× 第3章 【2+1の恋金術】 5 ×





 スペリオルを統治するチョビヒゲ……もとい国王がのほほんとしているとはいえ、王立士官学校は厳しい指導を行う事で有名だ。それゆえか、在籍者は十割がた男子というのが現実である。早朝から夜間に至るまで訓練づくし、軍規かと思うほどの完全なる規則の元での統括された生活は、男子といえど音を上げるものが多い。たまに立派な夢を掲げた女子も入ってくるが途中で断念する者がほとんどで、特に魔術師達を育成する、いわゆる魔術科の希望者は極端に少ない。
 その理由は、太古の昔、魔術師は男が主流であったことにあると考えられている。最近では女性騎士や兵士もちらほら見ることが出来るが、魔術師界は特に古い風習を重んじる特性があるため、いまだに女性は少ない。過去の歴史を学んでみても、史上に名を残すのは決まって男だ。それを考慮すると、他国とはいえ王宮に魔術師として仕えていたオーゼラは、平均値を超える実力があるといえる(スペリオルとゴルドの平均値にどれだけ差があるかは不明)。イグネアに至っては姿を消したはずの【炎の魔術師】であるのだから、普通に見ても重宝されるのは仕方がないのかもしれない。
 そんなわけで、宰相の護衛として士官学校にやって来た美形コンビは、滞在の数日間、実に男くさい中での生活を余儀なくされた。護衛とは名ばかりで、王宮にて現在絶賛活躍中の二人に講師でもやってもらおうという魂胆が明るみに出たのは、到着してすぐの事だった。リヒトは候補生達の訓練に付き合わされ、ヒュドールには魔術科の講義でも、と要請が来た。リヒトは意気揚々として要請を受けたようだが、ヒュドールは断固として拒否した。だいたい、ほんの二年前までここで勉学に励んでいた若造にそんなものを頼むとは、どういう教育方針なんだと突っ込んでやりたい。
 とはいえ、卒業生である身であまり恩のない発言はいけないため、講義のことは極力やんわりと断った。ヒュドールにしては見事な気遣いである。
「なんかさー、ちょっと懐かしかったよ。あの一糸乱れぬ軍隊的な動きとか、異様な気迫とか、返事とかさ。“俺たち、頑張ってます!”みたいな気合が実に微笑ましいよね」
 候補生達の相手を終えて戻ってきたリヒトが、ほんのり楽しげに感想を述べた。彼がここを卒業したのは四年前の事。その頃とてんで変わりのない訓練風景に、思わず懐かしさが込み上げたという。
「俺もここに居た頃は、あんな風に髪が短かったよなあ」
 と、通路を歩いている際にすれ違った短髪の候補生達を指差し、リヒトは微笑ましげに眺めていた。規則で、兵士や騎士の候補生達は髪を伸ばせない事になっているのだ。ちなみにリヒトが髪を伸ばし始めたのは当然王宮仕えをするようになってからで、新人だった頃はやっぱり短かった。とはいえ、容姿が整っていればご婦人方には髪の長さは関係なかったようだが。
「だったら今すぐ同じようにしてきたらどうだ? 頭がすっきりすれば、内面の汚れもすっきりしそうだぞ」
「……お前はさ、その繊細顔であんまりきつい事言うなよ。可愛い後輩たちが聞いたら、恐れを成して逃げていくぞ」
 特にヒュドールのような頭脳明晰・冷静沈着タイプ(しかも美形)に言われると、存在自体を否定されたような気持ちになり、より一層の大打撃を食らうに違いない。
「この程度で逃げ出すような軟弱な奴に王宮仕え、果ては戦争なんて無理だろうな。あらかじめ良い人材だけが残って手間が省けるだろうから、なんなら今すぐ試して来ても構わないが」
「ここが機能しなくなるからやめておけ」
 全く、どうもここ最近毒舌に磨きがかかったなあと内心で思いつつ、リヒトは並んで歩くヒュドールにちらと視線をやった。
「それにしても男ばっかりでつまらないよな。せめて一人くらい、男共の中で頑張る可憐な花でもいれば、俺も訓練に力が入ったんだけど……」
 お前こそ、その不純な動機を後輩共に聞かせてみろ。千年の憧れも一気に冷めるだろうな、とヒュドールは毒づいた。こいつの場合、その訓練がどっち方面なのかわかったものじゃない。
 そんなこんなで会話をしながら通路を進み、いくつか並ぶ講堂の一つに差し掛かった時、開け放たれたドアから講義の声が聞こえて来て、ヒュドールは足を止めた。講堂の後方から中をのぞき見、前方のボードに羅列された文章を素早く読み取って興味深く話に耳を傾ける。講師が話しているのは、紛れもなく【ベルルム大戦】のことだった。これは、魔術師たちには避けて通れない歴史だったりする。

