× 第3章 【2+1の恋金術】 7 ×





 一悶着あった後、リーフはチョビヒゲ……もとい国王陛下に謁見することになったのだが、何でか知らないがイグネアもその場に呼ばれたため、仕方無く謁見の間へと向かった。そこへイグネアの身を案じるヒュドールも(半ば無理やり)同席する事にしたのだが、二人は目の前で繰り広げられる光景に、ただただ呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
「おお、そなたがイグネアの従弟の魔術師か。名をなんという?」
「リーフ=エムロード、【風の魔術師】でーす」
 チョビヒゲの前で跪いたリーフは、深緑の瞳をキラキラと輝かせ、愛想を振りまきながら名乗っていた。先程までの威圧的態度が嘘のようである。
「そうかそうか、小さくてなんだか可愛いな」
「えーそうですか? 陛下のそのチョビっとしたおヒゲも可愛いですよ」
「なにをー。こいつめ、褒めても何もやらんぞ?」
 リーフの嘘八百な発言に踊らされ、チョビヒゲは大層ご機嫌である。
 リーフはイグネアよりも少し背が高いくらいで、ヒュドールと比べても明らかに小柄である(昔は男女共に背が低いゆえ)。顔立ちもなかなか可愛らしく、年上の女性とか年配の人に好かれそうな感じだ。そんな愛らしい少年の登場に、どうやらチョビヒゲ他多数の臣下たちはハートを鷲掴みされたらしい。リーフが愛想を振りまくたびに、まるで孫を前にした祖父さんのようにデレデレしていた。
「……大した変貌振りだな。あの猫被りめ」
 少し離れた場所で様子を伺っているヒュドールは、隣に立つイグネアにぼそりと話しかけた。チョビヒゲと和気藹々するリーフに視線を向けて舌打ちをする。先程の本性をここで暴いてやりたいくらいだ。あいつは二重人格か。
「プレシウにいた頃は、あんなではなかったのだが……何かあったのだろうか」
 さすがのイグネアも驚きは隠せない。プレシウにいた頃のリーフは【裁判官】らしくプライドが高く、いつも堂々としており、誰かに媚を売るようなことは絶対になかった。何かよほど重大な事件があったのかも知れない、とイグネアは真剣に考えていたが、そんなはずあるわけない。
「そちには術師棟に部屋を用意させよう。何か入用があれば何なりと申せ」
「わーありがとうございます! 僕、陛下のお役に立てるように精一杯頑張りますね!」
 元気一杯に(嘘の)やる気を見せたリーフに、周囲が再びメロメロになっていた事は言うまでもない。そしてその様にヒュドールは思い切り渋い顔をし、イグネアは苦笑していた。
「イグネアよ、しばらくそばにいてやるが良い」
「ええっ?! わ、私ですか?」
 いきなり話を振られ、イグネアは大袈裟に驚いた。その隣ではヒュドールが不服そうにしている。さすがに国王陛下に向かって「そいつのそれは嘘ですよ」とは言えず、イグネアはおろおろしていた。
「数年ぶりの再会なのであろう。不慣れな王宮で寂しい思いをするだろうからな。ヒュドールも同じ魔術師として良くしてやりなさい」
 何で俺がこんな猫被りのガキの面倒を見てやらなきゃならんのだ。チョビヒゲめ、上手く騙されやがって……と心中で激しく毒づき、ヒュドールは反論しようとしたが。
「よろしくね。ヒュドール“さん”」
 リーフが振り返り、背後のヒュドールに向かって笑顔を向けてきた。チョビヒゲに見えないのをいい事に、思い切り挑発的な笑みである。
 途端、ヒュドールの苛立ちレベルが一気に上昇する。“さん”などと思ってもいないくせ、オマケのようにつけやがって。わざとらしい。いつか必ず氷漬けにして川に捨ててやる、あのクソガキめ! と内心で爆発する怒りを視線に乗せ、リーフを睨み返す。二人の間で様々な思惑を乗せた火花が激しく散っていたが、周囲の誰一人気付いちゃいない。





