× 第4章 【炎と烙印】 3 ×





 店を出たイグネアは、足早に屋敷を目指していた。おやつの時間まであと少し。遅れればそれだけオンブルの小言も増えるからだ。包みを傾けないように慎重に運ぶ。形が崩れれば、さらに小言が追加されるからだ。
 箱が少し重いな、と感じた。たぶん、四人分入れてくれたのだろう。ミリアムは本当に気が利く良い嫁だ。
 さて、イグネアの隣にはモルが並んで歩いているのだが、その腕には奇妙な風貌に似つかわしくないもの――赤子が抱えられている。一歳くらいの赤子の名はマイルといって、この子はミリアムの息子である。
 店が忙しい時間になると、ミリアムは度々イグネアに“子守り”を願ってくる。こちらはいつも世話になっているし、時間にして一時間くらいなので、何の問題もなく請けているのだ。
 くりくりと愛らしい瞳は、奇妙な造形の色眼鏡を見ても怯む様子もない。何度もこうして抱えられているせいか、モルにもずいぶんと慣れたものだ。小さな手が顔やら服やらを掴んだり叩いたりするが、モルは一向に気にせず無表情だ。
 こうして子連れで並んで歩いたら、むしろオンブルよりもモルの方が旦那に見えるんじゃないかと思うが、この手の話は挙がらないらしい。なぜか知らないが。
 マイルの首には、ミリアムのように鈴が下がっている。そしてマイルを抱えるモルの腰にも、同じ鈴が下がっている。リトスに住む者は、全てこの鈴を身につけている。さらに町内全ての家屋には、特殊な護符が貼り付けてある。
 これらはオンブルが作り出した“魔除け”で、不思議な力が宿っている。鈴と符には魔術が施されており、人間には全くこれっぽっちも聞こえないが、何やら常に音を発しているらしい。この音を嫌って、カディールは一定以上近づかないし、家の中に入ってしまえば襲われることもないのだ。
 だが、イグネアだけは鈴を持っていない。その理由は単純明快――彼女はミールスに呪われているせいで、外部からの一切の魔術を受け付けないのだ。そのため、常に鈴を身につけている誰かを供にしないと、突然カディールがやって来た時に襲われてしまうのである。
 ちなみに。オンブルの金回りがいいのは、この鈴と護符を町中に売っているからである。それこそ町民全員分、子が生まれたり移住者が増えればさらに追加で売れるのだから、町一番の金持ちになったのは言うまでもない。

 屋敷に帰ったと同時、オンブルが柱の影から様子を見ていて、案の定おやつの時間に三分遅れたと文句を言ってきた。その小言を右から左へ流しつつ、さっさとお茶の支度をして渡すと、オンブルはさっさと地下へ潜っていった。あまり子供が好きでない彼は、マイルを預かってくると大人しくなるから有難い。しかも、自分もミリアムに世話になっている自覚があるのか、これまた文句を言わないのが面白い。
「ケーキ、食べますか?」
 イグネアがオンブルに構っている間、マイルの面倒を見てくれていたモルに聞いてみると、彼は無言で頷いた。せっかくだからーと自分のお茶と二人分用意して居間へと運び、ふわふわのじゅうたんの上で這って遊んでいるマイルを眺めつつ、お茶会は静かに進んでゆく。いかんせん、モルは無言なので会話がないのだ。
 ほんのわずか視線を逸らしていた隙に、お茶を終えたモルは姿を消していた。まあいつもの事だが、物音一つ立てずに消えるなんて、敵に回したら恐ろしい相手だ……とか何とか考えていると、モルと入れ替わりでこの時間には珍しい人物が居間へ入ってきた。
「珍しいのがいるのう」
 若干疲れた表情を浮かべて立っていたのはリーフだ。リーフは背負っていた剣を下ろし、羽織っていた外套を脱いでソファに座った。視線はマイルに向けられている。
「早いんですね」
「オンブルに話があってな」
「今日はどうでした?」
「……(まが)い物、それも二羽だ」
「そうですか。ケーキ食べます?」
「ああ。茶は濃い目で入れろ」
「はいはい」
 普通に聞いただけならば、何だか“仕事を終えて帰って来た夫”と“出迎えた妻”のような会話である。こんな会話を町民に聞かれたら「ほら、やっぱり!」などと言われそうである。
 それはさて置き。
「なかなか本物は見つかりませんね。偽物ではだめなのでしょうか」
 淹れてきた茶を差し出しながら問うと、リーフは渋い顔をした。
(まが)い物の血は万能の力を持たぬ。オンブルが過去に試したようだが、役に立たなかったと言うておった」
 お茶を口に運んで「もっと濃くしろ」と文句を言いつつ、リーフが息を吐く。
「……直接“巣”を探るしか方法はないか」
「巣?」
「あやつ等の巣だ。北の山にあるようだが……」
 言いかけて、リーフは言葉を切った。この作戦は難しい。巣に行けば、それこそ何羽いるかわからないカディールを相手にしなければならなくなる。自警団の面々は使えないし、かと言って一人では危険だ。
 さて、どうしたものか……と難しい顔で考え込んでいると、何者かが足に触れ、リーフは視線を落とした。這って足元までやって来たマイルが、物欲しそうに深緑の瞳を見上げていた。
「何だ、遊んで欲しいのか。仕方のない奴だな」
 などと不満げな言葉を吐きつつも、まんざらでもないような顔でリーフは立ち上がり、マイルを軽々と抱き上げた。よしよしと背をさすってやると、マイルは気持ち良さそうに瞳を細め、やがて眠たそうな顔になった。
 イグネアは面食らっていた。子供をあやすリーフの図は、彼女の中で衝撃の一幕だった。これまで、マイルを預かってきてもリーフが居合わせることはなかった。ゆえにこの光景は初めてだったが……何だか見てはいけない一面を見た気がして一人困惑していた。