 【ベルルム大戦】――それは、歴史上最大とされる古の魔大戦である。
 およそ千年前に勃発し、十年の間続いたとされるこの大戦では、魔術師と呼ばれる者たちが大いなる活躍を見せた。数多の魔術師が「我こそ最強」と競うがごとく、己の力を見せ付けるがごとく、猛吹雪、大嵐、地震、稲妻を自在に生み出し、戦場を狂わせていた。
 【ベルルム大戦】――それは、魔術師達が巻き起こした歴史上最悪とされる大戦である。

 そして、この大戦を機に【炎の魔術師】は世から消え去った……と決まり文句のように講師が声高に語る。その後に続くのは「首謀者は【紅蓮の魔女】と呼ばれる、悪しき炎の魔術師だった」と相場は決まっている。事実、ヒュドールの予想通り、講師はそのように語って聞かせていた。魔術師の卵たちは講師の話に真剣に耳を傾け、魔術師の汚点とも言われる歴史を学んでいる。きっと心の中ではものすごい極悪な魔女を想像し、もしかしたら恨んでいるかもしれない。まさか今現在まで生きていて、お前らが目指している王宮でのほほんと暮らしているだろうとは想像だに出来ないだろうが。
「これって必ず聞かされるけど、その【紅蓮の魔女】ってどんな極悪人だったんだろうね。紅蓮の炎のように過激な美女じゃないかと、俺は予想しているんだけど」
 隣で同じように講義内容を聞いていたリヒトが緊張感のかけらもなく言った。
 美女どころか、お前が現在ちょっかいを出している、あの眼鏡でおさげで地味な小娘がその魔女だ……とヒュドールは内心で訴えてやった。まさか当人、イグネアが本物だなんて思っていやしないだろうが。もしも事実を知ったら、むしろ想像と正反対でこの上なくがっかりするに違いない。その様を見て高らかに笑ってやりたいという衝動に駆られるものの、真実を口にするわけにはいかないため、ここはぐっと堪える。
「どうでもいいが、何でもかんでもそうやって美女に結びつける、お前のその腐った脳内が信じられない」
「だってその方が想像が膨らんで楽しいじゃない?」
 それは想像じゃなくて妄想だろうが! とヒュドールは疲れ切った溜め息を吐いた。全く、こいつはいつもそうだが、何処までが本気なのか。
「そういえば、うちの炎の魔術師はどうしてるだろうね? そろそろ寂しがってるかも知れないな」
 話を聞いているうちに思い出したのか唐突にリヒトが発言すると、ヒュドールは眉をひそめた。ふっと普段の生活ぶりを思い返してみれば、寂しがるどころかのびのびと生活しているに違いないと予測できる。
 それはさておき。
「随分と気にかけるんだな。お前にしては珍しく」
「そう? だって心配になるんだよ。あの子、ちょっと警戒心なさすぎるし、見ていて危なっかしいんだよな。放って置くと何者かにかどわかされるんじゃないかと思って」
 大体、城から全く出ないのに、そんな事態に陥るわけがないだろう……とヒュドールは溜め息を吐いた。
 確かに普通の生活に不慣れなためか、危なっかしいというのはわかる。あれでも、今そこで話題にされている【紅蓮の魔女】なわけだから、それなりのしたたかさはあるだろうし、かどわかされる心配など必要ないと思うが(しかも言い方が古い)、秘密をひた隠しにしたいがために何らかの窮地に陥っていないかと気になる事はある。けれど、それは自分が真実を知っているから危惧することであって、どうしてリヒトがそこまで気にかけるのか理解できない。それに、彼がそんな風に常に誰かを心配するのは知り合ってからは初めてだ。
 そんな風に考えていると、リヒトがとんでもない事を言い出した。
「俺、ああいうタイプは初めてなんだよね。地味だし眼鏡だし、最初は無理だと思ったんだけど……なんか、一緒に居ると不思議と楽しいんだよ。それにあんまり何にも知らないから“色々と”教えてやりたくなってきた」
 リヒトが余裕気に笑ってこちらを見ていた。その笑みからは明らかに挑発の意思がうかがえた。
 なんでか腹の奥で怒りに似た感情が芽生えた。するとなんだ、先日のアレはその第一歩とでも言いたいのだろうか。第一、なんでそんな挑発をされなきゃならんのだ。それよりも、一体何を教えてやろうというんだ。というか、やれるものならばやってみるがいい……とヒュドールは異様な対抗心を燃やしていたが、本人は自分の心情に微塵も気付いておらず、そのうえ見事リヒトの思惑にはめられていたのだが、それにすら気付いちゃいなかった。









