× 第3章 【2+1の恋金術】 8 ×





 何だかんだでスペリオル城に住み着いてしまったリーフだが、本人が言うように、イグネアに危害を加えるつもりは一切ないらしく、とりあえず身の危険は回避できた。
 しかし、それで安堵できるというわけでもない。リーフの偽りの関係は“従弟”である。従弟といえば、普通に考えて親類である。つまりはベタベタされても追い払ったり、邪険にしたりするわけにいかないので非常に困るのだ。それに生き別れになっていたと言ってしまったくらいだから、そのうちこれまでの経緯などを聞かれるのではないか、とイグネアは密かに不安に陥っていた。
 リーフは、普段は周囲の人間にやたらと愛想を振りまきまくり、予想通り老人と年上の女性を中心に人気を集めていた。本当に同一人物かと疑いたくなるほどの猫被りぶりだが、見事だと感心せざるを得ない。(たとえ嘘でも)その愛想の良さをヒュドールに分けてやったらいいのに、などとイグネアは密かに考えていたが、そんなこと誰も気付くわけがない。

 本日も老人並みの早起きをしたイグネアは、珍しく王宮内を散策していた。いつもならば起床後から昼にかけては自室でまったりするのだが、今日は天気も良くて朝日が眩しく、何となく気が向いたのだ。
 日が昇って間もない時候、動き出す人間といえば見回り兵とか限られた者達だけで、王宮内はまだ静けさを漂わせている。その静寂と空気が山奥を思い出させ、ほんのり懐かしい。
 未だに王宮内で迷子になるのだから知っている場所だけにしておけばいいものの、人気がないのを理由に、イグネアは普段あまり歩き回らない場所を散策してみようと思い立ち、ふらりと適当に歩み続けた。
 それで結局迷子になりつつある事実になど気付きもせずに歩いていると、ふいに何か音が聞こえ、興味をそそられたイグネアはそちらに向かって行った。
 音が響いていたのは兵士達の訓練場だった。王宮の裏手という、とても目立たない場所にあったため今まで存在など知らなかった。というか、普通に人が歩いている時間ならばこの辺には兵士達がウロウロしていて、場違いだと近づこうとしないのだから知らなくて当然だ。
 早朝にも関わらず、兵士達は己を磨くために訓練に勤しんでいる。みな一様に真剣な表情だ。こんな、何の事件もなくまったりと時が過ぎる城のために真剣になっているのかと思うと、ほんのり不憫ではあるが。
 訓練場は広域に渡り、イグネアがいる場所から兵士達までは割と距離がある。それを好都合と捉え、イグネアは隅っこの適当な石段に座ってしばらくの間訓練の光景を眺めていた。というか、他にする事がないので暇潰しだ。兵士達も、まさかこんなに早い時間に誰かがいるなんて思ってもいないらしく、イグネアの存在には微塵も気付いちゃいない。

 ふと、プレシウにいた頃のことを考えた。
 あの頃、訓練などという言葉は存在しなかった。毎日が戦争で、その中で幼い子供は生きる術を学び、成長していた。
 果たしてこの中で、本当の“戦争”を体験した者は何人いるのだろうか。……誰一人としていない事を、今が平和な世界である事を、心の片隅で少しばかり祈った。
 そして、近頃はやたらと昔を懐かしんでいる自分がいることに気付く。間違いなく、リーフが現れたせいだと思われる。
「ずいぶんな早起きだね」
 ひとり物思いに耽っているところに背後から声をかけられ、イグネアは驚いて首を捻った。まず真っ先に視界に飛び込んできたのは、早朝にふさわしい爽やかな笑顔。朝日を受けて、柔らかな蜂蜜色の髪はきらきらと輝いて見えた。
「どうも、おはようございます。そちらこそ、ずいぶん早いんですね」
「まあほら、俺は訓練もあるからさ」
「訓練、するんですか」
「……なに、その疑うような瞳は」
「いえいえいえ、疑ってなどいませんよ。失礼ですね」
「言っておくけど、俺だって年中遊んでいるわけじゃないよ」
 それなりの地位を保持するためには、それなりの努力も必要だからね、と言いながらリヒトは許可もしていないのに勝手に隣に腰掛けた。異様に距離が近いのは気のせいだろうか。ものすごく気になったものの、だからと言って何の理由もなく突き飛ばすわけにいかず、イグネアは肩をすくめてわずかな空間を作るべく密かに必死になっていた。
