× 第3章 【2+1の恋金術】 4 ×





 ヒュドールは朝から苛々していた。正確には昨夜からであるが、それを認めたくない(素直でない)彼の中では朝からということになっているらしい。その苛立ちで通常よりも早い時間に目覚めてしまったため、せっせと部屋の片付けに勤しんでいるわけだが、それでも機嫌は悪かった。せっかくの休日だと言うのに気分は最悪だ。その理由は間違いなく昨夜目撃したアレであるが、彼はそれすら認めていないらしい。全く素直ではない。
 別に二人がどこで何をしようが関係ない。リヒトのことだ、どうせいつもの悪癖だろうと考えるものの、苛立ちは増すばかり。だいたい、ああいうのは遊びで相手にするようなタイプじゃないだろう。抱えている問題を考慮しても、普通は手に負えるような相手じゃない。何も知らないくせに。というか、普段は年寄り並に早寝なくせに、あんな遅くまで一体どこで何をしていたんだアイツは……と、そこでヒュドールははっと我に返った。これではまるで気になって仕方がないみたいではないか。なんで俺が気にしなきゃならないんだ。全く不愉快だ。
 そうしてまた苛々する……という何とも言えぬ悪循環を繰り返すヒュドールの元に、運悪くか苛立ちの原因の一人が現れたのは、それから間もなくの事だった。
「よっ」
 爽やか笑顔と共に遠慮もなく入室してきたのはリヒトだ。愛想よく手を振りつつ声をかけられたが、ヒュドールは無言で不愉快げな表情を返した。
 そのあからさまな態度に「またか」とリヒトが肩をすくめて苦笑した。ヒュドールがこういう状態であるのはさほど珍しいことではないため今さら驚きはしないが、今日は一段とご機嫌斜めらしい。良く言えば素直だが、何でも態度に出しすぎである。これは間違いなく、昨夜のアレが原因と思われるのだが。
「……何か用か」
「ああ、仕事の話。またまた宰相の護衛だよ」
 またか、とヒュドールがうんざりした顔をする。
「今度は何処だ」
「王立士官学校。視察だってさ。懐かしいでしょ」
 王立士官学校といえば、ヒュドールが数年前に主席で卒業した、いわば王国の為に人材を育てているような場所である。王宮で働く騎士に兵士に魔術師のほとんどは士官学校を経て今に至る。ちなみにリヒトも卒業生だが、魔術師であるヒュドールとは学科が違う。
 懐かしさなど大して感じないばかりか、心底面倒だとヒュドールは内心で舌打ちした。国内にあるとはいえ士官学校は王都から離れており、むしろ隣国に近い。向こうでの滞在日数を大まかに計算しても、帰還までに一週間を要する。一週間という期間は、ヒュドールにとっては決して短い時間ではない。
「明朝に出発だって言うから、準備しておけよ」
「わかった……」
 面倒だが仕事ならば仕方がない。しかし心に抱いた不満がついつい出てしまうのか、若干返事はやる気がない。それでも一応了解したのか、リヒトは背を向けて歩き出したのだが……
「そうそう、昨日イグネアが言ってたんだけど」
 途端、ヒュドールは動かしていた手をピタリと止めた。
「彼女、ものすごい偏食で普通に食事が出来ないんだってね。だからお前が面倒見てやってるって聞いたけど、本当?」
 ほんのり興味心を滲ませた表情でリヒトが振り向いた。
 どういった経緯でそうなったかは知らないが、恐らく窮地に陥った末の言い訳だろうとヒュドールはすぐさま推測した。そうとでも言っておけば、後々こっそりしている所を見つけられても言い逃れが出来るとでも考えたに違いない。言い訳云々はともかくとして、なんでお前らの会話に俺のことが(勝手に)盛り込まれているんだ、大いに気に入らない。
「だとしたら、何だっていうんだ」
「いや、お前が不在の間はどうするのかなと思って。心配じゃない?」
