× 第3章 【2+1の恋金術】 15 ×





 人々の痛い視線を受けながらメインの通りを抜け、イグネアとリヒトは商業区にやって来た。王都に住む人々にとって生活の一部ともいえる店がたくさん並んでおり、初めて歩いた町中の様子にイグネアは興味津々だった。たとえば夜会のように意味も無く騒がしいのは苦手だが、こういう人々の活気は嫌いではない。特に何か欲しいわけではないが、時々立ち止まり、硝子越しに店の中をのぞいて見たりもした。
 そうなると当然手を繋いでいるリヒトも立ち止まるわけだが、彼は用事があるにも関わらず文句一つ言わずに付き合ってくれていた。ちなみに、イグネアと一緒になってリヒトが店の中をのぞき見ると、十割の確率で店内の女性たちが見惚れていた。
「楽しい?」
 不意に聞かれ、イグネアは瞬いた。
「ええ、まあ。こうして町中を歩くのは初めてですから」
「それなら良かった」
「?」
 言葉の意味がわからず、イグネアは首を傾げていた。
 商業区は他の二区と違って外部の人間が多いらしく、一般人に混じって旅人や商人の姿も見られる。ゆえに、賑やかな反面問題も多く発生する。時には窃盗なども起こるらしく、そのせいか所々に警備兵の姿も見られ、リヒトとすれ違うと敬礼をしていた。
 昼過ぎの町中は一日の中で最も人出が多いようで、手を繋いでいなければ確実にはぐれていただろう。不安感はいまだ抜けないものの、やはり有難いとイグネアは思っていた。迷ったら、一人では王宮まで帰れなさそうだ。
 そんな、傍目に見れば“ちょっといい雰囲気”な二人だったが、突然聞こえた悲鳴に何事かと振り返った。
「だ、誰かっ! 捕まえてっ!」
 女性の訴えが響いたかと思ったら、何者かが猛烈な勢いで背後から突っ込んできて、見事というか案の定というか、イグネアにぶつかった。咄嗟にリヒトが手を引いたが間に合わず、繋いだ手は離れてしまった。
「ひえっ?!」
 と可愛らしくもない悲鳴を上げつつ、イグネアは弾き飛ばされて盛大に尻をついた。彼女にぶつかったことで、何者か(男)も地面に転がっていた。
 転がっていた男はその場から逃げ去ろうとして慌て、うっかり手放してしまった荷物を手繰り寄せようと手を伸ばしたが……
「逃がすわけにはいかないよ」
「うっ!」
 地面を這っていた手を踏まれ、痛がって表情をゆがめた。見上げると、冷ややかな眼差しを向けてくる麗しい顔があった。
 その一瞬の隙をついて、リヒトが男の手を捻り上げる。男が小さなうめきを洩らした。
「人の物を盗んだ挙句、女の子に怪我させるなんて許せないね。何なら、片腕一本くらい折ってやっても構わないんだけど?」
「ひっ……ど、どうかご勘弁を!」
 ぼそりと呟かれた脅し文句、そして徐々に強く締め上げられる感触に、男はぞっとして青ざめていた。それでも許さんとばかりリヒトは手に力を込めたが、野次馬たちを押しのけて警備兵たちが駆けつけたため、仕方無く手放した。
「お休み中に申し訳ありません」
「いいよ。それより早く連れて行って」
「はい」
 警備兵はリヒトの顔に覚えがあったようで、申し訳なさそうに謝罪していた。次いで盗まれた荷物を持ち主の女性に渡し、事情を聞きたいからと彼女も一緒に連れて行った。去り際、女性は丁寧に一礼をしていた。
 その一連の様子を、イグネアはかなり呆然と眺めていたのだが……
「大丈夫? 怪我はない?」
 地面に座りこんでいたイグネアをいとも簡単に立ち上がらせ、リヒトは先程の厳しさは何処へやら、とても心配そうに様子をうかがっていた。
「えーと、全然大丈夫ですよ」
 はは、と軽く笑ってイグネアは応えたが、腰の辺りに「ぎくっ」とした痛みが走り、気付かれぬ程度に眉をひそめた。どうやらさっきの衝撃で打ってしまったらしい。まあ放って置けばすぐに治るので大事無いが。
 しかしリヒトはそんな事を知らないし、怪我はなくとも危険な目に遭わせたことを気にしているようで、とても申し訳なさそうな顔をしていた。
「俺が付いていながら……ごめんね」
「いえいえいえ、あの、その、そんなにお気になさらずっ。こう見えて私、けっこう頑丈にできているのでっ」