 そうこうしているうちに一時間はあっという間に過ぎ去り、ミリアムがマイルを迎えに来た。玄関先に出てすっかり眠ってしまったマイルを引き渡す。代わりに、ミリアムは午後の分のケーキが入った包みを渡した。
「またよろしくね」
「いつでもどうぞ」
 手を振りながら去ってゆくミリアムを見送り、イグネアは屋敷に入った。そういえば食器を出しっ放しだ……と思って居間へ戻り、膝を付いてせっせと片付けていると、再びリーフがやって来た。
「マイルはもう帰ったのか?」
「たった今、ミリアムさんが迎えにきましたよ。それにしても、あなたが子供好きだとは知りませんでした」
 特に何の意図も含めず、思ったことを口にしたのだが。
 この一言が、すぐ後にとんでもない方向へと発展するのだった。
「まあ……欲しかったからな」
 ぼそりと呟かれた言葉に、イグネアはぴたりと動きを止めた。ほんの少し考えて、言葉の意味を理解する。要するに……「自分の子供が欲しかった」ということだ。
 何と応えていいかわからず、イグネアはばつが悪そうに俯いた。その願いをなき物にしたのは他でもない自分だ。嫁が生きていれば、その願いも叶ったかも知れないのだ。
 たとえ自分を裁いて罪人にしたリーフといえど、一人の人間としての生活が確かにあったのだと改めて知った。あの時は本当に何も考えていなかったけれど、こうして自分で普通の生活をしてみれば良く分かる。お腹の子が無事に生まれてくる事を、切実に願っているミリアムを見ているから尚更だ。
 非常にきまずい空気が流れた。どうしようかと困惑していると、呆れたようなリーフの溜め息が頭上から降って来た。
「そのような顔をするな。今さら過去は変えられぬし、仕方がなかろう」
「し、しかしですね……」
 おろおろしていると、とんでもない一言が返って来た。
「ならば、お主が(わし)の子を産めば良いではないか」
「そ、そうですね…………って、はああああ?!」
 天地がひっくり返ったかのように驚愕し、イグネアは勢いで立ち上がった。真紅の瞳がこれでもかというほどにを見開かれる。
「な、なな、ななな、何を言っているのですか?! だいたい、私は子供は産めませんよ!」
 呪いのせいでそうなったというのに。というか、そうなったのは誰のせいだと思っているのか。詰め寄るも、リーフはしれっとした顔をしていた。
「呪いが解ければ問題なかろうが」
「た、たしかにそうですけど……最も重要な問題はそこではありません! そ、それはその、つまり私を…………よよ、嫁にでもしようということですか?」
 ずれた眼鏡を押し上げつつ若干自信なさげに問いかけると、深緑の瞳がふっと細くなり、リーフは意味ありげに笑んだ。
「そのつもりで付いて来たのではなかったのか?」
「ま、まさかそんな、とんでもない!」
 いや、本当にまさかだ。ただで呪いが解けるなどと思ってもいなかったが、まさかリーフがそんな事を考えているとは、全く微塵もこれっぽっちも知らなかった。
「だ、だいたい、そんなこと言わなかったじゃないですか!」
「“永遠に一人では嫌だ”と言ったであろう」
 そんな一言でわかるわけないだろうが! こんなことになるならば、もっと大いに悩んだわ! とイグネアは憤慨した。が、リーフは余裕の態度を崩さない。
「儂は最初からそのつもりでおったのに、お主ときたらまるで気付きもせぬ。いい加減、苛立っていた所だ」
