× 第3章 【2+1の恋金術】 17 ×





 ヒュドールの制止も聞かずに脱兎のごとく部屋を飛び出したイグネアは、術師棟から通路で繋がっている騎士棟へと走り、その辺にいた女官やら兵士やらを捕まえてリヒトの部屋を聞き出した。運良くか彼の自室は走っていた通路上にあったらしく、そのまま真っ直ぐ進んで目的の部屋で止まる。
「しし、失礼をば!」
 どんどんと形ばかりのノックをして、返答も待たずに扉を開くと、部屋の主は在室しており、すぐにその姿を確認できた。ソファに寝そべってまったりしていたらしい。
 イグネアに気付いたリヒトは起き上がり、ものすごい上機嫌な笑顔で近づいてきた。
「あれ、わざわざ会いに来てくれたの? 嬉しいな」
 いきなり勘違いした発言をされ、イグネアは思い切り渋い顔をした。
「どうしたの? あ、わかった。寂しくて眠れないんでしょ。だったら今夜はここに泊まっていく?」
「なな、何を言ってるんですか。そんなわけないじゃないですか」
 イグネアは早く帰りたい感を募らせていた。何でこの人はこう勘違いばかりするのだろうか。と、今はとりあえずそんな事どうでもいい。
「それより! こここ、婚約ってどういうことですかっ?!」
 左手の指輪を指し示しながらイグネアが憤ると、リヒトは「ああ」と意味ありげに笑んだ。
「どうもこうも、仕方ないじゃない。知らずにその指にしたのは君だし」
「はうっ!」
 言われてみるとたしかにその通りだ。しかもリヒトは失態の後始末をしてくれたのだから、文句を言われる筋合いは全くもってなく、むしろ感謝すべき相手なのだ。でもでも、知っていたなら教えてくれれば良かったではないか。
「それとも、何か都合が悪いとか?」
「そういうことでは……」
「俺と婚約するのは、そんなに嫌?」
「そういう話では……って、な、なにしてるんですか」
 はっと気付いた時には両手を握られ、持ち上げられていた。見上げると、ほんのり切なそうな捨てられた子犬のそれに似た、卑怯極まりない表情でリヒトが間近に立ってるではないか。
「俺は全然構わないよ。むしろ独占できて嬉しいな」
「はあっ?」
「君は十六だから結婚するにはあと二年必要だけど、待ちきれないから今すぐ籍入れちゃおうか?」
「ちょ、ちょっとなにを言って……」
 異様に近づかれてイグネアはたじろいだ。逃げたくとも両手をしっかり握られていて動けない。腰だけが引けてとてつもなく無様な格好になっていたりする。というか、待ちきれないから今すぐって……人々の手本となるべき騎士が、そんな法律を無視した事言ったらダメだろうが。
 などと、意識を飛ばしていると……
「そこまでだ」
 氷点下の声色が響き、イグネアもリヒトもぴたりと動きを止めた。同時に声のした方を向くと、腕組みをして仁王立ちする白銀の魔人様がいらっしゃった。
「今日はお客さんが多いね」
 せっかくのいい所(?)を邪魔され、リヒトはやれやれと肩をすくめてイグネアの手を離した。
 解放され、ある意味の救世主登場にイグネアはほっと息を吐いたが、何でかヒュドールに睨まれて案の定怯んだ。
「……外へ出ていろ」
 ヒュドールが顎をしゃくって退室を促したのはイグネアだ。なんだか未だかつてない怒りのオーラを振りまくヒュドールからはかなりの危険を感じ、このままではもしやリヒトが殺されるかも知れないと思った。もしも自分が出て行ったら、それこそ氷漬けにされてそこの窓から捨てられてしまうのではなかろうか……などとブツブツ言っていると。
「いいから早く行け!」
「はいぃぃ……」
 このままでは私が殺されてしまう! おかしな返事をしながら、イグネアは小動物のごとき素早さで逃げて行った。

