× 第4章 【炎と烙印】 1 ×





 太古の昔、魔術師達の聖地プレシウには【カディール】と呼ばれる魔鳥が存在した。七色の翼と、銀に輝く長く美しい尾。その鳴き声はまるで歌声のように透明で儚いという。
 しかし、見た目の美しさに反して性格は獰猛。その翡翠の瞳に映った獲物は決して逃がさない。ゆえに最も凶悪な害鳥とされていた。
 美しいものには棘があるというのは今も昔も変わりなく、カディールは自己防衛の力を持つ、賢い鳥であった。羽根の一枚一枚、銀糸を束ねたような尾には敵を麻痺させる液を分泌し、口からは紅蓮の炎を吐き出す。鋭く尖った鉤爪は肉を抉り、襲われたら一溜まりもない。
 それでも、かつてカディールは魔術師達に乱獲されていた。その体内を流れる血には、あらゆるものを癒す万能の力を備えていたのだ。

 恐ろしく、美しく、万能の力を備えた鳥。
 カディールはあらゆる意味で“魔”と呼ばれていた。



◇     ◇     ◇



 リトスはとても穏やかな町だ。周囲の環境のせいなのか知らないが、町民は揃って呑気で気さくな性格をしており、余所者に対してもまるで昔馴染みのように接してくれる。約一名を除いてだが。
 数か月前にリトスにやって来たイグネアとリーフ、そしてモルの三人は、奇術師の末裔であるオンブル=ベルンシュタインを脅し、半ば強引に彼の屋敷に住み着いた。プレシウの魔術師である自分が協力してやる代わりに、イグネアをメイドとして雇え……と脅しをかけたのは勿論リーフである。
 突如現れた少年少女と変な青年を、人嫌いで余所者嫌いのオンブルが易々と受け入れなかったとは想像がつくだろう。
 しかし、オンブルはリーフの話し方に明らかな興味を抱いた。彼は自身の先祖が存在していた【プレシウ】の魔術師に強い興味を抱いており、何の役に立つのか全く持って未知ではあるが、独自で研究を続けていたのだ。だから当然“プレシウ訛り”のことも知っていた。
 プレシウといえば、千年の昔に存在していた土地である。その時代に存在していた魔術師が生きているわけがない。嘘を吐いていると思われても仕方がなかった。
 だからと言って、リーフが簡単に諦めるなんて有り得ない。貴様の先祖に騙されて呪いをかけられた。だから今なお生き続けているのだから、貴様が代わりに呪いを解け、などと言いつつ、抜き身の剣を鼻先でちらつかせつつオンブルを脅したのだ。
 しかし、それでもオンブルは完全には信じなかった。本物のプレシウの魔術師だというならば、これから質問する事に全て正解しろと謎解きをしかけてきたのだ。それが出来たら条件を呑んでやろうと。
 だが相手は正真正銘、本物のプレシウの魔術師。結果、リーフは「そのような下らん事を聞くな」と所々で嫌味を交えつつ全問正解し、晴れて三人は屋敷の居候となったわけである。
 さて、それならばメイドとして働く意味はないのではないか? とイグネアは一人考えていたのだが……やはりというか、世の中はそんなに甘くないのである。



