× 第3章 【2+1の恋金術】 6 ×





 魔力抑制効果がある特殊ガラスが張りめぐらされた【聖なる監獄(ユスティシー)】。諸悪の根源を排した外界の幸福を象徴するかのように、眩しい光が監獄内を容赦なく照らす。
 その光を受けながら、たった一人、栗色の髪をした娘が座っていた。光を受けまいとして抱えた膝の間に顔を埋めて動かない。【魔錠】で繋がれた手足は重く、逃げ出す事は不可能だ。そうしてやがて行われる“裁判”までじっと耐え続けていた。
 そんな中、予期せぬ者が彼女の元へとやって来た。
『いい様だな』
 シンとしていた監獄内に声が響く。少年らしさを残しつつも一切の温情も同情も含まない声は、まるで凍りついた泉のように冷たかった。
 娘が俯けていた顔を上げると、少し間合いを取って少年が立っていた。深緑の瞳は蔑むように娘を見下している。長く伸ばした枯草色の髪は、無風の監獄内でも時折揺れる。風が、常に彼を取り巻いて護っているためだ。
『罪人となった気分はどうだ? 【紅蓮の魔女】よ』
 少年は口端を吊り上げて余裕気な笑みを浮かべた。しかし問いかけるも、娘は虚ろな瞳のまま、応える気もないのか微塵も興味を示さずに再び顔を伏せた。
 少年の顔つきが、一瞬にして変わった。
『貴様が犯した罪は、決して消える事はない。貴様が殺した者たちの魂は、決して浮かばれる事はない!』
 荒げられた声が空気を震わせた。怒りを露わにした少年の深緑の瞳が忌々しげに娘を睨みつける。明確な言葉にしなくとも、そこに浮かんでいるのは私怨に違いなかった。
『良いか、覚えておけ。何処の誰が、いつの日か貴様を(ゆる)したとしても。(わし)は決して赦さぬ。この身が朽ちて果てようとも、永遠に呪い続けてやる!』
 荒々しく吐き捨てて、少年は去って行った。
 そしてその数時間後。
 プレシウの法を司る【裁判官】は、死よりも辛い極刑を魔女に言い渡した。


 忘れかけていた千年前の記憶がこうも鮮明に甦ったのは、同じ時代に同じ場所で生きていた魔術師がそばにいるからなのだろうか。自分を憎み、裁きを下した存在にどういう理由で抱きつかれているのか、イグネアはすぐに理解できなかった。それよりも、彼は千年前に生きていた存在。呪いのせいで惨めにも生き続けている自分と違い、すでに死んでいて当然なのに。
「この少年は先程やって来たのですが、自分はイグネア様の生き別れの“従弟(いとこ)”だと言い張っているのです。だから会わせてくれと……あの、間違いはありませんか?」
 やっと追いついた門番は、まるで長距離走でも終えた後のように息を切らせつつ、困り顔で問いかけていた。それでようやくイグネアは我に返った。ちらと見遣ると、少年は門番から見えないのをいい事に、深緑の瞳に脅しをかけて見返してくる。話を合わせろと言いたいのだと察した。
「……は、はい。間違いありません」
「そうでしたか。それなら良かった」
 恐らく、門番は一般人を敷地内に入れてしまったことに対して責任を感じているのだろう。イグネアの返答に一安心したようだ。我国の魔術師の“従弟”ならば、たぶん何の問題もないと考えたに違いない。
 イグネアと門番のやり取りを聞いて満足したのか、抱きついていた腕を解き、少年が振り返った。
「ねーおじさん。僕、イグネアと一緒に居たいんだけど、城の中に入ってもいいかな? 何たって本当に久々の再会だからさ、積もる話もたくさんあるんだ。あ、ちなみに従弟だから僕も魔術師なんだよねー。なんなら、王さまに協力してあげてもいいんだけどなあ」
 むしろ入っても構わんだろう、とでも言いたげな、異様な威圧感を込めた笑みを向けると、門番は心なしか怯み、すぐさま許可を得るために城内へと走っていった。