「こんな所で何してたの?」
「はあ。散歩がてらに、訓練の見学を」
 すると、リヒトが意味ありげににやりと笑った。
「ははーん。さては、俺の勇姿を見てみたくなったんだね」
「……全然違いますけど」
 本当に毎回思うのだが、どうしてこの人はこんなにナルシストなんだろうか。まあそれはいいとしても、勝手に人の思考を捏造するのはやめて欲しい。が、どうせ意見は受け入れられないだろうから、とイグネアは突っ込むのをやめておいた。
「いつもこんなに早い時間から訓練するのですか?」
「んー、俺達騎士は毎日じゃないけど、一般の兵士達はほぼ毎日かな。これも皆を護るためには必要不可欠な、大切な仕事だからね」
 ナルシスト炸裂な勘違い発言をしたかと思うと、こうしてまともな意見もするため、どこまでが本気なのかわからない。けれど、やはり彼はしっかりとした人間なんだなと思う。女性に絶大な人気なのは、まあ嫌というほどわかるが、男性からも好意的に見られているというのは、こういった所から単なる噂ではなく真実なのだと知れる。
「そうなんですか、それはご苦労様です」
 労わりの言葉をかけると、リヒトはいつものようにからかいの笑顔を浮かべていた。
「いま“私も護って欲しいな”なんて思った?」
「いいえ、ちっとも」
「そんなに遠慮しなくてもいいのに。君なら特別にいくらでも護ってあげよう」
「はあ……それはどうも」
 全然聞いちゃいないな、とイグネアはげんなりした顔で溜め息を吐いた。リヒトは相変わらず面白そうに笑っているだけだ。
「それにしても、今朝は少し冷え込むね。君もこんな所に長居してると風邪引くよ」
 言われて初めて、イグネアは両腕を抱えて座っている自分に気付いた。肌寒かったから無意識に腕をさすっていたらしい。ついでにほんのり眼鏡も曇っていた。風邪など引かないが、リヒトの言うように長居すれば身体が冷えそうだ。
「たしかに、ちょっと寒いですね」
 すると。
 ほんのわずか沈黙が漂ったかと思うと、背と肩に温かさが広がった。
 イグネアは思い切り渋い表情を浮かべた。一般女子ならば心ときめかせて「きゃー」とか言って頬を染めそうなシチュエーションも、彼女には理解不可能なものとなる。
「……なぜ、こういう状態になるんですか」
 イグネアの肩に手を回して軽く引き寄せると、リヒトは女泣かせの美麗な笑顔を投げかけていた。
「寒いって言うから、温めてあげようと思って。ドキドキしない?」
「……むしろムズムズして仕方がないのですが」
「またそんな事言って。一緒に乗馬した仲じゃないか」
「あれは不本意です」
 腕の中で居心地悪そうに身を縮こまらせ、なんとも非ロマンチックな発言をするイグネアにリヒトは苦笑していた。やはり普通の娘的な反応は望めないらしい。まあこれが彼女らしくて面白いのだが。
「なかなか手強いね。でも、やりがいがあっていいかも知れない」
「?」
 リヒトの発言の意味が理解できず、イグネアは眉間にしわを寄せて首を傾げた。

 そんなこんなで、微妙に噛み合わない会話を交わしていると。
「あー、イグネア発見!」
 唐突に猫被りな声が聞こえてきて、イグネアとリヒトは同時に声の方向へ視線を向けた。わざとらしいほどに手を振って自身の存在をアピールしつつ、満面の笑みで駆け寄って来るのはリーフだ。
「部屋にいないから探しちゃったよ」
 公の場であるためか、リーフは猫被りモードで接してきた。昨日の今日であるため、イグネアは彼の偽りの姿にどうにも馴染めず、どうやって言葉を返していいか戸惑い、何度もうなずく事しか出来ずにいた。
「もしかして、君が噂の従弟くんかな?」
 明らかに幼い子供向けの口調で、リヒトはにっこりとリーフに微笑みかけた。実年齢(?)よりも若干幼く見えるためか、完全にリーフの年齢を勘違いしているらしい。美麗な顔を穏やかに緩めて微笑む様に、子供ではなくむしろその母親なんかが釣られそうな勢いだ。
「はじめまして。僕、リーフっていいます。よろしくね」
 にこっと笑顔を返し、またしてもリーフは愛想を振りまいた。その足元でイグネアが思い切り渋い顔をしていたのだが、二人には見えなかったらしい。
「お兄さんはどなた?」
「ああ、これは失礼。お兄さんの名前はリヒト=アルマース。王宮に仕える“ビジュ一美形な”騎士だよ」
