× 第3章 【2+1の恋金術】 3 ×





 ようやくそれと思しき裏通りまでやって来た二人だが、リヒトは唖然として立ち尽くしていた。曲がり角には小さいながらも花屋が建ち、その先に続くのは薄暗く細い、紛れもない裏通りだ。のら猫だって嫌がりそうな、胡散臭い雰囲気をひしひしと漂わせている。
 当のイグネアは自分の記憶が正しかったことに非常に喜び、満面の笑みでせっせと進んで行ってしまう。あまりの警戒心のなさを案じ、リヒトはぴったりと背後について周囲に注意を払っていた。
 そしてリヒトの危惧は、店の前に立った時に最高潮に達した。どう好意的に見ても、これはあばら家だ。木製の壁は所々崩れたり穴が開いたり、間違いなく掃除なんてしていないだろうというのは軒下に張り巡らされた蜘蛛の巣で伺い知れた。人が住んでいるかさえ疑わしい。ベルグ山にあったイグネアの家よりも最悪だ。
「……あのさ、場所間違ってないよね?」
「ここですよー。ちっとも変わりないですね」
 などと言いつつ、イグネアはあらば家を懐かしそうに見上げている。
 ますます一緒に来て良かった、とリヒトは改めて自身の行動を褒めてやった。こんな怪しげな所にひとり放り込んだら、何があるかわかったもんじゃない。というか、彼女は以前ひとりで来たのだろうか。
 とにかくここで立ち往生していても仕方がない。かなり不安は募るものの入るしかないだろう、とリヒトは一歩踏み出したが……
「あの、ここまで来て大変申し訳ないんですけれど、私ひとりで入ります」
 おろおろと見上げると、当然と言うべきか、リヒトに渋い顔をされた。
「許可できないな。何かあってからじゃ遅いからね」
「それはごもっともな意見なのですけども……ここの住人、人嫌いというか何というか、外界との接点を持ちたがらない特殊なひとなんです」
 心配してくれているのは良くわかるのだが、連れ立って入るわけにはいかない。なんと言っても色々と秘密がばれてしまう可能性が高いからだ。
 それでもリヒトは難色を示していたが何とか説得し、イグネアは半ば逃げるようにしてあばら家の中に入ってドアを閉めた。

 家、というか小屋の中は狭く、薄汚れた物があちこち乱雑に置かれて非常に散らかっている。内部に照明はなく、上方にある小窓からささやかな光が入り込むだけで薄暗い。蜘蛛の巣やらホコリやらがふわふわと床すれすれを浮遊し、イグネアの足にまとわりついた。
 中に入って十歩にも満たないうちに壁があり、四角い小窓が上方と下方にある。上方の小窓はイグネアの目線の高さにあり、奥の様子がほんのりのぞき見える。人影はなく、シンと静けさだけが漂っていた。
 さっさと眼鏡を直して帰りたいのだが、不在なのだろうか。リヒトを待たせているし、困ったなと思っていると……
「うひゃっ……!」
 悲鳴を上げそうになって、イグネアは慌てて口を抑えた。危ない危ない。悲鳴なんぞあげようものなら、扉の外で待っているリヒトが血相を変えて飛び込んで来るに違いない。
 下の小窓から顔の上半分だけのぞいており、じっとこちらを見ていたのだ。奇妙な造形の色眼鏡をかけているため視線の方向は定かではないが、間違いなく凝視されている。
 なんでそんな所からのぞき見ているんだ。屋内が暗いから余計怖い。以前来た時もあんな感じだったが、何とかならないのだろうか……と心中で文句を言いつつ、習性だから仕方ないのかと諦めた。
 色眼鏡の人物は壁の向こう側でごそごそと動き、どうやら座り直したらしい。いらっしゃいとか、また来たねとか、そういう言葉もなく、黙々淡々と何やら作業を始めた。が、小窓が小さすぎて手元まで見えず、何をやっているのか不明である。上の小窓からは色眼鏡の顔半分だけが見える。年齢不詳だが、あえて設定するなら二十代半ばくらいだろうか。
 風貌も動向も不審極まりないこの青年、【地底人】という種族で通称“モグラ”と呼ばれる。こういった薄暗く細々とした環境を好み、人間とも接触をしたがらない変人ばかりだ。
 けれど昔から手先は器用、美的センスに優れている者が多く、彼らに作れぬものはないとまで言われている。また隠密行動が得意で、スパイとして雇ったら無敵じゃないだろうか。……あくまで裏情報なので、一般には知られていないのだが。
 以前、イグネアはプレシウから持ち出した特殊なガラスをモグラに渡し、眼鏡を作らせた。その時のモグラは彼ではないと思うが、全貌を見た事がないからもしかしたら同一人物である可能性もある。が、どうでもいい。
 モグラたちにプライドはない。彼らが望む報酬を支払えば何でも作るし、何でもやる。その代わり、プライドもないが他人に関心もない。ヒュドールなんてまだ可愛いほどに、だ。どこの誰が何を要求しようが、深入りしないし勘繰りもしない。だからイグネアも楽に仕事を頼めるのだ。
「これ、直してくれませんか」
 下の小窓から眼鏡を差し出すと、すぐに手が伸びてきて受け取った。上の小窓からのぞき見ると、モグラは眼鏡をまじまじと眺め、次いでもう一度手を差し出してきた。言葉はないが、報酬を寄越せという意味だ。
 イグネアは懐から茶色の小瓶を取り出し、下の窓に置いた。身体内外の傷や痛みを取り除くプレシウの秘薬【万能薬(エリキシル)】が入った瓶だ。所持金もないし、以前の修理の時はこれで取引が成立したから今回も大丈夫だろうなどと安易に考えていたのだが。
 差し出した小瓶の隣に渡したはずの眼鏡が戻ってきた。
「……今は金が欲しい」
「えええっ?! こ、困ります。私、お金はないんですよ! どうかこれでお願いします」
 必死に懇願したが、モグラは頑として承知せず、ついにはぷいっと背を向けてしまった。