 “魔術師”のフレーズを聞いてか、少年の入城はあっさり許可されたらしい。しかもイグネアの従弟と聞いたチョビヒゲは、むしろお迎えしなさいとでも言わんばかりに大喜びしたらしい。
 そんなこんなで現在、イグネアと少年は、イグネアの自室にやって来たわけである。少年はチョビヒゲに謁見する必要があるらしいが、その準備が整うまでの暇潰しだ。
「随分と無駄に豪勢な部屋に住んでおるのう。見ろ、このソファなんぞふわふわ過ぎだ」
 ソファの弾力性を堪能しつつ、少年は上下しながら満面の笑みでイグネアを振り返った。イグネアは疲れた表情を浮かべ、真紅の瞳で少年の姿をじっと見る。
 長かった髪は随分と短くなったが、あの頃と少しも変化がない。成長すらしていない。まるで呪いをかけられて、肉体の時を止められた自分のように。
「……なぜ、生きているのだ」
 ぼそりとイグネアが呟くと、それまで新しい遊びに耽って楽しんでいた少年はピタリと動きを止めた。しばし間を置いて、そして立ち上がる。
「何故か、だと?」
 やや低めの声色にはっと顔を上げるが、すでに少年の姿はソファにはない。窓は開いていないのにふわりと風が吹き、その風に身を委ねた少年は、イグネアの隣にまで迫っていた。
「お(ぬし)がそれを問うのか」
 カチャリ、と何かが音を立てた。わずかに視線を逸らして少年の左手を見遣ると、しっかりと握られた剣が目に留まる。忘れていた。こいつはただの魔術師ではないのだ。
「何故かなどと良く問えるものだ。まさかお(ぬし)、己の罪を忘れたわけではあるまいな?」
 一歩、また一歩と少年が詰め寄ってくる。イグネアは反射的に後退した。深緑の瞳が惜しげもない憎しみを込めて凝視してくると、囚われたように身体が動かなくなった。
 忘れていたわけではない。けれど、少年の登場で再度思い知らされた。そうだ、私は数多の罪無き命を奪った。その中には彼の――
(わし)が千年を経て生きておるのは、お(ぬし)が死するその時を見届けるためだ」
 その、長い長い年月の末の一瞬のためだけに、イグネアのように肉体の時を止め、こうして今なお生き続けている。そこには単なる“憎悪”にだけに留まらぬ、執念ともいえる感情があった。
「お(ぬし)には幸福などあってはならぬ。平穏などあってはならぬ。他人の幸福を、いとも簡単に奪ったのだからな!」
 今でも鮮明に覚えている。
 紅蓮の炎に包まれて、悲鳴を上げながら跡形もなく消えてゆく、最愛の――
「……アルーサを殺した恨みが、(わし)から消える事はない」
 愛する人を奪った者への憎しみは、やがて執念となって少年を駆り立てた。奴の最期をこの瞳に映さなければ絶対に死ねぬと、同じく肉体の時を止めて長い長い年月を生き続けた。呪いを受けて苦しむ魔女のように、それは少年にとっても決して楽な選択ではなかった。けれど、そうさせたのはこの娘なのだ。
 真紅の瞳を見開いて硬直するイグネアの細腕を掴み、少年はふっと穏やかな笑みを浮かべた。あどけなさを残す愛らしい笑顔がゆっくりと近づいてくるが、イグネアは身動き一つ取れずにいた。

 その時。
 二人の間に割って入る者がいた。派手な音を立てて壁に手を打ちつけ、二人の距離を阻むようにして腕が伸びている。はっと我に返ったイグネアがおろおろと見上げると、少年のまとう風に触れてふわりと揺れる白銀の色があった。
「手を離せ」
 青碧の瞳がきつく睨みつけると、深緑の瞳を細めて少年がにやりと笑った。まとう空気で一瞬にして理解した。彼は、魔女の真実を知っている。わざわざ確認しなくとも、瞳に宿る魔力を感じ取れば魔術師であると判断できた。しかもなかなかの強者だ。
「……なるほど、お(ぬし)が魔女の“騎士(ナイト)”か」
 少年は隠しもせずにプレシウ訛りで言葉を発した。普通ならば年相応の少年を装って振舞うのだが、“彼”には関係ない。
 これ以上ここで追い詰めても仕方がないとばかり、少年は言われるがままにあっさりとイグネアを解放した。
「随分と小奇麗な小僧を選んだものだ。お(ぬし)にしては上出来だな」
 感心したように台詞を吐きつつ、少年が突如現れた青年を品定めする。
 小奇麗な小僧と言われたヒュドールは、あからさまに不愉快気な顔をした。小奇麗はともかくとして、なんで今初めて会ったばかりのガキに、小僧と言われなきゃならんのだ。
「ガキに小僧と言われる筋合いはない」
「おや。この程度でムキになる方がガキだと思わぬか?」
 こンのクソガキめ! と内心では憤慨しつつも、こうまで言われてさらに言い返せば大人気ない上に相手の思うつぼである。ヒュドールの毒舌を封じ込めるとは、見た目は結構可愛いくせに少年もなかなかの毒舌家だ。さすが千年生きてきただけはある。
「まあ安心しろ。(わし)にはお(ぬし)をどうこう出来ぬからな。とりあえず、しばらくはこの城で厄介になる事にしよう」
 イグネアに向かってにっこりと微笑んだ少年は、二人に背を向けてそのまま部屋を出て行ってしまった。