 一方その頃、スペリオル王宮にいるイグネアはというと。
 リヒトの必要以上の心配を他所に、一週間の間、イグネアの身には特別何も起こらなかった。まあ、普段から自室に引きこもりがちな生活を送っているのだから、ハプニングなど起きやしないのは当然である。美形共の不在など微塵も気にしていないし、寂しいなんて感じないし、また不便である事は何もない。むしろ、ここしばらく無意味に他人と関わっていたせいで少し疲れていたくらいだ。元の生活ペースが戻ってきて嬉しい限りである。
 こうして一人でいると、山奥で暮らしていた頃が懐かしい。静かで、穏やか。瞳を閉じれば、小鳥のさえずりでも聞こえて来そうな気がする(あくまで気持ちの問題)。
 そんな感じでいつも以上にのんびりまったりと過ごしていたが、永遠にも思えた時間はもうすぐ終わりを告げようとしていると、イグネアは全く気付いていなかった。何もしていないと一日というのは意外とあっという間に過ぎてゆくものだ。実はこの日が奴等の帰還日だということさえ、彼女は知りもしなかった。
 そんなこんなで。今日も洩れなくダラダラとマイペースに過ごしていたが、ふと思い立ち、イグネアは自室を後にした。近頃は散歩も習慣付いていたため、日に一度は外へ出なければ気が済まなくなっている。元々山奥に居た頃は頻繁に山歩きをしていたから、外出が億劫なわけではない。
 城門に面する庭園は、ぐるりと一周すればちょうど良い運動になるため、大体イグネアはここを散歩コースにしていたりする。季節の花が咲く緑の庭園は人気がないためにとても静かだ。時々その辺の花とか虫とかに興味を向けつつ、のんびりとした歩調で歩く。見回り兵とたまにすれ違うが、別に彼らは何も言ってこないので気楽だ。城壁さえ越えなければ特に問題もない。
 この平穏がいつまでも続けばいいなあ……などと考えつつ散歩を続けていたが、不意に城門の方から話し声が聞こえてきた。それも普通の話し声ではない。何事だろうと気にかかり、イグネアはふらりと向かって行った。

「だから、本当だって言ってるでしょ。何で信じてくれないのっ?」
「いきなりやって来て信じろと言う方が無理だろう。それに本当だと言うなら証拠を見せてみろと言っているんだ」
「そんなのあるわけないじゃない! 会わせてくれれば、僕が本当のこと言ってるってわかるよ。だから連れてきてよ!」
「悪いが、信用できん」
 物陰からこっそりのぞき見てみると、何やら門番と誰かが言い争いをしているらしかった。イグネアのいる場所からは大柄でいかつい門番の背中しか見えず、相手が誰なのかはわからないが、声からしてどうも少年のようだ。
 子供と門番が何で言い争いなどしているのか……そう思いつつ、わずかにずれた眼鏡を正してもう少し顔をのぞかせる。ごそごそと動いていると、門番の身体の向こう側で小柄な影がちらと見え、もうちょっとで顔が見えそうだな、と思って身を乗り出した。すると、少年の方も何やら気付いたらしく、身を乗り出してこちらに視線を向けたのだ。
 互いに不明瞭だった顔が知れたのだが。
 その顔を見た途端、イグネアは驚愕で真紅の瞳を見開き、硬直した。普段、余程の事がない限り動揺などしない心臓が一気に心拍数を上げる。異様な脅迫観念に捕らわれ、指先が震えて目が回りそうになる。まるで罰を受けている時のように身体の芯が熱を帯び、かっと熱くなった。理解不能な現実に頭が混乱する。
 なぜ、なぜ。どうして“あいつ”がこの世に存在するのだろうか。

 思い出される千年前の記憶。アーチ上になった台座の上から見下ろす冷たい視線。まるで虫けらを見下すようなその視線を受けながら、「一思いに殺せ」と声高に叫んだ時の――たしかに笑った深緑の瞳だけが、今でも異様なほど記憶にこびり付いていた。

「あっ、イグネアっ!」
 問答していた少年は利発そうな深緑の瞳を輝かせ、大柄な門番の身体を押しのけてこちらに駆け寄ってくる。不意を突かれた門番が慌てて追うも、少年はあどけなさの残る顔に悪戯めいた笑みを浮かべてその差を広げてゆく。確実に門番の方が足は長いはずなのに、まるで向かい風に合ったかのように間隔は一向に縮まらない。少年の笑みは、門番が困惑する様さえあざけるような、無垢な表面の裏に確かなしたたかさと賢さを秘めていた。
「会いたかったよ!」
 少年はイグネアの元までやって来ると、飼い主にじゃれて飛びつく子犬のように硬直した身体に抱きついた。けれどイグネアの頭は混乱を通り越し、既に真っ白になっていた。
 イグネアの愕然として青ざめた顔をうかがうと、少年はそれまでの愛嬌の良い笑顔をふっと崩し、挑発的に口端を吊り上げた。猫の毛のように柔らかい枯草色の髪が頬に触れたかと思うと、少年はそっと顔を近づけ、イグネアにだけ聞こえるよう耳元でぼそりと呟いた。
「……久しいのう。【紅蓮の魔女】よ」
 それは紛れもなく、“プレシウの魔術師”の言葉だった。





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