× 第3章 【2+1の恋金術】 14 ×





 眩しさを感じて瞳を開けると、すでに日が射していた。カーテン越しにも伝わってくる日差しの強さが、すでに昼の時候であることを告げている。
 ベッドの上でのっそりと身を起こし、ヒュドールは呆然としていた。いつもと何ら変わらないはずなのに、何かが腑に落ちなかった。室内を見回して、不審な点はないかと探る。怪しいものは何もないが、ただ一つ、開けっ放しのカーテンが気になった。起き上がって近づき、そうして初めて鍵さえもかけ忘れていたのだと気付いた。
 この俺が施錠し忘れる事などあるものか。などと考えるも、そういえば昨日は具合が悪かったと思い出す。たしか朝からだるくて、昼には立ち上がることも出来なくなり……それから記憶があやふやだ。
 そこでまた疑問が浮かぶ。起き上がれないほどの高熱に浮かされていたにも関わらず、どういうわけか身体が軽い。丸一日食事を摂っていないのに、空腹感も無い。ただ一つ、記憶が曖昧なことだけを除けば、普段と何も変わりはない。
 青碧の瞳が施錠し忘れた鍵をじっと見つめる。そういえば、昨夜誰かが立っていたような気がする。けれど夢を見ていただけかも知れないし、定かではない。
 考えながら振り返ると、床に小さな何か落ちている事に気づいた。手を伸ばして拾い上げてみる。
「……花びら?」
 この部屋に花など飾っていない。ではどこから入り込んだのか。
 まだ艶のある花びらの紅い色を見ているうちに、ふっと夢に見た光景がぼんやりと脳裏に浮かんだ。白い服を着て、幽霊のようにのそっと佇んでいた“誰か”は、何だかやたら年寄り臭い話し方をしていたような……?
 そこまで考えて、ヒュドールは眉間にしわを寄せた。この城で年寄り臭い言葉を話す奴など、すぐに検討がつくではないか。夢か現か知らないが、とりあえず真相を探るべくしてヒュドールは身支度を済ませて部屋を出た。

 隣室の扉を叩くと、中からは男の声が聞こえた。あからさまにムッとしたまま扉を開いて踏み入ると、部屋の主である小娘の姿はなく、代わりに小賢しいクソガキの姿があった。
「イグネアならおらぬぞ」
 大きめのソファに寝そべりながら、クソガキ――もといリーフは、不規則な動きをする花びらで遊びつつ、のほほんと答えた。
「なぜお前がここにいる」
 隠しもせず不愉快気に問うと、リーフは身を起こし、ソファの背もたれに身を預けて意味ありげな笑みを浮かべた。
「それは、(わし)とあやつの仲だからだ」
 不敵な笑みが投げかけられた途端、ヒュドールの額に怒りの証が浮き上がった。それはどんな仲だッ! と怒りに任せて声を上げようとしたが、ここで口論に発展させても相手の思うツボである。あのガキは毎回それを狙って、こうして吹っかけてくるのだ。ここは冷静に対処せねば。度重なる激論(?)の末、ヒュドールは着々とリーフの対処法を見出しているのであった。
 それはさておき。
「あいつはどこにいる?」
「さあ? 儂が起きた時にはもう姿が無かったぞ」
 さらっと放たれた言葉に、ヒュドールはさらに反応した。すると何か、貴様は一晩この部屋で過ごしたと言うのか。こいつのことだ、また何か小賢しいことを考えているに違いない――青碧の瞳が心情をそのまま露わにしてねめつけると、リーフは「してやったり」というような笑みを浮かべた。
「お主はガキだのう。そのように表情に出しては、何でもわかってしまうぞ」
「何だと?」
「お主のような小奇麗さならば、もっと良い娘がおるだろうに……何処が良いのか、あやつは随分と好かれておるようだな」
 思い切り上から目線で言われ、しかも意味ありげに笑まれ、ヒュドールの怒りは沸々と湧き上がっていた。なぜそんな事を貴様に言われなければならないのか。というか、本人にさえ伝わっていないというのに、なぜ余計なガキに気付かれなければならないのか。本当に腹が立つ(実際は彼が態度に出すからいけないのだが)。
「まあ良い。ところで……お主、体調が悪いと聞いたが、もう大事無いのか?」
「貴様に心配される覚えはない」
 不機嫌そうに顔を背けたヒュドールに、リーフがふっと笑った。
「成る程、そのような悪態を付けるのであれば問題ない。丁度話もあった事だしな」
「話? 俺にか?」
「ああ」
 言いながらリーフは立ち上がり、ソファの背もたれに手を置いて軽やかに飛び越えると、ヒュドールの傍らに静かに着地した。
 深緑の瞳が、青碧の瞳をじっと見上げる。
 そして、思いも寄らぬ宣戦布告は、あまりにも唐突になされた。
「お主に、あやつは渡さんよ」
 青碧の瞳が見開かれた。
 驚きで言葉を失ったヒュドールを無視し、リーフは言葉を続けた。
「儂があやつに対して抱いている感情は、お主等のように甘ったるいものではない。千年前の事とはいえ、嫁を殺された恨みは忘れてはおらぬ。だがな、それでも儂等はこの世でたった二人、互いを理解出来る存在なのだ。それを……千年も追いかけた相手を、ぽっと出て来た小僧共にくれてはやらぬ」
 その想いは、愛情とは違うし、同情とも違う。この先、この身に負った呪いを抱えて生き続けなければならないのなら――どうしても手放せない存在なのだ。長い時をかけて探し当てた存在を、易々と他者に渡すつもりは無い。
 だが、そこであっさり引き下がるほどヒュドールは軟弱ではなかった。というか、そんなことはどうでもいい。こちらはイグネアの生死を握っているのだ、勝手をされると大迷惑。
「貴様が何を思おうと俺には関係ない。だが、貴様には(色々な意味で)負けるわけにはいかない。覚悟しておけ」
 青碧の瞳が、いつかのように冷徹に見下ろす。
 その視線を受け止めながら、リーフは愉しげに口端を吊り上げた。さすがは魔女の“騎士(ナイト)”、そうでなくては面白くない。
「では、せいぜい覚悟しておくとする」
 ヒラヒラと手を振って、リーフは満足げな表情で退室して行った。
 というか、あいつはなんでこの部屋にいたんだろうか? という疑問だけが解消されず、ヒュドールは不愉快気であった。










