよ。それこそ他人には関心ないし、どうでもいいと思ってるくらいだし、面倒だからって口を利かないのも普通だ。俺だってコンビ組んだ頃は結構苦労したんだよ」
 それがいくら隣室とはいえ、簡単に自室に入れるのは珍しいというか、有り得ないらしい。今でこそからかえる程度に発展したものの、当時のヒュドールはリヒトに対しても冷たかったようだ。
「そうなんですか……」
 まあ初対面の暴挙の数々を思い出してみても、その容赦ない性格は理解できる。しかも今でさえ容赦ないと思えるくらいなのに、あれで気を許されているのだとしたら、気を許されていない人にはどんな態度を取るのだろうか。
 とはいえ、ヒュドールには秘密と命を握られているわけで。イグネアとしても普段の姿で接する事ができる唯一の相手だから、こちらも多少なり気を許している部分があるのかも知れない。
「君のこと、好きなのかも」
「そうなんですか……って、はあ?」
 あまりに唐突な発言に、イグネアは素っ頓狂な声を上げた。一体、どこからそういう思考が生まれてくるのか理解に苦しむ。そんな風に思いつつ視線を上げると、リヒトはいつもからかっている時に見せる興味深々な表情を浮かべていた。要するに、今もからかわれているのである。
「何言ってるんですか。そんなわけないじゃないですか。一体どうしたらそんな風に思えるんですか」
 はあと溜め息をひとつ、イグネアは慌てるでも恥らうでもなく、すれ落ちた眼鏡を正しつつ冷静に答えた。だいたい、ヒュドールこそ不慮の事故で面倒な事に巻き込まれたのだ。普通なら嫌がるだろうが。
「だって、あれだけの神経質が踏み入られたくない領域に他人を入れているんだよ? どういう理由なのか、非常に気になるじゃない。それとも君の方が気になっているとか?」
「……それこそ有り得ないんですけど」
 なんでこんな会話に発展したのだろうかと、イグネアは内心でげんなりしていた。大体、自分は人を好きになったところで何の利益もない存在なのだ。
「前から聞こうと思ってたんだけど、本当に俺たちのそばにいて何にも感じないの?」
「感じないって何をですか?」
「普通の若い娘ならさ、俺たちが揃うとそれはもう倒れるんじゃないかと思うくらいキャーキャー言うんだけど。そういうのないの?」
 つまり、俺たちのような美青年を前にして冷静でいられるのはお前くらいだ、ちょっとは格好いいとか素敵だとか思えと言いたいのだろう。ヒュドールがよく言っているが、このナルシスト精神は死ななきゃ直らないだろう。というか、死んでも直らないんじゃないかと思う。
 が、残念ながら見目麗しいからと言って興味が出るほど、イグネアは若々しい心を持ち合わせていなかった。
「ないですが」
 あまりにもあっさりきっぱり返事され、リヒトは思わず噴出した。さすが初対面で背中に悪寒が……と言っただけはある。こいつは本物だ。
「やっぱり面白いね。っていうか、変わってるよね」
「余計なお世話です」
 それでもしばらくリヒトは笑って楽しそうにしていたが、この後もこんな展開が続くのだろうかと思うとやっぱり一人で来たほうが良かったかも……などと恩も感謝も忘れてイグネアは考えていた。





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