× 第3章 【2+1の恋金術】 11 ×





 王宮一を誇る無駄に広いダンスホールは、これまた無駄に大きな花形の【魔光燈】の光に照らされ、目に痛いほど輝いていた。貴族達が身につけた貴金属があちこちで光を放っているためだ。
 今宵の主役がやって来る前だというのに、すでに会場は盛り上がりを見せている。暇を持て余しているのだろう貴族達は、どんなに日数が少なくともこういう場にいち早く駆けつけるのが仕事なのだ。だから誰のためのパーティだろうが関係なく、己の煌びやかさや権力を見せびらかす事で忙しい。
 さて、そこへようやく今宵の主役である風の魔術師がやって来ると、一応衆目が集まった。ホール中の人間が見守る中、リーフは片手でイグネアの手をしっかりと握り、空いた手を「よっ」という感じで上げて愛想を振りまいていた。
 どうやらそれが効を奏した(?)ようで、リーフは早速貴族のお姉様方のお目に留まったらしい。ぜひお近づきになりたいとでも相談しているのか、ちらちらと様子を伺いながらひそひそと話をしている姿があちこちで見られる。
 そうなると、当然の事ながらイグネアにも視線が集中するわけで。手なんか繋いじゃって、あの女はどういう関係なのかしら?! といった風に鋭い視線を向けてくる。まさか逃げ出さないようにと拘束されているだけとは思ってもいないのだろう。
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ、リーフよ」
「ごめんなさーい」
 陛下専用の豪華椅子の隣に並ぶやいなや、チョビヒゲが言葉をかけてきた。リーフは「えへ」という感じで可愛い子ぶり、その場にいた臣下たちのハートをメロメロにしていた。見ていてこちらが恥ずかしくなるのは気のせいだろうか。
 そういえば、こういうパーティには必ず出席させられるという客寄せ人材の美形共はどうしたのか。イグネアは間際までリーフの部屋に閉じこもっていたため、彼らには昨日会ったきりで顔を合わせていなかったりする。ホール内の婦人方の様子からして、まだ登場はしていないようだが。
 それはさて置き。
「皆の者、この少年こそが我が国の新しい力、風の魔術師だ!」
「リーフ=エムロードでーす。皆さんよろしくね」
 チョビヒゲの無駄に盛大な発表の後、リーフが可愛らしくウインクを飛ばして挨拶すると、まるで魔法にかかったように周囲の人間がでれっとした笑顔になる。まさかこの愛らしい風体で中身が邪悪だとは思ってもいないのだろう。全くおめでたい。
「さてリーフよ。せっかくこういう場を設けたのだ。ひとつその力を披露して見せよ」
 これではあの時と全く同じだな……とイグネアは溜め息を吐いたが、意外な事にリーフはまんざらでもなさそうだった。
「わかりました!」
 元気良く返事をすると、手近にいた給仕の者にその辺から花びらを集めてくるよう願い、しばし待つ。
 数分後、リーフの手元には料理皿いっぱいに色とりどりの花びらが集められた。一体何をするのかと皆が見守る中、リーフは指先で紅い花びらをひとつ摘み、宙に印を切った。

来たれ、そよぐ風よ(ライ・サンドゥルバラム)!」

 硝子で覆われた深緑の瞳が、ぎらりと妖しい光を放つ。
 どこからともなく柔らかな風が吹いて来ると、少年の手元の花びらがふわりと揺れた。ブーケのように膨れた花びらは、やがて風に踊らされて隅々にまで舞い、ダンスホールに降り注ぐ。まるで天井から花びらが散ってきたかのようだった。
 綺麗、と。誰ともなしに呟き、感嘆の息が洩れた。
 なかなか粋なことをするものだ、と見上げていたイグネアの眼鏡に、真っ白な花びらが張り付いた。リーフのそばにいたせいか、気付けば肩や髪にもたくさんの花びらが降り注いでいた。
「まるで花嫁のようだな」
 白い装束と花冠は、まさにプレシウの花嫁そのもの。
 誰もが花びらの雨に酔いしれ、心奪われている中で、ひっそりと言葉が紡がれた。
「何なら、(わし)のために“本物”でも着てみるか?」
 絶対に有り得ないだろう言葉が、かつて憎み合っていた相手の口から洩れた。
 真紅の瞳が見開かれる。
 唖然としていると、リーフの手がすっと伸ばされ……
「冗談に決まっているだろう」
 眼鏡に張り付いていた白い花びらを指先で摘み、悪戯が成功した時の子供のごとく、声を殺して笑っていた。
 イグネアが一気に疲労と怒りを募らせたのは言うまでもない。