 本気で謝罪されてしまい、イグネアは大いに慌てた。というか、この場合謝るべきなのはぶつかってきたあの男で、リヒトは奴を捕らえたのだからもっと堂々としていいのではなかろうか。ちょっとどうしよう。
「な、なんだか人だかりが出来てきましたし、さっさと行きましょう!」
 野次馬が増え始めたこともあり、場の空気に焦りを感じたイグネアは、リヒトの手を掴んで逃げるように走り出した。

 適当に走って逃げ出したが、運良くかたどり着いた先はリヒトが用のある区域であった。同じ商業区でも比較的人気が少なく、もはや手を繋いでいる必要もないはずだが、どうしてかリヒトは離そうとしなかった。終いにはイグネア自身手を繋がれていることを忘れるほど、自然な状態と化していた。
 さていきなりハプニングに見舞われたものの、ようやく本来の目的を果たす時が来たわけである。預け物を取りに来たと言っていたが何だろうか……と考えていると、それと思わしき店の前でリヒトが立ち止まった。
「やっと到着。はい、どうぞお嬢様」
 いつもの女泣かせスマイルを向けつつ、丁寧な物腰でリヒトが店の扉を開く。若干引きつった表情を浮かべつつ、イグネアは先立って足を踏み入れた。
「おお……!」
 店の中を見回して、イグネアは珍しく瞳を輝かせた。店内に飾られていたのは、数々の骨董品だ。今よりも古い時代のもので、時に相当な値を付けられて売買される。中にはかなり昔のものがあったりするのだ。
「これはこれは……アルマース様、お待ちしておりました」
「どうも」
 イグネアが展示物に魅入っていると、奥から店主と思わしき中年の男性が現れた。店内に並ぶ骨董品の数々に相応しく、とても上品な佇まいの素敵紳士だ。預け物をしているくらいだから顔見知りなのであろう、リヒトは彼と親しげに言葉を交し合っていた。
「ちょっと話してくるから、待っててね」
 という言葉も右から左へ抜けるほど、イグネアはすでに骨董品見学にはまっていた。古いものにはやはり興味が募る。棚の隅から見始め、価値をわかっているような振りをして何度も頷いている。そうして棚の中盤に差し掛かった頃、あるモノを見つけて真紅の瞳が見開かれた。
「こ、こ、これはっ……!」
 小声で驚きを言葉にし、イグネアは“それ”を震える手で取ってまじまじと眺めた。“それ”は、小指の先ほどの大きさをした、七色の光を放つ石の指輪だ。
 七色の石はイグネアがよく知ったものだ。この身に呪いを受けた時、最後にこの石を見たのを覚えている。そうこれは……プレシウに存在していた【奇術師】たちが好んで身につけていた、魔力を秘めた石【ミールス】だ。
 微力ながら発せられている魔力で、このミールスが本物だと確認できる。たしか、この石に様々な術をかけて、時に身を護ったり、時に攻撃の力として奇術師たちは利用していたのだ。たまにおかしな術とか呪いなんかもかけられていたが。
「どうしてこのような物が、こんな所に……」
 ブツブツと呟きながら、イグネアは色々な角度から指輪を眺めた。そして見た感じで明らかに大きさが合わないと確信したのをいい事に、興味本位で左手の中指にはめてみた。やはり合わないなーなどと呑気に考えていたのも束の間、ゆるかった指輪はみるみる内に縮んでゆき、イグネアの指に見事ぴったり合ってしまった。
「あっ……!」
 しかもものすごい密着感で、抜こうにも抜けなくなってしまったのだ。これは明らかに何か術が施されていると肌で感じた。さすがは奇術師愛用のアイテム、どういう理由でこうなるのか不思議である。
 などと呑気に考えている場合ではない。この指輪は売り物であって、早く元に戻さなければいけないのだ。
「何してるの?」
「ひいいいいっ!」
 突然声をかけられ、イグネアは幽霊にでも出会ったかのような悲鳴を上げた。青ざめて振り返ると、悲鳴に驚いたらしいリヒトが唖然として立っていた。
「ちょっ……なにその悲鳴は」
「いえいえいえ、何でもありませんよ!」
 さっと左手を背後に隠すが、リヒトは見逃さなかった。素早く手を伸ばし、隠した手を持ち上げる。
「ああっ!」
 左手を取られ、イグネアは慌てた。そして指輪がはめられている指を見て、リヒトと店主は瞳を見開いた。
「おや」
「これは」
