× 第4章 【炎と烙印】 6 ×





 険悪な雰囲気が漂っていた居間に現れた救世主(?)。イグネアの頼みの綱であるリーフが帰って来たことで、状況は好転するかと思いきや。
「騒がしいなあと思ったら、ずいぶん珍しいお客さんが来たんだね。遠路はるばるご苦労さま、お兄さんたち」
 大人しくしていればいいものの、愛らしい笑顔と共に若干棘のある言葉を吐きやがった。
 イグネアはげんなりしていた。ヒュドールはあからさまにイラッとしているし、彼のように感情をむき出すタイプではないリヒトは無言だが、視線だけは物言いたげだ。そしてリーフの猫被りモードを初めて見たオンブルは、そのあまりの変貌振りに唖然としている。この最悪の空気の中、どうやって呼吸をすればいいのか。正直苦しくなってきた。
「それで、どんなご用件?」
「……私たちを、連れ戻しに来たそうです」
 こっそりとイグネアが説明すると、リーフは意外そうな顔をした。
「へえ、イグネアだけじゃなくて?」
 深緑の瞳がちらと見遣る。
 揶揄するような視線を受けたヒュドールはムッとしていた。
「お前達を連行しろという、チョビ……スペリオル王の命令だ」
 ヒュドールがチョビヒゲ直筆署名入りの書状をテーブルから取り上げ、掲げて見せた。
「その書状があれば、俺達はどんな手を使ってでも君達二人を連行できる。逆らえば反逆罪だ」
 いつもとは違った、とても冷静な声でリヒトが告げた。 
 リーフは驚くでもなく、冷静に書面を見つめていた。深緑の瞳が細くなる。どうやら書状は本物らしい。あのチョビヒゲめ、余計なことをしおってからに。
 さてどうするか、とリーフは考えた。正直言って小僧共の出現は、予想していたよりもはるかに早かった。いくら書状があるとはいえ帰るつもりなど毛頭ないが、こうなった以上、向こうも大人しく引き下がるとは思えない。自分はともかく、イグネアは引きずってでも連れ帰りそうだ。
 ならばここは少し冷静になり、この状況を利用する手はない――リーフの脳裏には、先程道端でくたばっていたカディールの姿が浮かんでいた。

 さて、ほんのり渋い顔をするリーフの背後では、オンブルが若干青ざめていた。そしてこっそりとイグネアに問いかける。こっそりしているのは、うるさくするとリーフに睨まれるからだろう。
「ど、どういうことだ? 彼らは何者だ?」
「えーと、私たちはですね、ここへ来る前にスペリオル王国で厄介になっていまして。あの若人たちは、スペリオルに仕える騎士様と魔術師様です」
 眼鏡を押し上げつつイグネアが応えると、こちらも眼鏡を押し上げつつオンブルがさらに問うてくる。スペリオルといえば、南の大陸の大国ではないか。
 オンブルは、イグネアたちがどこから来たのか詳しく知らない。しかも、プレシウの魔術師であると知っているとはいえ、素性もほとんど未知状態なのだから驚き、疑問を抱くのは仕方がない。というか、そんな未確認人物たちを居候させるのもどうかと思われるのだが。
「そんな大国の騎士と魔術師が、なぜ君達を連れ戻しに来るというのだ。それに反逆罪とはどういう意味なんだ。もしや君達は犯罪者か? とすると、私は犯人蔵匿罪もしくは共犯者かっ?!」
 話しているうちについつい興奮してしまったらしく、最初のこっそり感はどこへやら、オンブルは青ざめて頬に手を添え、悲鳴に近い声を上げた。が。
「ちょっと静かにしててね」
 立ち位置の関係で美形共に見えないのをいい事に、猫被り口調ながらもリーフは思い切り不愉快そうな顔で振り返った。額には明らかに怒りの証が刻まれており、普段ならば間違いなくスネに強烈な一撃をお見舞いされたことだろう。オンブルと、そしてなぜかイグネアも慌てて口を押さえた。
「ねえ、イグネア」
 突然に話を振られ、イグネアは何事かと首をかしげた。
「なんでしょう?」
「のど渇いたからさ、お茶いれて来てよ」
「は、はあ?」
 この状況下、いきなり何を言い出すのかこいつは。というか、当事者である自分がこの場を離れてもいいのだろうか。困惑していると、リーフが寄って来て強引に背中を押し、居間から追い出そうとしていた。
「ちょ、ちょっとお待ちをっ」
「いいから、いいから。お兄さんたちとは僕が話をするからさ」
「しかしですね……」
 往生際悪く、イグネアが渋っていると。
「上手く話をつけてやるから安心しろ。むしろお主が居ると話がややこしくなって困る」
 リーフはプレシウ訛りでこっそりと話しかけた。こいつがいると話の方向がずれておかしくなるに違いない。どうせ問い詰められても何も答えられないだろうし、ならば自分が話をつけた方が早くていい。
 渋々了承したイグネアが出て行くと、リーフは気を取り直して振り返った。その脇を、こっそりとオンブルもすり抜けて行こうとしたのだが……
「“先生”は一緒にお話しようね」
「はっ……!」
 がっちりと腕を掴まれ、しかも“先生”などという聞き慣れない言葉を耳にし、オンブルは壮絶に青ざめていた。ものすごく気持ち悪い上に、恐ろしい。
「……良いか、余計な事は一切話すでないぞ。お主は只管に儂に合わせておれば良い」
 話したらどうなるかわかっているだろうな? と一瞬の間に脅し文句を吐いてオンブルを黙らせると、その手を引いてリーフは意気揚々とソファに向かい、腰掛けた。