 リーフの“ちょっと素敵な”演出のおかげで、パーティは和やかで華やかなものとなった。先程の魔術のせいかリーフはさらに客人たちのハートを掴んだらしく、早速お姉様方に捕らえられて可愛がられている。本人は嫌がってはいないようだが、だからと言って甘えている様子もない。あくまで一線を引いて接しているのだろうというのは、些細ながらも態度に表れていた。
 イグネアはというと、わらわらと集まって来た婦人方に、子犬を捨てるような勢いで輪の外へと放り出されてしまった。別に一緒になって話がしたいわけでもないし、ようやくリーフから解放されたので、そろそろ逃げてしまおうかと考えていた。
 とりあえずホールから続く露台に足を運び、備えてあるベンチに座って一息つく。ようやく喧騒から逃げ出すと、一気に疲労感が増した。あーこのまま眠っちゃおうかな、などとうっかり瞳をつぶっていると声をかけられた。
「こんな所で眠ったら風邪引くよ」
 ぱちっと瞳を開けて見上げると、夜でも眩しいほどの笑顔が目に留まる。困った子だね、とでも言いたげな顔で、黄金色の夜会の騎士様が見下ろしていた。
 今宵のリヒトは、またしてもおまえ騎士だろうと突っ込みたくなるような装いである。そんな王子様のような格好で、いざ危機に瀕した時に剣が抜けるのだろうか。まあ、こんな呑気な国の夜会で、そんな大層なことが起こるとも思えないからいいのだが。
 それにしても、いつもはぞろぞろと婦人方を連れているであろうに、今はどうやら一人らしい。
「隣に座ってもよろしいですか?」
「は? はあ、どうぞ……」
 リヒトはにっこり微笑んで軽く腰を折った。丁寧な物言いといい、まるで貴族の姫にでも対するような紳士振りである。いつもの姿を知っているから、なんでかむず痒い感じがしてイグネアは顔をしかめていた。
「今日は可愛くしてるんだね。何処の姫君かと思ったよ」
 座るやいなや、リヒトがじっと見つめながらそんな恥ずかしい台詞を吐いて来た。これは可愛いというか、単に地味なだけだろう。あっちで美しく着飾って笑う婦人方の方がよほど可愛いと思えるが。
「はあ……リーフが着ろと」
 ぼそりと呟くと、リヒトは一瞬動きを止めて何やら考えていた。
 女性に服を見立てたり、あのように花を舞わせたり……たったの十五の少年とは思えぬ紳士ぶりだ。
 それよりも、前回は自分が見立ててやろうと言っても頑なに拒んでいたくせに、今回はあっさり了解したのだろうか。親類の力というのは全くすごいものだ。
「ふーん。君の従弟くんは、ずいぶんと洒落た事をするんだね。子供とは思えないほどに」
 イグネアはぎくりとした。確かにリーフの表面上の歳は十五だが、実際は千年以上生きているのだ。なんだかそれを指摘されたようでちょっと焦ったが、リヒトはそこまで突っ込んで言っているのではないようだった。とはいえ、面倒な事を聞かれてもリーフのように即座に嘘は出てこないため、なんとか話題を変えねば。
「ほらほら、こんな所で油を売っていていいのですか? すぐそこで可愛らしいお嬢さんたちが見ていますよ」
 イグネアが視線を向けた先には、複数の姫君が集っていた。どうやらリヒトの後を追って来たらしく、声をかけようかと迷っているように見えた。
 するとリヒトは一人納得したように頷き、再びイグネアに向き直った。
「俺があっちに行ったら、寂しくない?」
「は? 別に寂しくありませんよ。待っているのですから、行ってあげたらいいでしょう」
 むしろ一人にして欲しいと内心で付け加えた。
 が、なんでかリヒトはなかなか引き下がらなかった。そればかりか、一度姫君たちに近づいて行ったかと思ったら、とんでもない事を言っていたのが聞こえ、イグネアは仰天した。
「ごめんね。今、あの姫を口説いているところなんだ」
 何を言っているんだ貴様はー! とイグネアは青ざめた。リヒトは美麗な笑顔で姫君たちを一掃して満足そうに戻って来るし、姫君たちは去り際にきつい睨みを飛ばして来るしで、もう一気に帰りたい感が高まっていた。しかしそれも隣に座った眩い騎士様が許してくれないらしい。先程よりも距離が近いのは気のせいではない。
「……そんなに怖い顔しないでよ」
「誰のせいだと思っているんですか」
「それは照れていると見てもいい? それとも本気で怒ってる?」