 さて室内に残った美形共はというと。
「アイツは遊びで相手にするような女じゃない。それなのに、どういうつもりだ」
 先制攻撃をしかけたヒュドールに、リヒトは軽く息を吐きつつ余裕気に瞳を細めた。
「なんかさ、あの子不思議だよね。若くて幼いかと思えば、妙に大人びて見えたり。普通の娘とは違うなと思ってたけど、やっぱり独特の雰囲気がある。だから興味が湧くんだよね」
 ヒュドールは内心でちょっと感心していた。さすがこの俺の相棒を務める奴だ、なかなか鋭い(俺よりは劣るが)。とはいえ、ここまで鋭いとそのうち色々と感付かれるのではないかという不安もある。
「あの子には“表面”じゃ通用しないんだ。いつの間にか“真実”が出てる」
 それがとても気楽で心地よく、忘れた感情を久々に思い出させてくれた。自分でもこんな気持ちを抱くなんて(これっぽっちも)思っていなかった。
「悪いけど今回は遊びじゃないよ。俺、あの子のこと本気で手に入れようと思ってる」
 挑発するでもなく、リヒトはただにっこりと笑った。
 リヒトの言葉を聞いても、ヒュドールは思いのほか冷静だった。というのも、彼の気持ちが少しわかるからだ。
 ちょっと見た目がいいというだけで、女共はこちらの意思を無視した行為をする。そういう奴ばかりではないが、“見た目”にだけつられている女がほとんどだった。それはリヒトに対してもそうだろうし、だからいつもそういう女には嘘くさい笑顔で接しているのだ。無視しないだけ大したものだと感心するほどに、だ。
 だが、イグネアには自分達の見た目など関係がないし、むしろ知らぬうちに素で接してしまうのだから、そういう所に惹かれた気持ちは理解出来た。
「だが、どう見てもあの指輪は同意の上とは思えない」
 冷ややかに見据えられ、リヒトは観念して肩をすくめた。
「まあねー。残念な事に、あれは事故なんだよ」
「事故?」
「骨董屋で見つけたんだけどさ、興味本位でつけてみたら取れなくなっちゃったんだって。俺も抜いてみようとしたけど、尋常じゃない力で密着しててダメなんだよ。で、仕方ないからお買い上げってわけ」
 ヒュドールは額に手を当てて溜め息を吐いた。たしかに本人もそんなような事を言っていたが……あの小娘は何でそういうトラブルを巻き起こすのだろうか。少しは気をつけろとあとで言っておかねば。
「何でもとても珍しい石みたいだよ。たしか【ミールス】って言ったかな。あのベルルム大戦時代に重宝されていた石だとか」
 “ベルルム大戦”と聞いて、ヒュドールはなるほどと理解した。見覚えがあって懐かしく思ったのか、それで興味を抱いたのだろう。以前リヒトも言っていたが、もう少し警戒心を抱けないのだろうか。だから隙に付け入られるのだ、全く。

「話戻すけど」
 リヒトの声でヒュドールは何処かに飛ばしかけていた意識を戻した。
「俺が貰っちゃってもいいのかな?」
 今度は思い切り挑発するような笑みを向けられ、ヒュドールはムッとする。そうされる意味をすぐさま理解したからだ。
 恐らくここで曖昧にすれば、こいつはいい気になるに違いない。無意味に勝ち誇られるのは癪に障る。
「選ぶ権利はアイツにあるが、易々と渡すつもりは微塵もない」
 そういえば、昼間にも似たようなやり取りがあったと思い出したついでに、あの小賢しいクソガキの余裕ぶった顔が脳裏に浮かび、ヒュドールは若干不愉快な気分に陥っていた。
「ふふ、いい答えだ。それでこそ我が相棒」
 珍しくはっきり言ったヒュドールに、リヒトは満面の笑みを浮かべた。そして一つ気がかりだった事があったと思い出す。いつだったか、言おうと思ってやめておいた話だ。その素直さに免じて正直に教えてやろう。勝負はフェアでなければ面白くない。
「言っておくけどさ、俺、あの子にまだ何の手出しもしてないから」
 というか、あまりに頑なで手出し出来ないというのが現実だったりするのだが。
「は?」
「ま、“何を”見たかは知らないし、信じなくてもいいけどさ。さて、話は終わったから帰った帰った」
「ちょっと待て、おい」
「俺は昨日の夜会でお前の分まで愛想振りまいて疲れてるんだよ。『ヒュドール様は?』ってもう何回聞かれて同じ答えを言ったことか。最近面倒なんだよねー、ああいうの」
 こいつが大好きな夜会に出て疲れるなんて、天変地異の前触れだ……! などと呑気に考えている隙をつかれ、ヒュドールはあっという間に部屋の外へと追い出されてしまったのだった。