 などと言いながら確実に攻め寄ってくる。すると当然、イグネアは後退するわけで。気付けばあっという間に壁際に追いやられていた。
「ひいいっ!」
 両脇に手をつかれて逃げ場を失ったイグネアは、可愛げもない悲鳴を上げて縮こまった。おろおろと見上げると、妙な気迫がこもった深緑の瞳が間近で見ていた。いかん、何とかしてこの場を逃れねば。
「わわ、私など嫁にしても何の得にもなりませんよっ。それにほら、あなたなら他に良い人が見つかると思いますし? どうせなら綺麗な女性をめとった方がよろしいのでは?」
 と提案してみたが、思い切り鼻で笑われた。
 いかん、これは本気で危機だ。
「だ、だいたい! あなた、私のこと恨んでいるはずでしょう!」
 もうこれしか思いつく言葉がなかった。
 そして言ってすぐさま後悔することとなる。
「そうだな。儂に恨まれても仕方のない事をしたと考えているならば、その身をもって償え」
「なっ……!」
 まさかそう来るとは! ますます墓穴を掘ったイグネアは、もうどうしていいかわからずに困惑しまくった。おろおろしている彼女を見ていると加虐心が疼くのか、リーフはたいそう愉しげである。
「だだ、第一、嫁のことはもうどうでもいいのですかっ」
「どうでも良くはない。だが、あやつは千年前の女だ。最早思い出に過ぎぬ。それくらい考えれば分かるであろう」
「うっ……」
 言われてみれば確かにそうだ。いくらなんでも、千年前の人間を未だに引きずっていたら、さすがにちょっと怖い。
「……欲望を満たすだけならば商売女でも相手にすれば良いが、それでは心が満たされぬ。それに、儂とて事情を抱えているのだ。どうせならば知った者同士の方が都合が良いと、そうは思わぬか?」
「お、思いません……」
 商売女ってなんだろう? と内心で呟きつつ返事をしたが、完全無視でリーフはさらに身を寄せてくる。なんでそんなに近づくんだ。もう逃げられないではないか。
「言葉が欲しいなら言ってやる。花嫁の装束が着たいなら着せてやる。だから、儂のものになれ」
 可愛らしい少年にこんな事を言われて迫られたら、一般女子ならば頬を染めて「もうどうにでもなれっ」と思うことであろう。
 しかしイグネアは違った。めまぐるしい展開に頭の処理がついてゆけず、気分が悪くなって青ざめていた。今にも倒れそうである。
 いかに鈍感な女といえど、ここまでやればさすがに堕ちるだろう……と安易に考えていたリーフだったが、赤くなるどころか青くなっているイグネアを見てやる気が失せたらしい。盛大な溜め息を吐いて肩を落とした。
「……まあいい。時間は十分にあるのだ。それに付いて来たからには儂の言う通りにするしかあるまい」
 イグネアはぎくりとした。そうなのだ。呪いが解けようが解けまいが、来てしまったからにはなるようにしかならないのだ。
 それ以上は何もする気がないのか、リーフが身を離した。ようやく解放されたと、イグネアは安堵の溜め息を零したが……止めの一言が飛んで来た。
「どうせならば、儂に惚れてしまった方が楽だぞ」
 こいつはどこまで上から目線なのだろうか、とイグネアは疲れ切ってがっくりと項垂れた。




←BACK / ↑TOP / NEXT→


Copyright(C)2007− Coo Minaduki All Rights Reserved.