 リトスの朝は爽やかだ。海風が少し冷たいが、とても気持ちがよい。都では味わえない新鮮な空気は、この自然環境こそが作り出せる産物と言っても過言ではない。
 リトス一の面積を誇るベルンシュタイン邸の庭では、早朝からメイド娘がせっせと洗濯物を干していた。この眼鏡におさげの地味な娘が、まさかかつてこの大地で猛威を振るっていた【炎の魔術師】だなどと、屋敷の主人でさえ思っていないだろう。
「よし、終わり」
 全ての洗濯物を干し終え、イグネアはふうと一息吐いた。
 メイドの朝は早い。それこそ屋敷の誰よりも早く起きて、様々な仕事をこなさねばならない。が、早起きが大の得意というか、むしろ特技と言って良いほどであるイグネアには何の苦にもならなかった。
 洗濯が終わったら次は朝食である。空になった洗濯かごを抱えて屋敷に戻ったイグネアは、その足で無駄に設備の整った厨房へと向かった。フリルのついた白いエプロンをしてせっせと支度に勤しむ。手つきも何となくそれっぽい辺りが驚愕すべきポイントだ。最初の頃こそ危うかったものだが、さすがに半年近くもやっていれば慣れもする。
 朝食の支度を終える頃、決まって最初に姿を見せるのはリーフだ。と言っても、この屋敷内で所在がはっきりしているのは彼だけだから仕方がない。
 若干寝ぐせのついた髪と、たった今起きてきました的な表情という油断しまくりな雰囲気は、その辺にいる年相応の少年と何ら変わりはなく、年上のお姉様などが見たら間違いなく可愛いとか黄色い声で言うのだろう。というか、これがまさかかつてこの大地で猛威を振るっていた【風の魔術師】だなどと誰も思わないはずだ。
 がしがしと頭を掻きつつ、朝食の並べられたテーブルをじっと見ていたリーフだが……
「また野菜のスープ……」
 不満を言いやがった。
「し、仕方ないじゃないですか。まだこれしか作れないんですし。ほ、ほらモルさんなんか、文句も言わずに食べてますよ、ねえ?」
 と、いつの間に現れたのか、すでに席について黙々と野菜のスープを食べているモルに話を振った。唐突に話を振られてもモルは無言で佇んでいたが、ふと手を止めて顔を上げ、ぼそりと一言呟いた。
「……美味しい」
「でしょう? ミリアムさんから教わったんですから、美味しくないわけがない!」
 ちなみにミリアムさんとは、近所に住んでいる若奥さんの名前である。かつて自炊らしき自炊などしたことがなかったイグネアだが、この数か月で何とか食べられる物が作れるようになった。それもこれも、そのミリアムさんのおかげだったりする。ミリアムさんはとても気さくな女性で、その他にもイグネアに色々教えてくれる、大変ありがたい方なのだ。
「確かに美味(うま)いが……だからと言って、毎食同じメニューだと飽きるぞ」
「野菜は身体にいいんですよ。好き嫌いはよくありません」
 イグネアが腰に手を当てて意見をすると、リーフは溜め息を吐いた。
「……お主は(わし)の母親か」
 若干うんざりしたような顔で渋々席につき、のろのろと食事に手を出し始めた。これが下手に美味いもんだからタチが悪いのだ。こんな事なら王宮にいる間、ヒュドールにでも料理を教えさせれば良かった……と後悔するが、もう遅い。
 それから数分が過ぎると、ようやく屋敷の主人であるオンブルがのっそりと現れた。もはや寝ぐせとは言い難いほど鳶色の髪はボサボサ、眼鏡の奥の目つきは暗い。長身であるにも関わらず猫背で、着込んでいる丈長のコートのせいで全体的に重苦しい感じがする。しかしこれは朝だからというわけではない。これこそが普段の彼の姿なのだ。朝も昼も夜も関係なく、いつもこんな感じだ。さすがは奇術師の末裔、見た目からして奇抜である。さらにこんなんで町一番の権力者なのだから信じられない。と言っても、特別彼は何もしていなく、単に金回りがいいから町長をやっているに過ぎない。要するに単なるお飾りだ。
 さてようやく全員揃ったわけだが。
「また野菜のスープか……」
 案の定、また不満を言いやがった。
 眼鏡を軽く押し上げつつ、オンブルは重苦しい溜め息を吐いた。琥珀の瞳がうんざり気にイグネアを見遣る。
「もう少しレパートリーを増やしてくれ。毎食同じメニューでは飽きる」
 しかも下手に美味いもんだから始末に悪い……などと嫌味を付け加えつつ、オンブルはいかにも屋敷の主人っぽい口調で言った。まあイグネアは屋敷の雇われメイドであって、主人であるオンブルに色々と言われるのは仕方がないことである。言ったところで全く通用していないのがなんとも悲しいが。
 その後もしばらく、オンブルはブツブツと文句を言っていたのだが。
「やかましい!」
「……ッ……!!」
 隣に座るリーフにスネを蹴られ、悶絶していた。
 イグネアが【紅蓮の魔女】であるという事実を(当然)知らないオンブルは、彼女をただの鈍臭い小娘だと思っているらしく、かなり高圧的な態度を取る。しかしリーフには日々散々脅されているせいか、それとも崇拝する(?)プレシウの魔術師であるせいか、彼に対しては割と従順である。実年齢は違えどもリーフの見た目は十五歳。三十四の男が少年に頭が上がらない様は、傍目になんとも情けないものである。
 不満を言いつつも、リーフもオンブルも結局は出された食事を平らげるのだ。だったら最初から文句を言わなければいいのに、とイグネアは心中で溜め息を吐いた。無口でとっつき難いが、文句も言わないモルの方がはるかにマシだ……などと考えつつちらと視線を向けると、またしてもいつの間にかモルは姿を消していた。しかも食事は綺麗に食べ終わっている。これもいつもの事だ。
 モルは普段、どこで何をしているのか不明である。屋敷内に部屋は与えられているが、常にそこにいるとは限らない。怪しいといえば怪しいが、だからと言って悪人というわけでもない。単に謎が多いだけで特に害はないし、外に出るときはしっかり付き合ってくれるし、さりげなく助けてくれることもあるし、イグネアも彼の謎をさほど気にしてはいなかったりする。
 食事を終えると、オンブルはまた地下に潜っていった。屋敷の地下は彼の住処で、資料室やら研究室やら実験室やら、何やら怪しい部屋が多数存在する。日々おかしな魔術開発にも勤しんでいる模様だ。勝手に入ると怒られるため、イグネアはお茶を運ぶ時以外滅多に近寄らないが、リーフは頻繁に足を運んでいたりする。これも呪いのためであろう。というか、リーフは何をしても許されるだけだが。
 そんな感じでオンブルは日々地下にこもり、全くと言っていいほど外出はしない。町民が訪ねてきても応対するのはイグネアである。面倒だから自分で出て欲しい……などと居候の身では口に出して言えないが。