「何から話せばいい?」
 揃えた膝に肘を乗せ、手のひらを頬に当ててリーフがにっこり笑む。見ただけならば邪気のない、愛らしい少年そのものである。
 ヒュドールは眉間にしわを寄せた。相変わらず小賢しいガキだ。
「俺達はお前ではなく、アイツと話がしたい」
「そう? でも僕が話した方がいいと思うけど?」
 お前にならばその理由がわかるだろう、と深緑の瞳に無言の圧力をかけられ、ヒュドールは口をつぐんだ。リーフはイグネアの秘密のことを言っているのだ。リヒトがいるから率直な話は出来ないのだろう。
 渋々了承したヒュドールは溜め息を吐き、再びソファに腰掛けた。
「とにかく、事のあらましを全て説明しろ。アイツの病気とやらについてもな。言っておくが、お前とアイツが他人である事実はばれている。小賢しい真似をしても無駄だ」
 青碧の瞳がぎろりとねめつける。
 リーフは内心で少し驚いていた。ヒュドールが言うはずはないだろうし、リヒトには従姉弟ではないといつ気付かれたのだろうか。ただ軽いだけかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。なかなか侮れない男だ。
 深緑の瞳がちらと見遣るが、リヒトは気のないような視線でこちらを見ているだけだ。普段本音を出さない分、何を考えているか読み難い。それが素だとしても作戦なのだとしても、手強い相手であることに変わりはない。
「ヒュドール、“さん”が言うように、あの手紙に書いておいたイグネアの病気のことは嘘だよ。でも緊急事態だったのは事実。そのせいで、放っておけばあのまま病の床についてたかも知れないしね」
「どういう意味だ?」
 すると、リーフは重い溜め息を吐いた。深緑の瞳がちらりとリヒトを見て、言うか言うまいか迷っているように見えた(あくまで演技だが)。
 視線を受けたリヒトは、何事かと首をかしげていた。どうやら、彼に気を遣って躊躇っているようだ。
「…………彼女、呪われてるんだ」
 深刻な顔でリーフが言った途端、ヒュドールの表情が一瞬にして険しくなった。お前はまさか、アイツの秘密を話すつもりじゃないだろうな……! と脅しをかけて青碧の瞳が睨みつけた。いざという時は殺生になってでも止めてやるとか、そんな壮絶なことまで考えていた。
 だが、リーフは構わずに話を続けた。
「あの指輪……あれ、呪いのアイテムらしいんだ」
「……は?」
「イグネアの指輪、外れないでしょう? あれって呪いのせいなんだって。ねえ、先生?」
 それまで隣で大人しく縮こまっていたオンブルは、唐突に話を振られてかなり挙動不審だった。若干慌てつつちらと視線を向けると、リーフが小声で「ミールスについてだけ話せ」と言ってきた。
「う……あ、あの指輪の石は【ミールス】といって、古代大戦時に【奇術師】と呼ばれる魔術師達が愛用していたものだ。様々な魔術や呪術を施し、主に身を護るために使用されていた。イグネア君の指輪にも、もれなく何らかの術が施されているらしい」
「先生はね、古い魔術や呪いの研究をしているんだ。だから僕たちは呪いを解くために、先生を頼りにして来たんだよ」
 ね? とにっこり笑まれ、オンブルは滝のような汗を流していた。その“先生”という呼称がとてつもなく不自然なのだが。もう今すぐこの場を立ち去りたい、などと内心では考えているが、当然誰も気付くわけない。