 リヒトの余計な一言付き自己紹介に、またしてもイグネアが渋い顔をした。しかも自分でお兄さんとか言っちゃうところがどうにも彼らしい。
「騎士なんですか。すごいなー。格好いいなー」
 驚くべき事に、リーフはリヒトのナルシスト発言に全く怯まず、むしろそこを狙っていきなりおだて始めた。さすが千年、苦境を乗り越えてきただけはある。些細な事では動じないらしい。そしてリーフに踊らされたリヒトは、案の定かなり機嫌が良さそうだ。
「やだな、そんなに褒めても何もあげないよ?」
「えー、そんなつもりじゃないですよ。本当のことを言っただけです」
「……なんて素直ないい子なんだろう」
 もしもこの場にヒュドールがいたならば、「貴様等馬鹿じゃないのか」とかいうキツイ一言を浴びせそうな光景である。何でいきなりそんな意気投合しているのだ、こいつらは。内心でそんな事を考えつつ、イグネアは二人の若干嘘くさいやり取りに疲れていた。そんな彼女はもはや放置され、二人の会話はそれでも続いていたが。
 リーフは、愛想の良さを武器に(リヒトとは違った系統で)様々な情報を入手している真っ最中だ。どうやらこいつが噂に聞いた、あの口の悪い魔術師の相棒らしい。なるほど、自称するだけあって小奇麗な顔をしているのは確かだ。
 当然の事ながらイグネアの秘密を知っているのはヒュドールだけだろうが、どうもこちらも赤の他人というわけではなさそうだ。表情には出さなかったが、リーフはリヒトに興味を示していた。
「ところで君、魔術師じゃないの? その背中のモノは君の?」
「はい、もちろん本物ですよ。本業は魔術師なんですけど、護身程度に」
 剣が本物なのは事実であるが、“護身程度”は真っ赤な嘘だ。リーフは【裁判官】として、時には魔術、時には剣術、あらゆる手段でもってプレシウを裁いていた。かなりの空白期間があったから今はどうだか知らないが、当時はかなりの手練であった。恐らく、そこで必死に訓練している兵士なんか赤子同然に扱うだろう。それと魔術を合わせて闘うのが彼の戦術だった。
「護身って……今までは何処に住んでいたの? イグネアとはずいぶん長い間、離れ離れになっていたって(チョビヒゲに)聞いたけど」
 すると、リーフはふっと悲しげな表情を浮かべた。
「僕の住んでいた村で災害があって、家族はみんな……。住む家もなくなったし、それでずっと色々な所を転々としてたんです。イグネアとは小さい頃に一緒に住んでいたんですよ。彼女の両親、死んじゃったから。でもその災害の時に離れ離れになっちゃって……それで風の噂でこのお城にいるって聞いて、訪ねて来たんです」
 よくもまあ、咄嗟にこれだけの嘘が口から出るものだ、とイグネアは呆れ果てていた。口を開けて呆然としていたが、後々話が食い違わないようにリーフの嘘を覚えておく必要があると気付き、慌てて先程の言葉を思い出し始めた。そしてその嘘をリヒトは完全に真に受けたらしく、とても悲しげな表情でリーフを見つめていた。
「……そうだったんだ。嫌な事を思い出させてごめんね。何かあったらお兄さんに相談しなさい。力になってあげよう」
「本当? じゃあ今度、剣の訓練の相手してもらえますか?」
「それくらいなら、いつでも」
「わーい、ありがとう!」
 無邪気な笑顔を浮かべて喜ぶリーフに、リヒトはとても満足そうに頷いていた。完璧にリーフの術中にハマったという事に、当然の事ながら気付くはずもない。事実を知らないのだからこうなるのは自然なのだろうが、険悪そうなヒュドールとは対照的に、リーフはリヒトに懐いたらしい。その後も和気藹々と会話を弾ませていた。

 二人の会話をイグネアは若干疲れた表情で聞いていたのだが、ふと背後に伸びる通路の向こうから見慣れた人物が歩いてくるのを発見した。爽やかな早朝に不相応なほど猛烈に疲れ切った表情を浮かべ、全身で脱力感を表現しているのはヒュドールだ。鳥の尾のようにしなやかに伸びる白銀の髪も、主の脱力に合わせて力なくしな垂れている。
「あれ、お前がこんな時間に起きているなんて珍しいね。っていうか、もはや奇跡?」
 麗しの相棒が近づいてくると、リヒトは親しげに声をかけた。彼によれば、ヒュドールは割と朝は弱い方で、仕事がある場合を除き、よほどの事がない限りこんな朝早くに起きる事がないらしい。