「そ、その……あの……どういうわけか、抜けなくなってしまいまして。悪意は決してないということだけ、信じていただきたく……」
 イグネアは歯切れ悪く説明をした。盗もうとしていたと思われたら最悪だと考えてのことだが、逆に怪しさ倍増となっていたりする。
 どうやら言っている事は本当らしい。一応抜いてみようとリヒトは試みたが、尋常でない何かが働いて指に密着しているようだ。
「欲しかったの?」
「そうではないんです。そ、その、綺麗だなと思っていただけで……」
 まさかプレシウの話をするわけにもいかず、イグネアはまたしても歯切れ悪く言い訳をした。おろおろと見上げると、リヒトが困ったような諦めたような笑顔を浮かべていた。
「“これ”も代金に加えておいて」
「少々値が張りますが?」
「いいよ」
 店主がそっと申し出た金額は確かに少々高めだが、支払えない金額ではないし、抜けなくなってしまっては仕方がない。ちなみに騎士であるリヒトだからこそ払える金額であって、一般人ではちょっと厳しい値だったりする。
 そんなリヒトと店主のやり取りを聞いて、仰天していたのはイグネアだった。なんだこのつい最近経験したのと似たような展開は。
「お、お待ちください! それはいけませんてば!」
「いいって。せっかくだから贈らせてよ。ねえ?」
 と、リヒトが何やら意味ありげな笑みを浮かべて店主に同意を求めた。店主の方も何やら意味ありげな微笑で応えている。なんだその通じ合いぶりは。
「この石は【ミールス】と言って、かの有名なベルルム大戦時代に重宝されていたものだそうです。不思議な力が宿るとも言われておりまして、お嬢様に出会ったのも何かのご縁なのでしょうね」
 素敵な紳士は穏やかな笑みをイグネアに向けた。ご縁って言うか、何やら嫌な術にかかったような気がしてならないのだが。というか、今はそんな素敵な出会いを喜んでいる場合ではなく。
「まあ、確かに魔(術師)除けにはなりそうだね」
 もう一度イグネアの手を眺めつつ、リヒトが満足げに言う。どうやら指輪をはめている場所に意味があるようだが、イグネアには何のことやらさっぱりである。
「は? 何を言って……って、ひいっ!」
「また来まーす」
 有無を言わせず手を引かれ、イグネアは半ば引きずられるようにして店を後にした。素敵紳士な店主は、にっこり笑顔で手を振って見送ってくれていた。


 骨董品の店をずいぶんと離れた頃には、すっかり日が傾きかけていた。イグネアは何度も戻ろうと訴えたが、リヒトは頑として聞かず、気付けば王宮に程近い公園まで来てしまっていた。
「なんだかもう……本当に毎度毎度ご迷惑ばかりおかけして……申し訳ないです」
 がっくりと項垂れ、イグネアは呟いた。なんかもう自分がひどく情けなかった。だいたい“あの”奇術師どもが愛用していた石だ、何かあるとか先に気付けなかったのだろうか。しかも、こうして余計な出費をさせたのも一度ならず二度となれば、さすがのイグネアも大いなる自己嫌悪に陥った。自分で支払うからと金額を聞き出そうとしたが、リヒトは教えてくれなかった。前回の“お詫び”で一緒に来たはずが、さらに迷惑をかけてどうするのだ全く。
「ねえ」
 声をかけられて顔を上げると、リヒトはいつの間にか傍のベンチに座っていた。
「君はさ、俺が迷惑がってると思ってる?」
「はい……」
「そう。でも俺は少しも迷惑だと思ってないんだよね。女性にはいつでも笑顔でいて欲しいし、そのために出来る限りのことはする。それで喜んでもらえたら俺は嬉しいよ」
 やんわりと笑って、リヒトは胸元から何かを取り出した。
 なんだろうと思い、イグネアは近づいて彼の手元をのぞき込む。リヒトの手に包まれていたのは――
「おや、素敵な懐中時計ですね」 
「修理を頼んでいたんだよ。母親の形見なんだ」
「形見?」
 イグネアが首を傾げると、リヒトはあっと声を上げた。
「今度は本当だよ」
 どうやら眼鏡の時に嘘を吐いた事を言っているようだったが、イグネアの脳裏からはすっかり忘れ去られていたりする。
 形見という事はつまり、リヒトの母親はすでに故人ということになるわけで。ここまで美麗な青年の母とは、一体どんな美女だったのだろうか。