「城を出た理由はわかったけど……だからって、何も黙って出て行く必要はないんじゃないの?」
 ようやく口を開いたリヒトは、やれやれと肩を上げて息を吐いた。確かに外れない指輪なんておかしいとは思っていたし、古代大戦時のものとなれば、呪われアイテムと言われても不思議ではない。けれど、何も言わずに出て行く必要はなかったはずだし、二人は魔術師としてスペリオルでは国力扱いされていたのだから、相談すればよかったのに……と、至極真っ当な意見を述べた。
「それはそうだけど……でも、イグネアだって言いづらかったと思うよ?」
 もう一度、深緑の瞳が遠慮するような視線を向けてきて、それでようやくリヒトは気付いた。恐らく、あの指輪を贈った本人に「これ呪われているんです」とは言えないだろうという意味だ。そりゃ安価なものではなかったし、事故だったとはいえそんな呪われアイテムを贈ってしまったとなれば、さすがにちょっと申し訳なく思うが、それとこれとは話が違う。何も知らされずに去られる方が、どれだけ苦痛か。
「で、その呪いはまだ解けていないのか?」
 ヒュドールが問うと、リーフは静かに首を横に振った。
「呪いを解くには、“あるもの”が必要なんだよ」
「“あるもの”?」
「さっき町中で巨大な鳥を倒したのって、お兄さんたちだよね?」
「そうだが」
 ヒュドールが答えると、リーフはオンブルに「説明して」と袖を引いた。
「うっ……あ、あの鳥はだな、古より存在する魔鳥で、名を【カディール】という。体内に流れる血には、あらゆるものを癒す万能の力が宿るといわれる。その血がないと、呪いは解けないのだ」
 おどおどしながらオンブルが説明すると、ヒュドールが眉間にしわを寄せた。
「ならば、さっき倒した鳥から採取すればいいだろうが」
「あれは偽物だからダメなんだよ。偽物の血は万能の力を持たないんだって。だから僕たちはこうして先生のところで居候しつつ、本物の出現を待っているってわけ。ということで、今すぐ帰れって言われても困っちゃうよねえ?」
 と、リーフが困り顔を向けると、オンブルは何と言っていいかわからずにモゴモゴしていた。正直言うと今すぐ帰って欲しいのだが、そんな事をはっきり言えるわけがない。だが、こっそり「何か言え」と脅され、仕方無く「そ、そうだな」とフォローを入れていたが、すでに美形共は話を聞いちゃいない。
 ヒュドールもリヒトも渋い顔をしていた。要するに、そのカディールとやらの“本物”を倒さない限りイグネアの呪いは解けないし、彼らも帰るつもりがないのだろう。こちらとしてもチョビヒゲの手前、あまり手荒な真似はしたくないし、それにイグネアが呪われているのも何とかしたい。
 すると、リーフが思いもよらぬ提案をしてきた。
「お兄さんたちは、僕たちが一緒に行くって言わない限り帰れないんでしょ? だったらさ、しばらくここに残ってカディール退治に協力してよ」
「えええええっ?!」
 と、意外な方向から頓狂な声が上がり、一同揃ってそちらを向いた。ちょうどお茶を淹れ終えたイグネアが戻って来たのだ。
 イグネアは青ざめていた。上手く話をつけるとは、そういう事だったのか。
「ちょ、ちょっとそれはお待ちをっ」
「そ、そうだぞ! 第一、しばらく残ってとは……この屋敷に留めるつもりなのかっ?!」
 イグネアが反撃をしたことで若干調子づいたのか、オンブルも便乗して文句を言い始めた。が、リーフはそ知らぬ顔をしている。
「どうせこの家、使わない部屋がいっぱいあるんだしさ。いいじゃん」
「い、いい、いいじゃんって……この屋敷の主は君ではなく私で、私は他人(特に余所者)は嫌いなんだと、いつも言っているだろう?!」
「えー、だってもうこれだけの人数住まわせちゃったんだからさ、今さら他人は嫌とか言っても仕方ないよね」
 あはは、と陽気に笑われ、オンブルはわなわなと身を震わせていた。だいたい、そういう状況にしてしまったのは他でもないリーフではないか。
「こ、これだからプレシウの……ぐはっ!」
 話途中であるが、オンブルは閉口して悶絶していた。テーブルで隠れて見えないのをいい事に、リーフが思い切り足を踏みつけたのだ。
「せっかく遠路はるばる来てくれたんだしさ、追い返すなんて申し訳ないじゃない? ということで、先生は快く了承してくれるって」
 完全に何か企んでそうな笑顔を向けられ、オンブルは素直に頷くことしか出来なかった。