 一方その頃、イグネアはというと……リヒトと共に城下町にやって来ていた。
 どういうわけでこういう組み合わせになっているかと言うと、いつものようにやや遅めの、早朝ならぬ昼散歩に出かけた所でリヒトに捕獲され、有無を言わさず付き合わされたのだ。
 ――この間のお詫び、してくれるよね?
 と、爽やか美麗な笑顔で言われてしまっては断ることも出来ず。あれよという間に外に連れ出されていたのである。眼鏡の件でお詫びをすると約束したのは自分なのだから、果たさねば女が廃る。
 城下町は人が溢れていた。この間のリエスタも、何でこんなに人がいるんだというくらいの混雑振りだったが、さすがは王都、その比ではない。しかも王都となればリヒトの庭も同然で、国で一、二を争う有名人の彼は、歩いているだけで注目の的だ。それが一層、イグネアの“帰りたい感”を募らせるが、今はそんな我侭を言える状況ではない。
 しかし。
「……あの」
「なに?」
 おろおろと見上げると、リヒトが上機嫌でこちらを向く。イグネアの心情など微塵も気にしていないようだ。
「あのですね、せめてその、離れて歩いた方が互いの身のためではないかと思われるのですが……」
 真紅の瞳が見つめた先には、しっかりと握られた手があった。
 こうして歩いていて、人々の(特に女性のキツイ)視線が注がれる最大の理由は、この勘違い美形騎士と手を繋いでいることにある。昨晩が夜会だったせいかリヒトは今日も非番らしく、服装は普段着だ。けれどそれでも国内の有名人が歩けば目立つもので、自然と衆目を集めてしまう。それが女連れならば尚更だ。
 こんな風に手を繋いでいたら勘違いをされるだろうし、リヒト自身も困るのではないだろうか。というか、最も困るのは自分なのだが……という気持ちを込めて先程のような提案をしてみたのだが、リヒトは手を離すつもりは全くないらしい。
「だって、この間みたいに迷子になったら困るし」
「そうですか……」
「それに、手を離したらまた何処かへ行くでしょう。昨日みたいに」
「そうですね……って、は?」
 ややずれ落ちた眼鏡を押し上げつつ見上げると、今度は少し怒っているような表情を向けられた。
 彼の表情の意味も、言葉の意味も、イグネアは理解できていない。しかし、リヒトはそれすらも承知していた。というか、この程度で理解出来るようならば面倒くさいことなど何もないのだ。表情は一変し、すぐに笑顔が戻っていた。
「なんてね。本当は俺が繋ぎたいから繋いでるだけだよ」
「……私と手を繋ぎたいなんて、珍しい人ですね」
「? おかしな事言う子だね。俺は楽しいけど」
「た、楽しいですか?」
「とてもね」
 リヒトは終始上機嫌であったが、イグネアの不安感は募るばかり。真紅の瞳がおろおろと見回すと、やっぱり女性の睨みとかち合った。かなり勘違いな人だが、これだけ麗しい顔をしていればそれも仕方がないのだろうなと思う。が、今はそれが何より厄介であったりする。
 しかし当の本人は全く気にもしていない。もうちょっと気にしろと言ってやりたい。……今までの経験からして、意見は取り入れられない可能性がかなり高いが。
「ところで、城下には何のご用なんですか?」
「ああ、ちょっと預け物を取りにね」
「預け物?」
 それが何かまでは知らされず、イグネアはリヒトに連れられるがまま歩いていた。





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