 イグネアが中に入ってから十数分後。閉まりっきりだったあばら家の扉がようやく開いた。扉のすぐ近くでじっと待っていたリヒトは出てきたイグネアに歩み寄ったが、彼女は俯いて暗い表情を浮かべていた。
「眼鏡直った?」
「えーと、いえ……」
「何かあったの? 変なことされたとか」
 リヒトの声色がわずかに険しくなったため、イグネアは慌てて顔を上げ、横に振った。
「いえいえいえ、違いますよ。そうではなくて、その……」
「なに?」
「その、修理にお金が必要みたいで……。以前は大丈夫だったので用意していないんです」
 と、俯いた途端に眼鏡がずれ落ち、イグネアは慌てて正した。全く、なんで金なのだ。だったら万能薬を売って金にしろと提案してみたが、そんなもの売っても大した額にならないと突き返された。たしかにこんな怪しげな薬、誰も買わないだろう。
 さてどうしたものか。眼鏡が直らないのは非常に困る。けれど今すぐお金は用意できない。こうなったら一度城に帰り、給料とか言ってチョビヒゲに小銭を強請るしか方法はない。
 すると。予告もなくリヒトに腕を掴まれた。何事?! と思って見上げると、真摯な表情を浮かべた美麗な横顔があった。リヒトはイグネアの腕を掴んだまま、なんとあばら家の扉を開け、中へと入っていったのだ。
「ちょ、ちょっとお待ちをっ」
 足をもつれさせながら、イグネアは半ば引きずられるようにして再びあばら家へと踏み入った。勢い良く扉を開いたために床のほこりが忙しなく揺れ動くが、リヒトはそんな事には目も向けず壁に向かうと、上方の小窓から中をのぞき見て軽く叩いた。
 すると、背を向けていたモグラがちらと背後を見遣った。
「彼女の眼鏡、直してよ。金なら出すから」
「えええっ?! ちょ、ちょっとお待ちください。何を……」
 ひとり慌てふためくイグネアは放置され、リヒトとモグラは取引を開始した。
「……いくら出す?」
 色眼鏡がリヒトの顔を凝視した(と思われる)。
 リヒトは胸元のペンダントを引き千切り、下方の小窓に叩き付けるように置いた。
「これ形見なんだけど、売ればそこそこイイ値になるんじゃない? これでどう?」
 すっと手が伸びてきて、黄金のペンダントを掴んだ。そのまましばらく、モグラはしげしげと鑑定し出した。モグラたちはかなりの目利きでもある。つまらない物を握らされるような馬鹿じゃない。
 そして数分後。
「……いいよ」
 言葉と同時、眼鏡寄越せと手が伸びてくる。唖然とするイグネアの顔からひょいっと眼鏡を取り、リヒトはその手に差し出した。
「直してくれるって。良かったね」
 顔を上げると、薄暗い中でも眩しい笑顔が返って来た。






 魔物討伐の応援を依頼され、王都の外れへと出向いていたヒュドールは、ブツブツと文句を言いつつ自室へと戻るべく通路を足早に抜けていた。せっかく休みを返上して行ったというのに、彼が到着した頃には全て片が付いており、とんぼ返りとなったのだ。
 結局王宮に戻ってきたのは夜半近くで、これならば最初から行かない方が良かったと後悔した。これから食事の用意をして、日中やるはずだった掃除をしなければ。ああ、もう疲れた……などと考えつつふいに通路から外観をのぞくと、最下層の通路に見慣れた後姿を二つ見つけた。そして思わず立ち止まったヒュドールは、その後の光景に青碧の瞳を見開いたのだった。