 与えられた部屋へ移動すると、リーフはあちこち室内を動き回って探検していた。動き回るたびに背負った剣の金具が音を立てる。その様子を、イグネアは入口に程近い場所に突っ立って見ているだけだ。
 謁見の間からこの部屋までご丁寧に女官が案内してくれたため、チョビヒゲの手前イグネアは仕方無くリーフに付いて来た。この部屋はイグネアの私室とは別の階に位置する。隣でなくて良かった、とほんのり安堵したとはさすがに言えないが。
 ちなみにヒュドールはというと、ついでとばかりにチョビヒゲに呼ばれ、何やら用を申し付けられていて残念ながらこの場にはいない。
「そんな所に突っ立ってないで、こっちへ来い」
 声をかけられて顔を上げると、日当たりの良い窓辺の床に座ったリーフが背負った剣を置き、空いた手で手招きしていた。逆らえば何か言われそうだなと思い、イグネアは渋々近づき、少し間を空けて隣に座った。床には何かの動物の毛皮っぽいじゅうたんが敷いてあり、とても肌触りが良い。日差しを受けて居眠りしたら気持ち良さそうだ。
「そのように警戒するな。別に何もせん。先程も言ったが、(わし)にはお(ぬし)をどうこう出来んのだから」
 そんなことは良くわかっている。どんなに痛めつけられても、傷を負っても、イグネアは死にはしない。リーフがどんなに彼女を憎んで殺そうとしても、仇を取ることは叶わないのだ。
「……では、本当に(わし)の死を見届けるためだけに千年も生き続け、こうして現れたのか?」
 すぐに答えは返ってこなかった。しばしの沈黙が漂う。ただ答えを待つイグネアは、どうにも沈黙に耐え切れずおろおろしていたが……。
 突然にリーフがごろりと寝転がり、しかもイグネアの膝の上に頭を乗せてきた。
「ぎゃー! おぬし、何をしているっ!」
 イグネアは慌てた。長い人生でたったの一度きりも膝枕などした事がない彼女は、未知なる感触に逃げ出したい気持ちで一杯になった。もそもそ動かれるとくすぐったい。というか、何でいきなりこんな状態になっているのだろうか。
「うるさいのう。本来ならば(わし)はこういう感じで新婚生活を満喫するはずだったのに、お(ぬし)のお陰で台無しになったのだ。大人しくしておれ」
 イグネアはううっと唸った。その話をされては逃げ出したくても出来ないではないか。というか、なんで私が嫁の代わりをしなければならんのだ。しかも、先程の問いに答えていないではないか。
「……おぬし、ちょっと変わったな」
 プレシウにいた頃の記憶なんて、もはや化石みたいなものだが。それでも、あの頃のリーフだったらこんな風に接してくる事はなかった。あの頃の【裁判官】としての脅威が今はほとんど感じられない。
 イグネアとリーフは、扱う魔術の属性からどちらかといえば味方に近かった。親密だったわけではないが、まるで見知らぬ者同士というわけではない。互いの素性くらいは知った間柄だ。
「その言葉、そっくりそのまま返す。変わったのはお(ぬし)だろう。こんな風に簡単に他者を寄せ付けるなど、無防備過ぎだ」
 真紅の瞳が瞬いた。
「そう……か?」
「自覚がないなら重症だな。【紅蓮の魔女】は嫌気がさすほど強気で傲慢で、冷酷非情な女だった」
 今でも鮮明に思い出せる。紅蓮の龍が踊り狂う中、真紅の瞳を妖しく輝かせ高らかに笑う姿を。何事にも誰にも興味を示さずただ戦いを楽しむ様は、まさに魔女。この女には血が通っていないのだと思っていた。
 けれど。
 それでも、まるで枯れた大地に咲いた大輪の花のように。その存在感は圧倒的だった。それがこうして人間達の中でも身を潜めて暮らしているなんて、過去の姿を知っているリーフには想像も出来なかった。
「千年も生きて来たのだ。互いに変化があるのは当然だろう」
 言いながら、リーフは瞳をつぶった。まるで過去を思い返すように。