 さて、メイドは一日中忙しい。朝食が終わったら片付けて、今度は屋敷の掃除である。無駄に広い面積のおかげで、一日で屋敷中を掃除することは不可能なため、いくつかに分けてやることにしている。それでも掃除だけでほぼ一日費やしてしまうのだ。
 絞った雑巾片手にせっせと窓拭きをしていたイグネアは、ふと前任のメイドさんは大した人だなと考えた。これらの仕事を全て一人でやっていたのだろうし、あの“やや”変人のオンブルとよく付き合えたものだ。
 などと考えつつ掃除に勤しんでいると……突然、外で鐘の音が鳴り響いた。派手に打ち鳴らされる早鐘は、町に危険が近づいている事を知らせるものだ。
 ここ数年、リトスでは頻繁に鐘の音が鳴り響く。その原因は魔物の襲来である。
 鐘が鳴ったと同時、屋敷内も騒がしくなった。バタバタと慌ただしく駆け回っているのはリーフだ。
 雑巾片手にイグネアが玄関まで走っていくと、リーフが出ようとしている所であった。外套を羽織り、剣を背負い、細腰に巻いたベルトには短剣が数本と小さな鈴のようなものが下がっている。表情は真剣で、まるで戦にでも出るような緊迫した雰囲気である。
「来おったな」
「今度は本物でしょうか?」
「さあな」
 ふっと自嘲気味に笑うと、リーフはイグネアを振り返った。
「間違っても今は一人で外に出るなよ」
「わかってます」
 それならいい、と言い残し、リーフは単身外へと飛び出して行った。

 唐突にやって来た三人に対し、屋敷に住まわせるにあたり……と言ってオンブルはある条件を出した。金は腐るほどあるから衣食住は保障するが、代わりに自分の為に働けと言ってきたのだ。
 イグネアは言わずもがな屋敷のメイドとして、モルは手先の器用さを買われて研究の助手として働くことになった。さてリーフはというと……オンブルの研究に必要な、そして呪いを解くために最重要の鍵となる“あるもの”を入手するため、度々襲撃してくる“魔鳥”を駆除し、町を護るという役目を担うことになった。
 穏やかな町・リトスを襲うのは、七色の翼と銀に輝く長い尾を持つ美しい鳥。北の山からやって来るのは、その体内に万能の力を備えた血を流す――魔鳥“カディール”だった。




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