 勝手に己の諸事情をペラペラと話されたヒュドールだが、普段ならキツイ睨みと共に一言毒を吐くのに、今朝は睨む気力もないようだ。
「なんか、すっごく疲れてるみたいだね。ヒュドール、“さん”」
 立ち位置の関係でリヒトに見えないのを良い事に、思い切り挑発的な顔でリーフが言った。
 途端、それまでの疲労顔はどこへやら、この猫被りめ! とヒュドールは忌々しげに睨み付けた。またしても“さん”などとオマケのように付けやがって。とはいえ、呼び捨てにされても腹立たしいのだが。
 睨まれたリーフはというと、「怖ーい」などと(嘘を)言ってイグネアの腕にしがみ付いていた。唐突に引っ付かれたイグネアは困惑していたが、振り払う様子もない。おまけにリヒトからは「子供をいじめるな」と窘めの言葉まで言われる始末。傍から見れば、年下に冷たい態度を取っているようにしか見えないのだろうが、なんで俺がそんな扱いを受けなければならんのだ! とヒュドールは苛立ちを募らせていた。
「ところで、お前こんな時間に何してるんだ?」
 思い出したようにリヒトが問いかけると、それまでの勢いでヒュドールがキッと睨みつけた。が、リヒトの顔を見た途端に怒る気も失せたらしく、重い溜め息を吐いた。
「チョビ……国王の頼みで、地下の書庫で探し物をしていた。徹夜で」
 つまり、ヒュドールは今の時間に“起きている”のではなく、今まで“起きていた”のだ。
 チョビヒゲの探し物とは、なんだか個人的な古い日記らしい。どうやらイグネアとリーフを見ているうちに自身も身内の事を思い出したらしく、過去に従姉とやっていた交換日記がふと読みたくなったとか言い出したのだ。結構な美人だったんだぞ、とかいうどうでもいい従姉との思い出話を散々聞かされた後、書庫のどこかにあるという日記を探し出してくれと命じられたのである。
「お前のその責任感が、時に不憫になる事があるよ……お疲れさん。俺は仕事あるけど、お前は今日非番だろ? 早く部屋に戻って寝ろ」
「……そうする」
 リヒトは苦笑しつつヒュドールの肩に手を置き、文句を言いつつも命令には忠実な相棒を思いやった。こういうリヒトの気遣いは時々身に染みるな……などと、ほんのり相棒の存在を有難いと思ったヒュドールである。
「いい夢が見られるといいね。僕は昨日はイグネアが膝枕してくれたおかげで、とっても懐かしい夢が見られたよ」
 リーフの爆弾発言に、ヒュドールとリヒトはぴたりと動きを止めた。青碧の瞳は不愉快気に、黄金の瞳は不思議そうに、同時にイグネアを見遣る。
「膝枕?」
 二方向から一度に視線を向けられ、イグネアはさっと青ざめた。
「な、な、何を言うか、おぬ……ではなくて、あなたは!」
「別にいいじゃん。本当のことだし」
 だからって、何でこんなところでそんな事を暴露するんだ! とリーフにだけ聞こえるようにこそっとプレシウ訛りで文句を言うが、彼は全く反省する様子もない。別に知られたからって何もやましい事などないのだが、膝枕は夫婦間でのみ許される行為だとイグネアは昔から思っているため、夫婦でもないのになあ、とちょっと後悔していたのだ。リーフに言われた通り、無防備過ぎだなとか迂闊だったな、とか真剣に考えていたというのに。
「……従姉弟同士にしては、ずいぶん仲がいいんだね」
 不審までは行かないものの、リヒトは少し不思議に思ったらしい。
「ホントの姉弟みたいに育ったからかなあ?」
 リーフがにっこり笑顔でとぼけると、リヒトは「ふーん」と言って理解を示したようだった。が、彼の場合、従姉弟という関係を疑っているというよりは、イグネアがそんなに女らしい事をするのかという思考の方が強い。さっきだって自分が迫っても娘らしい反応を見せなかったのに、膝枕してやるとは、いくら身内といえどずいぶんな差ではないか、などとちょっと面白くなかったりする。
 とりあえずリヒトはそれで誤魔化せたとしても、真実を知っているヒュドールが黙っているはずも無かった。おろおろと真紅の瞳が見上げると、もはや疲労感など何処かへ吹き飛ばされたらしく、ヒュドールの苛立ちは最高潮に達していた。





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