「大丈夫か?」
 少年がいなくなると、ヒュドールはイグネアに向き直り、心配そうな表情を向けた。それではっとしたイグネアは何度か瞬き、ようやく現状を受け入れ始めた。
「あ、ああ……おぬし、なんでここにいるのだ?」
「さっき帰った。ところで、あれは何なんだ。アンタみたいな年寄り口調だったが、まさか……」
 イグネアはわずかに俯き、そして頷いた。
「あやつの名はリーフ=エムロード。(わし)と同じく、プレシウの魔術師だ」
 目の前に現れてもにわかに信じがたい。まさか生きているとは。自身が言っていたように、彼の憎悪は決して消える事無く、千年経った今も恨んでいるのだ。あのままヒュドールが現れなかったら、リーフは自分をどうしていたのだろうか。
「ちょっと待て。ということは、アイツも呪いを受けた罪人ってことなのか?」
「いや、違う。生き続けている手段は(わし)と同じだろうが、罪人ではない。ヒュドール、あやつの顔に見覚えはないか?」
 問われたヒュドールは、覚えがないとばかりに眉をひそめた。しかし言われてみると、そういえば一度会った事があるような、ないような気がする……と考え始めた。
(わし)の烙印に触れた時、一度見ただろう。あやつは私を裁いた【裁判官】だ」
 言われてはっと思い出した。あの時に見た映像をゆっくりを回想すると、たしかに同じ風貌の少年がいたはず。あのガキは、イグネアを裁いて大罪者に仕立て上げた張本人だ。
「なんで、裁いたやつまで生きてるんだ?」
「それは……」
 ヒュドールの率直な疑問に、イグネアはうっかり本当のことを話しそうになったが、すぐさま言葉を切った。こうして聞いてくるという事は、恐らく先程のリーフとの会話は聞いていないのだろう。
 思わず言ってしまいそうになったが、ヒュドールに言った所で過去が変わるわけでもなく、リーフの憎悪が消えるわけでもない。何よりまた勝手に頼ってしまう感じがして無意識に躊躇っていたのだが、イグネア自身はそれに気付いていない。
「いや、なんでもない。(わし)に会いたかったのではないか?」
 事実としてそうなのだが、そんな理由でヒュドールが納得するはずもなく。
「よほど重大な理由がなければ、わざわざ千年も生き続けてまで会いに来るはずがないだろ。何を隠してる」
「別に、何も隠していない」
「嘘がド下手だな。というか、嘘にもなってない」
 容赦なくキツイ言われっぷりにイグネアはうっと怯んだ。なんだかこういうやり取りは久々な感じである。
 何やら言い難そうにしているイグネアをちらと見遣り、ヒュドールは観念したような、ちょっと困惑した表情で軽く溜め息を吐いた。
「その……この間キツイ事を言ったのは悪かった。だから、困っているなら話してみろ」
 (ほぼ完璧に何でもこなすため)他人に謝罪する機会がないヒュドールは、しどろもどろになりながらも、先日の発言を詫びた。なんで俺がこんな事言わなきゃならんのだ、とか思いつつ。
 しかし。
「は? この間?」
 イグネアはすっかり忘れているのかすぐに思い出せないのか、何のことやらと首を傾げた。途端ヒュドールにものすごく睨まれ、やっぱり怯んだ。
「もういい! で、何を隠してるんだ!」
「あう、その、(わし)は……大戦の折、あやつの嫁を殺したのだ」
 強い口調で問い詰められ、イグネアは怯みつつも観念して口を開いた。
 詰め寄っていたヒュドールはぴたりと動きを止め、青碧の瞳を見開いた。怯えた表情で若干ずれた眼鏡を正すイグネアをじっと見遣り、脳内で思考を巡らせる。
 「殺した」などという単語は、今のイグネアからは連想も出来ない言葉で、千年も前の話だから正直言って現実味のないものに聞こえていた。それ以上に引っ掛かる言葉があったのだ。
「嫁?」
「ああ」
「あのガキの?」
「そうだが」
 考える事、ほんの数秒。
「ちょっと待て。アイツは一体いくつなんだ?」
「えーと、(わし)が十六だったから……当時は十五だったか。まあ見た目はちっとも変わらないから、今でも十五なんだろうが」
「十五?! 十五で嫁がいるのか、プレシウの魔術師は」
 しかも十五のガキが、十六の小娘を裁いていたのかと驚きは隠せない。
「? 別におかしくもないぞ。プレシウでは十五になれば結婚も出来たし、酒も飲めた。あやつはたしか新婚だったはずだ」
 スペリオルの法律で定められた結婚と飲酒の年齢は十八だが、その年齢は社会的にもようやく地位が確立する年頃であって、適齢期は二十を過ぎた頃である。それが、あんなガキに嫁がいたなんて……現代っ子のヒュドールには想像も出来なかった。そうか昔は早かったんだな、だからこんな年寄りめいた小娘やガキが出来上がるのだな……などと初めて知った古の風習に若干愕然としつつ、ふと気になった。
「……まさか、アンタにも旦那がいたとか、そんな事はないだろうな」
 疑いの眼差しを向けられ、イグネアはぶんぶんと必要以上に首を横に振った。
「何を言うか。(わし)は未婚だぞ」
 言ったそばから、別にそんなに力強く否定する必要もなかったな、とイグネアは思った。
 一方のヒュドールも何でかその回答に無意識に安堵したわけだが、己の不可解な心情に不愉快そうであった。
 さて、少し話が脱線したが。
「つまり嫁を殺された恨みを晴らすために、アンタに会いに来たということか。どうやって城に入れたんだ?」
(わし)の“従弟(いとこ)”だと偽った。そのうえ魔術師だからな。チョビヒゲにそう言ったら、どうやらものすごく喜んでいたらしい」
 あのチョビヒゲめ! とヒュドールは舌打ちした。全く、そんなにほいほいと城の中に招き入れて、そのうちどうにかなっても知らないぞと言ってやりたい。これにはイグネアも同感だった。
 それにしても、何より魔術師というのが厄介だ。チョビヒゲに知れたとなると、そう簡単には追い出せない。
 だが、どんなに恨みがあっても、リーフにはイグネアを殺める手段がないはずだ。イグネアは呪いと万能薬(エリキシル)のおかげで死にはしないという事実を、裁いたリーフは知っているはず。となると、他に何か目的があってこうして近づいてきたとも考えられる。一体何を企んでいるのだろうか。
「とにかく、アイツには用心しろ。何かあったらすぐに言え」
 ヒュドールの意外な言葉に、イグネアはほんのり戸惑った。
「そうだな……さっきはおぬしのおかげで助かった。でも、今後は迷惑をかけないように気をつける」
 先日宣言したばかりで、すぐに頼るのは気が引ける。全ては己の所業から成り立っている現実なのだから、何とか切り抜けていかなければ。全く、いつの間にこんなに弱くなったのか。しっかりしなければ、と己を鼓舞するイグネアとは裏腹に、ヒュドールは納得がいかないようだった。
「だから、それは俺が悪かったと言っただろう。別に頼られるのが迷惑なわけじゃない。少々苛立っていたというか、その、なんだ……」
 まさかここで例の目撃談をするわけにもいかない。次の言葉が繋がらずに押し黙ったヒュドールに、イグネアは訳がわからず首を傾げていた。苛立っているのはいつものことだろう、と突っ込んでやりたかったが、怒られそうなのでとりあえず黙っていた。