 リヒトは、あの小娘の言い分を思い切り信じているのだろうか。ともかく、身に覚えの無い事を心配する理由がヒュドールには全く無かった。
「別に平気だろう。気になるならお前が何とかしてやれ」
 実際は放って置いたって死にはしないのだ。それに、手を出すくらいならその辺も含めて面倒見てやればいいだろうが! と素直でないヒュドールは内心で激しく毒づいた。
「他に用件がないならさっさと帰れ。掃除の邪魔だ。丸一日ダラダラと過ごしたお前と違って、昨日は休日返上で仕事していたんだ」
 そして明朝から空けるとなると、全てを今日中に終了させなければならない。ああ忙しい……とブツブツ文句を言い始めたヒュドールに、またしてもリヒトは苦笑した。いつもより言葉に棘が多いのは気のせいではない。
 これは間違いないく昨夜の一件を気にしてるんだろうなと思った。本当に何もしていないし、ここで事実を言ってやれば機嫌も直りそうだが、リヒトには全くその気が無かった。正直、ほぼ同等(の格好良さ)であるにも関わらず、イグネアの中で重心がヒュドールにばかり傾くのは面白くない(ナルシスト精神と勘違いの成せる業)。
 もう少しカマをかけてやれば知らずのうちに面白いことを言ってくれそうだと悪戯心に火が点いたが、やはり今は退散する事にした。これ以上不可侵領域に踏み入れば逆鱗に触れそうだし、無意味に険悪になって仕事に差し障りを出すのはまずい。
「それもそうだね。じゃあちょっとイグネアと話してくるよ」
 そう言っていつものにこやかな笑顔で手を振り、リヒトは退室して行ったが。
 意味無く接近されるのがほんのり嫌だったため、隣室にイグネアがいないことをすでに承知のヒュドールは、リヒトに先を越されまいとして足早に自室を後にした。





 いつもは老人並に早々と眠りにつくイグネアだが、昨夜は夜半近くに帰って来たため朝も遅かった。いつもは日が昇るとすぐに起床しているのだが、今日は昼近くまで寝ていたほどだ。
 たった一日生活サイクルが狂っただけなのに、ようやく目覚めたイグネアはひどく気だるげだった。完全に寝すぎたためだと思われる。全く、慣れないことはするもんじゃない。夜は寝るものなのだ。
 昼過ぎにのそのそと自室を抜け出し、イグネアは庭園にやって来た。近頃は自室に引きこもっているだけでなく、少し散歩したり、城内を散策したりすることもある。庭園のベンチに座ってまったりしていると、またしても睡魔に襲われ、気付けばグーグーと居眠りを始めていた。
 暖かな昼の日差しが心地よい。もう少しで完全な眠りに落ちそうだ……無防備にもうっかり爆睡に足を突っ込みかけていたのだが、突然誰かに腕を掴まれ、イグネアは慌てに慌てた。驚いて取り乱し、おろおろと見上げると……不機嫌最高潮と思わしきヒュドールの横顔が瞳に留まった。
「ちょっと来い」
 さっきまで眠っていたことなどお構いなし、ヒュドールはイグネアの腕を掴んだまま強引に立ち上がらせ、そのままずるずると引きずって行った。人気のない物陰までやって来るとようやく解放してくれたが、代わりにものすごい剣幕で睨まれた。
「な、何事だっ?」
 いまだかつてない怒りの雰囲気にイグネアは大いに怯んだ。はて私は何かやらかしただろうかと。
「……昨日は何処へ行っていた?」
「昨日? ああ、リエスタまで眼鏡を修理しに行っていた」
 一人で行こうと思ったが女官長と番兵に止められ、困っている所にちょうどリヒトが通りかかり、一緒に行ってくれたとイグネアは事細かに説明をした。おかげであまり落ちなくなったんだぞ、と得意げに言った途端にほんのりずれ落ち、慌てて正す。なんか一言嫌味を言われそうだと視線を上げたが、無表情が見ているだけだった。