「あの、お、お待ちを! まだ話は済んでいませんてば!」
「だから、いいってさっきから言ってるでしょ?」
「そうはいきません!」
「俺が好きでやったんだから、気にしなくていいよ。眼鏡直ったんだし、素直に喜んでくれた方が嬉しいんだけどな」
 ……と繰り返す事、すでに数十回。リエスタから帰路の馬車の中でも全く同じ会話が続けば、さすがに誰だってうんざりする。リヒトは内心で勘弁してくれと思っていた。
 だがイグネアは諦めなかった。あのペンダントがどれだけの値打ち物なのかはわからないが、誰かの形見を自分のせいで失ってしまったのだから、いくら好きでやったと言われても大いに責任を感じてしまう。
「ならばせめて、何かお詫びをさせてください。何でも聞きますから」
 懇願するようにイグネアが言った途端、リヒトはぴたりと足を止めて立ち止まった。
 これまで幾度も女性に贈り物をしたが、その誰一人として何かを返そうとした人はいなかった。だからリヒトはいつもと同じように、イグネアがそう望むだろうと思ってやったのだが……やはり普通とは違うようだ。良い意味で。
「本当に?」
 それまで背を向けていたリヒトがようやく振り向いたので、イグネアはほっと溜め息を吐いた。やっと話を聞く気になったらしい。
「はいはい。何でもどうぞ」
 まるで近所のおばちゃんが世話を焼くような気軽さで返事をすると、のほほんとした笑顔を長身の影がおおい、黄金の瞳がじっと見下ろしてきた。何だろうと思って首をかしげると、またしても眼鏡を奪い取られ、イグネアは慌てて瞳を隠した。
「わわ、何するんですか。眼鏡返してくださいよっ」
「瞳を見られるの、嫌なの? じゃあ、ちょっと閉じててよ」
「こ、こうですか?」
 イグネアは何の疑問も抱かず、言われた通りに瞳をつぶった。なるほど、これなら裸眼をさらさずに済むな、などと呑気に考えていた。まさか(ある意味)危機が迫っているとも知らずに。

 イグネアが瞳を閉じると、リヒトは軽く腰を屈めて顔を寄せた。蜂蜜色の柔らかい髪がふわりと顔を撫で、イグネアはむず痒さでわずかに眉をひそめたが、瞳は閉じたままだった。
 呼吸をする音も夜の静寂にかき消され、ゆっくり、ゆっくりと二人の距離は近づいてゆく。そうして、唇が触れそうになって――リヒトはぴたりと動きを止めた。
 間違いなく、イグネアは何をされているのか理解していないだろう。別にこのまましても良かったが、何でかこういう卑怯な手を使うのがためらわれた。どうせなら、何をしているのかわからせてからの方がやりがいがあるし、面白い反応が期待できそうだなと考えた。どうせなら――色々と教えてやるのもいいかも知れない。
 リヒトは姿勢を正し、人差し指でイグネアの額をピッと弾いた。
「いたっ」
 軽い打撃を食らった額を押さえつつ瞳を開けると、リヒトがからかうように笑っていた。
「女の子が『何でも聞きます』なんて軽々しく言っちゃダメだよ」
「はあ……そうなんですか」
「君はもうちょっと色々な事に対して警戒心を持つべきだね。見ていてとても危なっかしいよ」
 そう言いながら取り上げた眼鏡をイグネアの顔に戻し、リヒトは苦笑した。
「お詫びは……そうだな、そのうちまた何か考えるから。その時はちゃんと約束守ってね」
「はあ、わかりました」
「じゃあ、おやすみ」
 ひらひらと手を振って去って行くリヒトの後姿を見送りつつ、イグネアは大いに困惑していた。さっきのは一体何だったのだろうか、と。
「あ、そうそう」
 数歩進んだ先でふと思い出したように立ち止まり、リヒトが今一度振り返った。
「あのペンダント、形見っていうのは嘘なんだよね」
「そうなんですか……って、ええええっ?!」
「そう言えば何となく貴重そうに見えるかなって思ってさ。咄嗟に口をついて出ただけだから、そのことは気にしないでね」
 夜でも爽やかスマイルに加えてウインクを飛ばされ、イグネアは今度こそ唖然とした。


 呆然と立ち尽くすイグネアに背を向けて歩き出したリヒトは、上階の通路の窓に人影を見たような気がして瞳を凝らした。見上げた時にはすでに立ち去ろうと動いたようだが、窓枠の隅で揺れた白銀の影でその場にいたのが誰だか特定できた。
 ――のぞき見なんて、趣味悪いよ。
 などと揶揄し、麗しの相棒の心中を考えて、リヒトは余裕気な笑みを浮かべていた。





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