「……お主を追ってこうして生きて来たが、今は少し後悔している」
 服役を終えて異世界へ放たれたイグネアのように、リーフもまた変わり行く世界をたった一人で生き抜かねばならなかった。彼が受けたのは肉体の時を止める術のみだが、その際に一つだけ自ら呪いを受けた。それは“魔女に再会するまで死ねない”というものだ。だからイグネアに会うまで、リーフは死ねなかった。
 自ら選んだ道とはいえ、この千年は常に孤独がつきまとう暮らしだった。成長期の少年が全く成長もせずにいれば、やがて周囲は奇異の目を向けてくる。そうなれば同じ場所には長く住む事ができない。イグネアと違い、肉体の時が止まっているだけでリーフは普通の人間と何ら変わりはない。だからどうあっても人のいる場所でしか生活できなかった。
 誰かと親しくなっても、すぐに別れなければならない。最初はそれも平気だったが、普通の生活に慣れてくると、いつしか“情”が出てくる。情が出てくると、今度は別れが惜しくなる。辛いと感じるくらいならば……と、いつ頃からか必要以上に他者と関わらないようにしていた。
「あの時は、殺してやりたいほどお主を憎んでいた」
 そうできなかったのは、【裁判官】という立場があったから。あの時、魔女に殺意を抱いていたのはリーフだけではない。そこで彼だけが私怨に駆られて手を下す事は公平でなく、不可能だった。
「お主の死を見届けなければ死ねぬと、本気で思っていた。けれど時が経って冷静になれば、それが最高に愚かな考えだったと気付いた。そして……いつの日からか、無性に会いたいと思うようになった」

 ――そうすれば、この長い長い人生を終わらせる事が出来るのだろう。

 千年なんて気が遠くなるような時間を、全く別の場所とはいえ生きて来たのは、世界中何処を探しても二人きりだ。プレシウを故郷とし、過去を語り合う事が出来るのも今ではたったの二人だけ。こうして偽らない姿で会話を交わせるのも二人だけ。
 初めて顔を会わせた時に会いたかったと言ったが、その言葉に嘘はなかった。たとえ憎んで恨んでいた相手でも、孤独という苦しみを分かり合えるならば関係なかった。

 気付いた時には深緑の瞳がじっと見上げていて。イグネアは視線を逸らせなくなっていた。
「儂はただ……お主に会いたかっただけだ」
 それが先程の答えだと言って、リーフはすっと手を伸ばし、イグネアの頬に触れた。その指先からこれまでの苦悩が伝わってくるような気がして、イグネアは言葉に詰まった。
 ヒュドールに怒鳴られても、リヒトに迫られても動かないはずなのに。なんだろうか。心が締め付けられるように苦しい。彼の孤独が手に取るようにわかる。それは、かつて自分も経験した事のある気持ちだから。
「正直、今でもお主を恨んでいるかどうかは分からん。先程は気が高ぶって声を荒げたが、危害を加えるつもりはない。だから……頼むから少し傍にいてくれ」
 ごろりと寝返りを打ち、リーフは顔を背けた。

 静かな時間が流れていた。
 イグネアは困惑していた。正直に、どうしていいかわからなかった。こんな風に接するほど、過去に親しかったわけではない。むしろ憎み合っていたくらいなのに。
 彼に平穏がなかった事くらい、安易に想像できる。あんな風に百八十度違った姿を偽るのも、長い時代を生き抜くために必要だったのだろう。自分がひたすら地味に生きる事を願っていたように。
 互いに幼少の頃から戦場に立ち、争いの日々だった。しかしそんな時代はとうの昔に終わりを告げ、今は平穏な毎日を送れる世界が広がっている。戦しか知らない魔術師も、呪いも、憎悪も……まるで化石だ。
 いつの間にか、リーフは安らかな寝息を立てて眠っていた。寝顔には邪悪さなど滲み出ておらず、普通の少年となんら変わりはない。さっき無防備過ぎだと言われたが、そっくりそのまま返してやりたかった。
「……やはり、変わったのはおぬしの方だ」
 起こさぬようにと気をつけつつ、枯草色の柔らかな髪にちょっとだけ触れながら、イグネアはそっと呟いた。





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