 たかが眼鏡の修理だけでわざわざリエスタまで行った理由は、またの機会に問い詰めるとして。
「それで、リヒトに何を話した?」
「は?」
「しらばっくれるな。何でか俺がアンタの世話をしてやっている話になっているようだな。許可なく、勝手に」
 最初は思い当たらないとばかりに首を傾げていたイグネアだが、だんだんと思い出したらしく、「ああ」と言って手を叩いた。もしや、食事の話だろうか。
「外で食事をすることになったんだが、(わし)は食べられないと言ったんだ。そうしたら普段はどうしていると聞かれて困っていたところでリヒトがちょうど良い言い訳を口にしたので、そのまま拝借しただけだ」
 前におぬしに聞かれた時と同じだな、とイグネアは呑気に返事をしたが、ヒュドールの心中ではますます苛立ちが募っていた。だいたい、慣れもしないことをするから窮地に立たされるのだ。もうちょっと自覚して行動しろと言ってやりたい。
「普段は他人と係わり合いを持たないから気にしていなかったが、普通に生活するのは割と面倒なものだな。おぬしが相手だったら楽なのに、と思ったぞ」
「だったら何で俺に言わなかったんだ」
「相談しようとしたら、忙しいから一人で行けと言ったのはおぬしだろう?」
 たしかにそうだったと思い出し、ヒュドールは言葉に詰まった。なんでそんな事を言ったのだろうか。というか、元々休日だったのだから魔物討伐の応援要請など無視して着いて行っていれば、リヒトの毒牙にかかることもなかっただろうに……と後悔したところで我に返った。なんでこんなに後悔しているんだ、俺は。いやいや違う、これはあの女たらしの魔手から救ってやる手助けなのだ、きっとそうだと強く言い聞かせる。
「と、とにかくだ。アンタが誰と何処へ行こうが、何をしようが俺には関係ないが、許可も無く勝手に話を捏造されるのは迷惑だ」
 言ってすぐに少しキツかったかと思ったものの、言ってしまったからには仕方がない。青碧の瞳がちらと見下ろすと、真紅の瞳をわずかに見開き、イグネアはきょとんとしていた。
 ヒュドールの言い分は最もだ。彼の都合も考えずに話を作れば、どこかで食い違うことだってあるかも知れない。その都度話を合わせるのも面倒だろう。ただでさえ面倒な状況に置かれているのに、勝手をされれば怒るのも無理はない。
 事情を知っているから何でも協力してくれるだろうと、心のどこかで勝手に甘えていたのかも知れないと気付いた。明らかに迷惑そうなことを、迷惑のうちに入らないとリヒトが言ってくれたから、誰でもそうなのだと無意識に考えていたのかも知れない。
 ほんのり心が痛んだ気がした。拒絶や嫌悪には慣れているつもりだったのに。長く生き過ぎたせいで、こんなに些細な拒絶でも打撃が来るほど弱くなったのか、それとも他に理由があるのか……良くわからない。
「そう……だな。以後気をつける」
 思わぬイグネアの反応に、ヒュドールは心なしかたじろいだ。いつもならばこの程度の問答では全く動じずに飄々としているくせに、なぜ今日はこんなにしおれているのだろうか。まるでこっちが一方的に責め立てているみたいではないか(事実そうだったりする)。
 時々老成したようなことを言うから勘違いしてしまいそうだが、イグネアは一般的な生活に、嘘かと思うほど不慣れだ。だから少し気を使ってやるべきだったのはこちらだ。そう考えると、やはりさっきは言い過ぎた……と後悔するもすでに遅し。
「迷惑をかけてすまなかったな」
 叱られた子犬のごとくしゅんとして詫びると、イグネアは何やら考え込みながら歩いて行ってしまった。



