× 第3章 【2+1の恋金術】 2 ×





 王都ほどの華やかさはないものの、商業の町リエスタは活気に満ち溢れていた。交易の中継地ゆえか旅人も多く、町のメイン通りは人でごった返している。通りの左右には露店がずらりと並び、どの店からも楽しげな声が響いてくる。
 その声に引き寄せられるようにイグネアはあちこちふらりとし、不規則な動きを繰り返していた。以前リエスタに来てから一年以上経つが、あの頃よりもずいぶん華やかになったなあなどと考え、ずれ落ちまくる眼鏡を正しつつ興味深げに店をのぞいている。露店商も彼女をいいカモだと思うのか、売りつける気満々な者もいたほどだ。
「楽しそうで何よりだけど、迷子にだけはならないでね」
 苦笑しつつリヒトが言葉をかけた。王宮に住んでいるとはいえ部屋からはほとんど出ないらしいし、山奥で地味な生活を送っていたくらいだから、こういった場所で興味心を抑えられないのは仕方がないだろうと諦め半分だ。
「ところで、その眼鏡の職人はどの辺りに店を出してるの?」
 問いかけられてイグネアは「あっ」と声を上げた。どうやら本来の目的を思い出したらしい。しっかりしろよと言いたくなる。
「えーと、こんな大きな通りではなく裏通りだと思います。なにせ過去に一度しか来た事がないので、あまりよく覚えていないんですよね」
 のほほんと答えたイグネアに、リヒトは溜め息を吐いた。そんな曖昧な記憶だけを頼りに、よくもまあたった一人でこんな所に(しかも徒歩で)来ようと考えたものだ。やっぱりついて来て正解だった。一人で来させていたら、間違いなく何らかのトラブルに巻き込まれていただろう。
 ……なんとなく、ヒュドールが放っておかないのもわかる気がした。彼は神経質だが責任感は人一倍、面倒見ろと言われたからには徹底的にやるに違いない。
 とにかく、わずかで頼りない記憶だけを元に探しながら行くしかないだろう。これが眼鏡のためでなかったら、もう少し楽しかったかも知れないが……仕方ない。
「近くまで行けば思い出せそう?」
「はい、たぶん。店がある細い路地への角に、確か花屋があったような、なかったような」
「……とりあえず行くか」
 頼りなさすぎる記憶を頼りに、二人は裏通りを目指して歩き始めた。

 しかし、さっそく問題発生。背の高いリヒトは人混みを難なくすり抜けてゆくが、小柄で鈍臭いイグネアは向かい側から押し寄せる人の流れに呑まれてしまい、気付けば二人の距離は相当に離れていた。そこで「待ってー」などと言えばいいのだろうが、イグネアの頭にそんな可愛らしい思考は存在せず、内心で悲鳴を上げつつ黙って押し戻されるだけであった。
 まずい、このままでは迷子になってしまう……とイグネアはちょっぴり焦った。さっき忠告された手前、本当に迷子になったら情けない。しかし声をかけた所でもはや届きそうにない。こうなったら意地でも前進し、接近する以外に方法はなさそうだ。というか、なんでこんなに人がいるんだ。俄然やる気を奮い立たせていると――
「目を離すとコレだ」
 声は隣から。驚いて顔を上げると、先に行ったはずのリヒトが立っていて、イグネアは二度驚いた。隣にいない事に気付いて引き返してきたのだろうが、それにしても何という素早さか(単にイグネアが鈍臭いだけなのだが)。なおかつやっぱりというか呆れ顔をされ、今度こそ間違いなく怒られそうだなあなどと考えていたが。
「置いて行ったりしてごめんね。通りを抜けるまでこうしていようか」
 と、あっさりやんわりごく自然に断りもなく手をつながれ、さらには予想外の応対をされたため、イグネアはほんのり困惑した。つないだ手を引っ張るのではなく、リヒトはあくまでもイグネアの歩調に合わせて隣に並んでいる。
 なんというか……見た目の不均衡さから、恋人同士というよりもむしろ迷子の子供と親のような雰囲気をかもし出していなくもないが、さすが扱いに手馴れていると言うか。元々の性格なのか職業病なのか知らないが、きっと誰にでも(特に女性には)親切なんだろうなと思った。相手がヒュドールならば間違いなくひと睨みされた上にキツイ一言を頂戴し、そのうえ置いていかれそうだ。普段そういう状況に慣れていたから、リヒトの応対には本当に面食らった。
「ご迷惑をかけてすみませんです」
「これくらい、迷惑のうちに入らないよ」
 爽やか笑顔と共に言い返された。さすがは王宮の騎士様、普段もっと面倒な事をやっているのか言う事が違う。
 それにしても。初めて会った時から思っているが、コンビとはいえ性格がまるで正反対だ。これでよく仲良く(かどうかは謎だが)やっていられるなと思う。リヒトの方が少し年上だと聞いたが、恐らく彼が色んな所で気を使ったり、譲歩したりしているのだろう。見た目の華やかさと発言から軽そうに見えたが、実は結構しっかり者なのでは? とイグネアはまじまじとリヒトの横顔を眺めていた。
 その(ある意味熱烈な)視線に気付いたリヒトは……
「俺が素敵だからってそんなに見つめないでよ」
 と余計なナルシスト発言をし、またしてもイグネアは渋い表情を浮かべていた。全く、どこまでが本気なのか不明な男である。