 ふっと硝子に覆われた真紅の瞳が陰りを見せた。本当に、あまりにも有り得ない現実が訪れて困惑している。
 幸福なんて望んだことはない。平穏は、あまりにも何もなさ過ぎて日常的になっていただけ。死にたくても死ねないし、何も望んではいないのに、リーフはこれ以上にどうしろと言いたいのか。これから毎日、あのように追い詰められるのだろうか。そう考えると気が滅入るが、彼にはそうするだけの理由がある。
 けれど。
 あの裁判で自分は死を望んだ。それなのにリーフは、私怨も含めて極刑を言い渡し、九百年もの間服役をさせ、こうして今も呪いに苛まれている。裁判の直後は本当に憎んでいたが、千年も経ち、死んでいるべき相手に今さら憎しみは湧いて来ない。でもリーフは千年経っても最愛の人を殺した相手を憎み続け、自らも同じ道を歩もうと決めたのだろう。その執念とも呼べる深い想いは、天涯孤独で肉親どころか他人の愛情を知らぬイグネアには理解できなかった。

 唐突に現れた少年魔術師は、イグネアの中でかなりの重心を占める存在になるだろうというのは間違いなかった。でもって、それが“彼ら”の心情にも大きな影響を及ぼすなんて誰も知るわけない。





←BACK / ↑TOP / NEXT→


Copyright(C)2007 Coo Minaduki All Rights Reserved.