 考え事をしつつ目的もなくふらふらと歩いていたイグネアだが、なんでか気持ちがもやもやしてしまい、気付けば立ち止まっていた。なんだろうか。いつもならばどんなにキツイお言葉を頂戴しても、睨まれても何て事はないのに。今日に限って何かおかしい。
 ――わかった、寝不足なんだ。
 就寝時間が遅かったとはいえ、いつも以上に睡眠時間が長かったくせ、このモヤモヤ感は生活リズムが狂ったせいだと自己解決したイグネアは、こうなったら昼寝をするしかないと考え、自室を目指して再び歩き出した。
「あ、やっと見つけた」
 ふいに声をかけられて振り向くと、背後にリヒトがいて、爽やかな笑顔を振りまきつつ近づいてきた。
「部屋にいないから何処へ行ったのかと思って探しちゃったよ……って、どうかした? なんだか元気ないみたいだけど」
 モヤモヤ感が思い切り滲み出ているのだろうか、思いもよらずそんな事を言われ、イグネア慌てた。
「いえいえ、別に元気ですよ。ただちょっと寝不足みたいで……」
「ああ、いつもは早寝早起きなんだっけ。何時間寝たのさ」
「えーと、たぶん十時間ちょっとくらいです」
 それだけ寝れば十分すぎるだろう、とリヒトは苦笑した。ちなみに彼は早朝訓練があったため、三〜四時間程度しか寝ていない。そんな相手を前に、よくもそんな事が言えるものだ。
「ところで、何かご用ですか?」
 問いかけられて、リヒトは本来の目的を思い出した。
「そうそう。俺とヒュドール、明日から一週間くらい城を空けるんだ。その間、君ひとりで大丈夫かなと思って」
「え、全然平気ですけど」
 そんなに心配をされる覚えのないイグネアは意味不明とばかりに首をかしげたが、リヒトは困り顔を浮かべていた。
「本当に大丈夫なの? ヒュドールがいないと色々大変なんじゃないの?」
 そこでイグネアは「あっ」と声を上げた。先程の続きだが、早速面倒くさいことになっているではないか。間違いなくリヒトはこの話をヒュドール本人にもしたのだろう。だからあんな事を言っていたのだ。
 まずい、ここで話をこじらせればまたお怒りを買うことになる。何としても己の力だけで上手く切り抜けねば。
「えーと、たぶん大丈夫です、はい」
「本当に? なんだか心配だな……」
「いえいえいえ、ご心配なく。私は大丈夫ですので、心置きなくお仕事に励んでくださいませ」
 若干嘘くさい笑みを浮かべつつも頑なに言い張るため、リヒトはイグネアの言葉を信用する事にした。たかが一週間だ、彼女の言う通りそんなに心配するほどの事ではないかも知れない、と思い直す。
「君の頼りなさと言ったら世界レベルだからね。ちょっと不安だけど、まあ信じることにするよ」
 溜め息混じりに頭を撫でられ、イグネアは大いに困惑した。頭を撫でられるなんて初めてで、正直何でこんな事になっているのかわからない。というか、まるで子供に言い聞かせているようではないか。私は一体いくつだ。これでも修羅場を越えた数はリヒトより遥か上だと思うが、その経験値は微塵も滲み出ておらず、現年齢が上である彼には通用しないらしい。
 とりあえず心配をされているようなので、イグネアはリヒトの気持ちを無下にせず、その気遣いを(一応)心に留めておく事にした。職業柄なのか、本当に親切だなあとか思いつつ。
 しかし。
「俺達がいなくて寂しいからって、その辺の大して格好良くもない変な奴にくっ付いて行っちゃダメだよ」
 リヒトが性懲りも無く勘違い発言をしたため、イグネアは思い切り渋い顔で溜め息を吐いた。
「……それこそご心配なく」
 何でかリヒトは楽しげに笑っていたが、しばらくこのナルシスト精神に触れなくて済むかと思うと気が楽だ……とイグネアは内心で考えていた。





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