「俺の両親、子供の頃に離縁しててね。母は女手一つで俺を育ててくれたんだ。とても綺麗な人だったから言い寄る男も山のようにいたけれど、どうしてか再婚しようとはしなかった」
 たった一人を愛していたからこそ、そして他ならぬ自分のためだったと知ったのは、残念なことに他界した後だったけれど。母が大切にしていた懐中時計を見つめながら、リヒトは思い出を懐かしむように言葉を続けた。
「子供ながらに、母が苦労をして育ててくれている事はわかっていた。だから、自分が働けるようなったら楽をさせてあげたかった。それで騎士を目指した。立派な職に就くためにはそれなりの努力が必要だけど、それも苦にはならなかった」
 今でも鮮明に思い出せる、あの華やかで穏やかな笑顔。その笑顔がずっと見られるならばどんな苦労も辛くはなかったし、それが永遠に続けばいいと思っていた。……しかし。
「ちょうど士官学校を出て、いよいよ王宮に仕えるって時に母は亡くなったんだ。それまでの苦労が身に還って来たみたいで……まだ若かったのに」
 これまで苦労を強いてしまった分、思い切り贅沢な暮らしをさせてあげよう。そう思っていた矢先の事だった。
 行き場を失った想いは、数々の女性を相手にすることで解消されているように思えたが、一度だって満たされた気持ちにはなれなかった。
「……って、なんでこんな話してるんだろうね」
 イグネアがきょとんとしていると気付いて、リヒトは苦笑した。
 その少し辛そうな表情はいつもからかってくる時とはまるで違っていて、見てはならない一面であったような気がしてイグネアはほんのり戸惑った。こういう時に何と言ってあげたらいいのだろうか。大切に思う人を失う気持ちは自分にはわからない。嫁を失ったリーフも、今もこんな風に想い続けているのだろうか。
 「あー」とか「うー」とか変なうめきを発しつつ必死に思考を巡らせるが、言葉が出て来なかった。気付いた時には無意識に手を伸ばし、夕日色に染まった柔らかな髪に触れていた。
「あなたの気持ちは、きっと届いていると思います。忘れられることなくずっと想われているなんて、お母様は幸せですね」
 まるで子供にそうするように。リヒトの頭をぎこちなく撫でつつ、イグネアは曖昧に笑った。自分は親の顔も愛情も知らないし、誰かに想われた事もない。だから、死してなお記憶に留め、想い続けてくれる人がいるということが少し羨ましく思えただけ。自分は、死んで喜ばれた存在だったから。
 黄金の瞳は驚きで見開かれていた。けれど、すぐに力失せて細められた。
 頭を撫でていた手を取ってそっと握ると、リヒトは真紅の瞳をじっと見つめた。自分でも、なぜ話す気になったのかわからない。けれど、美麗な笑顔でも甘い言葉でも騙せないこの少女には、無意識に“真実”しか見せられなくなってしまう。
「君は不思議な子だね。臆病なのかと思えば強気だし、何も知らないかと思えば妙に達観したような事を言う。年下なのに年上のように感じることもある。ねえ、本当の君はどれ?」
「あうっ、そ、その……」
 わずかにずれた眼鏡を空いた手で正しつつ、イグネアは口ごもった。のほほんとしているかと思えば、時々こうして痛いところを突いてくる。さすがは一国の騎士様、洞察力が鋭い。
 なんと答えようかと戸惑っていると、握られていた手に力を込められ、引き寄せられた。驚いて真紅の瞳が見下ろすと、甘く惑わすような、熱を帯びた黄金の瞳が見上げていた。
 何だかここ最近で似たようなのを二回ほど受けたような……などとイグネアは心の片隅で考えていた。しかしやはりむず痒さを感じて身じろぐと、リヒトはそれ以上何かするわけでもなく、いつものような爽やか笑顔を返してきた。
「そろそろ帰ろうか」
「は、はあ……」
 一体何がしたかったのだろうか、とイグネアは渋い表情を浮かべていた。が、はっと指輪のことを思い出し、先行くリヒトの後を慌てて追った。しまった。うっかりはぐらかされる所であった。
「ちょっとお待ちをっ。まだ話は済んでいませんてば!」
 案の定、前回と全く同じやり取りが王宮に帰るまでしつこく続くのだった……。





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