 なんとか大通りを抜けると、リヒトが食事をしようと提案してきた。イグネアには大して必要のない行動だが、そうも言っていられない。仕方ないな……と思っている間に適当な店に入って適当な席に座っていた。
「何でも好きなもの注文していいよ」
「はあ……」
 メニューにかじりつきつつ、イグネアはやる気のない返事をした。普段ほとんど食事をしておらず、せいぜいお茶くらいしか飲まないため、どんなものがあるのかわからない。ずらりと料理の名前を並べられても、何が何なのかさっぱりだった。
 そんなこんなで心中で唸る事数分。
「……紅茶を、一杯お願いします」
 正直な所、たかが紅茶一杯でも出し方や葉の種類で味がかなり変わるのであまり口にしたくない。かなり譲歩した結果だ。
 だがやはり不思議に思われても仕方ないわけで。
「何も食べないの? もしかして減量中とか? 無理な減量は身体に良くないんだよ。特に君くらいの歳の女の子は成長期だし、きちんと栄養を摂らないと。っていうか別にする必要ないと思うし、むしろもうちょっと肉付き良い方が俺好みなんだけどね」
 若干余計なプチ情報も入ったが、一応の心配と、盛大な勘違いをされたらしい。
「いえいえ、そういうわけではないんですけども、あの、そのですね……」
 どうしようか、まさか「食わなくても生きていけるんです」などとは言えないし、薬飲んでるという話をすれば余計突っ込んで聞かれるだろうし、何か理由がなければ怪しいだろうし、こういう時になんと言い訳をすればいいのか……。
 やっぱり事情を知っているヒュドールが相手だったら楽だったかもな、などと考えているうち、イグネアはふと思い出した。そういえば、あの時もこの言い訳を使ったではないかと。
「そ、そうそう。あのですね、実は私、ものすごい偏食で……こういった外ではあまり食べられないのですよ」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ俺も茶だけにしようかな」
「え、別に気にせず食してください」
「女の子が我慢してるのに、俺だけってわけにはいかないでしょ」
 そう来るとは思っていなかった。大いに気を使われているらしい。まずい、とりあえず何か注文しなければ。

 ……そして十数分後、イグネアの前には様々な果物が綺麗に盛られた器が運ばれて来た。何もこんなに盛らなくても、というくらいの盛り具合な果物を、イグネアはちびちびと食べ始めた。飲物にしても食物にしても、今の飲食物は味が濃くて未だに馴染めず無理だが、これくらいならば乗り越えるしかない。一方リヒトも軽く済ませられるものを注文したようだ。それでもやはり気を使われたような気がする。
 ところで、自称スペリオル一を豪語するだけあり、気付けば美形の騎士様は洩れなく店内の女性の視線を独り占めにしていた。胸元で揺らめく黄金のペンダントさえ、彼の輝きの前では霞んでしまいそうだ。ついでどの女性も「連れの女はどんな奴?!」的にイグネアを見ては憤慨したり、がっかりしたりしていた。
 イグネアは全く端から気にもしていなかったが、意外な事にリヒト自身も気にしていなようだった。手でも振って愛想を振りまくくらいすると思っていたが。食事を運んできた女の子など結構可愛い顔をしていたのに、大して興味なさそうだった。
「ところでさ、君普段の食事はどうしてるわけ? 食べられるものが制限されてるんじゃ大変でしょ。ああ、でも君なら色々細かく注文しても文句言われないか」
 何たってスペリオルが国力とする少女だ。機嫌を損ねれば伝説の力を失うことになるのだから、多少の我侭は聞いてもらえるに違いない。偏食が本当かどうか疑っているのか不明だが、リヒトは詳しい事情には触れず、ただそれだけ聞いてきた。
 またしてもイグネアは返答に困った。ここで「シェフに特注しているんです」などという軽率な返事をして後々何かあっても面倒だ。さてどうしたものか。
「あ、もしかして……ヒュドールが作ってるとか」
「そうそう、そうなんですよ」
 ナイスアイデアをありがとう、助かったぞ! とリヒトの発言に便乗し、イグネアは適当な言い訳を見つけて内心で喜んでいた。こう言っておけば、例えば今後こっそり秘密の会話をしている所を目撃されても変に勘繰られることはないだろう。
「料理だけでなく身の回りのこともやっているなんて、忙しいのに大したものですよね」
 特別何の感情も込めず、思ったままを口にしただけなのだが。
 何でかリヒトは不満げな顔をしていた。あのヒュドールが、いくら隣室で面倒見ろと言われたからって他人の食事の世話まで焼くだろうかと疑問を抱いた。これは特別な感情がある以外に考えられない。
 しかし何より不満なのは……一緒にいて他の男の話をされたことだ。
「……やっぱり、ちょっと面白くないな」
「は?」
 発言の意味がわからず、イグネアは首をかしげていた。





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