 二人の闘い(?)が始まってから早一刻が過ぎた。
 部屋を追い出された後、イグネアは自室へ戻らずに騎士棟と術師棟の境目の辺りで通路に屈み込み、ヒュドールが戻ってくるのを待っていた。リヒトの部屋の前にいようかと思ったが、出てきた途端に睨まれそうな勢いだったし、かと言ってリヒトの命が危うい状況で自室でまったりしているのもどうかと思い、微妙な位置で待機しているのである。理由は何でか知らないが、ヒュドールが怒っている原因はやはり自分にあるらしいから仕方がない。そして、何を隠そうヒュドールを待っている最大の理由は、迷って部屋に帰れなくなったからだ。
 それにしても、毎度毎度何かしら問題が起こって頭が痛い。ミールスに呪われた(とは決まっていないが)だけでなく、まさかいきなり婚約とか、そういう話になるとは思ってもみなかった。あの時、リヒトと素敵店主が何やら怪しげに笑い合っていたのはこういう理由があったからか。だったらその場で教えればいいだろうが全く。
 はあ、とイグネアは溜め息を吐いた。このうえリーフに知れたら、またなにか毒を吐かれそうだ。そう考えると気が重い。
 夜の通路は人気がなく、小さな【魔光燈】が備えてあるとはいえ薄暗く、そして肌寒い。膝を抱えて俯いていると、不意に何者かの影が覆い、床がいっそう暗くなった。見上げると、ものすごく渋い顔をしたヒュドールが立っていた。
「何処に行ったかと思えば……こんな所で何してる」
「お、おぬしか……」
 思わずいつもの調子で“プレシウ訛り”を使ってしまい、あっと口を押さえた。とりあえず今は人気がないとはいえ、ここは公共の場なのだから気をつけなければ。
「ええと……お帰りをお待ちしておりました」
「は?」
 ヒュドールは遠慮なしに眉をひそめた。イグネアはうっと怯んだが、ここで負けたらプレシウの魔術師が廃る。
「その、あまりにもお怒りのご様子でしたので、人でも殺めぬかどうかと思っておりまして」
 要するに、怒りに任せてリヒトを殺すんじゃないかと危惧していたという事か……と即座に理解したヒュドールは、若干不満そうに視線を逸らした。なぜ心配するのが向こうなんだか。
「俺がそんな下らない理由で殺人事件を起こすほど低能な人間に見えるか?」
「とんでもないでございます……」
 どうやら機嫌はまだ直っていないらしい。異様な威圧を感じ、イグネアは言葉に困って視線を泳がせていた。だいたい、そんな事を言いつつも以前殺人しかねない状況に陥っていたのは何処の誰だか。
「そんなに気になるなら、行って見て来ればいいだろうが」
 若干すねた感じでぷいっと顔をそむけ、ヒュドールはさっさと歩き出した。
 イグネアはあっと慌てた。まずい、ここで先に行ってしまわれたら、部屋に帰れなくなってしまうではないか。
「お、お待ちをっ!」
 焦りながら急に立ち上がろうとすると、身体に衝撃が走り、イグネアは一瞬のうちに顔色を変えた。そのまま倒れそうになり、気付けばヒュドールの背中にしがみ付いていた。
 一方、突然背後からしがみ付かれたヒュドールはというと、踏み出した足を止め、固まっていた。一瞬思考が停止した。どういうことだ、何でこんな状態になっているのだ。なにより、なぜ俺はほんのり緊張しているのだ。
「おい……」
 どうしたのかと問いかけようとしたが、服を掴む手に力がこもり、その手が微かに震えているように感じられた。
 夜の静寂に、ぼんやりとした【魔光燈】の優しい光。
 なんだろうか、このちょっとイイような雰囲気は。
「ヒュドール……」
「な、なんだ?」
 くぐもった声で名を呼ばれ、ヒュドールは上ずった声で返事をした。
「こ……」
 その先に続く言葉に、息を呑んだ。