 いくつかの疑問は残り、釈然としないものの。結局、二人を連れ帰りたいリヒトとヒュドールは、申し出を受ける事にした。見事リーフの思惑通りに事が運んだ次第である。
 カディールの“巣”を探りたいリーフは、即戦力となる存在を求めていた。つまり、スペリオルで最強といわれる美形コンビは、とても都合よく現れたことになる。同居するとなると色々面倒は多いが、それ以上に彼らの戦力は魅力的だった。だから、こうしてリトスに留める方法を選んだのだ。
 だが、納得のいかない人々もいるわけで。
 床に正座したイグネアは、無言で俯いていた。そしてリーフの隣で青ざめているオンブルも、額に手を添え、疲れ切って閉口している。なんだ、この怒涛の展開は。リーフは一体何を考えているんだ、と双方全く同じ事を内心で考えていた。
「そうそう。この屋敷に居候するにあたり、お兄さんたちにはそれぞれ何か仕事をしてもらうことになるんだけど」
「仕事?」
「ほら、やっぱりただで住まわせてもらうなんて申し訳ないじゃない? だから僕はカディールから町を護るために自警団に協力してるし、イグネアはこうしてメイドさんとして働いてるってわけ」

 ――どうせ申し訳ないなんて思ってないんだろ?

 リーフが得意げに言うと、イグネアもオンブルも、そしてヒュドールも同じ事を考えた。
「そうか、だったら俺は君と同じく自警団がいいな」
 リーフの本性を知らないリヒトは、他に適当な仕事もなさそうだしーと、いち早く自らの仕事を決めた。まあやることは普段と何ら変わらないわけだし、彼にとっては最も適当な仕事といえるだろう。
 しかし、リヒトの次の一言が白銀の魔人の怒りに触れた。
「ヒュドールはイグネアみたいに家のことやれば?」
「はあ?!」
「あ、それは私も助かりますね、非常に」
 イグネアがこっそり手を上げて賛成の意を表すと、ヒュドールがぎろっと睨みつけてきて思わず怯んだ。なんだか猛烈に久々な感じだ。懐かしさも覚えるほどに。
「ほら、イグネアもこう言ってることだし」
「だからって、何で俺が家政婦のようなことをしなければならないんだっ!」
「どうせ自炊する気なんだろ? だったら全部やっちゃえばいいよって話」
 人の身の振りを勝手に決めるな! とヒュドールは大変怒っていた。だいたい、なんでこんな所に来てまで、しかも野郎共の世話なんぞしなきゃならんのだ。
 すると、それまで死人のようにぐったりとしていたオンブルが、のっそりと復活を果たした。
「君は、料理ができるのかね?」
「腕前はシェフ並だよ」
 代わりにリヒトが答えると、余計な事は言うな! と隣でヒュドールが思い切り睨んだが、彼は全く気にしちゃいない。
「それならば……ぜひ、お願いしたい……」
「そうだね、僕からもお願いするよ……」
 意外な事にリーフからも願われ、ヒュドールは不審げに視線を向けた。二人は若干青ざめ、何やら視線を泳がせている。
 何だろうか一体。今まではどうしていたんだろうか。そんな風に考えつつ、ちらとイグネアに視線を向けると。
「何ですか、私の作った物では不満があるとでも言うんですか」
 若干ムッとしていた。
「い、いや……不満というか……」
「あれで不満がなかったら、ちょっと異常だよねえ……」
 と、これまで毎食同じメニューだったことを思い返し、リーフとオンブルはブツブツと文句を言っていた。
「……一体何を食わせていたんだ?」
「失礼な! きちんとした料理を作っていましたよっ」
 ヒュドールに不審気な視線を向けられ、イグネアはまたしてもムッとしていた。
 イグネアが一体何を食わせていたのかは未知ではあるが。
「わかった! わかったから、そんな捨てられそうな犬みたいな瞳で俺を見るな!」
 必死に(こいねが)うような視線を向けてくる二人組を一喝し、ヒュドールは盛大な溜め息を吐いた。この人数の食事の世話となるとさすがに一人では大変だろうし、そもそも彼は自分でやらなければ気が済まないのだから仕方がない。
「良かったね、先生。これからは、きっと様々な料理が食べられるよ」
「そうだな、これまで長かった……いや本当に」
 リーフとオンブルは手を取り合い、互いの労をねぎらう戦士たちのごとく、この時ばかりは意気投合していた。
「そういうわけで、今夜からお願いね」
 リーフが愛らしくウィンクを飛ばすと、ヒュドールは思い切り顔を引きつらせていた。

 そんな感じで、怒涛の同居生活が幕を開けたのである。




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