「どちらかといえば、後者ですね」
 渋い顔で遠慮もなしに意見を述べると、リヒトは怒られている(?)にも関わらず小さく笑っていた。
「俺に対してそんな事言う女性は君くらいだよ。それでいて、俺が迫っても照れない女性も君くらいだね」
「……そうですか」
 だから何だというのだろうか。そういう女性がいいのであれば、さっき追い払わずに構ってやれば良かったのだ。
「でも、そういうのが今はちょっと面白い」
 意外な言葉に、イグネアは渋い顔を和らげた。ちらと視線を向けると、星空を見上げている美麗な横顔が目に留まった。
「さっきのお嬢さん達は可愛いと思うけど、彼女達は“紳士で美形な”リヒトに用があるんだよ」
 美麗な笑顔で微笑みかけられ、甘く優しい言葉で惑わされるのを望む姫たち。彼女達は表面上の自分にしか用がない。作られた笑顔と本気を宿さない心さえあれば、いくらでも相手に出来る。
 けれどイグネアだけは違う。どんなに甘い言葉でも、どんなに優れた容貌でも、彼女は興味を示さないのだろう。それが未だかつてなく、そしてその鉄壁を如何にして崩すかが、リヒトにとって今現在で最高の娯楽となっていた。
「ねえ、君は好きな人はいる?」
「はっ?」
 物思いに耽り出したかと思ったら、唐突にそんなことを聞かれ、イグネアは素っ頓狂な声を出した。というか、問われた所で意味がわからないから答えようがない。好きな人とは……ヒュドールが言っていたような、“好きか嫌いか真っ二つに分けたら”という意味なのだろうか。そうやって分けたら、あまり極端に“嫌い”だと思う人はいないだろう。あのリーフでさえ今は微妙な位置に存在するのだから。
 と、そんな感じで何処かへ意識を飛ばしていたのだが、黄金の瞳がじっと見つめているのに気付いて我に返った。なんでそんなに見ているんだと思って身を縮こまらせると、リヒトが手を伸ばしてきて軽く巻いた髪に触れた。長い指先が髪に絡まっていた紅い花びらを取り上げる。
「もしも君に想い人がいないのなら、俺にもチャンスがあるわけだ」
 花びらに軽く口付けて、リヒトがやんわりと微笑む。というか、例えそんなのがいても覆してやるのだが。
「俺の一言で、君が頬を染める日が来る事を願って……たまには本気を出してみようかな」
「は?」
 一体この人は何を言っているのだろうかと渋い顔をするが、リヒトはお構いなしでさらに距離を縮めてくる。ベンチの背もたれに片腕を乗せちゃって、もう迫る気満々な体勢である。
「ちょ、ちょっとお待ちを。なぜそんなに近づくんですか」
「近づきたいから。ねえ、眼鏡は外さないの? せっかく綺麗な色なんだから、見せびらかしてやればいいのに」
 それは今は全然関係のない話題だと思われ、まったく話がかみ合ってないではないか。しかも眼鏡を奪い取られそうになり、イグネアは大いに焦った。
「め、眼鏡だけはどうかご勘弁を!」
「外すと見えないの? なんだかとても都合がいいね、それ」
 と、何やら想像してリヒトはにやりと笑っていた。なんの都合だ! と突っ込みたい気持ちを抱え、眼鏡を奪おうとするリヒトと格闘しつつ、ここはもう何とかして話題をすり替え、逃げ出さなければ身が持たない。
「そ、そういえばヒュドールはどうしたんですか? 姿が見えないようですけれども!」
 言った途端にリヒトはぴたりと動きを止めた。とりあえず助かった、などとは口に出して言えないが。
「あいつなら、高熱出して寝込んでるけど」
 今度はイグネアが止まる番だった。
「熱?!」
「朝から熱っぽい顔してフラフラしててさ。案の定、昼頃様子を見に行ったら倒れてた。でもって夕方にも行ってみたら、今度は面会謝絶とでも言わんばかり、扉に鍵がかかってた。大丈夫だとは思うけど……何たってあいつの場合、自炊しなきゃ飯も食えないしなあ」
 などとリヒトは若干呑気に話していたが。
 イグネアはさっと青ざめた。その高熱、間違いなく昨日ずぶ濡れになって自分を探していたのが原因ではなかろうか。
 イグネアはその場にリヒトを放置し、騒がしいダンスホールを駆け抜け、一目散にヒュドールの部屋へと走った。 





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