「腰が、いたい」


 あのリヒトでさえ無理なのだから、甘い雰囲気になど発展するはずもなく。
「…………は?」
 思い切り眉をしかめ、ゆっくりと振り返ると、イグネアは青ざめて痛みを堪えていた。というか、何なんだその年寄りくさい発言は。
「なんで痛いんだ。アンタは腰痛持ちか?」
「うっ、実は昼間転んだのだ……」
 相当痛いのか、イグネアはちょっと動かすだけで表情をゆがめている。そういえば、彼女のこういう表情は、初めて腕を焼かれているのを見た時以来だった。そうしてはっと思い出す。こいつは怪我や病気はすぐに完治するはずだったが。
 とはいえ色々考えても仕方がないし、ここで立ち止まっているわけにもいかない。なんだかもう老婆を相手にしているように思えてきたのだが。
「歩けそうか?」
「む、無理だ……」
 ううっと唸って、イグネアはまた顔をしかめた。
 仕方ない……ヒュドールは諦めたように溜め息を吐き、軽く身を屈めた。
「乗れ」
「ううっ……すまない」
 心底申し訳なさそうに背にもたれると、ヒュドールは意外とあっさり背負ってくれた。それにしても、これは久しぶりに本気で痛い。
 イグネアを背負ったまま、ヒュドールはなるべく刺激を与えないようにと歩いてくれた。人がいる時間帯ならば衆目を集めそうな状況だが、運良くか夜間の為に周囲は静まり返っている。
 その静寂と、ちょっと怒っているようなヒュドールの雰囲気に耐え切れず、イグネアは何か話さなければと口を開いた。
「おぬしは、優しいのか怖いのかよくわからないな。それに意外と面倒見がよい」
 いつも怒っている(というか怒られている)から、習慣づいて怯んでしまうが、時折こうして面倒を見てくれるところが、意外と良心的だと思う。
 無言で聞いていたヒュドールだが、“意外と”は余計だと内心で舌打ちをしていた。
「普段から良い面を見せていれば、娘どもも喜ぶのではないのか?」
 リヒトのようにとまでは言わないが、もう少し愛想良くすればいいのに。そうすれば、常日頃から与えられいる威圧感も緩和されて大変都合が良いのだが。
 イグネアの言葉に、ヒュドールは若干苛々していた。なんで今ここでそんな意見をされなければならないのだ。どうでもいい娘共に喜ばれて嬉しいわけがないだろう。だいたい、なんで世話を焼いてやってると思っているんだ。腹が立つほど鈍感だ。
 そもそも、怒るにしろ世話を焼くにしろ、ヒュドールが表情の変化を見せること自体、それだけ相手が特別ということなのだ。どうでもいい人間に対しては無関心極まりなく、相手にもしない。イグネアでなかったら、間違いなくあの場に置き去りにしていたはず。
「……世話を焼くのは、アンタのことが好きだからに決まってるだろう」
 別に返事が欲しかったわけではないのだが、奇妙な沈黙が漂い、もしやと思ってそっとうかがってみると……
「この状況でよくも寝やがったな」
 人の背中ですっかり爆睡し始めたイグネアを見て、俺はなんでこんな面倒な女が好きだとか言ってるんだろうか、と若干疲労を感じつつ、ヒュドールは盛大な溜め息を吐いた。





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